moon

moon / stillbeat
moon x moon #24
2020.12.15 – new moon
release online

2020年、stillbeat としての最後の作品。
配信日の設定でややあって、数時間〜1日遅れたもののリリースできました。

歌詞 はこちら。


月っていいなぁ、と、小さい頃から
…というか むしろ大人になってから、いつも眺めていたのですが

コロコロかわる姿や位置がよくわからず、いままでなんとなく
あー満月だな、半月だな、ぐらいに思っていました。

こういうのを小学校でちゃんと習ってれば良かったのですが、
僕は今年になるまで
「月の満ち欠けは、月の出と月の入りの時間と結びついてる、ただそれだけ」
というのを理解してませんでした。

だから、三日月は必ずすぐ沈む、下弦の月を見ることはあまりない、
新月は夜にはそもそも浮かんで無い、

ということも知らなかった。太陽と地球と月との位置関係、とか、要素が多そうで難しいな、で留めていた僕がアホだった。

(これを理解したのは、高性能な iPhone App、”Moon Pro” のおかげである。紙の教科書に絶対できない方法で教えてくれたこの先端技術には、とても感謝している)

それで、満月はちょうど日の入りから登場して朝までずっと空にいるので、そりゃ毎回いい舞台が用意されてるけど、新月は、日蝕以外はホントひどい扱いされて、しかも夜には既に沈んでいる、黒い月や透明な月なんでどこにもない… とさえわかってあげれなくて、そりゃもう。

すまんかった… every new moon。

ともあれ、今年最後の新月は、太陽と並んでこの寒い空を旅し、
もう沈んでしまって夜空にはいない。
あるいは、地平線近く、太陽が沈んだ直後に一瞬細いツキが見えたのかもしれぬ。

しかし、月のいない夜空は、あるいは、思い通りなのかもしれない。
星たちの? 動物の? あるいは人間どもの? 報道官の?

それがいいことなのか悪いことなのかもわからないけれども。

少しだけあたらしいものの見方を知ったからには
ふるきよき昔も はかり知れなさに気を失う今も 感じ取りながら
これからもステップしていこうと思う。


誰にも止められないのだ。
ステップは。きみの。


上に不覚にも書いてしまったものの

今回の詞では「きみ」を使いませんでした。

元々、僕は小さな頃から日本人の癖というか
一人称、二人称をはっきりつけるのが苦手で
「私」とか「君」とか「あなた」とか
なんだか吹き替えみたいで抵抗があったのですが

何故かある頃から感覚がひっくり返り、それからは免疫がついたのか

歌詞には「きみ」ばっかり使う、むしろ強調するようになりました。

提供曲もそうで、”quiet storm” に至ってはモロに
「きみーーーーーーーーーの中に」で始まってます。

最近は、逆に使わない方法を再探求したいと思っていて、
この曲も「つめきり」もそういう流れです。

諸行無常感は、出てる気がします。自然や業(カルマ)にはかなわない、というか。


サウンド面。今回は打楽器なし。

ギター、それもサイレントギターというアコギのモデリング・骨組みギターをメインにして重ねて作りました。
ベースは、このシリーズで一度も使ってなかった、僕のメインベース、バーガンディグローのリッケン4001です。
好きなものは最後にとっておく性格なので。

この他、イントロと合いの手でガットギターを入れていますが、
もう一つ、書くのもはばかるパートがあります。

ファンノイズ。

70年代的な音を作るには、当時のアナログ機器が出すノイズが重要な要素だったりもして
実際、当時可能な限り排除しようとしたノイズが、デジタルな世には逆に尊ばれたりもする。

また、「湖の浅さを知られたくなければ濁らせよ」ではないが、ノイズが「のり」のような役割で
パートになぞを与えつつ、なじませてくれたりもする。

そんなんで、DAW のプラグインエフェクトには、マスターテープの「シー」や
ヴァイナルの「プチプチ」を敢えて再現するパラメーターがついているのだが、
そもそもそんなん使わなくても宅録をしてるとノイズ源など山ほどある。

パソコンのファンノイズ。

僕が日々、一番悩まされているものだ。MacBook の場合、いくら代を重ねてもこれが改善することはない。

ところが今回は、サイレントギターがクリーンなので、逆に寂しくなってしまった。

プラグインを使おうかなと思い、ふと思い返した。そんなことせんでも…

MacBook Pro のファンが全開で回っているのをマイクの背面で録り、ループさせ、フェーダーを下げて混ぜた。

これが、結構いい仕事をしている。

デジタル時代に一番アナログな、機器ノイズだから、
付き合い方を見つけた、見つけちまったぞ、というわけだ。


 

noom

今回のジャケットはマジでどうしたらいいのかわからないな

と思っていたのだが、翌日に一瞬でできた。

一晩寝てグダグダイメトレしたらイメージが湧いて
パッと何かを撮ろうとして、それはパッとしなかったのだけど

次に撮ったものがはまって、すぐに形になった、という次第。
「スクェアなワルツ」という内容描写まで表せている、と思う。

(カチッとした square じゃなくて、ちょっと歪な四角の集まりです)


これで安心したものの、音はできていない。

聴き返すと、これのどこがやねん、程度のできであり、
なんぼなんでも、というところであと3日を切った。
そのうち、音を出せる時間はごく限られている。

この曲は、あるときのラフスケッチを並べたトラックを基に
作っているのだが

構成を編集しようとしても何かピンとこず、むしろ、雑多なこのままいこうと
ラフの構成とプレイのまま言葉をはめている。

評価のしようがないが、おもしろいものになると思う。年も終わりにして。

moon – 2020.12.15


12.13 追記

だいぶできました。サイレントギターのライン直で沢山重ねたけど
わずかにガットギターを足すと全然変わる。

リーディングとメロディと、両面の曲です。


12.14 追記

完成。なかなかない曲に。

あとは配信を待つばかり、とはいえ
納品時に大きなミスをしてしまった。

発売は明日なのに、「今日」に設定してしまう。
これが通ってしまうのが不思議なのですが。

うーん、今日はもうすぐ過去になるし、明日になっても過去であるし、
そうなったら永遠に過去である。

そしてどう見ても、今現在はリリースされていない。

タイムトンネルに埋もれて、幻の曲にならないことを、願うばかりです。

経過はこちらから

歌詞は12.15の午前零時に ここ から公開します。音はどうかな。

目論見を蹴跳ばして

今年最後の下弦、次回配信予告

またしても十五夜なのに新月の12月15日は、三拍子の曲を出します。

まだこしらえてる途中で、題は決まっていません。

僕は三拍子が好きですが、拍の取り方はいろいろあるので
これは Waltz for July とも Neptune とも違う
もうちょっとスクェアなワルツです。矛盾してますが。

英語で書こうと思ぅてた詞が
日本語に置き換わってくる快感

と嘯くものの
もともと仮で英語で一節を書いてて
それを全部、意味に捉われず日本語にするか
やっぱ足りなくなったので英語も使うか
考え中なのです。

ぜんぶ日本語にします。

今日は月の出が「ない」一日のようです。
なんでかといえば、すでに昨日の真夜中間際にひそりと昇り
今日の昼に沈み
次はこの真夜中のすぐ後に顔を出すそうな

下弦の月ももう過ぎてるのだそうな
まいったね

はやぶさ山を超え

頭を使いすぎてパンクしそうになり、
たまらずに車ででかける。

今は冬なのか秋なのか。海か山に行きたい。
紅葉が観たいがあまり見れる気はしない。

海と山に行く。

金延幸子の『み空』はこのブログでも何度か書いているように
愛聴盤であるが、全曲に精通しているわけではない。

ハミングキッチンのイシイモモコちゃんに教えてもらったのが最初で、
彼女らと、ドラムの林立夫さんご本人と一緒に「あなたから遠くへ」をやったこともある。
懐かしい湘南の日だ。

絶妙なバンドアンサンブルとフォークギターのみのオーケストレーションの対比する
僕がそう記す必要もない、名盤中の名盤だ。

だけど僕が全貌を理解するには、たぶん一生の三乗はかかるだろう。

最近車では iPhone – Bluetooth ばかり使っているが
Apple CarPlay なんてのがほんとに、ホントに、本当に、鬱陶しいし、
何度も「今後は(二度と)使用しない」を選択しているのにランダムに復活する。

カーナビを頼りに初めての山道を走っている最中に、突然立ち上がって画面を占領したりと、
マジで命に関わるぐらい怖いので、ああいうアプリはやめて欲しい。

思い上がったグローバルテクノロジーに殺される人、いっぱい出てくる、って肌で感じる瞬間。
こんなくだらない理由で終わりたくはない。

そんなわけで、時々 iPhone を絶って、CD を聴いたりする。

もう家で CD を聴くことはないし、ましてアナログを聴く環境は僕にはないけど
へんなところで CD。Toto Bona Lokua, Alexandre Andrés, Ojo De Agua。

金延さんに入れ替えて、気がつけばアルバム三周。

あまりにも すばやく
はやぶさは
山を超え やって来たから

…どうしてこんなにとびこんでくるのだろう

羽をのばしたわ
青ざめ空
あざける雲を後にして

このアルバムではさまざまな「青」が謳われている、けれど
あおざめぞら、は、すごすぎるよ。

昨夜見た、筋金入りの音楽ライターの方の Roundabout / Yes の評を思いながら
この曲も8分あるんだな、そして、編成はフォークギターと唄だけなのに、
完全にプログレだな、と思う。

 

12月はじまるのだよ

何も考えずに楽器を弾く。

しばらく経って、8月から中断していた、シリーズ最後の曲を思い返す。
身体で。最高にいい曲だ。

シリーズ最後から2番目の曲はどうするか未だに皆目わからないが
たぶん出てくるだろう。

漏れ聴こえてくる音では、周囲の人も相当頑張って練習している。
管楽器や弦楽器。

防音スタジオは持てないけれど、こういうのもいいな、学生に戻ったみたいで。

音を録ることに振り回されず、消えていく音と、操り損なった身体と戯れる。
釣りみたいなもんかも、しれないな。

11月おわるのだよ

そろそろ今年も振り返らねばならない。

一月早いか? 今やるか?
そんなのはカラスの勝手だが、そう言ってくれた人もこの世にはいないのだ。

来年はどうなるのだろう。

加部正義さんも … 最初にやったバンドで Wasted をカバーして以来のファンでした
近藤等則さんも … 一度だけ月観ルで対バンできたのが宝です
Toots Hibbert も ... あやまるロックをいつかお聴かせしたい
Gary Peacock も … my man
Eddie Van Halan も … 夏にはなぜか無性に聴いてました、高速で

いないのだ。この秋だけで。
来年は、誰とお別れをせねばならんのだろう。ご冗談を

相変わらずヘビーな書き出しだが、この世の中(2011.3.11以降*)僕は
基本的には、いつどうなっても覚悟、と思って生きている。

* 311以降、特に2012.12以降の流れに、といった方が正確だ。
真剣に生きる糧になってもいる。

防潮堤なんて、いくら作っても、津波は防げない。
「万里の長城」と評された田老が乗り超えられた瞬間からそれはわかり切っているのに、
アリバイと仕事を回すために、海岸はいじられ続ける。
ここでも、全国でも。

放射性廃棄物も軍鉱も似たようなこと。
あれほど愚かだとわかり切っているのに、運営する力を持つものはあらゆる手を使ってそれを覆す。彼らにとっては、愚かではない、或いは、愚かなれど仕方ない、或いは当然の選択だ、とされているのだ。
ならば僕はあらゆる心を以て、何度も記すしかない。「それは間違っている」。

思い残すこといっぱい、あるのだが、音楽に対する思い残しは、ないようにしたい。
つまりは毎日が、しゅうかつなのだ。

しゅうかつ、誤変換を誘ふ、それも間違いではない、なかなかいい言葉。
磨崖の支配者にも薦めるよ。

今年、moon x なんとかなんていうのをやったのも、一つにはそれに違いないし
そうやらないと、自分は果てしなくサボり続け、楽器も練習しない DAW も触らない
平気で半年ベースを抱えなかったこともあるのだ。この阿呆は。

だが、今年は多くの曲を形にできた。これまで22曲 – 再リリ除く。
20年以上前のスケッチから、その2日前に生まれた曲まで。
やれば、一人でもこのくらいはできるんだな、という、確認はできた。
このくらいしかできないんだが… それはもう、楽しかったぜ。

とはいえ流石に、二週間に一曲という制作ペース、尋常ではなかった。
作曲・作詞・演奏・アレンジ・録音・ミックス・マスター・ジャケット。
リリースの頃にはへとへとになり、宣伝する気力も残らなかったが
この年でなければあり得なかっただろう。変な先見の明を持ったものだ。

来年は half moon と称して、半月に合わせてリリースしようと思う…
それって月2回やんけ、あかんあかん、
上弦の月限定か、三日月限定にしよか。crescent って。
湖上の三日月… 誰なんだろうな。

名義は結局、どうするかわからない。今年は半々にしたものの結局どっちも(…)
一生名無でいいとも思う、ゼロのひかりである

来年は自分だけではなく、人と仕事を回していけるだろうか?
それには元手が要るのだが、何か見出せるだろうか?

今年は色々な計画があった。特に、小さな箱での演し物という意味で。
どう考えても最高…だが、それは花のように姿を消してしまった。
測ったようにコロナ禍になったので、それは、そういうことだったのだろうとも思う。

自撮りでの配信ライヴも考えたが、ちっと敷居が高かった。
これは来年以降のお楽しみにしよう。

身体能力も眼力も大概衰え、人前に出たくなくなったので、それと全く矛盾する配信ライヴなど、やっぱりできないとも思う。
だが、逆を言えば幾らでも直す余地はある。
近藤等則さん、ずっと凄い眼光だったなぁ。ああはなれないけど、かっこいいなぁ。

同輩のように、いい感じで枯れればいい、と思っているが
悔しいことに、僕は声がいつまで経っても子供っぽい。
あるいはじいさんだ。いい感じの「大人」がない。
常人としての人生を生きてる気がせず、時折ほとほといやになるが、これも課題だ。
課題があるうちは、幸せなのだよ。

自己肯定、自己否定、どちらも僕らは通っているわけで、どちらが上というわけではない。
プラスとマイナスが作用し、共に体現することで、はじめて波は生まれ、音にもなる。

そしてそれらは必ずゼロを通る。ビートは止まってこそ動くのだ。

tone

tone / stillbeat
11.30 release

満月は月曜の18:30のようです。日没後、東の空低くに大きな姿が見えることでしょう。
夜には天頂近くに昇るので、首が痛くならぬよう気をつけなされ…


<追記 11.30>

先日書いた、たこあげビート…の意味はおわかりですかな?
(わかるわけないでしょうけれども)

今回は、ドラムキットをスティックで叩くかわりに
ハイハット、スネア、キックを指で軽く触ってリズムトラックをつくりました。

全部ベースと同じように弾いた、みたいな感覚。

ときどきカチッと入っている音は、壁時計です。
アコースティックなのでマイクのゲインを上げていて、
時計自体も賑やかなのでトラックに漏れて入っているのですが、
面白いタイミングで鳴ったりするので、敢えて残しています。

猫が鳴くみたいなもので、時計が鳴るのは止められませんね。


<追記 12.4>

これは、前も書いたように昔作った曲です。
当時のグループでもあまりやることはなかった(影の曲)ですが
年が経って、あれ、いい曲だったかもな、と思い返し、
(当時、いいと言ってくれた数人の人の言葉も思い返し)

去年ごろから再びやろうと計画してました。
といっても、去年の11月ライヴではやらず、今年は言わずもがなで
また1年放置したのですが。

どうしてこんな詞を書いたかはあまり覚えておらず、
書き出しは夜の交差点、綺麗な信号と黒い夜空を見ながら、だったけど
一番の時点では空に何も見えなかった。

月が出てくるのは展開部分なので、たぶんAメロを書いて日数が経ってから
曲の形になったのだと思う。
あの頃は仕事が終わった後、夜遅く断片的にメモを続けてたのかな。

当時は誰か、男性アーティストに提供しようか、と思っていた気がする。Hさんとか。

結局じたばたと、コンポーザーの道も歩まず、
インディーバンドマンとベースプレーヤーでやってきたけど
いろんなグループを一巡りして、状況に左右されずやっていくには
自分で作品作っていくのは、合ってる気がする。

長い長い目で見ると、
たぶんそうだろうと思う。

凧の糸

メーヴェで空を飛んだことはなく

ギガントの翼上を走ったこともなく

仮面の忍者白影の如く凧で昇ったこともない

だが音楽をやるということは地面以外のところにも棲むということだ

水かきを持ち泳いで魚を漁るスナドリネコってのもいるようだし

空のことをうたにするなら演奏やミックスだって似たようなもんだろうな、とふと思う金曜。

新(リメイク)曲は「凧あげのようなビート」
なんとか DJ じゃないが、凧のアゲにかかせない、それはタコ糸。

手元を操るとはるか頭上で、タコが反応する
風が予想外の曲線を描き 糸がたわむ

しばらくして、タコが来てくれる

それって音楽、パートの相互関係と似てるかもしれない

え?

説明しても小難しく、たぶんつまんなくなるので、これにて終了

手作りアンサンブルだと、どんなふうにも解釈(こじつけ)できるってことでさぁ。

刀工

投降、登校、陶工…

何の必然もない日記です。

非日常を日常にする、Performer が
毎日が非日常である 2020 に
なにを思うかというのが

やうやう解ってきたような気がする

長い(ほぼ)一年であったが、いろいろな事を思い、感じ、また綴った。
それらほぼ忘れてしまった今では、ピンクと青のトラックのコントラスト具合を
指で辿るぐらいしかできない。とっておきの鯨のノートも誰にも見せられなかったから。

いつか、”- – smith” という言葉に不思議な力と縁を感じたこともあったが*
日本語にも「とうこう」という不思議な言葉があらぁ。

誤変換すると色々な意味が出てくる。まぁ、職人、あるいは芸術に対する降参ってやつか。

ここ silent studio では、相変わらず音も出せない中、音楽が作られている。

ヘッドフォン? 骨伝導? イルミネーション音楽? touch sensitive?

尤も生楽器主体の僕はそんなのに耐えられるわけがなく、どこかで音を出し、録音しながら持ち帰っている。
スタジオ? そんなわけない。俺はマークボランじゃない。好きに使えるスタジオなんてない。

電話をし、手続きをし、公共施設で感染に気をつけながら、MacBook とマイク運び、一人のシチズンとして音楽やってるだけだ。

でも、世界もこの国もこんな状況だけれども、ちょっとしたことに嬉しくなることも、あらぁよ。

それは誰の自由でもあるが、夜空の自由でも、昼空のなんとかでもある。

TV 観なくても、本読まなくても、なんとかなることもある。

無駄なトラッキングの繰り返しだけど、埋もれてるいいテイクを見つけられないかもしれないが、
それでも秋は、ほんとは幸せなんだと、思いたい。

思いたくなくても、思ってるのだから。

もう、11月も、僅かだな。一番好きな季節。
いろんな大切な友人が、歳を重ねてく。なかなか連絡できないけど、ね。

* smith – 鍛冶屋や職人を表す。そんな投稿 を以前した筈だが見つからない…日記を探ったら2002年、昔のサイトの文だったのでこのサイトにも転記した

よこくのトーン

2020年試みてきた連続シングル moon x moon シリーズも大詰め。
上弦の月にて恒例の予告をしましょう - 否、明日の夜は月が見えないようなので
一晩前倒しにて。

11.30 霜月最後に昇る満月には、2000年の秋に書いた “tone” という曲のリメイクを出します。
当時のトリオ Adbaloo の 1st CD-R に収録したもので、ライヴでも10回程やったぐらいか。
まぁ、ごくピンポイントでしか知られていないですね。

カタチにしたという意味では初の作詞作曲。
何気に、埋もれるには勿体ない、いい曲なのです。

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