フジマルヒデミさんが cafe the eel の moto くんと遺した作品。
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undoo
折り重なるトランプ
『風立ちぬ』続き。
睡眠には、寝る前に体験したことを意識下で整理し、咀嚼する効果があるという。
つまり、「睡眠学習」にはある程度効果がある…
「眠らない」ことは、人にも、街にも、また機械システムなどにとってもよくはない。
そんなわけで、一晩寝ると、昨日より違った捉え方ができるようにはなってきた。
というか、ディテールに散りばめられたメッセージを、追体験できる。
映画の後味がなんともすっきりしなかっただけに、「なんで?」という思いが
これからも追体験を誘発していくのだろうか。
これは、この映画が毒にも薬にもならないものではない、という証明かもしれない。
まず、我が道をいくということ。
この時代、肉を食えという仲間に対して、サバ好きを通し、サバの骨のカーブを翼の断面のヒントにする。
美しいと評した独逸ユンカース製航空機を完全になぞらず、独自の発展型を見いだす。
(ちなみに、描かれた独逸製爆撃機は、ルパンの「アルバトロス」やコナンの「ギガント」に酷似していた。根っこが同じなのだろう)
思想調査で特高に逮捕されかかったとき
「身に覚えがない」
「今まで何人も特高に捕まった、みんな身に覚えのないことでだ」
というやりとり
そして最後の
「国を滅ぼしたのだからな」
「一機も帰ってきませんでした」
それら、みんな、とても穏やかに綴られている。
その穏やかさが、優しすぎるのか、諦めを感じるのか、大きすぎるのか
それとも単に、抑揚のないあの声が違うのか。
僕はやっぱり、なんで?と思った、(宮崎作品にときどき配される)とびきり抑揚の無い声。
サツキとメイの父や、雫の父やシータと同じ、あの声 — 声優が違っても。
コナンやアスベルやルパンやハウルや、マルコのような、強い声じゃいけなかったのだろうか。
穏やかで寡黙な人を表す「静かな強さ」の表現だとしても、それじゃどうなのだ、と思ってしまうのは
たぶん映画に、2013年の現在の切迫感を重ねているからなのだろうな。
たぶん、夢は悪夢でもあり、限られた10年は折り重なったトランプであり、
光は影を、影は光を土とともに補わなければいけないのだろうな、
そんなふうに感じる。
よくわからなくなったが、胸が苦しいかわりに、少しだけ胸があつい、
酔っぱらったしそろそろ寝るか、そんな
911
であった。
夢の野原と列車から観る野山との
『風立ちぬ』を観た。
胸が苦しくなる映画だった。
「菜穂子」は限りなく美しく
恋と結婚のシーンも感動的だったが
根本的に何かが間違っている
という胸のつかえ
その結論を最後の「夢」に委ねた結末は
これはスルーしてはいけないと思った。
たとえ、全てをやり尽くした監督が、流したとしても。
「ただ、いい飛行機を作りたいんです」
「我々は武器商人じゃない」
って
…
じゃ、武器商人はこういうだろう
「我々は政治家でも、軍人でもない」
ちがう
それぞれ、持ちつ、持たれつ
やってたんだ
人間の技術は人間を幸せにするのかな。
「国を滅ぼしてしまった」イタリア、ドイツ、日本のそれぞれの
美学を描いている、とも取れる
そうかもしれない、今もドイツから学ぶ面は多い
それどころか、色々な分野で、独逸流を神格化するような空気さえ感じている
もちろん、イタリアからもだ
だが
いかん、やっぱ、胸が苦しい。
落としどころが無いので、加筆予定
* 追記
音楽は文句なく素晴らしい。冒頭の空気感から最後の「ひこうき雲」の林さんと細野さんのリズムセクションまで
だが音楽のレベル(ボリューム)に対して台詞が小さくて、正直、「耳が困った」
絆と縁と、風と材木と
「脱グローバル論」を寝る前に読み終える。
内田さんの論はだいたい既読だが(自分で売る本の内容をブログに前もって記載してなおかつ買わせるって凄いよね)
中島岳志さんの話に背筋が寒くなるぐらい同意を覚えた。
昭和維新の話、2008年の秋葉原事件直前に、後の犯人が福井のアーミーショップでの店員のやり取りに「店員さんいい人だった…人間と話すのっていいね」と感動していたという話、
そして地域社会の「ボンディング」と「ブリッジング」の話。
ほっといてくれるということと、声をかけてくれるということって、実はメビウスの輪でつながってる。
こんなに若くして
命を張ってあの事故に立ち向かってくれた吉田所長が、亡くなってしまった。
もしかしたら吉田さんは、現場である福一の事故収束だけを見ていたのかもしれない。
でもそれはどう考えても、日本に住むすべての人を守る行為だった。あるいは、北半球を。
ぼくはこの国の本当に多くの人と同じく、この方の死を悼むし、
本当に心の底から、ありがとうございました、と言いたい。
そんな日に、病因と被爆の関係の無さを主張したり
津波対策の不備の責任の話を出す人々がいることに
心の底から、がっかりしてしまい、寝付けない。
それは、ニュートラルにバランスを取ることではなく、
利害を天秤にかけることだ。
とても恥ずかしいことだと、ぼくは思う。
津波対策を先送りしたのは誰か、ほかにもっと大きな人たちがいる。
それは、今の首相の第一次内閣だ。2006年12月13日。
こんな夜に、そんな事を思い出させてくれるな。わざわざ。
どうか、ゆっくりとお眠りください。
吉田昌郎さん。
同じ58歳で旅立った清志郎さんがそちらにおられます。
わいわいやってください。
眠れぬ夜は、僕らが見張る番なのでしょう。たぶん。
* というか、議事録を消さないでくださいよ、国権の最高機関たる衆議院…
Patti
金沢の白鷺美術の二階、その日の控え室の一角にあったバスドラムのヘッド。
1月に来日したPatti Smithのコーナーでした。
左上のインタビュー記事を読んでいたのだけど、しびれた。
「絆」や「富士山」を言うにも、ほんとはこっちだろ。
日本ではこういう言葉が、人の目を逸らすために巧みに使われる。
いや、アメリカも大いにそうだろう。だから外からの鋭い目じゃないと本質が見えないことがある。
そうやって、人は助け合うのかな。
shirasagi
エスカレーターをのぼったら、そこから2階へ
お誘いを受けて、奏者たちで観劇。
日曜の日本橋はある意味トライベッカ。
エスカレーターで6階まで2度上り下りし、
そこから歴史ある階段で2階に上る。
尾崎紅葉の「金色夜叉」が未完だったことも、
小さいころ祖母がよくテレビで見ていたこともはじめて知った。
来年の今月今夜のこの月を…って台詞。
未完故に色々な解釈で舞台/映像化されているようで、結末は衝撃的。
貫一の「夢」の中で心情の裏の裏まで暴き出し、そして本意を隠して「この世を去る」
水谷さんの満枝は凄かった。
その夢の中、互いに良く知っている筈の愛子と宮が、初顔合わせのように振る舞っていたのが
「これは夢」だというヒントかな、後から思えば。
「女は月を指差しながらも、月ではなく自分の指先を眺めているものだ」
「馬車に揺られて通う舞踏会ではなく、夫が曳く人力車で向かう花見の方に真の幸せがあるとなぜ気づかぬ」
…(記憶があやふやで台詞は違うと思うが)深い…
マイクを使わず全くの地声で二階席の端まで聴かせる、観せる役者さん、
別次元の人たちだと改めて思う。
劇場を出ると6階に戻っている。
宝石店、時計店 …
あまりこないエリア。
ふと飛び込んだフレーズ
「松坂牛」
目を疑う。
ショーケースを見ると
時計バンドのブランドが「松坂牛」だそうだ。
世の中いつのまに。
帰りは、エレベーター。
魚群探知機
日本、フランスの最高権力者がどう考えていようとも
これからの日本人に必要なものはポスト原子力のエネルギーであり
シュールな原子力夢から醒めた翌朝の後始末だ
そして2年間で物事を忘れるという旧・日本人類からの進化だ
フランス人はどう考えているのだろう
これだけ真実が速く伝わる現代は
これだけ嘘も速く伝わってしまう
薄く、広く、何度でも
話題を変えて、どこからも
端末に向かう僕らは、末端だ
勝者のつもりが敗者になっていることに
気づかぬ鏡の世界の住人だ
だけども、時折そこから少しでも離れてみれば
何がおかしな流れなのか、自分はどの流れを作って生きるべきか
わかるはずだ
時に魚よりも愚かな人類だけれど
もう魚群探知機に追い回されずとも、生きられるはずだ
そう思う
明日も末端となり、人類となり、生きよう
おやっすみん