カテゴリー: fushigi

第三分の二元旦

一年を三分割すれば今日は第二の元旦。
ってことで海に行く。

普段20~50cm、いいやブースの1.5m、
以上に遠くを見ることがない。

ライヴ会場でも視力の届くのは?m。丸眼鏡は伊達ではないのだ。

腕に端末を縛り付けられようとしている若者と既にチップを入れられている諸外国の愛玩動物との間にある自分は、このように滅びていくのだろうと日々自覚しながらも、危機を感じて海に行く。

といった方が正確だが三分の二元旦と嘯く。その方が夢がある。

もう三分の一元旦の事は忘れている、ということは、道を間違えてから気づく。
引き返して数秒後、引き返せない道に乗っている。

ならばと小一時間ワープし、打撃施設を目指すがそこは潰れている。
つくづく抜けている。

小一時間を取り返そうと、犯人再び現場に戻る。
さっきの Point of no Return, わずか先にあった、ベストポイント。
つくづく抜けている。だから来たんだよ。

海はすばらしい。

聴覚の傍で自分が見ていた全てがウロコだったかのように。
これも新手のウロコかもしれない。それでもいいと思う。

EW&Fのジャケットを描いていた長岡秀星さんのイラストにたしか
「すべては砂漠にかえっていく」というようなタイトルの絵があった気がする。

傾く太陽の下はさながら砂漠。
乾ききった砂と、すぐ隣にある無尽蔵の水を眺めて

「?」が30個ぐらい沸き起こった。

砂って、なんの象徴なのだろう。乾いたもの、それとも潤い?

たぶん、どっちもなのだ。

shamama

シャママ、という言葉が独歩している、らしい。
局地的な現象ではあるが、見過ごすことはできないのでここに記す。

–誕生–

この、シシャモとマシュマロとママス&パパス、のような「シャママ」は
5月に某…大橋トリオ名古屋公演にて、
(直前の金沢での五七五が長かったらしく)
「MCを短くせよ」とタイムキーパーから要請を受けた事に対する、
僕の心の呻きであった。

…Then tonight I’m gonna SHUT MY MOUTH…

心の呻き…ちがウな、心の自動操縦…心の3Dプリント、
あるいは「ひとうちななつ」の巨人エピソード、
仕立屋が「岩」と称して絞ったチーズ…それが近いのか…

当時、世界のどっかで、日本の役人が人権的な質疑の最中に
“shut up” と言い放ったことへの、ガンジー的なアレも入ってるかな…

要するに、喋りません、というのを
ジャパニーズイングリッシュで言い換えたのである。
それが「シャママ」の誕生。そしてシャットアウトするはずだった。

–蒲生の薬売り–

ところがその後「シャママ」は、ジワジワと界隈でキているらしく、
最近では僕が某薬局で見つけて愛用している
「おやすみテープ」の変名となっている。

口を開けて寝る人向けに、強制的に口をふさぐ、絶妙な粘着力のテープである。

口を開けて寝るとロクなことがない。喉は渇くし風邪はひきやすくなるし
他にもいびきとか色々あるらしい。

数年前だったか、別の仕事でツアーメンバーの誰かと誰かが
「小さいころは親から口にテープをされた(されそうになった)」「うそでしょ」
と会話しているのを耳にして、んなアホな、と思いつつ気になっていたのだが…
そんなものが商品化されているのを見ると、いよいよ世界もヤバいのではないかと思う。
両方の意味で。

–ishutmouthiusefingers-

シャママの説明をするのに言葉は要らないはずが
実際は逆であることを指が証明しつづけている。

–おだやかなねむり–

シャママテープ、をすると、笑える顔になる。
誰がやっても笑えるはずである。
だが、今夜はもう、食うものか飲むものか、喋るものか、と決意して眠りに臨むのも
悪くないものである。

–電話とよこく–

それはシャママを貼り、横になったまさに直後だった。
jkから着信があった。思わずとった僕は、モゴモゴと喋り出した。
なんでも「生で詩を聞きたい」とのことである。
背後にはwcとcpとotの気配がある。
「オレ、テープしてるよ」
すかさずFacetimeを強要され、僕は断乎として拒否した。
連中には何をされるかわからない。笑える顔をストック、あるいは晒す可能性が十分にある。
恐ろしい世の中である。
しかし詩の朗読には応じた僕は、眠気の中、口の右端左端だけを腹話術のように使って
「よこくの太陽」をモゴモゴ詠んだのである。

–遠隔操作–

その電話朗読は録音され、ライヴイベント会場で流された。即興演奏付きで。

僕はそれを後から知った。

さらに近畿では、「シャママテープ」が景品としてプレゼントもされたという。

–さいごに–

シャママは、モゴモゴ詩を詠むためのものではない。

受け取った方が、これだけをわかってくだされば、
僕としては安心して、また眠りにつけるのである。

詩集

昔からぼくは不思議なやっちゃ、と言われ続けているのですが

本人いたってそんなつもりなく、ただ興味あることをふわふわと考えたり
頭上にいつも「?」マークを浮かべてたギタリスト詩人や
彼をそう形容した 映像作家 を、変わってるなぁと眺めたり(即ち彼彼女に比べたら全然フツー)
真面目に考えすぎて書き連ねては、よくわかんなくなったことを行を遡って蒸し返したり

そんなことを繰り返しているうちに、詩が結構たまっていました。

SSW 気取って歌ってみたりもするのだけど
どうも人前に出せる味にならない
というよりぶっちゃけ〇◉すぎる

Donovan でいいんだけどなぁ
Marc Bolan (初期)でいいんだけどなぁ
Green Gartside がいいんだけどなぁ

妙に理想が高い

そんなことを繰り返しているうちに年月日が経って
このままじゃもう退場だな、と思っていたところ
チャンジュンたちに背中を押されたこともあり
詩集を刷ることにしました。

詞なんて
人に歌ってもらえばいいじゃん、とか
メロダインで直せばいいじゃん、とかボカロPでいいじゃんとか
言われてますが、僕のはどうもそんな感じでもないし
「そのうちレコードにします」とだけ言い残して。

でも言葉だけの作品もいいのかもね。

僕はかつては、曲の歌詞など一切興味持たず、インストか、(すぐに理解できない)洋楽しか受け付けない人でした。日本語の歌詞が直接耳に入ってくるのが、好きじゃなかった。それがあるとき、言葉に興味を持ちはじめ。

人の興味など、わからないものです。
言った尻から変わってきたりもする。

入れた詩は、自分としてはわかりやすいものを集めたつもり。
前のめり 後ろのめり だが踏みおろした地面には穴が空いてて
そこは空だったりする。

でもどうだろう。紙に載せてみるとまた味が違ってきてる気もするプレパラート。

初版まさかの完売につき、増刷中です。
よかったら。

singtalk

この一週間は旅をしながら、とても有意義な音楽体験をしているのだけど
熊本では珍しいことを続けてやったので、速記。

6.3 flexlife x ray での “reunion” は、時間感覚メビウス繋ぎというか
彼らの後ろ隣で、かつて何度もステージでやった曲、ぼくには新鮮なアレンジの曲、
そりゃはまるでしょっていう荒井由美、全く予想外のCCB、定番のFairground Attractionなど
壁の色もサイコーなgingilaで、アットホームな数時間。
– それにしても “WAR” はやっぱりすごい曲です。

そんな中、健さん里枝ちゃんと演れればというアイデアをやり、
それとは別にベース弾き語りを3曲やるという、
かなり好きにさせてもらえた貴重な機会でした。
バンド始めてみました、大人、ほんとかよ、みたいな。

ガレージでのカフェレレ部(ウクレレ教室ユニット)も、平和で素敵でしたよ。
大倉さんの雰囲気がデヴィッド・マシューズさんに見えたな…

その現場をトリオちゃん、洵平くん、チャームくんが目撃してくれたこともあって、
翌日の大橋トリオ公演では、途中、ありえない場を
「チューニング中の場繋ぎ」によりいただくことになった。
… ま さ か。

そんなんで、2日続けてやったのが、これです(詞)
よこくの太陽

ほかは
時計をひっぱりだせ
grace behind the word

そして flexlife の二人交えてやったのが
トーキンブラザー (swingy version)

それぞれ、作ったのは大昔、人前でやることは殆どなかったのだけど、久々。

因みにやらなかったのは
あかりをつけたら (reg. version)
でかいゆびさき
ハイウェイかたつむり(最新)

詩/詞は以前から公開してたりしても、実演ではなかなか形にしてないんですよね。
サボリすぎ。

もっと新たな案も、これから作って行きたく思っております。

さんくす

mobiles

こちらは暗くない話。

暗い話も、音や光のもとだと、思ってますけどね、わたしは。* darkness

さいきんの見聞

union soda
ショップスペース、ギャラリースペース共に広がりがあって気持ちいい。
urabe fumiyuki さんのモビール、欲しい…

kedi başkan
ハンバーグかサンドか迷い、サンドにしたところ
そちらの具が切れてしまったようで、代わりのサンドを作ってくださったのですが
それがとんでもなく、美味しかった。
置いてある本も面白くて、エンデの「影の縫製機」に魅入られてしまった。

とある駅
ホームをつなぐ跨線橋に、全く広告がない。
こういうのもいいですね、うるさくなくて。

月の岬
カメラも持たずにバスに乗ると、あまりに美しい満月。
名前だけのことはあるな、と散歩。また行くことはあるのだろうか?

GREENROOM
快晴、5月だというのに灼熱。
ずーっと奥まで見渡せる、気持ちいいステージでした。
待機中の散歩で見た yusuke hanai さんのブースにパワーを感じる。
we are here” のジャケを描いた方。じっくり観たかったです。

kirja
motomitsu maehara さんが新作絵本&原画の展示をやっていて
すばらしく購入。本はフランス語ですが、日本語訳もついています。
Ecoute la musique

Chansons ‘Fraternelles / Philippe Crab & Antoine Loyer
仏レーベル Le Saule のレコードはすごいなと思っていて
内容もさることながら、風と砂塵と裏庭のような音の質感につれていかれる。
どうやって録ってるんだろう、か。



between

Alexandre Andrés をジャケ買いして以来、ずっと好きだったイラストレーター山口洋佑さん

PRETAPORTERS のおかげで10年越しに出会えて、触発をくれる凄腕ピアニスト林正樹さん

のコラボを観る。その名 between。

最近とみに「鳥」づいている僕にもタイミングよすぎる
「巣巣」での数時間。

鍵盤から生まれて部屋の森を舞う音たちと
帆布の森に住処をみつけてく絵の具たちを

その場で目撃する、というのは

やっぱりすごいことですね。

途中、静かな界隈に救急車が通って
それは、どう贔屓目に見ても、その場に著しくそぐわないものであったので

どうなるのかな? と思ったら

キャンバスの真ん中に、それまでなかったものが出現した。

それは僕には赤いサイレンのように見えたし、最終的には違う形になったけれども、ぜったいにきっかけはそれだと思ったので

あとで山口さんにきいてみた。

やっぱり、そういうのって、ありますよね。

予想外だけれども、それが無意味ではない。

林さんのそのときに鳴らしたコードがなんとも効いていて、

世界をつなぎ合わせるのに、やっぱりピアニストはある種の縫い針を携えているのだなぁ
と、感服しきり。



ちゃっかり混ぜてもらいました

Romanian Folk Dance

ローマ人はその時代に巨大な国家であった
「ローマ帝国」の版図にいた人で
特にどの人種と特定するのは意味がない…
と、ちょっと驚くような、
よく考えたら違和感なく納得できるような話を知った。

すなわちギリシャ人がローマ人であったり、ラテン人がローマ人だったりする。
ルーマニアも、ローマ人の国という意味らしい。

人の変わり身の自由さというか
支配層がどうであれ、人たちは流動していくんだなぁと
思うのであるが
(そのために戦わされ、殺し合いまくったのだろうが)

ということは、全ての道はなんとか、という諺は
ローマ人は、ある条件さえ呑めば誰でも名乗れる、という
懐の大きさなのかもしれなくて
少し前までのアメリカとも通じる状況だったのかもしれない。

さらに言えば、時空軸の設定さえ動かせば
我々でもローマ人を名乗ることは可能なのだろう。

あの銭湯映画はそういう意味でもよくできている。
日本人がなんでローマ人やねんというのは
その時にローマにいたからローマ人でっせと
言ってしまえばそれでよいようである。

そんなわけで、時折たいむましんに乗って日本に来る私としては、
次なる疑問は、やはりこの一つに尽きるのである。

「時間って、なんだろう」

Truth Hits Everybody

Sting の新作いい

Police の1stで どういう訳かたびたび脳内マイブームになる
あのモチーフのまんまだけど

いいものはいい

真実ってなんだ?
そんなもんあるのか?

でも わからないから いいんだろうな

インタビュー映像もいい

預言者エリヤの空白の椅子について語っているのが
どういう訳か 自分にはシンクロニシティ

ツアーやプロモライヴの様子も垣間見れるけれど
The Last Bandoleros の面々含めたコーラス 強力

それどころじゃない

彼が昨夜 世界のどこで演奏していたのか?

ということだ

彼には絶望などない
集まった人にも ないのだろう

いや 絶望を感じ取れるからこそ できるのだろうか?

57th9th

結果はひとつの宿り木

大統領選が予想外の結果になって
でもある意味自然な結果なのかもしれないと

アメリカに抱いていた幻想が
あるいはアメリカ人が自国に描いてきた幻想が
また別の方向にいくんだなと
思う

ピアニストと脳の本を読んで思ったことは
人間の脳ってぼくがそれまで思っていたのより遥かにキャパが広くて
その中での回路のつながり方によって
「モード」も変わってしまう
それが集団意識の流れにも作用していると思う

回路のつながりとは 脳という宇宙に舞う イナズマのようなもの
それがヤドリギを辿って
どう飛ぶか 畢竟 稲妻なのさ おれたちは

なんのこったい

オバマが登場してた時に感じた気持ちは
今では全く逆
きれいさっぱりない
- どうなんだろう 崇さん

メディアもマスも伝説も
集団幻想だから
- たぶん 江里也さんの言う通り

或いは気にすることもないんでさ

でも…さ

しっかりいこう
雨が降り 雨がやむ

創造と破壊と破滅と生存

前掲の続き。

アートは破壊と対局にある力なのか
創造と破壊は実は一対なのではないか
という事を。

ここはトリッキーなところで
破壊と創造はよくセットにして語られますし
企業、政治、そして他ならぬ芸術など
いろいろな場面で用いられます。
国際間においては、言うまでもなく
戦争の正当化に使われてきたわけで。

ぼくは、この破壊と創造のペアというのは
人を惹きつける半ば永遠のテーマだと思いつつ
これまでに起きたことを考えると
創造のための破壊ならなんでもOKということでは
ないんだなと捉えています。

破壊ではない創造としてのアート
というのはそういった意味で大きな理想であり
決して容易ではない課題です

ぼくはそういう 争いを飛び越えたヒント
みたいなものが好きなのですが

アートもたいがい、何らかの破壊を伴います。

方法論 ものの見方 共同作業
作品の否定 肯定

もしかしたら、一番たやすく、気楽に
破壊だの創造だのと言ってられるのは
芸術の分野だけなのかもしれません。

また なんの破壊もせずに生きている
ように見える人は
実はより危険なものを抱えているかもしれません。

ですが
何を破壊するとどうなっていくのか
どこから修復不可能な破滅になるのか
そういったことは
分野に関わらず みなが学び 考え 感じ取らないと
あるいはわかる人が支えていかないと
これから先
ぼくらが生き残っていくことは
難しいでしょう。

アートはその想像力の喚起力と
到達速度において
現実をはるかにこえるユートピアも
ディストピアも見せてくれます。

それは利害を全く飛び越えた
大きなヒントにもなりえるし

そこに利害関係が結びつくと
プロパガンダにもなりえます。

これまでも ずっとそうだったわけで。

また

今はこれだけデジタルが発展していて
想像力と並走し続けるヴァーチャルなテクが
猛威をふるっているわけですが

これらがぼくらを助けるのか破滅させるのか
これからますます
見極めていかんといけません。

ねんで。

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