カテゴリー: electro

キュルキュルとモグラ

さる聞き取り案件と採譜案件にかかる。

思ったよりスムーズにいきそうで安堵。

昔はずいぶん文字起こしをやったが、最強の道具は安価なテレコだった。

当時は MD 全盛期で、いくつか MD レコーダーを持っていたが
文字起こし用途に関してあれほど使いにくいものはなかった。

反応は遅いしボタンは小さすぎるし
おまけにエラーで録音が消え去ることも頻繁。

カセットがよかったな。キュルキュルが。


採譜ってそこで満足してしまうこともあるけど
そこから演奏できるようになる(すぐできる人に向けてやるという用途の他に、慣れない楽器や慣れてても難しいことを練習するために作る)ものなので

それだとまんまと罠に引っかかるモグラのようなものだ。

実際に見て練習して、要らないようになって本物。

流漂 – 情報ってなんだろう 弐

海から鳥の群れが

生まれてくる

水際から砂と潮の結晶が

やがて浮かび上がる

そんなんだったらどうしよう


それはひょっとしたら気色悪い光景かもしれない

魚や蟹ならまだわかるけど、なんで海から鳥?

いやそこじゃない

でもなんで海から空へ 擦れ合った物体が 生きて 翔んでく?

んーそこまでいうなら そこかもしれん


四角いボタンやエリアをおぼえれば

あまり考えずに人はことばを打ち込んでく

海へ空へ砂へ ガラスへ 虚空へ

身体はいけずともことばはひとりでとんでいく

人間のあずかり知らぬところへ やがて

だれかがついばみ だれかがかきたし

だれかがおりまげる


折り方がうまければ よく飛んでいくし

角度をかえれば 違う国にいくだろう

鳥がついばむ種子なら 気づかずに 運ばれるだろうよ

透明性

カラコンって、サングラスのかわりになるんだろか?

外から見たら色付きだけど、中からの世界は無色透明なんやろか。

もしそれまでの世界が無色透明であるならば。


寝る前にふと気づくと、スマホはカブトムシ。

Macbook Pro も、もし今のを買ってればカブトムシだ。

Facetime カメラが画面の上の真中を削るほどの意味があるのか、という疑問を

誰もが持たなくなったらほんと危ないと思うんだけど

この世は強引に進んでいく。Apple が最初、仮想敵にした “1984” の世界に
近づけているのはリンゴ自身かもしれないって、思うのは僕だけじゃないだろう。

いつだって敵のことは同類が一番わかるわけで。敵対心はシンパシーなわけで。


それでも画面と自分向きカメラを両立させるために、近いうちにマジックミラーみたいな仕組みが導入されるだろう。

こちらから見たら画面。カメラから見たら透明。

カブトムシの角みたいな切り欠きはタッチバーのように用済みになる。

そうタッチスクリーンが可能ならば、スクリーンとカメラが一体になるのだって無理じゃないはず。

スピーカーがマイクになるのと、同じ理屈で。違うかな。


そしたら画面に無駄はなくなるけど、ますます1984の世界になるね。

完全な相互監視。身体が置き去りのどこでもドアってか。


心が置き去りのメッセージの漂流ってか。

それは昔から、人間にあった能力かもね。

フライングパン

餅を焼くのにみんなはどうしているのだろうか?

うちでは
魚焼き〜匂いがつく
ガスコンロに網乗せ〜真ん中しか焼けない
電子レンジ〜使ってない
オーブン〜貴重な道具を餅の事故には遭わせられない

というので、暫定的に「フライパン」にしたのだが
これが圧倒的に簡単で、いい具合に柔らかくなるのでビビっている。

なんだったのだ他の方法は。


地道に初歩練習、音域の解読、音源のアーティキュレーションの解読
今の今まで、使ったことのない機能。10年以上前から知ってたのに。
触るとめっちゃ簡単だったが、キースイッチよりもパッチチェンジの方が役立つ時って、
どすればいいんだろうか? 今の音源にパッチチェンジってそもそもあるの?

昔の練習用データを掘り起こし、バックアップの整理。
NAS の容量も足りないので、要らない録音ファイルもがんがん消していく。

昔は、難しいエチュードやトランスクライブを弾くときに、まず DAW で「写譜」して
それから楽器で練習することもあったのだが、それって DAW にはまると
データ作りに時間を割いてしまって、肝心の楽器に触る時間がなくなったりする。
それで阿呆らしくなって、放棄したデータも山ほどあるが、うまく使えばやはり役立つ。
詰めすぎないこと。生を主に、テクノロジーは従に、というのがここ数年の基本姿勢。

今年は少し段階を進めて、テクノロジーも見直す。

データと楽器と、身体的には真逆だが、両方ないと、です。
ただ、データは消せるけど身体は消せない。
一方、身体が消えてもデータは残ってくれる。残ってしまう、かもしれない。

過去の常識の通用しない「人生」。これからどう過ごすにも、答えはないのです。
「モノ」を残す気のない自分。
子供の頃はものづくりにも憧れた、と薄く思う。


Flying Pan とは初期のエレキギターの愛称。リッケンバッカーが作ったラップスティールだ。

もうこれ以上楽器はいらない、役目を終えれば減らすだけだろうと思う自分が、
昔のリッケンには憧れる。
チューリップ型のグリーンのギターや、フライングパン。かわいいもんな。


今年の目標は一つ。

早寝
早起き

これ基本っしょ。

情報ってなんだろう – 壱

まぁまぁ重い日記に続いて、

これからの事を書こう。

これから、といっても、前々から不思議だった事を、解き明かすための、備忘録みたいなものだ。
まだ、まとまってはいない。


今はデジタル全盛時だ。とはいっても「デジタル」なんて言葉に「80年代か?」と反応してしまう自分を省みるに、あれから40年経ってもテクノロジーってそんなに変わってない面もある。

’80sだって「情報化社会」とは言われていたわけで、それはたぶんその前からそうで、
おそらくWW2やWW1や、明治維新や、ぐっと遡って日本書記の頃や、ホメロスやハンムラビ法典や始皇帝の頃だって、そうだったのだろうと思う。本質的には。

情報がなにをするかといえば人を動かす。人は情報を動かすが、同時に動かされる。

波のような、電子のようなもの。生命体。

現代はネットと SNS、デジタルデバイスにより、個人と情報の動きが直接観察できるようになった。
監視社会、デジタルファシズムとも呼ばれているが、ここは一旦フラットに考える。

僕はこのことを嘆いているばかりではない。どう転んでもこの流れを逆行させることは難しいだろうし、危惧しているのは「信用に足らない権力がこれを独占しようとしている」ということなのだ。彼らが信用に足る行いをしてくれれば、状況はだいぶ変わる。

信用とはこれまた難しい概念だ…コンフィデンス。なんかのドラマじゃないが、この世はバカ試合、じゃなかった化かし合いでもある。
ジョーカーとは、意識を持った第一人称すべてなのだ。

それを踏まえた上で、たとえば「デジタルを操っている側」が、ちゃんとデジタルの本質を理解しているのか。

— そう書く僕自身、理解しようともがいているだけで、本質はまだ多くの人にとって不可解だと思う。
どんなパワーや頭脳を持っても、人間に理解できないことは、たくさんある筈だ。
たとえば原発に関しては、あの312で誰もコントロールできなかったわけだし、そのことが明らかになってからも、権力も人々も目をそらし続けた。
結果、今も何もコントロールできていないのだ。情報だって同じことが考えられる —


たとえば。

SNS ではよく炎上が起こる。

誰か、特定の相手を対象に、「これを攻撃しても良い」というトリガー、あるいはリリースが発せられると
次々に人々が、自発的に攻撃を開始する。当人たちは、程度の差は選ぶものの、それは「自発的」だと思っている。

かくいう僕自身にもそれに加担した覚えはある。

だが大きな目で見れば、それは自発的でもなんでもない。どんな情報を与えれば、人がどんな反応をするか、おそらくアルゴリズムで蓄積されている。これだけのビッグデータがあれば、精度はかなり高いだろう。

こんな蓄積はたとえば何に使われるか。

あえて、先ほどのように時間を一気に遡ろう。太古の時代、人々が戦争ばかりを行っていて、歴史書には「〇〇何万、▲▲何万が争った」とある。しかしどうして、それぞれの争いが成立したのか?

それは、群衆が互いに、戦争に参加したからに他ならない。
もともと何の恨みもなかった「何万もの」群衆同士が、なぜ武器を手にとって殺し合ったのか。それは憎しみや恐怖を植え付けられたからだ。あるいは、陶酔のストーリーを。

権力者はいつの時代も、「下」と見做す人々を情報で操り、プロパガンダ(この言葉が用いられたのは17世紀からだが、太古にも通用するだろう)で右を向かせ、左を向かせ、整列して対象を攻撃させる。

失敗したり怒りの対象が自分に向きそうなときは、巧みに目を逸らす。そのための術を、世界中の権力は、何千年にも渡って蓄積してきた。それが権力とメディアコントロールの本流だと思う。

SNS は色々と役に立つが、(一見)無償なのには理由がある。

タダより高いものはないのだ。


さて、上記を前程に、じゃぁどうなのか、人間は進歩しうるのか、ということで考えつつ、浮かんだ事をこれからの日記に記していきたい。

僕らは流し、流されるだけなのか、というところで止まっていては、21世紀を生きた満足感がない。

3月に作った曲 も、そういうテーマではあったのだが、まだ追求が足りぬし、これでは人に届く気もしないのだ。


とはいえ、もう日付が変わった。いかん、もうおじさんは寝なければ。

また思いついたら、記しますね。
おやすみなさいー ぐぅぐぐ

the weekend

10月最初の週末。

Bandcamp Friday にまた参加してみる…というか合わせてリリースする。

米国西海岸時間のイベントなので、日本では16時から土曜日の16時まで。変則的だ。
金曜の16時に設定して出すというのも、いいのか悪いのか。

ともあれ、アクセス、再生、ご購入、ありがとうございました。
多謝。メディアに出ない DIY 音楽家には、ありがたいものです。

次回やるときは、また何か考えておきますね。


土曜、寝る前に最近の録音を整理しようと試みると、あろうことかエラーでファイルがぜんぶふっとんでしまう。
バックアップ取る前だったし一時間経ってもフリーズしてるし、ほぼ見込みはなかったのだけど
サブの Mac にデータを移し、ファイル名変えたりして2時間、奇跡的に復旧できた。

せっかくの週末、こんなとこで奇跡使わんでええねんけどな。


夏からはほぼ日課で、なにかしらのカバーをすることにしていて、
ただギターやベースで、弾き語っている。

昔、京都の学生時代の友達はブルースやってて、アコギと歌だけでどこで弾いてもひたすらかっこよく、
やつらには絶対にかなわないなと、そっちは避けて避けて生きてきたけど

その後、東京で手伝ってたロックバンドの音を聴き返しても、歌とギターの二人、やっぱすごかったんだ(一体どうしているのやら)、みたいに思うことばかり。

震災後に「モノ持ち」の儚さを思い、電気もない状況でやれるとしたら、恐らく生ギターと詩や歌ぐらいしかなく(災害時に巨大なベースを持ち歩ける可能性はまずない)、それが自分の「音楽家」としての指針だ、と思ったわけだ。

いつ、なにを失うか分からないから、早くそうなりたく、だがいざやり始めたら全然できず。
こんなことなら若い頃から、もっとダメ元でやっておけばよかった、と、思うことばかり。

ダンスとか、ね。

「〇〇は子供の頃からやらんとあかんで」というのと「いくつになっても成長できる」というのが
常に矛盾して、どっちを信じていいのかわからず、それだけで撥ねつけたことも多かった。

今になって思えば、それらはどっちも正しいし、どっちも(ある意味)間違っている。

まぁ、アコギではかなわない人いっぱいいるけど、もうあまりそんなの関係ないし、学ぶこともいっぱいある。
そしてギター弾いてると、ベースがまただいぶ、変化してくる。これはこれで、楽しみでもあるのだ。


相変わらず演奏活動をしない中、モチベーションを維持するのは易しくはない。が
ふとしたことから、アイデアも降ってくる。

今日は、例の作りかけの「ラピスラズリ」の「3」を思いつき、詞も曲もほぼ形になった。

「1」に思いの外苦労しているので、こっちが早いだろう、と思っている。イメージ的にも。
「2」はスピンオフ的なものだけど、こうなったら1-3合わせて組曲にするか、
それとも他の曲含めて、アルバムにするかなぁ…

どうでっしゃろ。

そんな、なんでもなかった、週末が終わる。10月はいい月にしなきゃ。

秋分周辺

秋はいい季節だ

…今年はなんか、裏のうらの方が沁みてくるようなあきだ。

何か獲物があるわけではないが、せっせと作品をつくっていこう。


夏は MacBook Pro が常に瀕死の爆音を上げていたので

数小節のフレーズすら録音するのが辛く、マジでたまらなかったのだけど、

秋のおかげかようやく少し静かになってきた。

Core i9 の無駄遣い。

Covid 19 で失った翼。釣り合わない。

まぁもう少し頑張ってもらおう。


虫の声がすばらしくて、な。


満月や秋分のあたりに曲を出したかったのだけど

幸か不幸かいろいろアイデアがあり、4曲同時進行にてまとまらない。

脳内での完成は近いのであるも。

「ミッドウェイ」

エンジニアの中島聡氏がこんなツイートをしている。

中島さんは、日本にどっぷりいるとなかなか見えないことを突いてくるので、貴重。
というより、これって、ごく当たり前の視点…

安倍政権が誕生したばかりのときに、ジャパン・ハンドラーとの関わりを完全に見切ったのはこの人のブログだ。
何年か経ってから問題になった、「日本の政策はアメリカの一部勢力が作成したレポートの完コピ」というやつだ。

ほんまに完コピだから。びびったで。

この方は3.11後、原発関連を主に、かなりまともな論点をくれていたが、
いろいろあったのか? 現在はたまにしかその話題は出ない。
とはいえ、もう既に言い尽くされたから、でもあろうし、
こういうことは特定の人に頼るのではなく、あとは自分たちで考えることだ、と僕は思っている。

職種、も、立場、もなく、これは民主主義国なら、当たり前のことで。
それができない国も多い中、それができるのにやらない国があって、
それってどこでした? ってならないように。

最近はメルマガと note 主体にされているようだ。

経済論的な部分その他、全て賛同するわけではないし、
テクノロジーに関して僕の中途半端な理系脳ではついていけないのだが、
多くについて、ごくまっとうな事を仰っている、と思う。

無から題を

…導き出すのは不思議なものである。

無から、ゼロを。0からなら1を何度か飛び越して何かしらの0へ。それなら簡単そうだ。
が。

物事は、思いつかないときは、思いつかない。

忘れてる時は、思い出さない。

だが、だんだん思い出したり、砂浜の景色のように、移り変わってくるから不思議である。

かくして、6月上旬には言葉も題も、かたちのかけらもなかった詩に題がやってきた。

“Trojan Wheel”

トロージャンといえば、SKA やんね!? という人が一体どれぐらいいるかわからないが、
今回はスカでもレゲエでもなく。

Trojan とはトロイ人のことだ。ホイールは。ご想像に委ねますよ。

詩はあらためて こちら に。録音中。

ジャケットどうしようか

タイムキープ

5月末に出した、今のところ最新作の「シナモンニッキロール
聴いてお気づきかどうか、この曲はテンポが一定してません。

イントロや間奏、二番、展開、最後、など、早ぉなったり遅ぉなったり
してまんねん。

DAW で作られてる今の音楽はほとんど BPM が一定なのだけど、本来コンピューターってもっと色々なことができる。

僕の好きだった音楽も、たいがいテンポは走ったりもたったり、時にはイントロからAメロで既に全然違ったりしてたし。

そんなわけで、今回はあえて、テンポをコロコロ変えてみたのでした。

じゃぁ一定がダメなのかというと、そんなこともないと思う。一定のクリックには安定性とか、アレンジや差し替えの簡単さとかの他に
○●とか×△とか理由が…

あるんだよ、ね?

そのへんは、みんながこれからも考えていくところかもしれないっね。

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