カテゴリー: muse

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

トロイの輪と自由落下

6月は、2曲同時にリリースしました。626の11時。


trojan wheel


フリーフォール

両方、bandcamp にて公開・販売中です。

ジャズのワルツと6拍子のロック、マインドは同じところからきてます。

ほぼ月1〜2ペースで新曲や既存曲のリメイクを公開していますので、フォローしてみてください。

無から題を

…導き出すのは不思議なものである。

無から、ゼロを。0からなら1を何度か飛び越して何かしらの0へ。それなら簡単そうだ。
が。

物事は、思いつかないときは、思いつかない。

忘れてる時は、思い出さない。

だが、だんだん思い出したり、砂浜の景色のように、移り変わってくるから不思議である。

かくして、6月上旬には言葉も題も、かたちのかけらもなかった詩に題がやってきた。

“Trojan Wheel”

トロージャンといえば、SKA やんね!? という人が一体どれぐらいいるかわからないが、
今回はスカでもレゲエでもなく。

Trojan とはトロイ人のことだ。ホイールは。ご想像に委ねますよ。

詩はあらためて こちら に。録音中。

ジャケットどうしようか

タイムキープ

5月末に出した、今のところ最新作の「シナモンニッキロール
聴いてお気づきかどうか、この曲はテンポが一定してません。

イントロや間奏、二番、展開、最後、など、早ぉなったり遅ぉなったり
してまんねん。

DAW で作られてる今の音楽はほとんど BPM が一定なのだけど、本来コンピューターってもっと色々なことができる。

僕の好きだった音楽も、たいがいテンポは走ったりもたったり、時にはイントロからAメロで既に全然違ったりしてたし。

そんなわけで、今回はあえて、テンポをコロコロ変えてみたのでした。

じゃぁ一定がダメなのかというと、そんなこともないと思う。一定のクリックには安定性とか、アレンジや差し替えの簡単さとかの他に
○●とか×△とか理由が…

あるんだよ、ね?

そのへんは、みんながこれからも考えていくところかもしれないっね。

モロコとサソリ

もう一個、詩がある。

先の未タイトルより前に作った。曲もあるしタイトルもある。
『フリーフォール』
どっちが先に形になるか。こちらはとてもシンプルだ。パワーコードだ。

週末はいくつか録音を試み、[無題曲] のベースも録ることができた。

月曜は曲の事は忘れ、少しだけ時間をみつけて鍵盤の練習。全然弾けないが得るものはある。それってなんだ?
自分にとって大事なものなのだと思う。ゴスペル。リズムも波動もハーモニーも、そしてテクニックも、黒人音楽はあまりに素晴らしい。
かつて身体と耳で覚えたフィール、忘れる前に頭と手を動かせ。


前回の詩はまだ題の見当がつかない。困った、これではリリースも、ページすら作れない。

少しだけ内容に触れる。

「蠍」が登場するが、それは僕が蠍座生まれということ、だけではなく、
ひとつにはこの昔の日記の内容を思い出したから、である。(たぶん)

汚すことのできない次元

なお、最後一節は、あれから書き換えた。またそれは、曲完成の時点で発表しようと思う。

六月の詩

新月に。

タイトル未定


どんな理由で まわり出す
指さきから 衣まで
うたうたいに そそのかされ
眠る前の ざわめき

泣きはらした 蠍をなだめて
夜の刺を ほどく

霧の向こうに うかびあがる
越えられぬ 滝
風を我がものに したいかい
それなら 夢をみよう

朝日が 大きな
あくびで 見届ける
たったひとことで トロけた
あたりまえの 自由

最後まで 味方になってくれる
その瞳を 信じてみよ

くらがりも まぶしさも
きみは みてる
広がる空は だれのもの
翼で 問いかける

心は底が 抜けても
うかび あがる
明日は理由が みえなく
なっても やって来る


Word & Music: Ray

June 8-10, 2021

後日リリース
その前に題名決めなきゃね。


6.17
タイトルようやく決めました。

Trojan Wheel

きづけばろくがつ

月をまたぐ。

嘘のような快晴の June

日没に間に合わず人のいない海へ

世の中のツールの進化に少しついていこうとするが
たくさんはできない

そんなことはこの水や砂は気にしていないようだ。

先月は新しいのも古いのもたくさん曲をこしらえた。

足りないことばかりだが、どうせ過ぎていく時間だ。
繰り返せることは繰り返したい。というか音楽は繰り返すことだ。

それがテープなのか絵巻なのか、フットスイッチかループボタンなのかの違いは
たいしたことではないだろう。

少しだけ、先日の新曲について記す。

シナモンニッキロール、このタイトルがとても気に入っている。
ニッキの英訳を調べても Cinnamon としか出てこない。だがシナモンは木の幹から、ニッキは根からという明らかな違いがある。

ニッキといえば生八ツ橋で、僕も昔はよく食べたものだ。
未だに、老舗同士で訴訟が続いているとは戦慄に値する。

どこが元祖でも都でもいいじゃないか、と僕は思う。住めばそこは都だ。

東京である必要なんてとっくにない。大津だって紫香楽だって、かつては京だった。

負け戦とわかってても認められない大人たち。僕もそうだろう。

泥を目指してドローに持ち込もうとするボブ・ドロー。
若くして脚光を浴び、長年姿を消すも、すてきな爺さん音楽家として復活した、憧れの人。
一度だけ真前の席でライヴを観れたあの時間。

ロックのピアノといえばあの人。ニッキー・ホプキンス。
全然追ってこなかったけど、大好きなあの曲もあの曲も彼が弾いていた。

少しは見習おうと、最近は彼の曲のイントロのアルペジオを練習している。
ああはなれないけど、ね。

いかん、脱線というか、本線が尽きない。

あの曲は、駄洒落の箱です。決して不届きなものではありません。
たぶんね。

改めてシナモンニッキロール

もうすぐリリースします。
しました。

今回は楽しいぞよ。

ピアノを弾いてみました。

4ヶ月ぶりにダブルベースを弾きました。

詩は こちら から、お先にどうぞ。

曲は bandcamp にて。

ががーりん

写真を撮れない。

ちょっとしたスランプかもしれない。いや、別に。
僕はフォトグラファーじゃないし、カメラの使い手でもない。

そういうことではなく、スマホでもなんでも撮ろう、という積極的な気になれない。
インスタをやらなかったのもあるのかな。もったいない。でもどうしてもあの手のツールが信用できない。

写真は才能のある素敵な人がいくらでもいるから、任せておけばいい、
確かにそう思っている。だけど自分が思うイメージもある。

自分が見ている景色ってなんなのか、ときどき不思議になるけど、
たぶん、そのイメージどおりに写せないのはカメラ選びや使い方の失敗というより
他に原因があるのだろう。

自分のイメージを写せる道具があればいいのに、と思う。

でもそんなもの手に入らなくてもいいとも思う。月を見れなかった水曜日。
月が見れなくなるのを見れなかった、湖上。

水面。藍色と灰色と黒のグラデーション。光たらず。列車がゆく。


視覚に興味がないわけではないのだけど、このところすっかり、
見かけを気にしなくなった。他人にも会ってないしね。

それはある意味、とてもいいことだ。髭面とさっぱり、オールバックと坊ちゃん頭を行き来するけど、
帽子も被らなくなったし、その必要もない。というか、どこにいったのか見当たらない。

そんなことより、内面だ。何ができるかを考える。考えこむより先に手を動かす。

以前できなかったことが、だんだんできるようになってくるのに驚いている。

捨てて、得るものって、あるんだね。


いい曲をときどき思いつく。ミニマルと言いつつ手癖の繰り返しで済ませる自分だが、いい加減芽を出したい。

その先何枚も葉を出し、昆虫でいうなら脱皮し、どこかで見たような姿になり、そしてやがて、やっと物事は何かになるのだとすると。
何にもなれないというのは思い込みだとようやく気づく。たぶん何かになる。


どうも内省的でいかん。内政干渉的か。

でも、スーパームーンの月蝕の、それも雲隠れの夜に、そうでもならなきゃどうなるんだ。


面白い曲がほぼ出来上がってる。楽しみだ。いつも曲作りは楽しいけど。

その先の次が、楽しみなのだ。全然違うアイデアが、たくさん出てきて、ようやく系を循環しつつある。

たぶん僕は、相当たくさんの曲を生むだろう。

go by

Bandcamp の名義、いったん

stillbeat

に揃えています。

昨年 moon x moon の配信などで、二つ名義をほぼ半分で使ったものの、
どっちがいいか、どうも結論が出ず。

Ray Kondo は日常生活で使うから、実はあまりステージネームにしたくない。
近藤零も然り。

Ray だけか、stillbeat がいい。
だけど、いつか誰かがステージでそう言っちゃったから、使うようになった、というのが本当。

まぁ、年月とともに、Ray は恥ずかしくなっちゃって、ひらがなにしたりしてるんだけど
それもどうなんかなぁと。
結局ネームは、ブランドの一番大事なところなので、それってそういうことなんだよな。

だけど、僕の生き方上、ブランディングとか「へ?」っていうところだし、
自分が生きててしっくりくる活動をしようと思っているので
一旦なくします。つまりレーベル名としての stillbeat に。

Apple Music などは色々と込み入っているので、また追って考えます。

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