カテゴリー: hikari

新年

あけましておめでとうございます。

去年も今年も、世の中はとても暗く思えるけど
そのシナリオには乗らないよと。

皆さんにとって、素晴らしい一年になりますように。

2016 sunrise

sunrise2016

冷え切った元旦の朝
陽射しを頼りに橋に辿り着くと
生まれたての光。

あまりの眩しさに
声をかけてくれた人の顔も
しばらくわからず。

この世の光って
すべては太陽を分け合っているのだった
そう思い出した朝でした。

thousand primitives

2015年

世の中は暗かったけど
ぼくの音楽活動としては忘れえぬ年でした

出会えた人々の輝きには驚くばかり

名前を挙げればきりがない

一緒にできて、俺でいいの? と思いつつも
とてつもなくいい時間を過ごせた人も

ほんの短い間だけど、ちょっとの瞬間で
まだまだこんなことができるだろうなとわかった人も

この遊びが一緒にしたいんだろうな、と
だったらやろうよ、となれた人も

一方で「もう、俺は観てるだけでいいですよ」と本気で思った人もいて
「え、なんでです?」と言ってくれたけど
それはほんとに、何も足りなくないと感じたからで

ミュージシャン、共演するばかりが能じゃない、とも思ったり
まぁ、縁があれば(というか、答えがみつかれば)ね

 

色々な、自分の外殻をひっぱって、割るか伸ばすかしてくれた人々のおかげで

久しぶりにコーラスもやったし、初めてアコースティックギターも弾いたし
人前ではメガネをかけないようにしていたのに逆に思いっきりかけてたし
ペダルボードなんて生まれて初めて使ってみた

おかげで少なくとも 意識の上では外殻が大きくなった

中身が埋まるかは これからだな

本職の低音に関しては
ろくに練習時間もとれなかったが 人前で学ぶことと
ああこうやってたんだ こうやりたかったんだと
思い出すことばかりで
自分の何割かも まだできていない

できてないことに気づけただけでも よしとするかな

 

一方
今年やり残したことも たくさんあって

Daveとも
Epizoとも
ヒロとも
一緒に演奏できなかったし
工藤さんとも一度しかできなかった

日の巡り合わせとはいえ己のブッキング能力の無さにはまいる

数年前からのアルバムセッションの話も実現せぬまま
待ち切れず長い散歩に出てしまった仲間もいる

自分の曲も
相変わらず 大量の作りかけのトランク

 

来年はどんな一年になるだろう

瞬発力がないのに 慣れてしまっているが

深い海から そろそろ顔を出すかな だれかさん

アンテナ・アンテナ・アンテナ

生を受けたこの世界に、昨今この情勢、警戒を抱いてはいるが

それでも自分自身はポジティブである。

やれることをやる、しかないのだ。

- 音楽を人と共有できればそれが一番だ -
- 鳴り止まないことが大切だ -

そういう人たちの意思もわかる。それが完全に解決策とも思わない。
(音楽そのものを否定する人がいる限り。そして、その気持ちも決してありえなくはない限り)

が、自分はやれることを、磨くのだ。

何しろ、僕自身、昔は音楽がすべてではなかった。
かなり小さな頃から音楽と共に生きてはいたが、
それでも自我に目覚めた頃から中学のある時期までは、
音楽以外のことの方が心を大半を占めていた。
自分が何かに没頭できるなら、無音でも、よかったのだ。

それがあるとき、FMから流れたポップスにスライドしたけれども

その頃は、まさか自分がライヴをしたり、ジャズをやったり、
自分が受け付けなかったロケンロールやフォークを
好きになるとも、これっぽっちも思ってもいなかった。

人は、変わるのだ。

だから、人には、いろいろな可能性がある。

音楽を、また様々な国の文化を好きになり、
日本のことばも好きであり続け、
楽器を続けている以上、これからも探り、少しでも自分がいい「  」になれるようにと思う。

折に触れて、人に言われたことが人生の楔にもなり、傷にもなりつつも
それを溶かし、乗り越えることが
できると思っている。

ひねくれた僕はたとえ音楽でも「分かち合いましょう」なんて言えないが
それでも、そこにいる人たちと、何かを感じることができると思っている。
よい「」であれば。

人の役割のひとつは、アンテナ - 触媒だから。

あれっ

ちょっとなんというか

控えめなウェブログが続いたのですが

それぞれに意味があって

というか、ひとつの控えめなメモにはもうひとつの深い何かがくっついていたことに

ようやく気づいている11月。

月はやっぱり、ふたつあるんだろうか?

この「月」に、一がふたつ、あるように。

ちょっとまてよ

いちがふたつ?

そう、これは誰にたいする文でもなく、

君だけにたいするものなんだ。

バジルもお疲れ

白い花も咲くにまかせて
十五夜の酒盛りが来ないなと思ってたら
今年の満月は9.28らしい

バカバカしさにまみれた国の管理人たちの振る舞いと取り繕い
辛い気持ちや無力な気持ちに耐えながら秋を過ごす

不思議な事に 夏にどれだけ他力本願でも
秋になるとちゃんと自分は働き出す
やるわけないだろうと思っていたこともちゃんとやり出す
結果が出るかどうかはしらんけど
自分の中では結果は出ている
おそらく上々

年を経て頭脳が阿呆になってきたことは
ある意味よかったと思う
あまり色々な事に頭が働くなくなったがために
敏感で執着心の強い自分に邪魔されることも
減った…というか…忘れてしまった

それが結果に出てるかはしらんけど
多分出てないんだろうが
ほんとうに自分にとって大事なところを
一生を終えるまでにつかめればそれでいい

それが残せればもっといい
ってなわけだ

はろー
あした

LEDのメリットは誰に

http://mainichi.jp/sports/news/20150407k0000e050202000c.html

LED化は時代の流れでもある。選手にとっては球の見にくさなどは過渡期の悩みともいえ、DeNAの主将で外野手の筒香嘉智も「慣れていくしかない」と話している。

は?

選手にとって球の見にくさなどは過渡期の悩みともいえ

は?

序文に戻る。

グラウンドの照明設備に発光ダイオード(LED)が導入された。プロ野球の球場では初の試み。大幅な省エネや温室効果ガスの削減、演出効果アップなどプラス面が多い半面、選手からは「まぶしくて球が見にくい」などの声も上がっている。

プラス面は、野球とは直接関係ない、経営者側、観客側、または「大義名分」側の話。
マイナス面は、野球というスポーツを行う主役にとっての、まさに根本的な話。

話がずれているし、「慣れていってはいけない」ことだと思う。

僕もLED器具はいくつも使っているけれども、眩しいものは極力排除している。

下記「シューゲイザー」のペダル群にも、一つどうにも眩しい青色巨星インジケーターがあり、
これをどうしてマスキングするか、考え中。

暗いステージの足下でon/offを確認するのにあんな光度は要らないし、音楽の邪魔になる。
音のいいペダルなのに、もったいない。

テクノロジーの発展そのものを否定はしないけど、人間が機械や、機械を取り巻く利権やトレンドに流されていると、やがて怖い事がおこる。
311以来僕はずっと思っている。

4年前どころか、ずっと昔から色々な人が表していることだけど。

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