りょりつ

「考える人」ひさしぶりに買って読む

なんだかサイズが小さくなっている

河合隼雄の物語賞、というのがあって

受賞作の「悪声」の著者、いしいしんじ さんの書いてる(言ってる)こと、とても腑におちた。

まだ作品は読んでいないけれども。

Punch Brothers を聴きながら。備忘録。

しゃくねつ

どうもこの夏はワルい 灼熱がぼくを別のところに連れてってしまう

いや 毎年のごとくバテてるだけだ

夏は苦手だ 自分が稼働してる時間が極端に少ない気がする

色々なことに気づかないうちに秋になっているんだろうな

 

by the river again

久しぶりに骨董通りを歩いて
なんとなくブルーノートの前に来ると
山中千尋の公演だった。

そういえば先日、Sapporo City Jazzで出てたなぁ。

チヒロさんを観るのは随分久しぶりで
しかもヨシワキさんがベースだったので
これはいいタイミング、というわけだ。

当日券を買ったがほぼ満席近くで
カウンターの補助椅子に座れたのがラッキーだった。

チヒロさんもワキさんも昔からずば抜けてて、
音楽性も人間性もいろいろな国の人に愛されていたので
音楽家として世界的に活躍するのは当然のことと思ってる。
しかし、ジャズのアイコンのように、マイペースにキャリアを重ねるチヒロさんは
精神面でも相当タフなのだろう。

まぁそんなことはさておき、

インタープレイで作曲しているようなワキさんのソロや落ち着いて美しいライン
メジャー感を求められ、それに応えている(のだろう)わかりやすい選曲の中で
突如扉を開けて、全員をどこかに連れて行ってくれるチヒロさんのプレイ

そしてコンビネーション
さすがにつきる。

今後とも、永く、ご活躍を。

kaho nakamura at ko-en-dori

この後彼女はフジロックですごいことになったのだろうと思うが…

ふりかえる。

中村佳穂ちゃんと出会ったのは「シャキーン」の収録、神谷くんに誘われて
岩見十夢くんの手がけた詞を、十夢くんと佳穂ちゃんの二人のバージョンで録音する、という試みのときだった。

よく事情がわからずにスタジオに行った時にはもう佳穂ちゃんのテイクは終わっていて、
そちらにはぼくは参加していないので(神谷くんとのデュオだ)
のんびり十夢くんバージョンの準備をしつつ、出来立てのラフミックスをエンジニアの原さんがプレイバックしていたので聴くともなしに聴いていたのだ。

…なんと…いい世界(ホシ)の音楽なのだろう。

唖然とした、とか、はっとした、というのも正しいのだが、
彼女の多重コーラスの自在さ、ピアノのオーソドックスさと遊び心、
島の人? みたいな歌い回しの奔放さ、
気持ちいいだけじゃなくて野性味あふれるその声、
…まぁ形容詞は何が来ても虚しいね、

とにかくこの人は只者ではない。というかなんでこんな娘が大学生なん?

そして、こちらもめちゃんこレイドバックして空が広い、
十夢くんバージョンの傑作を録り終え、
佳穂ちゃんからいただいたサンプルCD「口うつしロマンス」を、
その春から割とヘビロテで聴いていたのだ。
「うつしマンス」って何? と思いながら。

その後、中野の店でライヴをみてぶったまげ、
高野さんとコラボしてる精華大のイベントも機会見つけて観に行って
いつの間にかKAIさんも衣装チームに加わったりしていて
そんなんでご活躍っぷりを遠くで眺めながら、いい刺激になっていたというか。

今年リリースされた「リピー塔がたつ」は、完全に最近のリピート盤で
ピアノも歌ももちろんだが、シンセ類も含めて音がめっちゃくちゃいい。

で、今回のライヴなのだが、なぜかひょんなことから、
東京でのアルバムリリースワンマンにゲストベースでぼくを呼んでくれた次第。
いやぁ冒険するなぁ。

訪京の際に、なつかしいVOXホールの脇のスタジオで2時間ほどうち合わせて
それから一月経って、忘れたころに渋谷の会場で会った、という段取り。
忘れてませんよ。

僕は彼女の音楽に必ずしもベースが必要とは思ってなかったけど
…ピアノの低音だけで十分じゃ…

そんな固定概念(?)を余裕で壊すぐらい、キャンバスの広い人でした。

シンプルなループと自然発生的な歌のパワー、
何か2000年代はじめに浸かっていた感覚にタイムトリップしたよう。

初心というか、これでもダテに大人になってねぇなーとか、
でも、やっぱ初心なんだよな。
お客さんも様々な年齢層、みんなたぶん…

グレートな時間でした。
多分、二度と味わえないシチュエーションでしょう。

佳穂ちゃん、これからますます多忙になるだろうけど、
また機会あったら、ご一緒しようね。

音楽をとことん楽しんで、770億人分のあの人と一緒に!

kahonakamura717intro

何かがはじまったの図 出番待ちの舞台袖から

サルビルサと並行宇宙

こちらから思えば信じられないようなことを考え
実行する人々が

反対からみれば全く同じことを考え
実行している

冷戦もそうだったと思うけど

9.11以降の世界や

3.11以降の日本や

潜在的アジアや

今の国内もまさにそうなんじゃないかな

色々な物語がそれを表していると思うけど

一番端的にはやっぱりこれだろうか

スズキコージ作『サルビルサ』

想像の世界では並行宇宙の物語は何層でも成り立つけど
ほんとの宇宙はどうなんだろう

正義ってそんなに都合よく、チケットで買えるものかな

創造と破壊と破滅と生存

前掲の続き。

アートは破壊と対局にある力なのか
創造と破壊は実は一対なのではないか
という事を。

ここはトリッキーなところで
破壊と創造はよくセットにして語られますし
企業、政治、そして他ならぬ芸術など
いろいろな場面で用いられます。
国際間においては、言うまでもなく
戦争の正当化に使われてきたわけで。

ぼくは、この破壊と創造のペアというのは
人を惹きつける半ば永遠のテーマだと思いつつ
これまでに起きたことを考えると
創造のための破壊ならなんでもOKということでは
ないんだなと捉えています。

破壊ではない創造としてのアート
というのはそういった意味で大きな理想であり
決して容易ではない課題です

ぼくはそういう 争いを飛び越えたヒント
みたいなものが好きなのですが

アートもたいがい、何らかの破壊を伴います。

方法論 ものの見方 共同作業
作品の否定 肯定

もしかしたら、一番たやすく、気楽に
破壊だの創造だのと言ってられるのは
芸術の分野だけなのかもしれません。

また なんの破壊もせずに生きている
ように見える人は
実はより危険なものを抱えているかもしれません。

ですが
何を破壊するとどうなっていくのか
どこから修復不可能な破滅になるのか
そういったことは
分野に関わらず みなが学び 考え 感じ取らないと
あるいはわかる人が支えていかないと
これから先
ぼくらが生き残っていくことは
難しいでしょう。

アートはその想像力の喚起力と
到達速度において
現実をはるかにこえるユートピアも
ディストピアも見せてくれます。

それは利害を全く飛び越えた
大きなヒントにもなりえるし

そこに利害関係が結びつくと
プロパガンダにもなりえます。

これまでも ずっとそうだったわけで。

また

今はこれだけデジタルが発展していて
想像力と並走し続けるヴァーチャルなテクが
猛威をふるっているわけですが

これらがぼくらを助けるのか破滅させるのか
これからますます
見極めていかんといけません。

ねんで。

アートの力

「人間は何かを創造的に生み出すか破壊するかその二つの力しか持っていない」
「暴力の力に対抗するのは暴力ではなくて 〜 一人一人がアートを生み出しながら創造的に生きることなんだよ」
by 安冨歩教授、20160707、品川。

すばらしい。
これを、僕なりに解釈します。

アートにはなんでそんな力があるのでしょうか。

「アート」と呼ばれる行為、思索は、
僕らが存在の意味に立ち返る為に、触覚を伸ばすこと。
手で、心で、耳で、脳で。

触覚を伸ばした先、その「ゾーン」にあるのは、
とても澄んで、冴えて、楽しいもの、面白いもの。
それを、音楽家も、画家も、文筆家も、デザイナーも、
そしてアートが好きな人も、いつも求めてる。
罪悪感や義務感、閉塞感からではない、個人が何かに繋がった時に生まれる何か。

さて、意識的か無意識的かわからないが
人間の作った言葉には力強い意味が含まれてる。
漢字、英語、日本語、それぞれ。

僕らが生まれ、育ち、死んでゆくこの世界のほぼ全て、それは地球の表面。
では地球の中心には何があるか。
eARTh
ほらね。アート。

アートを行う人は僕らが絶対に忘れるべきではない
(或いは、逃れることの決してできない)
大切なものと交信している。

実用的、非実用的を超えて飛び込んでくる何か、
伝わる何かがあるからこそ、アートは伝播し、存続し続けている。

もしアートを自分の中に持っている人がいたら
その人は小さな地球

いやむしろ
地球の表面に生きる74億の人間は
地表を周るちいさな74億の星たち
だと思う
本来は

そう一人一人を星だと思えば
一人の命は地球より重いと言った誰かの言葉も形をもってくる。

星は引力でひかれ合い また
互いに距離を保つ必要もある。

ぼくはこんな風に考え出して以来、
生きるのがだいぶ楽になっています。

tabi

髪を切る。

去年の今頃以来、ずいぶん伸ばしていたので
軽くなって気分がいい。
ついでに視界も広くなった。
一年間、ずっと左目を半ば閉じてたようなものだからな。

再び旅に出る。
車窓、音出し、のみくい、街眺め。

仲間と一緒に過ごした時は次の音楽になっていく。

合間、ふと海岸に行ったり、ありきたりすぎて地元の人でも行かない場所を巡ったり、
人が教えてくれた場所にすぐ行ってみたりする。

人がぽろっと教えてくれた情報には力があるもので
どうしてその人がそこを教えてくれるに至ったのか、たぶんそこにはプラスαがあるので、行ってみるべきなのだ。

- とはいえ、行かずして悔やんだ故の実感の方が優る -

全然違う土地から話の続きがつながったりする。

神戸の海岸で見かけて妙に気になった家族の銅像
とその横にあった、移民船の解説

福岡でふと時間をつぶしていたコーヒー屋で
8年前のcoyoteがあったのでなんとなく読んでいると
その移民船「笠戸丸」がサントス港に到着したあとの話が書いてあった。

…やっぱりな。
1908年「希望の船出」で日本を旅立った、781人の人たちは
新天地ブラジルで、打ちのめされることになる。
充てがわれた痩せた土地では何も育たない。

10年近くにおよぶ土地改良の努力から、やがてコーヒーが実り、
幾人かはコーヒー農園主として「成功」するに至る。
その過程で得たもの、失ったもの…

要するにコーヒー屋にあった雑誌なのでコーヒー特集であり
コーヒー農園以外に携わった移民の人たちがどうなったかは

わからない。

が、なんとなくわかること。

「希望の船出」なんて、そんなにはない。
あとで美化するしかないんだな。
ないからこそ、モニュメントにする。
もぬけのから。
だから、殻をつくる。からだ。
どこかに楽園があるのかな

ぁ。

たぶんない。

だけど、
たとえゼロから始まっても、つづきができたとしても、
世界はどこも同じくらい

きっと。

positive.

fifteen

15本の10(TEN)ツアーもこれが最後。
こんなグレートなアーティスト、メンバーと一緒に音を出せることを改めて感謝する。

今日はベース転がして歩かなくていいんだけど、
原宿からか渋谷からか。重要な選択だ、と
迷っているともうホールの前に着いていた。

(それにしても渋谷駅は何のために改造してるのかなぁ)

NHKホールは1973生まれ。ぼくのRic 4001と同じだ。
気が合ってよく鳴ってくれればいいな。

今回は通常の曲と違うリハーサルをする。
何度かご覧になった人は気づきましたか?
セッション曲の展開が変わったわけです。
ジャムバンドですねぇ。

このセット、照明、衣装も今日で最後か…
ほんとに、すべてが楽しかった。
実感は数日後に出てくるのだろう。

廊下には、こんな写真集が貼られていた。
スタッフさんたちも、どれだけ楽しんで力を貸してくださったか
よくわかるのです。さまざまなparodyに注目。

tenmemoryboardall

右中上は、
仙台で急遽追加になった
アコースティックトリオコーナー「悲しくてやりきれない」の
ハーモニーを練習してるぼくとそれに付き合うトリオどんに、
もう覚えちゃったから車サイトに夢中の亮ちゃんとわっち。

みんな、もともとの音楽素養とフットワークの軽さがあるから
ついてくのがちぃっとコトだ。が、なんとかこなしてる。

右下は唯一違うテイスト? で臨んだ広島公演前の悪フザケ
その隣は福岡打ち上げで焼酎呑みすぎて寝てるやつ

しかし、最後まで、ツアー衣装での全員写真はなかったな。
どこかで撮ってもらった気もするけれど、このまま封印なのでしょうか?

これはマニピュ&スーパースタッフのコバちゃんに撮ってもらいました。
(広島にて…あの日の本番はこれの別バージョン)

ten-playing

ぼくは前半衣装の青いショールカラーがすごく好きで
エレキのときは隠したくないから、RicもLakも細いストラップに変えてました。
ストラップは太い方が、重さが分散されて肩が疲れないっていうのだけど
どうだろう。気分って大事だし

それに今回、ずっと持ち替えてたから、肩が凝る暇もなかった。
一瞬一瞬、すべて生まれたてだったし。

このメンバーは力の抜き方のバランスがよいのか
やっててもすごく楽だし、観てても楽しいと思う。
それは最初から判っていて、あとは毎回のステージでどうなっていったか。
客席で観てみたかった。

人をくったようで冷静な長岡くんと
求道者かつ破壊者の伊澤くん
いじられまくっても一番楽しんでる神谷くん
おちゃめなマエストロのトリオくん
0は形容不能だろ

一番成長させてもらったのは、このおいらです。

次は札幌、海外、代々木、そしてその前に。
まだまだ、よろしくねん。

“Live Music Is Better” bumper sticker should be issued!
by Neil Young

fourteen

名古屋駅から、今日の会場へ。中京副都心。
電車で行ってもよいのだろうが、車に揺られて着いた場所は金山駅の間近だった。
この駅、名鉄とJRのクロス具合が面白い。

会場の名前は難しく、自分の認識力が追いつかない。
たぶんもともとは「名古屋市民会館」だったのだろう。
ぼくは、そういう建物のネーミングライツという慣わしに、どうにも馴染めない。

公共物の経済的救済と企業の認知度向上、とやら。
そろそろ別の方法があるのかも。

…逆に岡山の「美作」市領域外で「みまさか」を名乗る因美線の三つの駅からは、市名の使用料取ったらどうなんだろう、と思ったりしたけれど。
無人駅路線から取るってのも、あんまりな話だよな…

だけどこの会場、とてもよかった。
まず、楽屋が昔の旅館風でいかす。畳が寝心地よい。押入れとか不思議な死角がいい。
これから日本の各地で作られるだろう、新しいホールも
和室を重視した方がよいのではないでしょうか。

フルオケや芝居用なのか、客席の奥行きと同じくらい舞台の奥行きがあって
自分らのセットはその前半分ぐらいしか使ってない。
だから、舞台裏から舞台袖まで、だいぶ歩いた気がする。

音響的によいのかPAさんの腕か、ホールの音もとてもよかった気がしていて、
落ち着いてて、また今までと違ったトリオズの良さが出たんじゃないかなと思います。

名古屋の人のリアクションも、いい感じ。

んでもって、この日の打ち上げ、かなりいい話だった。
ohashiTrios はここから、どうなるのだろうか。

もうツアーも最終段、だがや。

nagoyatenmusu

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