マドノマド

酒に酔っているとわからないことが、素面で酔っぱらいを守る側になるとわかる
「こいつら、アブね〜」
そんな土曜日

とにかく咀嚼しようと平さんの著書『なぜ少数派に政治が〜』を読んでいる。
原発については完全同意。税制、生活保護などについて、正直不可思議な部分もあるが、いいなーと思ったこと。

「伝統工芸の保護」
衰退しまくっている日本各地の伝統工芸を守りたいと思う人々は、(この本の主題である、多数派にみせかけた)少数派ではなく、実際の多数派だろう。
だが、ここで伝統的工芸を守るために何がやられているかという話。

経産省が認定する伝統的工芸の産地は全国に200あるらしい。
産地ではまず「事務局」ができる。「〜協会」とか言うやつ。そこがお上とのパイプになる。
で、その事務局が何をやるかというと、パンフを作成したり、展示会をやったり、雇用調整をしたり。
ところが、経産省がやる支援とは、この事務局を窓口として支援することであるため、
事務局はその存続、または経費維持を第一に考えてしまう。

本来の目的は「技能」「職人」「産業」の継承であるのに、事務局だけが立派になる。
あるいは事務局だけがなんとかやっている。
そりゃ、立派なパンフを見れば、おおやってんな〜、みたいな印象は残る。
遠く離れた都市の駅構内で展示会をやったり、地元の駅前に「〜産業館」があったらそれは励みになるかもしれん。
でも実際の職人が殆どおらず、ろくな賃金も貰ってなければ、意味ないやん、て話。

だから補助金の多くを、職人を直接支援することに組み変えていくべきではないかと思う。事務局を維持する前に、まず技能の担い手を育成するのが先だ。その結果、その産地の工芸品が売れて、事務局への上納金が増えて、事務局が維持されるという回転でなければならないはずだ。 (p.82)

これ、確かにそうやわな。
で、その方法論の一つとして言っているのが、
産地ごとに2〜3人ずつ、2年交代ぐらいで国家公務員にし、彼ら、彼女らを伝道師として若手を指導してもらう。その間は自分の仕事ができないので(ここ重要)、国として雇う。

まぁ、事務局の中にこういう仕組みが出来ていればそれでよさそうな気もするし、上納金って何? てすっとばす人もいそうだし、何より、誰がその2〜3人になるかで利権争いが起きそうだが、
とりあえず事務局の財政支援、というやり方では遠すぎるでしょ、という話。すごく面白いというか、ビジョンが湧いてくる。

そうすりゃ、実際の現場に近い人々が、国にもっと関われるわけでもあるしね。

ほんと、そうやって物事をばらして行けば、どこにでも政治はあるし、
誰もが本来やってることでもあるんだな。

ここで三宅洋平の言うことともつながってくる。

「なぜ少数派に政治が動かされるのか?」

著: 平智之

ようやく手に入れる。かなりガツンと来ている。

村上春樹は、バルセロナでのスピーチで、原発事故を引き起こした原因は「効率」を最上位にした社会だと言った。

原子炉は効率が良い発電システムである、と電力会社および政府が主張した(今も主張し続けている)こと、それを受け入れてしまったことがあのシステムクラッシュに繋がっており、
また産業全体や、我々一人一人のライフスタイルが効率、低価格(経費削減)至上主義であることがどれだけ危険か、気づかせてもくれている。

ところが。

理性で考えればはるかに「効率的」でもある、地産地消の小規模発電システムやスマートグリッド、市場競争を促す発送電分離が、これほどまでに妨害されるのは何故だろう。

平氏が、再びひっくり返してくれている。

実は彼らが本当に望んでいるのは、効率にみせかけた「非効率」だという。

利権というのは、限られた少数の者が富を分配する構図の上に成り立つ。その構図を守るためには彼らは全体最適など決して望まない。全国津々浦々の電力会社など好まない。自分の存在理由がなくなるからだ。だから彼らはいつまでも非効率なシステム、やり方が好きなのだ。(p.36)

戦前には、電力会社が全国で500もあったらしい(!)つまり、元々はそれで成り立っていた。

これを戦争直前の1941年、配電統制令で9つに統合している。

現在の電力会社体制は、戦時体制のままだったのだ。

なぜこんなものが残ったか。朝鮮戦争に備えてGHQが例外的に戦時インフラを維持させたものだろうという。

そりゃ…ほぼ軍部の考え方で構築された電力会社なら、一般人の意見なんて聞くわけがない。一般国民 = 徴兵制で集められる兵士、みたいなものだ。そう考えると総括原価方式も、合点が行く。

この第一章は衝撃の連続だが、続く章も凄い。

建築業界での「中抜き」や、年金制度を巡る対立の実態が、ラジオDJ、衆院議員、経済産業委員会理事でもあった経験を基に書かれている。
そしてものすごく建設的な意見が溢れている。

まだ途中だ。発見はさらに続く。

これ、あれだな、

いろんな業界がシステムと個人事業主を使い分けて行く中で歪みを大きくしているけれども、音楽業界もまじでこういう視点で色々考えた方がいいんじゃないかなぁ。

だって、音楽家って、ほとんど個人事業主だぞ。

(追記します。たぶん)

Um som azul(青色の音)

ず〜っと聴いてる。ほんとにいい。

このビデオがこれだけしか観られていないのは信じられない。

Alexandre の才能ももちろんだけど

メンバー全員の奏でる音楽、アレンジ、佇まい、素晴らしすぎて。

こんな風に手作りの音楽を芸術に育てられる国にしよ。ジャンルじゃなくてさ。

ンデーノス

監視社会に軽く吐き気と絶望を覚えながら
自分がそちら側にいることを空想する夕暮れ ビール買い出しどき

監視している人たちが
監視されている人たちの言葉や行いの美しさに
息をのんで
見とれてしまう

洗脳しようと思っているシステムが
洗脳されてしまう

そんな社会もありうるってことだ

よな ?!

背景は遠ざかりゆけど

眠れないので久しぶりに大好きなギタリストの日記を見ていたら、エネルギー。

今日は渋谷で3軒回っても「脱グローバル論」も
「なぜ少数派に政治が動かされるのか?」も見つからなかったけど

「チェロを弾く象」で、気持ちよく眠れそうだ。

こんなに若くして

命を張ってあの事故に立ち向かってくれた吉田所長が、亡くなってしまった。

もしかしたら吉田さんは、現場である福一の事故収束だけを見ていたのかもしれない。
でもそれはどう考えても、日本に住むすべての人を守る行為だった。あるいは、北半球を。

ぼくはこの国の本当に多くの人と同じく、この方の死を悼むし、
本当に心の底から、ありがとうございました、と言いたい。

そんな日に、病因と被爆の関係の無さを主張したり
津波対策の不備の責任の話を出す人々がいることに
心の底から、がっかりしてしまい、寝付けない。

それは、ニュートラルにバランスを取ることではなく、
利害を天秤にかけることだ。
とても恥ずかしいことだと、ぼくは思う。

津波対策を先送りしたのは誰か、ほかにもっと大きな人たちがいる。
それは、今の首相の第一次内閣だ。2006年12月13日。

質問*
答弁*

こんな夜に、そんな事を思い出させてくれるな。わざわざ。

どうか、ゆっくりとお眠りください。
吉田昌郎さん。

同じ58歳で旅立った清志郎さんがそちらにおられます。
わいわいやってください。

眠れぬ夜は、僕らが見張る番なのでしょう。たぶん。

* というか、議事録を消さないでくださいよ、国権の最高機関たる衆議院…

空色の列車は

ソヴィエトの映画「チェブラーシカ」(1969-1974) は何度観ても素晴らしいと思う。

「人形アニメ」という形態とその映像の質や、随所に込められた人間や体制へのトゲもいいし、
(冒頭いきなり、果物屋がイカサマをする!)
音楽の流れがとても必然的。

ところが…日本語吹き替え版とロシア語版を聴き比べてみると、気づいてしまった
…日本語版の挿入歌のオケって、原作を模した打ち込みやん…!

う”ー=〜ー=
そりゃないぜ

ニュースは「作られる」

ジャーナリスト、ソウルシンガー松本創さんによる、橋下徹をめぐる集中連載

ぼくはいつからか、「人前で注目を集めるヒトは、どこかおかしい」と思っている。

どこかおかしい > 手に負えない > みんなで担ぎ上げる

という流れが、何故か存在すると思っている。

そこから、さらに上げるのか、リニアモーターみたいに「非接触」で扱うのか、

ある時によいしょっと落とすのか。

Bob Dorough は語り続ける

初来日公演、最高だった。

リアルタイムでない僕は10年前に偶然 “Up Jumped A Bird” を知り、
そのすっとぼけた唄い方とおかしな変拍子と複雑な進行に
人生がひっくり返るような快感を覚えたのだ — 高校時代の不思議な世界史教師との出会い以来に。

今年で89歳とのこと、既に10年前で79歳(そのアルバムのリリース時は73歳か)。
その時点でもすごい年齢なのに、なんて若くて無邪気で大人なヒトなんだ。

残念ながら “Up Jumped…” はなかったが、
“But Not For Me” から大好きな “Better Than Anything” から
“Three Is A Magic Number” から、それから、”Zero” という曲までやってくれた。

真ん前で観てたぼくは、うれしくってさー

Blue Note でしっかとライヴを観るのは久しぶり。
昔観た Meshell (’02) も Zap Mama (’04) も素晴らしかったが
今回はちょっと、全く期待通りなんだけど、やられたなぁ。

ベーシスト Pat O’Leary もジェントルマンかつ、乗ってくるといい絡みをしてた。
マイク〜アンプのみってのもよかった。音量じゃない。音の震えだ。
久々に、Golden Spiral の1〜2弦に戻そうかと、思った。

それから、改めて思った事。

音楽の面白さは、縦軸を揃えることじゃない。
縦軸をどう揺らすかだ。

Patti

金沢の白鷺美術の二階、その日の控え室の一角にあったバスドラムのヘッド。

1月に来日したPatti Smithのコーナーでした。

左上のインタビュー記事を読んでいたのだけど、しびれた。

「絆」や「富士山」を言うにも、ほんとはこっちだろ。

日本ではこういう言葉が、人の目を逸らすために巧みに使われる。
いや、アメリカも大いにそうだろう。だから外からの鋭い目じゃないと本質が見えないことがある。

そうやって、人は助け合うのかな。

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