お互い全く違う背景の
三人でアイデア持ち寄り。
だから一期一会だし
未来が見えるのかな。
本の光が。
零からも。
こういう空間を会場にさせてもらうのも楽しいものです。
ベースアンプから2本のベースとマイクを全部出すセットなので
RE20でうたかたってみました。
さすがにでかかった。
Photo by Y. Sugimori
お互い全く違う背景の
三人でアイデア持ち寄り。
だから一期一会だし
未来が見えるのかな。
本の光が。
零からも。
こういう空間を会場にさせてもらうのも楽しいものです。
ベースアンプから2本のベースとマイクを全部出すセットなので
RE20でうたかたってみました。
さすがにでかかった。
Photo by Y. Sugimori
2月は面白いイベントに参加します。
絵本作家/音楽家/詩人の Motomitsu Maehara、舞台俳優のみき、ベーシスト/詩人の Ray の三人による詩と身体表現と音のコラボレーション。浜松佐鳴台にある美容室 Nina by Babylone にて初公演。
2月17日(日)
19:00開場
19:30開演
料金:1500円(限定20名)
ご予約はこちらまで
cafetheeel@gmail.com(前原)
会場 Nina by Babylone
〒432-8021 静岡県浜松市中区佐鳴台1丁目13−10
出演
みき (Act)
Motomitsu Maehara (Poetry Reading / Piano)
Ray (Poetry Reading / Bass)
パリ在住、日本と往復して活動する moto 君とは久々の共演。DJ でもあり、近年は独創的な絵本やコラージュアート、Little Creatures のアルバムジャケットなどでも活躍する才能の塊です。みきさんは先日初めてお会いしたのですが、かっこよくて。
こういう組み合わせはしたことがないし、やりたいことを自由に持ち寄るので、どうなるか。お楽しみに。
あれからずいぶん楽器に触らなかったので
今年は元旦から練習。
といいつつ
フレーズが浮かんでしょうがない。
いくらアイデアがあっても形にしなかった自分が
昨年はとにもかくにも8+8+15+1=32曲、形にした。
大晦日までいじっていた2曲があるけれども、一旦交代。
今は別のフェーズのようだ。
自分だけで完結しないもの。ゆびさき。
想像してこなかった想像。
はやくも初夢のチャンスはすぎてしまい、
何をみたのか、定かではないけど
たぶん、何かがパズルになる
なっていく、だろう。
10年ぶりの Stewart Copeland。
Gizmodrome というバンドでオーチャードホールに来るというので、福岡から羽田へフライトのあとに観に行く。
僕が音楽家になろうと決めてしまったのは彼のせいだ。あのドラム、風体、曲想。
信じがたいほどのビートと表現力を見せてくれると同時に、俺でもなにか、生きてる間にできそうやんけ? と思わせてくれた、その絶妙な凄さとダサかっこよさ。
Police の Does Everyone Stare をラジカセで大音量で鳴らし、子供心に感動していた時の気持ちは忘れられぬ。リアルタイム、じゃないけどね。
横浜でとても大事な用があったので
約50分遅れて会場に辿り着き、二重扉の前室で聴いたのは Klark Kent の曲だったのか…コープランドそのものだと思ったドラムは、いざ会場に入ると黒子に徹していた Level 42 の Pete Ray Biggin、だったのだけど、Stewart のスタイルを完璧にカバー、というか元々音色やフィールも共通点ある人だね。同じ Tama キットだし。
でもハイハットはやはり違っていて、Stewart が叩き始めると、音色にサインが付いてる、ちゃんと遠い客席にも届いてる。
セットリストの半分はギターを弾いて、子供のように騒いでいたけど、右端に座って叩く姿の左半分を見せてたのは、レギュラーグリップとハイハットがトレードマークの彼を引き立てる、いいステージングだったな。
Police ではよほど Sting と折り合いがつかなかったのか、Does Everyone Stare とか Miss Gradenko はライヴで演奏したのを聴いたことがない。それを遂に、やってくれたらしいのだが…観逃した。
まぁええわ、またどっかで聴けるだろう。
Ghost In The Machine の最後を飾る(というか、絶妙に盛り下げて幕を閉じる)Darkness は
Mark King の歌とベースで、全然違う魅力が出ていた、と思う。
暗闇の曲なのに、だからこそ彼に光の剣が交差する光景は、ガウディの未完の教会の中のようだったとか…
というのは、機内で読んだ雑誌の受け売りである。
そう横浜では、昔 Police のコピーバンドをしていたころの仲間とも会っていたのだ。
なんという奇遇、彼らをはじめ、とても大切な仲間たちとも、そして
Joni Mitchell の Hissing of Summer Lawns を教えてくれた、光の中の彼とも。
2017年の末は瀬戸内へ。
尾道から神戸まで、数箇所旅する。
山と海、島と雲
星あかりと街あかりが隣り合わせる、それぞれの地の素敵さ。
田舎と都会、どちらがぼくらに合っているのだろう。
寺の森で除夜の鐘の列を眺めつつ、空を見上げれば2018年。
穏やかな始まりだ。
昨年はおみくじの結果に戦々恐々としながら
お祓い兼ねて初日の出を見に行ったのだけれども
今年は賽銭と占いの代金を間違えて小銭を使い果たした事もあり
占いなぞ無用と泰然を装う。
それでも太陽は見事である。
午前7時前に大きなまるいあかりが
なにを予告したのかはわからないけど
本年もよろしくお願いします。
皆様にとってもよい一年でありますように。
8弦ベースの弾き語りというのは
以前からやっていて
詩集に収録している
トーキンブラザー も grace behind the word も
時計をひっぱりだせ も 南風 も
もともとそうやって作ったのですが
ライヴではアコースティックベースでやることが多いので
久しぶりに登場の Azureglo Rickenbacker
ひかり と組み合わせたのは実験です
このまま定着させるかはわかりません
soundcloud 久しぶりにログインしたけど
使いやすいものの、すっかりオルタナですね
vimeo もしかり、ひたすら裏通りを行く僕を
歩く並行宇宙というとかいわないとか
透明人間はカシミールの夢を見るだろうか
昔からぼくは不思議なやっちゃ、と言われ続けているのですが
本人いたってそんなつもりなく、ただ興味あることをふわふわと考えたり
頭上にいつも「?」マークを浮かべてたギタリスト詩人や
彼をそう形容した 映像作家 を、変わってるなぁと眺めたり(即ち彼彼女に比べたら全然フツー)
真面目に考えすぎて書き連ねては、よくわかんなくなったことを行を遡って蒸し返したり
そんなことを繰り返しているうちに、詩が結構たまっていました。
SSW 気取って歌ってみたりもするのだけど
どうも人前に出せる味にならない
というよりぶっちゃけ〇◉すぎる
Donovan でいいんだけどなぁ
Marc Bolan (初期)でいいんだけどなぁ
Green Gartside がいいんだけどなぁ
妙に理想が高い
そんなことを繰り返しているうちに年月日が経って
このままじゃもう退場だな、と思っていたところ
チャンジュンたちに背中を押されたこともあり
詩集を刷ることにしました。
詞なんて
人に歌ってもらえばいいじゃん、とか
メロダインで直せばいいじゃん、とかボカロPでいいじゃんとか
言われてますが、僕のはどうもそんな感じでもないし
「そのうちレコードにします」とだけ言い残して。
でも言葉だけの作品もいいのかもね。
僕はかつては、曲の歌詞など一切興味持たず、インストか、(すぐに理解できない)洋楽しか受け付けない人でした。日本語の歌詞が直接耳に入ってくるのが、好きじゃなかった。それがあるとき、言葉に興味を持ちはじめ。
人の興味など、わからないものです。
言った尻から変わってきたりもする。
入れた詩は、自分としてはわかりやすいものを集めたつもり。
前のめり 後ろのめり だが踏みおろした地面には穴が空いてて
そこは空だったりする。
でもどうだろう。紙に載せてみるとまた味が違ってきてる気もするプレパラート。
初版まさかの完売につき、増刷中です。
よかったら。
Alexandre Andrés をジャケ買いして以来、ずっと好きだったイラストレーター山口洋佑さん
と
PRETAPORTERS のおかげで10年越しに出会えて、触発をくれる凄腕ピアニスト林正樹さん
のコラボを観る。その名 between。
最近とみに「鳥」づいている僕にもタイミングよすぎる
「巣巣」での数時間。
鍵盤から生まれて部屋の森を舞う音たちと
帆布の森に住処をみつけてく絵の具たちを
その場で目撃する、というのは
やっぱりすごいことですね。
途中、静かな界隈に救急車が通って
それは、どう贔屓目に見ても、その場に著しくそぐわないものであったので
どうなるのかな? と思ったら
キャンバスの真ん中に、それまでなかったものが出現した。
それは僕には赤いサイレンのように見えたし、最終的には違う形になったけれども、ぜったいにきっかけはそれだと思ったので
あとで山口さんにきいてみた。
やっぱり、そういうのって、ありますよね。
予想外だけれども、それが無意味ではない。
林さんのそのときに鳴らしたコードがなんとも効いていて、
世界をつなぎ合わせるのに、やっぱりピアニストはある種の縫い針を携えているのだなぁ
と、感服しきり。
ちゃっかり混ぜてもらいました
エイプリルフール、メイフール、
ジューンフール、ジュライフール、
オーガストフール、セプテンバーフール、
オクトーバーフール、ノーベンバーフール、
ディセンバーフール、ジャヌエリーフール、
フェブルエリーフール、マーチフール
ほんとにそんな世界、そんな日本になってきた。
オーソン・ウェルズの最終監督作に、「オーソン・ウェルズのフェイク」という映画があるとかで
観てみたのだけどすばらしい。
フェイクな世界にはそれなりの生き方があるのだろう。
示唆に溢れている。
きっかけは谷口江里也さんの「イビサ島のネコ」という本で
今、半分をすぎたところ。はまってきている。
スペインのイビサ島には、それはそれはキテレツな人が沢山集まり、
それと並行してさまざまなネコも生きているそうな。
素敵な本だ。
価値観ってなんだろう。
所詮人生が、壮大な劇であるならば
その中で何ができるだろう。
演じているだけの連中を、どこまで醒めた目で見れるだろう。
醒めたこころで、どこまで灯をつけられるだろう。