カテゴリー: record

ドレッシングとラビットホール

八月も後半に。

例年の如く、悲しき夏バテ(このアルバム知ってますか?)、だが3年目のコロナの中、頭は冴えている方である。

いや、たぶん気のせいだろう。

ドレッシングをじっと見つめても、これがドレッシングであり冷やす必要があると気づかない、

そんな、ラビットホールに落ちた箒星。


相変わらず古いレコードを聴いています。が、聴きたい音楽、好きな音楽(曲)に限って、配信されてないことが多いです。

いろいろな理由は考えられるけど

知られていない
配信するメリットがない
許可されない
なお知られない
興味持つ人も聴けない

そんなスパイラルで地に潜っていく音楽。

著作権などクリアするには結構な手続きが要るだろうし(例えば1970年代にレコードを作る時点で、それが50年後に「ネット配信」というわけのわからん形態で届けられると誰が思うだろう)
その手間をクリアするだけの見返りがあるかというと
おそらく、あまりないのだろうし

というより、ほとんどないだろうし

でも、こうして 知られていない音楽はますます知られなくなる。
そしてそういう中に、素晴らしい音楽がたくさんあるから(僕にとっては)
どうしたらよいのか、よくわからなくなる。

僕がたとえばレコード会社の人間だったら、結構毎日悩んでいるだろう。

舗装されない道

ネットに対してひねくれた使い方を続けている

こちらは普通のつもりなのだが

すっかり少数派になり、あるいは絶滅危惧種になってきたようだ。

そう思わされてるだけかな(?)

多様性なんて口先だけで、今日も画一化は進む。

均らされていく、たぶんどこかで、人をブルドーザーでならしても罪悪感を感じない人たちが

目に見えない乗り物に乗っている。たぶんいつの時代も。おそらく。

そんなので、ネットのアルゴリズムのリコメンは半信半疑で、そこから寄り道を繰り返してる。

便利は不便、だが実体はいつまでもここにいてはくれない。

いつか、返さなきゃいけない。せめてこの空間、数立方メートルをちゃんと残したいのだけど。


乾燥ミジンコ。種子。文字の羅列。音符と隙間。はだざわり。

Bob Dorough がどんな素敵な音楽やってたか、少なくとも僕はしってるし

これからもっと知ることになる。そんなふうになれたら、いいのにな。

keigo

寝る前に大貫妙子さんの1stを聴く。2ndが海外でバズったとかで、近年すごいブームになっているが、1stも(3rdも)聴きどころたっぷりだ。

僕はせっかくすごい人たちと音楽活動をしてきたのに、あまり日本の70年代音楽の流れを把握していなかった。まぁ当時は自分の周りのこと、自分の感覚で精一杯だったし、ストリーミングも YouTube もなく、レコードや CD を集めるにも元手は知れていた。色々な仕事で見本盤をいただいたりもしたが、Napster する気はなかったし…

多賀さんにも、「君は生きるのが下手だねぇ」と言われたが、まぁそういうことなんだろう。東京で活動するなら、高校〜大学と東京にいなかった圧倒的な不利を、なんかでカバーしとかないと、さらに不利になるってこと。そんな中で、よく活動できた方だと思う。

まぁそれはよいとして、コロナで東京から遠く離れ、シーンを全く気にしなくなって2年あまり。音楽に割ける時間は限られるが、完全ゼロから(マイナスから、だろうな)振り返れる状況、これはこれでためになっている。未来はどこか? それは、安易な CM キャッチにじゃない、自分の中にしかないのだよ。

目下、とりあえずこんな世の中、いつ何があっても大丈夫なように、アイデアは残しておこうと、冬眠前の仕事に励んでいる。夏なのに。

さて。7月も終わりが見えてきた。

タイトルに意味はあまりない。あるか? ふと気になった名前。

くらぶるなかれ

まぁいい感じかな、と思った曲の後で

Tony Joe White をかける。

…唖然。

カッコ良すぎる。

この時代の音楽は、すごく変なパンなのに
めちゃくちゃリアルなんだよな。1968。

もちろん演奏と歌が凄いのは言うまでもない。

そんなわけで、イメトレからまたやり直し。

すなわち、おつかい後の、土曜の昼寝だ。

三角地点

ずいぶん久しぶりに洗車をする。

短い靴下を履いていくとガススタで蚊に狙い撃ちされる。

オーマガトキはあまりドライブに向かないので

コロナからじむに行かなくなって、久しぶりの農道を通る。

ホタルの里があったはずだがと、一瞬で見逃す。随分測距儀が変わっている。

カーステでは気持ちよくなった曲。錯覚かな。さぁどうやろな。

In the beginning there was light

ふと思い出す曲。Strings of Love。

京都のBALビルで買ったっけ。

始まって、終わって、また始まるような曲。

過去形とforeverが並列する。
本心はわからない。
本人もだろう。そんな禅問答。

ゆるいRobert Plantみたいな
ふわっとしたLed Zepみたいな
不思議なSSWとそのバンド。

彼女らが現役で活動してるっていうのが
この曲の不思議な歌詞のまんまだ。

– Ghost of a Dog / Edie Brickell & New Bohemians

風の架け橋

昨日の続き。

聴いているのは生田敬太郎さん。

ジャケットの長髪と結構イメージが違う
力強い声。

キャラメル・ママ組と
スモーキー・メディスン組
(+萩原克己さん)
でだいぶカラーが違って、
歌い方もだいぶ違う気がするけど

矢野さんのピアノやアレンジも勿論
田中正子さんのエレピも素敵だな

1971~1973年は海外も日本も名盤が沢山
音の質感もリズムセクションも
この時代がいいと思うのは
錯覚だろうか?

遡って1stの「この暗い時期にも」も
いいね、マックスというバンドの音も。

もう聴くことはないだろうと

ほぼ家から一掃する勢いだった CD を

また最近集めて聴いている。ストリーミングされていないレコードってまだまだ多い。
(しかも興味のあるレコードに限って)

それに、web になっていない文字って、いろいろあるのだ。

意外なところで線がつながっていて、あの時何々さんが教えてくれた何々さんは
全然別の彼と、あの誰でも知ってる曲をリメイクしてたり。

しらんかったことばかり。

知ってりゃいいってものじゃない、と、あまり気にしてなかったことに
今はすごく、必然性を感じる。

アンテナ張りすぎても困るけど、感度がボケてるぐらいが、いい感じ。

止まった活劇

人の作品って

人の生活が

やっぱりそのまま出るんだなと

思う。

 

名曲二つを

リピートで七回聴く。

觔斗雲に乗り

矢野誠さんと友部正人さんのアルバム。1994年。

のっけから異世界の音と、誰にも似てない声に連れていかれる。
はじめて聴いたのは、鎌倉のさる電気工房の居間だったか。

友部さんとは一度だけ、横浜の三宅伸治さんのライヴでご一緒したことがある。
最後に加わってもらった「はじめぼくはひとりだった」。それまで聴いたこともない声だった。

このレコードを聴いてもそれは変わらず、何度かけても「聴いたことのない声」が再生される。
どういうことなのだろう。

矢野さんとは2000年代初頭に、ふとした縁でお会いした。
六本木のクラブや、木更津の社交場カフェでライヴに参加させてもらい
その後も折にふれ連絡をいただいたり、活動を追ったり。
直接師事したわけではないものの、いつも大きな影響とインスピレーションをくださる。

今回、そんな矢野誠さんのソロアルバムに参加できることになり、録音も佳境の日々。
といってもリモートで、バンドでスタジオ録音された音に、この部屋でベースを加える。
普通と逆というわけです。

矢野さんの音楽はピアノの左手が音を決定づけていて、ベースがどう共存し、絡むかがとても重要。
なおかつ綿密に「編む」方なので、書き譜も多く、隙間も多い。そしてそのラインが。
僕の経験の範囲だが、こんなスタンスで音楽であり続ける人は他にいるのだろうか。

一見不思議な音の並びが、自然に絡んでいることが、何度も繰り返すとわかってくる。
それをプレイで反映できるか。
時間がかかりつつ、やってます。

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