カテゴリー: fushigi

green hemenway street

「かなしきデブ猫ちゃん」を観て

笑い泣きしてたら途中の緑のフライングV持ったヘミングウェイ猫が気になって
音頭にしちゃコードが好みだなと思って

エンドロールまで進んだら、作ったのは長岡の亮ちゃんでしたね。

ど納得でござる。

Tobias のベースが欲しいって言ってたな、みつかったかな。

ニースなのか

話がまとまらないので直接ミーティング

ずんずんオフィスに入ると

そこはどうやらスタジオ風

さまざまなブースの回廊を超えて奥に進む

仕事相手は南米系のギタリストらしく

打ち合わせと称してジャムなのか

「K.T さん」がピアノを弾いて待っていた

だが彼はあと19秒の予約時間に戻らず

この部屋を出るはめに

ギタリストは外で電話をしている

このスタジオは売却され

今ではオフィス件リハスタだ

一年前は録音につかった 懐かしい

コテージのリビングみたいな広間に出ると

テネシー帰りの先輩が

いや違うかもしれないが

あそこに「彼」がいつも寝そべっていたという

伝説のセッションマンらしいが誰だ

そういえば僕は

どこのだかわからないジャズベースもどきを持っていて

それとアコギも持っていたようだ

いつから節操がなくなったか

楽器なんてなんでもいい

いわゆるのものを持てばいいんだ

と思ったとかどうだか

外階段から

大事な資料がストリートに落ちたので

建物から出て拾うか

気持ち じたばたしてるとこ

で目が覚めた。

流漂 – 情報ってなんだろう 弐

海から鳥の群れが

生まれてくる

水際から砂と潮の結晶が

やがて浮かび上がる

そんなんだったらどうしよう


それはひょっとしたら気色悪い光景かもしれない

魚や蟹ならまだわかるけど、なんで海から鳥?

いやそこじゃない

でもなんで海から空へ 擦れ合った物体が 生きて 翔んでく?

んーそこまでいうなら そこかもしれん


四角いボタンやエリアをおぼえれば

あまり考えずに人はことばを打ち込んでく

海へ空へ砂へ ガラスへ 虚空へ

身体はいけずともことばはひとりでとんでいく

人間のあずかり知らぬところへ やがて

だれかがついばみ だれかがかきたし

だれかがおりまげる


折り方がうまければ よく飛んでいくし

角度をかえれば 違う国にいくだろう

鳥がついばむ種子なら 気づかずに 運ばれるだろうよ

透明性

カラコンって、サングラスのかわりになるんだろか?

外から見たら色付きだけど、中からの世界は無色透明なんやろか。

もしそれまでの世界が無色透明であるならば。


寝る前にふと気づくと、スマホはカブトムシ。

Macbook Pro も、もし今のを買ってればカブトムシだ。

Facetime カメラが画面の上の真中を削るほどの意味があるのか、という疑問を

誰もが持たなくなったらほんと危ないと思うんだけど

この世は強引に進んでいく。Apple が最初、仮想敵にした “1984” の世界に
近づけているのはリンゴ自身かもしれないって、思うのは僕だけじゃないだろう。

いつだって敵のことは同類が一番わかるわけで。敵対心はシンパシーなわけで。


それでも画面と自分向きカメラを両立させるために、近いうちにマジックミラーみたいな仕組みが導入されるだろう。

こちらから見たら画面。カメラから見たら透明。

カブトムシの角みたいな切り欠きはタッチバーのように用済みになる。

そうタッチスクリーンが可能ならば、スクリーンとカメラが一体になるのだって無理じゃないはず。

スピーカーがマイクになるのと、同じ理屈で。違うかな。


そしたら画面に無駄はなくなるけど、ますます1984の世界になるね。

完全な相互監視。身体が置き去りのどこでもドアってか。


心が置き去りのメッセージの漂流ってか。

それは昔から、人間にあった能力かもね。

リニアな巻物

書架を大幅に整理。

古いテープは、あの頃どこまで再生してどこで止めたのか。
今再生を開始したのは、ちょうどその位置。

当たり前のことなんだけど、これって嬉しい。

パラパラページをめくれる本であっても、同じようなことが起こると
結構うれしい。たまたまじゃなくって、そのページから再開したのには理由がある。

これで一気に、記憶がまとまることってあるんだな。


基本、あまりテレビは観ない。
ずっと在宅ワークなのに? いや、だからこそ。

ドラマもほとんど観ないが、菅田将暉の「ミステリと言う勿れ」初回は面白いと思った。

音楽が、誰でも知ってるようなクラシックだけど、響きがいいんだよな。画も、タイポグラフィも。

トパーズが「捜し始める」意味っていうこと、知らなかった。
全く知らなかったってことだ。この言葉も、石も。

だけど、エンジ色は、確かに好きだ。グリーンやブルーと同じぐらい。


これを書いてる頃はもうほぼ満月。
ラピスラズリの夜空と流れる雲のバンパイア感。

消灯しよ。

超紐理論

どんど焼き。

いいものだ。

今年は靴紐を焦がすこともなかった。

ピンクの紐、途中の焦げ目のせいで、結ぶのにコツがいるんだよな。

まだ当分買い替えられそうもなく、これと共に生きる。超ひも理論。


楽器の練習。

記憶と共に教則本を選ぶ。ピアノも然り、展開がありつつ基礎練習になる教材というのは凄い。
というより、歴史に残っている教材はみんなそうなのだと思う。

忍耐と歌心が一緒になれると、とてもいい時間。

ベースでもそれをやらなきゃとは思うが、しっくりくるものが今見つからない。

一旦自分のスタートに戻ってから、考え直す。

格納しても別次元でうごめく。超弦理論。


稽古に励み…

と、コロナ禍の中言ってた人の言葉が、自分をとても励ましてくれたのを覚えている。

練習、学習、というのと、稽古、というのは、何か深みが違う気がする。

自分のはまだ何かにつけ練習、模索、道草、よくて学習だが、自ら「稽古」をできる人になりたい、と思う。
そういう境地に立てるのはいつの日だろう。

いや、勉強もそうなのだ。自分で勉強の仕方を知っている人。そうなれるか。
というのは、ずっと人に言われていたが、会得できないままだった。

もうこれからは、そうなれねば AI に抜かれてしまう、っていうのもあるのだろうね。

人類の尻に火がついてる。
そんな筈ないという声も聞こえるのだけれど。

9次元からの声。尻尾はほんとに消えたのか。
スーパーストリング、理論。

pannonica

昨日の日記タイトルはビザンチン帝国の “Nika Riots” にかけたものであるが、
スタンダード “Nica’s Dream” の由来を知らなかったので調べてみた。簡単に見つかった。

50年代、NYC のジャズに大きく貢献した、ある女性富豪、通称ニカ。
ロスチャイルド一家に居た(そして一家を出た)この人は、
モンクやバド・パウエル、ホレス・シルヴァー、チャーリー・パーカー、
それに多くのジャズクラブに多大に出資し、
Bird や Monk を筆頭に、直接仕事の面倒を見たり、生活の場を提供したこともある。

差別やナチズムに真っ向から立ち向かい、愛するジャズに尽くした彼女は
ジャズメンにとってはまさに「恩人」だったのだろう、ちなんだ曲も多い。

BeBop というシーン自体が、ロスチャイルド由来の力に支えられていた

というのは少なからずショックでもあるが。え、誰でも知ってる事…?


以前、何の流れか、初期のさるカントリー・ブルースマンを追悼する YouTube を眺めていたら
彼の墓が映されていて、そこにフリーメーソンの印が刻まれていた。

だからなのか、と思ったことも。それも周知の事実?


ブルースの父、と呼ばれ、英語の教科書にも載ってる W.C. Handy

彼の最初のヒットとされている “The Memphis Blues” は

1909年のメンフィスの市長選挙のキャンペーンソングとして書かれたものだ、という。
対立候補もまた、黒人ミュージシャンの曲を採用していたようだ。


力と音楽の関係、持ちつ持たれつ。

それは力の正しい使い方なのか、受け取り方なのか
なんだか、大変だ。

飛来と旅と

思えばこの夏は特別で

ここ十年ぐらいで、こんなに甲虫に出くわしたことはなかった。

9月になっても、またクワガタがプランターや郵便受にやってくる。朝はメス、夜はオス。

最初のノコギリクワガタを死なせてしまって以来、飼う気はないので、

車で5分、栗の木に還しにいくのだが

その度に助手席にダンボール紙の小箱、中身はコクワガタ。

おかしいなこの車、全国演奏旅用の筈なのに。

この頻度からするとたぶん、近所に住処の樹があったに違いない。だが結局見つけることはできなかった。

もう涼しくなってきたし、流石にもう来ない気がする。

でもまた迷い込んだら、そのときは仕方がないな。

指数関数

ふと、指数関数というものを思う。

コロナ感染状況、でよく聞くようになった言葉だが、昔数学で習ったものだ。
あるいは、たった今学んでいる人もいるだろう。その人たちに比べて自分がどれだけわかっているかは、正直あまり自信がない。

だが、ふっと思う。

人の気持ちや、感情の伝播って、指数関数的なとこあるのかもな。

何か、弱みを見せた強者*に、よってたかって攻撃したり…ていうこともそのひとつ。
礼讃も。
人間ひとりの中にも、集団真理にも、それはあると思う。

エスカレート、ってやつ。いや、エスカレーターって直線だから、もっと別のか。

連鎖反応。制御できないもの。

ウィルスの増殖や、…も…

僕の中にも、指数関数的な動きをするところは少なからずあって、
それを音楽で使ってたことも、ステージングでそうなってたことも、あったかな。

気をつけなあかん、とも、大事にせなあかん、とも。

SNS とかって、集団の動きを網で獲るものですよね、とっくに、そういう部分は解析されてると思う。
そしていろんな AI が、制御不能な部分をみて、制御しようとしてる。

エキサイター、コンプレッサー。ダイナミック EQ。

そっか、炎上ってやつも、これか。
パワハラも、DVも、虐めも、ですよね。

たぶん、生贄も、ローマのコロッセオで繰り広げられた殺戮競技も、
革命や戦争でおこった…幾多の残虐行為も…こういうことなのかもな…

人間、学ばなきゃならんこと、多いと思う。

8月6日になった。


8月7日になった。

* ここがどうして『強者』なのか、読み返すとひっかかり、考えていた。

「相手は強いから何をしてもいい」(思い込みを含め)と、タガが外れることや、仮想敵のようなものに操られる、ということ(それも戦争のひとつ)の怖さ、を表していたのだが、

それ以前に、強くない者に対する攻撃、という、論外なことがあるし、
力を持つものは、不当なことをしても護られるべき、となればそれもおかしい。

こう考えると、『強者』ではなく『者』の方が正しい。

ただ、決して間違いを認めない強者、みたいな輩が多いのは、間違いを認めたら最後、集団で寄ってたかって晒される、と肌で感じている(恐れている)からかもしれないな、とも思っている。それが「保守」や「自由競争」の正体かもしれない。

タイムキープ

5月末に出した、今のところ最新作の「シナモンニッキロール
聴いてお気づきかどうか、この曲はテンポが一定してません。

イントロや間奏、二番、展開、最後、など、早ぉなったり遅ぉなったり
してまんねん。

DAW で作られてる今の音楽はほとんど BPM が一定なのだけど、本来コンピューターってもっと色々なことができる。

僕の好きだった音楽も、たいがいテンポは走ったりもたったり、時にはイントロからAメロで既に全然違ったりしてたし。

そんなわけで、今回はあえて、テンポをコロコロ変えてみたのでした。

じゃぁ一定がダメなのかというと、そんなこともないと思う。一定のクリックには安定性とか、アレンジや差し替えの簡単さとかの他に
○●とか×△とか理由が…

あるんだよ、ね?

そのへんは、みんながこれからも考えていくところかもしれないっね。

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