投稿者: ray

かきかえ かせっと

ほんの冗談で、昔作ったMTRのアイコンを引っ張りだしてみた。
最初のMac (IIvx)を使ってた頃は、こんな事面白がってやってたのだ。

YAMAHAのCMXのがあるかと思ったら、AKAIのMG614のがあった。

これをかつての名バンドの名作「ピチピチギャル」のジャケットとした。

ピーター、どんちゃん、みーろ(メンバーの事)、勝手に使ってごめん。
死神軍団のmyspaceも作りたいけど、うーん、どないしたもんか。

さておき、AKAIってどうなったん?と調べてみた。
…そっか、もうとっくに…

おれの音楽体験はAKAIのGX-R70とテクニカの折り畳めるヘッドフォンと共にある。
考えてみれば当時からずっとテクニカ党だった。どこになくしたか、そのヘッドフォン。

オーディオショップなんて初めての体験だった自分は、ヘッドフォン端子の出力=コンポの純粋な音と信じて疑わず、試聴には必ずそのテクニカを持って行った。だが実際には、カタログや雑誌が自分の脳に育てる「イメージ」と自分の耳の折衷、そしてそれは大いに前者の影響だった事は否めない。

今日、改めて思うのだ。いかに広告費が大事かという事。オレ含む男の中には、モノ、オト、コトの実際以上にその肩書きに酔ってしまう習性がある。いくら性能が良くても、宣伝費に金をかけられないやつは。

当時のAKAIはその両方にパワーがあった。そのデザインはやや無骨ではあったが、生命力に溢れていた、と思う(A&D時代の製品には、鈍重さが目立った気がする)。とりわけGX9とR70。
SONYの3head ESシリーズの音がいいのは判りきっていたが、どうしてもリバースデッキの欲しい自分はGXヘッドはすごいんだぞと自分に言い聞かせていた。視聴しまくって得た感想。SONYリバースよりガッツがある。

ところがそのR70、何度も自分に疑惑を起こさせる。
「ドロップアウト疑惑」カセットテープの宿命でもあるのだろうが、劣化により使って行く間に音が欠ける部分が表れる。「ポッ」となくなったり、「ぶ」と言ったり、単に揺れたり。
それが新品でも起こるのだ。Nationalのラジカセで気付かなかった頻度で。
宿命と言われたとしても、R70に恋してしまってた自分には許せる訳がなかった。
何度もショップに相談し、「どんな耳してるんや」と言われ、
AKAIのサービスマンさんにも来てもらったりしたものだ。
結果、調整を色々してもらったが、直らなかった。
これはAKAIのせいではないと思う。少なくとも、そう思いたい自分がある。

ちょっとカセットが怖くなったりもした。
気にせずカセットをガンガン使いだしたのは、それからしばらく経って、YAMAHAのCMX100で4トラック録音にはまりまくった頃だ。

やっと話が戻った。
おかしいと思うだろうが、なぜかこの後、オレは京都で、AKAIのMTRを手に入れている。自転車ではとても運べない、バカでっかいやつ。カウンターが壊れたり、スムーズなオペレーションが怖かったり、思いっきり宝の持ち腐れ、た。

結局、その次に買ったYAMAHAのCMXIIIが、一番ヘビーに使えた。形もいいし音もそこそこだし、なにせ使い易くて、屈強だった。京都のスタジオの近くのカメラ屋で買い続けた100円のハイポジションテープは恐ろしい程溜まった。あの震災の後も…(震災の瞬間も、僕は多重録音をしていた)

今使ってるBossのMicro BRと比べたら、どんな世の中なんだ。SDカードだぞ、1GBだぞ。
いや、
並みいるデジタルマルチの中、Micro BRを見るまで食指が動かなかったのは、大いに自分のこのカセットMTRへの想いがある。
あのカタチじゃないと、来ない何かがあったんだ。

夢で見た白い新製品

appleの新型

サブサンドイッチみたいな楕円形
1234 5 10..と間の無いテンキー

とても変
キッド映画で使われる

さる棒

しばらく前に西郷山公園にあったオブジェなんだけど

最初、いみがわからなかった。

ベンチに角が生えている。白いアンテナ。

それだけで判る人もいるだろうけど…説明もないし、情報も集めてないし。

ある晴れた晩座ってみて、初めてオレなりにわかった。

これは天からのブランコだったんだ。

その時思った。この世は奇麗だなって。

Epizo Bangoura

Guineaの至宝、Bangouraファミリー(そして親戚の「鳥取」さんことアラマ)の公演に、参加してしまった。
EpizoさんはSalif Keitaや、Stonesのツアーにも参加してる魔法のマルチプレーヤー、そしてグリオ(語りべ)。
コラという、伝説+自作の楽器にバラフォン、ジャンベ、そして歌。とどまる事のない音の泉を見せてくれる。
その小顔はMilesのよう、とはツアーマネージャーの弁。うん確かに。

初対面のその日に9曲教えられてライヴの上、2日目には前夜思い付いたという新曲、
そんで翌日Motion Blueに参加しないか?ってんで、いやーこんなん、久しぶりやった。

今回は5弦のフレットレスで木と木のまじわい、髪が伸びすぎてMotionではまたも茶ムギ帽子。

曲順も構成もその場で変わる。昔やったJamaican達とのレゲエ(Dunny Tucker & Vibe Tribe)を思い出したな。

muriwui

New stuff:
Up Jumped A Bird / Bob Dorough
She’s Not There / Zombees
かみなり小唄 / 小生

水でかわかせ

東京は暑い。
今朝まで居たところも暑かったが渋谷もさすがだ。
コンクリートだ。

公園通りクラシックス

6月に引き続き、でかベース、アンプ、ヘッドのご家族連れ状態で出かける。
ハチ公過ぎでもの凄い形相で人並みをかわすおっさん、ある種の同類を感ず。
ところがこっちは涼しいふりなのさ。

Maïaとのステージというのはかずみとまや(ツアー)、仮面の夜(その日のせいで音を出せなくなった恵比寿のレストラン)、本門寺、その他と折にふれて数はこなしているが、今回は共にソロを持ち寄るっていう変則的ライヴだ。

盛り上がった分もあっけにとられた分も、
MC等言わなくていい事もけっこーあったと思うけど、
出し物精神に立ち戻って、意味あるステージが出来たのとちゃうかな、と思っている。

この日演奏したのはみんなスーパーミュージシャン達だし
あとは観た人達の判断だしね。

僕は観る側としても、楽しめた。

テツロー氏とのジャムは、準備に凝ったものではなく、半ば二人のルーツってことでスタンダードを2曲。
悪ノリでへんてこなスキャットとコーラスをフィーチャーさせてしまった。
楽しんでくれれば嬉しい、すると楽しい。

やった曲

Araurum Kim Kim (bïa)
Chansons (maïa)
こんちくしょう “c’est pas facile…” (maïa)
生活の柄 “水で乾かせ” (yamanoguchi, ray)
風に誘われて (ray, maki, chihiro)
らいち (ray)
デロスの丘 (maïa, kazumi)
美しき天然 (takeshima, tanaka)
つぐみ (ray)

member
Ray (doublebass)
Maïa (vocal, flute)
黒田牧子 (ゴロス)
鶴来正基 (pf)

jam with 矢舟テツロー

Straight Up and Fly Right (mills/cole)
L.O.V.E. (cole)

飽和のてまえ

まちの湿度計によると、
夕方5時30分、湿度85%、気温28.5度。

85%…?
冗談じゃない。
こりゃ水が溢れるぜ、と思っていると、家に帰った後にどしゃ降り。
なんだか、良かった。

愛車のフィアット…じゃない、折りたたみ自転車で
ぐるっと回るぐらいが週末らしき息抜き。

もともと不定期仕事だからしょうがない。
夜型はやめているけども。

次のプロジェクトへの準備もせねばいけない、

自分のある部分を引き出す、という事はどこかに傾いているわけで、
別の部分を再び引き出す為にはまたぐるっと見渡して傾かなきゃいけない、
こともある。

それが好きだからやってるんだけどね。

全方位自然体、それは素晴らしい事だけど、あくまで結果であって
変化と不自然を常に求める自分がある。

「理想」が理想の形を取りすぎないように
動いて行きたいな、と思う。

ランゲージ

Leteに久々に行く。
ここはとびきり美しい空間だ。

微弱の音が漂うのにこんなにいい場所はない。

指で触ってるだけのようなギターが耳をつんざくのだ。

ランゲージっておもしろいな、と、MB氏と終わって話をして思う。
母国語や地元弁が時に表現の足かせになることって、時にある。
あまりにもそれに付随するイメージが大きい時
(パブリックでなく、その人の中でのパブリック)
別の言語を使うのだと-
言われれば心あたりもある。

よそいきっていうのは、自分が普段着になるために
必要な服なのだ。

ピアノの連鎖

~先週~

師匠でもあるお二方のライヴを観れ、多いに刺激を受けた一週間であった。
矢野誠さん、難波正司さん。共に偉大なピアニスト、アレンジャー。

難波さんはLA滞在が長く、実のところ生ピアノのステージは初めて観れた。
矢野さんは昨年の10月、奇聞屋以来。
共に、お手合わせ頂いた事はあったが、
じっくり観れるのは凄く嬉しく、勉強になる。

僕は単音弦楽器奏者で、もともとピアノにコンプレックスはある。
歌にもある。ギターにもある。
…きりがない。

ともあれ、後者二つは自分でもやってみるが、全く手がつかないのがピアノだ。
それでも聴いて判る事、感じる事は多い。

矢野さんのピアノは俳句だ。

「あむ~Chorusing」という2000年の名盤があって、
ここでの矢野さんはご自分の膨大な音楽財産、指向性を極めてシンプルに凝縮している。

声のポリフォニー。
アフロやテクノ、ゴスペルの躍動感溢れるピアノの左手、
印象派的、近代ジャズ的な右手。
これら全てのポリリズム。そして詩世界。

音楽的にはシンプルなものではないが、研がれ方がシンプルという意味。
インプロのジャズでもない、それは作品。

これらの曲を小川美潮さんとのデュオで再現する。
ご本人達、「二人では無謀」ご謙遜、いや確信があっての事。
勿論伝わっている。「あなたにつたえよう」
本当に、鳴り止まない拍手というものを体験して(加わって)しまう。

そして後日。
「あの曲は、どういうわけか、リアクションがあるんだよ。
全くポップなコードでもないのに。」

矢野さん、決して演奏活動やめたらあかん。
いつまでも続けて下さい。

難波さんのピアノは大地だ。

平松八千代さんのライヴの大半で参加される。
歌を立て、潤し、引っ張るのにピアノがどれだけ豊かな楽器か、再び知る。

幾度と聴いたスタンダードカバーがこんなだったんだと、再度惚れる。
原曲も含め、今迄で一番力強く感じた「It’s Too Late」。
「Don’t Know Why」なんて、ハプニングで2バージョンも聴けたけど、
全く違う方向性で、舞台が変わる。しかもこれは即座の決定。

今回の来日は映像音楽だそう。判る気がする。

ふと同席した、フランクだけど教授だというアメリカ人の方、
「ヘイ、彼はこないだ会った時はTom Waitsみたいだったんだぞ、
びっくりした、どんな音楽も知り尽くしたヴァーチュオーソだ。」

難波さんはシンセ、オルガン、シーケンサーの巨匠。
矢野さんはムーグやオーバーハイムの先駆者でもあり、
ポリスが出た頃にはやりたい事をやり尽くしてしまった人。

だけどピアノで、「いま」観れてよかった。
これら尊敬する人達とまた同じステージに立ちたいし、
一緒に音を記録したいと願う。

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