ちょっとなんというか
控えめなウェブログが続いたのですが
それぞれに意味があって
というか、ひとつの控えめなメモにはもうひとつの深い何かがくっついていたことに
ようやく気づいている11月。
月はやっぱり、ふたつあるんだろうか?
この「月」に、一がふたつ、あるように。
ちょっとまてよ
いちがふたつ?
そう、これは誰にたいする文でもなく、
君だけにたいするものなんだ。
ちょっとなんというか
控えめなウェブログが続いたのですが
それぞれに意味があって
というか、ひとつの控えめなメモにはもうひとつの深い何かがくっついていたことに
ようやく気づいている11月。
月はやっぱり、ふたつあるんだろうか?
この「月」に、一がふたつ、あるように。
ちょっとまてよ
いちがふたつ?
そう、これは誰にたいする文でもなく、
君だけにたいするものなんだ。
白い花も咲くにまかせて
十五夜の酒盛りが来ないなと思ってたら
今年の満月は9.28らしい
バカバカしさにまみれた国の管理人たちの振る舞いと取り繕い
辛い気持ちや無力な気持ちに耐えながら秋を過ごす
不思議な事に 夏にどれだけ他力本願でも
秋になるとちゃんと自分は働き出す
やるわけないだろうと思っていたこともちゃんとやり出す
結果が出るかどうかはしらんけど
自分の中では結果は出ている
おそらく上々
年を経て頭脳が阿呆になってきたことは
ある意味よかったと思う
あまり色々な事に頭が働くなくなったがために
敏感で執着心の強い自分に邪魔されることも
減った…というか…忘れてしまった
それが結果に出てるかはしらんけど
多分出てないんだろうが
ほんとうに自分にとって大事なところを
一生を終えるまでにつかめればそれでいい
それが残せればもっといい
ってなわけだ
はろー
あした
http://mainichi.jp/sports/news/20150407k0000e050202000c.html
LED化は時代の流れでもある。選手にとっては球の見にくさなどは過渡期の悩みともいえ、DeNAの主将で外野手の筒香嘉智も「慣れていくしかない」と話している。
は?
選手にとって球の見にくさなどは過渡期の悩みともいえ
は?
序文に戻る。
グラウンドの照明設備に発光ダイオード(LED)が導入された。プロ野球の球場では初の試み。大幅な省エネや温室効果ガスの削減、演出効果アップなどプラス面が多い半面、選手からは「まぶしくて球が見にくい」などの声も上がっている。
プラス面は、野球とは直接関係ない、経営者側、観客側、または「大義名分」側の話。
マイナス面は、野球というスポーツを行う主役にとっての、まさに根本的な話。
話がずれているし、「慣れていってはいけない」ことだと思う。
—
僕もLED器具はいくつも使っているけれども、眩しいものは極力排除している。
下記「シューゲイザー」のペダル群にも、一つどうにも眩しい青色巨星インジケーターがあり、
これをどうしてマスキングするか、考え中。
暗いステージの足下でon/offを確認するのにあんな光度は要らないし、音楽の邪魔になる。
音のいいペダルなのに、もったいない。
—
テクノロジーの発展そのものを否定はしないけど、人間が機械や、機械を取り巻く利権やトレンドに流されていると、やがて怖い事がおこる。
311以来僕はずっと思っている。
4年前どころか、ずっと昔から色々な人が表していることだけど。
あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。
二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)
いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。
コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。
—
David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。
一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。
来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。
帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』
—
このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。
左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。
内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。
渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。
「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。
—
夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい! 互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。
前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。
—
たぶん、もちょっと追記します。写真も。
10.07
青山見本帖で「勝井三雄 ゆらぎとゆらぎてん」を見る。
色空間を透かして浮かぶ谷口江里也さんのことば。日本語は斜め折り、英語は縦織り、重力と遊んで降りてくる。
「無数のゆらぎとゆらぎのなかで 音楽がつくり出され、それが記憶や予感とつながる不思議。」
よかんと・つながる・ふしぎ。
—
「言葉は発せられたその瞬間にその言葉を発した人の存在を証し始めます。」「文字もまた書き付けられたその瞬間からそれが示すことを考えていた人間がたしかに存在していたことの証となります。」
しめすこと・かんがえていた・にんげん・たしかに・そんざい。
—
「空間構想事始」に、論理は人を遠くへも導いてくれる一方、人の思考を停止させる力もある、というくだり。 “When their eloquence escapes you, their logic ties you up and rapes you” というPoliceの歌を想起。
EyesCream April に載っていた Art Comes First のインタヴューいい。
“Great mind think alike but no every time they act alike” 賢者はみな等しく考える。しかし、決していつも同じ振る舞いはしない。賢者は…の解釈は色々あろうが、みな同じ振る舞いをする、というのは不自然なこと。
—
今はメディアがメディアを潰そうと、少ないパイの中で共食いし、互いを型にはめている。
そして一枚残ったパイは、美味しいか? おいしいか? とてもそうは思えない。
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「同じ太陽の下、新しいモノなどない、しかしわれわれは今ここにいて、伝統を大切に、しかしルールを打ち破りながら前へと進む」
「クラフト(手工業)こそが、モノ作りをするうえで唯一の手段であるべきなんだ。手と心を繋ぐことになるからね。手こそが僕らにとって一番大切なツールであるのはそれが理由さ」
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左掌にハサミ
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96314454830
http://artcomesfirst.tumblr.com/post/96477291720
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ところで “switchcraft” って、”witchcraft” とかけてるんだな。