three

関内。

音確かめの合間、窓から界隈を見て
「碁盤の目だねぇ」とつぶやくNくん。

確かに。埋立地っぽいね。
開国の時の関門の内側でっか。そんで西洋調なわけか。

かんさいとかんとーとかんけーない…とかって誰かZ級ラップしないかな。
いや失礼。

このあたりの空間に出るのは、自分はKAAT以来。BankARTも懐かしい。

音が舞台に3D座標付きで返ってくるKAATや、
ショートエコープレックスの文芸座とは違って、ホールらしい響き。

いい緊張感。そして、ユル感。

ファイナルじゃないよ、まだ三度目、そして五分の一…

今回はコーラスが多くてほぼ全曲、しかも重要な節続き。
ところが第三の男、ならぬ第三声、っていうのは
割と気楽なものでもあるんだな。

人前で声を発するたびに、虚無感を併発し続けてきた自分が
近頃は楽しんでやっとります。

団長とメンバー、お客さんに感謝しなくては!

F for Fake

エイプリルフール、メイフール、
ジューンフール、ジュライフール、
オーガストフール、セプテンバーフール、
オクトーバーフール、ノーベンバーフール、
ディセンバーフール、ジャヌエリーフール、
フェブルエリーフール、マーチフール

ほんとにそんな世界、そんな日本になってきた。

オーソン・ウェルズの最終監督作に、「オーソン・ウェルズのフェイク」という映画があるとかで
観てみたのだけどすばらしい。

フェイクな世界にはそれなりの生き方があるのだろう。
示唆に溢れている。

きっかけは谷口江里也さんの「イビサ島のネコ」という本で
今、半分をすぎたところ。はまってきている。

スペインのイビサ島には、それはそれはキテレツな人が沢山集まり、
それと並行してさまざまなネコも生きているそうな。

素敵な本だ。

価値観ってなんだろう。

所詮人生が、壮大な劇であるならば
その中で何ができるだろう。

演じているだけの連中を、どこまで醒めた目で見れるだろう。

醒めたこころで、どこまで灯をつけられるだろう。

one and two

上越新幹線の座席は
旅客機のような感覚で
シートベルトをしたくなる。
そんなエイプリルフール

駅と駅の間は
さながら夜間飛行。
時折顔を出す景色がとても美しい - のだが。
もうちょっと観たいですね。

やっぱりトンネルばかりの列車旅って、おかしいから。

たどり着いたホール、3Fに登って広々とした視界の楽屋。
昨年と同じ会場、同じくツアー初日。

一月早いからか、思ったより気温が低い。
まだ桜は咲いていない。

初日の緊張感はもちろんあるのだけど
このメンバーはもともとバンドといっていいほど
まとまりのいいカルテットに
僕が加わったというものなので

要は僕が頑張ればそれでよい。
わかりやすいね。

そんでもって、知ってる会場というのは、心強いものです。
既に、ちょっとした帰郷気分。新潟。

内容は
ご覧になっての
お楽しみ

10rigs

移動。雪が残る山脈。見えぬが近い海岸線。

やがて…標高360m超えの長野市へ。

善光寺に近い寄席会場。
意表をつかれるがなにやら初心に還れる気分
(なんでや?)

表参道はとても雰囲気がよい。
大きな石畳。アスファルトじゃなくていいね。

内容は
もちろん観ての
お楽しみ

シャンキュー

目がなにを

今日はですねぇ…

もしも今見ている視界がやがて数十年後
命の終わりと共になくなるなら
なんのために僕らはこの世界を見てるのだろう

記憶や心に転写した世界は何になるんだろう
なんて素朴で物騒なことから

じゃ、どうして、殺されると判ってる「家畜」や
漁対象魚たちには目が備わってて
彼らはどんな世界を見て、何を思って、
何を何のために記録し反応してるのだろう

なんて人間勝手で基本的なことをふと考えていた

景色を見たり感動したりって
震えたりって
すごく大事だけど
すごく儚い

これについては断言したくもなるし
「そんな気がする」で止めたくもなる

ともあれ、そんな事を考えていた夕方に
ふと、散歩に出かけたら
その場にいた人たちが
動物の目線についてのお話をしていた

思わず聞き入りながら、途中から割り込んだ
けど、その話には行き着かなかった。
他の話が面白かったから

こういうことって
よくあるんよね

僕の場合
というか
僕でもそんなことがあるから
誰にでもあるのだろうさ、と思っている

シンクロニシティ、が存在するということは
僕らは集合意識の中にいるんだよな

一斉に咲く桜と同じように

aerofiat4

寒風春分過ぎ

いい風が吹いてる

眼下の光と
海の向こうの風車の群れ
朧月夜
こんな遅くまで一仕事
はぁ疲れた
でも最高

ラガービール久々にうまい

こんな夜もあってもいいね

エリア51

亜墨利加51番目の州になれば…って
議員が発言してさらに呆れた事を言っているけど
これ、叩く材料だけじゃなくてすごく本質的なこと突いてるんよね

表現で大騒ぎする傘の下に、実は集団の本音が発露している
自民党がCIAの援助を受けて成立したとは良く言われていることだけど
よくよく辿っていけばそれも道理で
なんで戦争で日本を打ち負かした米国が日本の「最大の友人」になれたかというと
それは徹底した心理戦によって、日本を完全に従属させることに成功したから、だろう

開戦前にすでに「戦勝後にどうやって日本をコントロールするか」のシミュレーションをしていたという米国

…まぁ、そう考えてみれば当然のことかもしれないが…

何しろ我々の多くは、米国に従属している事にすら気づかないで過ごしてきたようで
こんなに完璧な「戦勝」はない

WW2の後も世界中に派兵して戦争ばかりしてきた米国が、決して他国をコントロールしきれていないことを考えると、彼らにとっての「戦争戦略の成功体験」って対日本だけじゃないのか、とさえ思えてしまう

ともあれ愛や酒や、金や名誉や、薬物や核や、いろいろな「依存症」は人間あるのだろうけど

日本に関しては完全な「米国依存症」が戦後ずっと続いている

かくいう自分もその一人で、音楽に関して米国の、いや現在の米ポピュラーにはそうでもないが
アメリカ音楽、その若いはずの歴史の深さと魅力にはかなり依存していると言わざるをえない

色々な人種の入れ混じったグルーヴの深さには脱帽するしかないし
発声やハーモニーのキレと雑多感、開放感はなんだ

もちろん、孤島である日本ならではの視点から見れる、音の景色はたくさんあるのだが

戦争で負けたってことは、ぼくが測り知れないぐらい
辛くて辛くて辛くて 情けないことなのだろうけれども

それに気づかずに 完璧に、サブリミナルに従属してしまった今の日本はあるいはもっと情けないのかもしれない

だって、クレジットカードも、ネットも、FacebookもTwitterもdisneyもgoogleもAppleも、ぜんぶアメリカだぞ?!

どうあがいたって、すべて掌の上やんか!?

だからって、51番目の州になりたいのか? ってことだ

ぼくらは英語もろくに操れないのに…
日本語使えるけどね

そもそも向こうから見れば、州に加えるなんて気持ちは毛頭ないのだろうし
その点でも深い二重幻想、じゃないかな

things behind the sun

こないだのプチ旅で見つけた

細野さんの「アンビエント・ドライヴァー」
面白くて。

先日文庫本が出たばかりらしいけど
僕はこのところ、ハードカバーを列車の共にしている。

UFOの話とか平気で出てくるんだけど
心の持ちようというか

背中合わせの話とか、いいな…

それ読みながら、夕暮れ駅のベンチでふと思ったこと。

最大の未確認飛行物体って太陽かも
というか太陽はいちいち
僕らの存在を確認するんだろうか?

「確認」って、なんだろなって。

IDを垂れ流し、共有しまくってる人間。
ポイントカード、クラウド、マイナンバー。
増え続ける町中の監視カメラ、そしてスマホの自撮りカメラたち。
それって、なんなん?

なにをconfirmするのかな。

誰でも知ってるつもりの「太陽」って、
誰も知らないし、向こうもこちらを知らないし、
あるいは知りまくってるから、知る必要もないのかもね。

デジタルだと思ったらアナログだった

年明けのことであるが

いい加減お別れしようと意を決して

グラファイトMacから外したハードドライブ

捨てるにもそのままではごっついし

ドリルで壊すのも誠実さに欠けるので

スターネジを外したらこうだった

hddturntable

ターンテーブル? やん

CDよりもかわいい

iTunesなんかで曲鳴らしてる時に

これがゆっくり回ってたら楽しそう

そんなオブジェ 誰か一緒に作りません?

オレヴィンテージ

年末のことであるが

あまりに締まりのないクローゼットを一掃しようと

ガサガサやりながらひらめいてしまったコンセプト

オレヴィンテージ

自分が着古したものを捨てて街でヴィンテージものをさがす

って、よーかんがえたらなんの遊びやねん?

自分が着古したものこそ、ヴィンテージの価値があるんとちゃうんけ?

オレにとっての。

そんなんで、着古したものに無理やり価値付けをしはじめると

が差したように楽しくなり

結局何も捨てられなかった。

おわり。

新年

あけましておめでとうございます。

去年も今年も、世の中はとても暗く思えるけど
そのシナリオには乗らないよと。

皆さんにとって、素晴らしい一年になりますように。