じゅうがつ

9月が過ぎると急に何かが変わった気になっている
毎年 11月までのこの期間には何があるのだろう
これまで冷静に考えたこともなかった

ハロフィンや秋祭りや冬支度や
なにやら もろもろ せわしい
季節が 透明な夜に 向かってる

あたたかい はずの 透明な夜

参加音源がいくつか出たり
冬に一仕事あったり
一服ではあるが
また腕を磨かねばならぬ

これを機に
自分の中の予想外に対峙できるよう
ギターでも上手くなりないな、と
おもうこの頃です。

バジルもお疲れ

白い花も咲くにまかせて
十五夜の酒盛りが来ないなと思ってたら
今年の満月は9.28らしい

バカバカしさにまみれた国の管理人たちの振る舞いと取り繕い
辛い気持ちや無力な気持ちに耐えながら秋を過ごす

不思議な事に 夏にどれだけ他力本願でも
秋になるとちゃんと自分は働き出す
やるわけないだろうと思っていたこともちゃんとやり出す
結果が出るかどうかはしらんけど
自分の中では結果は出ている
おそらく上々

年を経て頭脳が阿呆になってきたことは
ある意味よかったと思う
あまり色々な事に頭が働くなくなったがために
敏感で執着心の強い自分に邪魔されることも
減った…というか…忘れてしまった

それが結果に出てるかはしらんけど
多分出てないんだろうが
ほんとうに自分にとって大事なところを
一生を終えるまでにつかめればそれでいい

それが残せればもっといい
ってなわけだ

はろー
あした

自由について

何度か書いていることではあるが

「自由」
この言葉は魔法だ
それ故にとてもおそろしい

世の中には多くの人がいて
多くの境遇がある

それぞれに「自由」の意味は異なる

たとえば
強者は強者であり続けるため、自由に力を行使できる事を望む
弱者は束縛から逃れるため、自由を求める

それらを実現するため、やる事は全く逆なのだが
同じ「自由」をピボットにすると、みんな逆を向いていることにすら気づかない
おそらく、それぞれの自由は逆回転をするプロペラのように並んでバランスをとっている
羽根が触れないかぎり

普段 これらは交わっていないようだが
もちろん いつまでも交わらないわけではない

片方の自由を守るためには、片方の「規制」が必要になる
さもないと片方の自由は蹂躙される
ところがそこには何ともいえない、心地悪さがある
「規制」だと…?
目を背けたくなる、打ち壊したくなる
それは、自由の敵だろ!?
「規制緩和」という言葉は、こうやって承認されていく

「上」にいるものの自由と、そうでないものの自由は、意味が違う
よって、権力者が「自由」を看板にするとき、
ステートメントを出すとき、
一度、真逆の回転で翻訳しないといけない

『従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため』新しい国営放送の創設を検討

実際に半年以上前に流れたニュース
ここには、すべてが表れている

だが、これでも難解ならば、こう推論するしかない
タイプするのもおぞましいが、こう考えている人々がいませんか?

『我々には、戦争をする自由がある』

自由という言葉は、魔法であり、偉大であり、それ故にとても恐ろしい。

たぶん「自由」に変わることばが必要なんじゃないか、
そんな気がしてる。

或は、自由をちゃんと動かすための
言葉が要るのかな
「規制」以外の。

Again

こんな夜にはBuffalo Springfieldしかない

DylanもFleet FoxiesもAnita O’Dayも素晴らしい

Live AidのHoward JonesもいいしArt Landeもすんごい

だけどBaffaloに落ち着いてしまう

落ち着きたくないから

おやすみなさいが多すぎる

どうしてChris Squireが逝ってしまうんだ?

年だから? 人だから?

しょうがないわな。わかっとるわな。

あの人は絶対に死なない気がしていたのに。

4001でスラップやってるのは、全然彼の真似じゃないけど、

彼がかっこよかったからなのだ。

—–

どうして長岡秀星さんが逝ってしまうんだ?

迷宮の安堵ローラと話してるの?

ドバイかどこかではあなたの画のような街が天空に聳えてるよ

日本はわけわからんけど

LAでお会いしたかったな、っていっても運任せのタイ料理任せの知人任せだけど。

—–

どうしてOrnetteが逝ってしまったんだ?

頭の中で踊りまくった中学生のあの日から

神戸の震災の日、そのアルバムをBGMにビデオデッキが空を飛んだと知人から聞いたあの日から

Tone DialingをNewburry Musicで買ったあの日から

ずっと音楽は笑っていたのに。

ハラスメントかカモフラージュか

ひとつの考察

なんていうか…この国を今強引に舵取りしようとしている人達は
どうしてそうなっちまったんだろう、とふと考える
ほんの数秒考えただけだけど

日本は先の戦争に完璧に負けたわけで、その負債を色々な面で背負ってる
しかも、表面上は凄くわかりにくい形で

今から3年近く前に政府につきつけられた米一部団体からのレポートを
ほぼ忠実に彼らはなぞっているようだけど – 参照
(だからこそ、今頃「ホルムズ海峡」なんて古い時系列で話してる)
それを国民に隠しながら、大義名分をでっち上げて実行し続けるって
ある意味ものすごいストレスだよな

そんな秘密宿題の提出を夏の終わりに迫られながら
(自分でそう宣言してしまった)
人々の声を聞く余裕なんて彼らには全くない
試験中の学生や締切前のワーカーのハイみたいなもん
息抜きはゴルフや会食に消えちまう

なんとしても、どんな手を使ってでも、上からのノルマを果たそうとするから
自分が下と思っている多くの人々を抑圧することで鬱憤をはらす
ある意味、ハラスメントの被害者であり加害者だ

彼らどうして人々に、この事を相談できないのだろう?
どうして圧力がかかって困ってるって、正直に言えないんだろう
日本人の大多数、そんな馬鹿でも分からず屋でもない
ある意味、そういう辛さ、すごくよくわかってる民族だが

勿論、「B層」教育しなければの話だけど
変なプライド植え付けつつ、馬鹿にし合う
こんな歪んだことは、もうやめようよな
これからの日本の手本にはならない

…以上、昨日の夕方ほんの数秒考えたことの文字化
後から考えれば、随分お人好しかもしれないけどな

——

もう一つの考察

一群の人々は、2012夏のアーミテージレポートの内容に狂喜した。
難題にも思えたが、これを利用して敗戦以来の念願を果たす方法があると
考えついたからだ。

2013以降やっているすべての政策について
Aレポート通りにやっている限り大丈夫と
ボスのお墨付きをもらっている。
さらに、それは他国が考えた事であるので
自らに責任はない。

つまり彼らは、安保法案にせよ原発再稼働にせよ
米の提案に沿っているだけなので、
どんなに(本当の意味での)国益に沿わないとしても
自らに責任はない、と開き直っている。
それ故、どんなに論理的に破綻した答弁を繰り返しても
全く気にしない。最初から全てがカモフラージュだから。

究極の無責任国家。
後は、日程の辻褄合わせとガス抜きの段取りをするだけ。

はい、できましたとボスに報告する一方で
自らの念願も忍び込ませるよう、着々と計画してる

…以上、昼前に数十秒考えたこと

ひろしまのさんぽ1

修学旅行以来の 平和記念公園
引率された子供のころとは 違うのかな

平和大橋 にさしかかったあたりから
既視感 いつかの京都? 鴨川と似てなくもないような

広がる穏やかな景色に 心が吹かれ
視界を右にパン 原爆ドームが佇んでいる

橋を渡り終え 記念公園の入り口を斜めに歩いて行く
タクシーが群れる正面を入る気になれない
斜めに歩く
それだけでじわじわと来てしまう

この空気ってなんだろう

好天 気持ちのよい風 優しい木々 あまり見た事のない葉や幹のかたりくち

あまりに残酷な記録と同居する 緑と白のモニュメント

およそ60年間 じっと語り続けてたんだね

ヨーロッパからだろうか 多くの人々

二人組に声かけられ 話し込む

日本語でもいいですよ と言われるが
日本語でも難しい内容だからと 拙い英語

まとまらないことでも 話すことによって整理されてくることがある

驚くほど冷静に 物事を見ている人々がいる
そりゃそうだ 今じゃこの世に72億人も人がいる
それぞれが 視点をもっている

同時に
それだけ人が多いから その人々を誘導しあっている
誘導がいいことだとも思われているから 広告があり メディアがある
ビッグデータさえ

また

ながれていくメディアがある一方で ながれずとも消えずに
しっかりと留まっている活字もある
鶴たちの そばで

あまりの内容に 知っていたような気はしながらも 圧倒される

涙がとまらない

仕事場に戻っても ふとした折に涙がとまらない

きたぐにへのみちのり

northmid
気分は999

town
気分は…誰だ、リキか?

drove
この色の建物が見えると無条件に反射

mqm
これまでの人生で唯一ギターを持って人前で唄ったのがこの曲のカバーだったのだが…

basho
金沢近くのSA 空気がきれい
「おくのほそ道」北陸編、っていうわけです

ステージは観た人たちが楽しんでくれることが全てなのですが
素晴らしいメンバー、スタッフ、そして天才アーティストと一緒に過ごせて
幸せとしか言いようがありません。

シングル・マン

連休。

連休ってなんだ?っていう人生だけれども、それでもこの季節は色々思う。

シングル・マンのドキュメンタリーを観る。

「甲州街道はもう秋なのさ」のリンコさん、やっぱすげぇなあ。

多賀さんのお顔も、久しぶりに拝見。

昔、キティの伊豆スタジオに呼び出されてはじめて多賀さんにお会いした時に、
このアルバムのプロデュースについて
「清志郎とは喧嘩ばかりしてた、でもオレにはオレのやりたいことがあったから」と
サバけた口調で言ってはった記憶に比べると、
この番組収録では「なんだかわからないなぁ」みたいに濁してた風で
でも多分表情からすると、スタンスは変わらないんだろうな…

僕はTower Of Powerってあまり浸かってなくて、
でも「ファンからの贈り物」でのあのサウンドは大好きで、
あのビートにあの歌だったからこそあれだけビシビシ来るのだと思うから
やっぱ、たとえキヨシローさんの想定していたものとは違っても、
多賀さん&星勝さんがもたらしたマジックがそこにはあったのだと思う。

でも「甲州街道」で星勝さんのすごいストリングスアレンジや、西さんの冴えまくったドラムフィルが
ことごとくミュートされていったトラックダウンを聴くと、
やっぱそれはなるべくしてなったことだったんだよな、と。

そこに「無い」からこそ、聴き手側で想像できる世界、そんな領域。

つづく。

72億 x 10の夢

GW明けの5/11より、Eテレの早起き番組「シャキーン」の中で
「72億人分のあの人」という曲が放映されます。

2verあって日替わりオンエア、そのうち片方、岩見十夢 バージョンでダブルベース弾いてます。
とても面白いので、早起きさんは観てみてください。

もう片方の 中村佳穂 バージョンも、どえらい音楽になってて、超おすすめ。

この曲はお二人の共作なのですね。
レコーディング記事は これ でした。洵平どん、村井さんはじめ、皆さんに感謝。

スタジオについた頃には佳穂ちゃん ver. はもう完成していて、
十夢くん ver. のリズム録りはせ〜のの2テイク目ぐらいでオッケーだったか

その後唄録りがあって、十夢くんがトランペットを重ねていくと
曲がふわーっと広がって素敵でした。

大好きな Sly & The Family Stone の Runnin’ Away を思い出したな … 曲調は全く異なるけど

—–以下公式いんふぉ—–

「72億人分のあの人」
作詞:岩見十夢 作曲:中村佳穂

「うた:中村佳穂」Ver.
Vo/piano:中村佳穂
Dr/Perc:神谷洵平

「うた:岩見十夢」Ver.
Vo/AG/Tp:岩見十夢
WB:Ray (stillbeat)
Dr/Perc:神谷洵平

Rec& Mix Engineer:原 真人

PV演出:本田浩(Directions)
振付:ホナガヨウコ
写真:石田亮介
髙田美奈子
宮谷悠介
タイトルデザイン:内田ゆか
衣装:植松創地
撮影:岩川浩也
照明:山崎友久
出演:山本凪音
伊草心南ほか

5月11日(月)からEテレ「シャキーン!
あさ7時~にてオンエア開始。

とのこと。

* アクセスがとても多いので、加筆しました。

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