何か力になれることがあったらよかったのに
そう思う知らせ
だが記憶は力になる
そうして未来に向かいたい
過去はたぶん僕の頭脳がなくなってもどこかに転写されているし
未来は僕がどう受け取ろうと流れてくるすばらしい景色だ
がんばってやふたりとも
何か力になれることがあったらよかったのに
そう思う知らせ
だが記憶は力になる
そうして未来に向かいたい
過去はたぶん僕の頭脳がなくなってもどこかに転写されているし
未来は僕がどう受け取ろうと流れてくるすばらしい景色だ
がんばってやふたりとも
くだらない広告に
だまされちゃいけませんよ
くだらない口喧嘩トリックの著者に
言いくるめられてははずかっしいよ
いま 僕らは試されているってさ
僕らも あなたらを試してるんだけどな
人の上に立つ資質があるのかを
口元を監視するやつらの心を
もっと大きな目が うつしてる
昨年のあの日以来、僕らを覆っている「情報の傘」がどれだけアーティフィシャルな、
からだやこころにとって良くないものかがわかった。
また、それらがどのように生産され、誰の利益になり、誰の利益にならないか
そんなことが毎日、わかってはぼけ、現れては消え、それらはこの国を覆う大海原のよう。
わたつみ、と昔から言ったけれども、国産み伝説(「海」=「産み」?)の時代も、また戦中戦後も、
こういった教訓がどれだけの期間、どれだけの人にとって役に立ったのかは、わからない。
きっとごく一部の人が、生き残り、歴史を自分の手柄のように記し続けてきたのだろう、とも思う。
たとえ日本の共有歴史であったとしても。
今の「情報のかさ」を見ると、そこまで悲しい気になる。
悲しみ、呆れ、怒り、哀れみ、侮蔑、危機感、無力感、
これらがにごったとき、現状維持と忘却と、転生輪廻がまた現れる。
「あらわれる」 「洗われる」
それでもうみは日本を包んでくれると思ってるのだろうか。
大地や海が怒ったとき、あるいは呼吸やくしゃみをした時、
あめが本当にふったとき
…
僕らは世界の東の果てにいる。
島と海を失えば何も残っていない。
世界が自由かつ創造性に溢れるぐーぐるの人々のものとなった2015年。
——-
7月某日 社員アンドリューのアイデア。もちろんすぐ実行。
じゃ、全てをにぎったし。
今日はみんなで、石器時代!
バナーアイコンが、ギャートルズに。
もちろんWikipediaにリンク。
YouTubeでは、カップヌードルのかつてのCMもフィーチャーされた。
そして数分後
オンラインバンク停止
SNS、メール停止
全ウェブサイト、石器時代のARにリダイレクト。
(あるいは書き換え)
数時間後
交通機関ダウン。政府ダウン。電力停止。
水道、ガス制御不可能。
宅配、オークション、アプリストアは停止し、物々交換へ
もちろん、Android端末は全停止、狼煙機能作動
(ユーザー嗜好によりジャンベ機能アリうる)
——-
24時間後
復旧!
おもしろかった!
明日は、フランス革命!
試験会場での携帯電波
爺メール
府職員行動
監視技術と熱意の成長には目を見張るものがある
そりゃ、われら先進国のトップは、いい議事録を
残してることだろう。
どんな事故にも、慌てることなく。
優秀なんだよ、きっと。
一昨年はステッチ入りのドレスシャツを
昨日は Thermos の水筒を
奪っていったうちゅうじん
ぼくの人生は
きみが現れた数秒だけ
かりとられているのだ
そもそも
時計に秒針って要るのだろうか?
分針もなんなら要らなくなって
時間帯を知らせる短針だけあればいい
んじゃないっけ?
色んな矛盾は含んでいるのだろうけど
近頃気になっていることがあって
今日はそれをメモ的に記そうと思う
書き終わった頃に自分の頭がどう整理出来ているか
ごまかされているかはわからないけれども
人には破壊本能がある らしい
自分にもある
昔は公言していたし 今は公言しないけれども 内部にはある
それはある「時のページをめくった物語」を観るとよくわかる
いや「ある物語」を「時のページをめくって」観るとよくわかる
新旧世代交代というものがあるが
新旧メディアの交代 エネルギーシフト 経済シフト
これらが同時に起こっている今 (そしてこれから先に起こらないとはとても思えない)
必ず悪者にされ 攻撃を受けて破壊されるものが出てくる
というか 人はそれを欲している
破壊本能
小泉純一郎や橋下徹がやってきたこと また支持を集めているということ
ジョブスがカリスマであり続けること
また
ぐうぐ、あまぞ、あぽー、やほーがやっていること
タダほど高いモノはないということ
水道理論と熱力学第二法則
クラウドからサーバーへ 共有からクローンへ
圧倒的に「正義的な」ステートメントを、いつもぐうぐやあぽーがかざすのはなぜだ?
どう考えても怪しいのに、魅力にとりつかれるのはなぜだ?
どんな立ち位置の人も 人を攻撃せずにはいられないようなのはなぜだ?
支配からの解放としてパソコンがあり、ネットがある
これはある意味正しく、また間違っていると思う
無駄なテーコー
孫悟空のきんとうん
改革のスピードだけがシャワーのように僕らを洗い続け
真実にさらす
付いて行けない人だけが汚物として淘汰されていく
そんなイメージが未だにあり
一方でパソコンとネットは抵抗するスローな人々の道具でもある
どういうこと?
いやマジで。
どういうこと????????????????????????????
???????
????????????????????
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クラインの壷だな、思う壷だな、「おもうつぼ」だなってよく思う
情報はクラウド エーテルのように地球を満たす
僕らは死後 いや滅びた後 筒井康隆の「幻想の未来」のように
エーテルとして漂う意志となるしかない
そうかもしれない 梅棹忠雄の説も いや 嫌でも毎日情報網を賑やかす 面々とその反響ですらも
ただ何か 直感でしか測れない何かが いつもある
沈黙は沈黙でしかない その下も分子はランダムに動いている
それがある種 繋がったときに シグナルが発生する
離脱しろ それもその一つ
人生は再放送はない と思いつつ
実はいくらでも かんなのように 往復するのが 僕の一生で
また ピストンやループがなければ 何の理解もないまま 過ぎ去るのだろうとも
そもそも 文字を記録する行為自体が 最初の思念からの アコーデオンなのだから
泡盛うめーや はっは
おしまい
人生に再放送は無い
ふと思う
…
はずなのに
色んな事がくりかえしに見える
それは
とてもゆっくりと物事が進行するから
いやちがう
まわっているから
それもちがう
片方がとても速くて 片方がゆっくりだから
それかな?
それかな??
時間の感覚がそれぞれ違うから
星座が見れるし 虫の季節を感じれるし
食物を食べられる
モノを書いて また読める
音楽をきいて 鳴らせる
たぶん よくわかんないけど
時間軸がみんな同じだったら 誰も時間に気付かない