アーカイブ: 2021年4月

止まるか動くか

 

を蒔いて

しばらく経ったあと

時間を巻き戻したいと思う

それは叶わない

 

一週間後に撒いた

より元気な個体のペースに

合わせてくれないかと

願ったりしてみるのだけど

 

一度スイッチが入ったら

時間は止められない

止まっていた筈の時間は

ゆっくりも速くも いくらでも

可変できそうなものだけど

どうやら種はそうはならないようだ

 

起動装置だけがある

戻りはしない

 

Play ボタンだけ

サンプルレート

どんなニュースよりも速く瞬きすれば

現実が見えるかもしれない

サブリミナルに隠された意図も

見破れるかもしれない


自分の好きなタイムで瞬きすれば

自分のみたい世界をみれるかもしれない

何にも煽られず ローファイな世界で

必要なものは 自分できめる


どっちもあり
なんだろうな

本来

バタフライギターと韃靼海峡

Blinking News

Apple Music で歌詞表示できるようになりました。

リアルタイム表示はもう少し待っててくださいね。

これから綴るのは、この曲について思うこと、のいくつかです。

どうしてぼくらはこんなに
ニュースに左右されるんだろう。

朝から晩まで、画面や紙上でパフォームするニュース。

あるものは煽り、あるものはそうでもない。
あるときは魅力的、あるいはそうでもない。

誰かを礼賛し、貶め、
夢中にさせ、無関心にさせる。

何かの本質に訴え、違う解をチラ見せ、
希望と向かうべき道を見せ、抗えなくする。

そんなもの、どうでもいいじゃないか、
とも思う。少なくとも僕みたいな人間は。
しかし、そう思う僕も含め、みんないつもニュースに踊らされている。

報道というのはたぶん、人類が生まれたときから続いている。
仲間を引き寄せるために、身を守るため、族を形成するため、権力を守るために。
マスメディアと逆の存在に見えた SNS にもすでに大量の広告が投下されているし、
そうでなくても、投稿する一人一人が、すでにニュースを担っている。
そして、書く人も読む人も、右往左往しつづける。

観測気球を飛ばしてるつもりで風に飛ばされてる。
ゴーグルの枠の外に大事なものがあることを忘れてる。
柱につかまっているつもりが柱ごと動いてる。

一方で、ニュースとは単なる情報ではないとも思う


試作ジャケットのひとつ

ぼくら自身もニュースみたいなもので
この人の言うことならと誰かをフォローしたり
逆に口伝えで出来たイメージとかそんなんが一人歩きしたり

現れては連鎖し 迷惑扱いされ
攻撃しあい 感動し 消えていく
物を買わされ 自発的に志願させられ
実際ニュースがなんであるかは
よくわからない


水に水が引き寄せられるように

僕らに、情報としての素子が沢山あれば(あるはずだ)
それは毎日、この瞬間にも流れる情報に反応してしまうのだろう。

音楽にもニュースの側面がたくさんある、あったと思う

レコードで聴いて憧れた言葉、解体してみたらどうだろう。
フロンティアの意味もドライブ・マイ・カーの意味も、変わりつつある。
君を失う、という意味もだ。
ひとりひとりが目を開ければよかった時代から、
目を閉じないと視覚が焼けつくような時代になった。

スクリーンセーバーが必要なのは画面じゃなくなって、
僕らの脳のシルバースクリーンだ。

だから、結局のところ、つきつめることはできない。
光がブラックアウトするのか、闇がホワイトアウトするのか、

その間を瞬きながら生きるのが僕らだろうし、
これからも騙し合いは続くだろう。
どうすれば感じとれる?

誰かがどこかに書いていた。四次元の次にあるのは、「情緒」だという。
たしか、谷口江里也さんだったと思うが、どの本か思い出せない。
情緒と情報、どういうかんけいなんだろう。

どういうかんけい、って、身も蓋もないけれど、
きになってしまう、そいうこと。

てふてふが渡る。

誰かのバタフライギター
が。

雨の半月

雨の日曜日。

しばらく、曲を録音したりカバーをしたり(セルフ流しをやってるだけ)で

今日みたいな日は貴重だったりする。

気分はあまり優れないけれども、いくつかアイデアがうかぶ。ワルツとファンクとフラグメント。

これがうみの苦しみってやつだと思う。そうだっったっけ?
みずうみの苦しみ、空を飛べない燕の物憂げな声。嘘だ、聞こえない。どのみち雨粒にかきけされてる。

ちかごろは割とオーソドックスな曲をやってたので、またアブストラクトなのを描く。結果どうなるかはわからないけれども。

Are we on the blink?

Sunday, April 4th

Blinking News
Apple Music, iTunes, Spotify, Deezer, Tencent, Pandra その他
零時より、順次オンライン配信開始します。

こちらから

<Bandcamp 版について>
3.5の先行リリースから、ジャケットと音をわずかに変更したので、同時に Bandcamp 版 も更新します。
すでに購入くださった方は、新しいバージョンの音をアカウントから無料でダウンロードできますので、新旧共にどうぞ。

Lakeside Camp

あらためまして、4月3日土曜日。

米国時間4月2日より、Bandcamp ではミュージシャン支援プログラム
Bandcamp Friday が開催されています。

僕はちょうど半年前に発表した Quick & Slow のリメイク版をリリースしました。
前回はギターを4本重ね、コーラスも沢山入れたバージョンでしたが、
ベースはそのまま、はじめて生ピアノを弾いて、
ギターはベーシックトラックだけにしてボーカルも一本だけにし、すべて録り直して
すごくシンプルにしています。

Bandcamp Friday はあと2時間弱で終了するのですが、
もし興味あったらぜひアクセス、フォローしてみてください。

この他にも、現在6曲をリリースしています。

金曜と土曜のまぎらわしさ

誰にも嘘をつかれなかったはずの

April Fool 明けには

なぜか僕は

今日が土曜だとすっかり思っていた。

いったいどういう塩梅で、自分で自分を騙す、21世紀の○×≦者。

自動で自分を騙せるようになったら、もう立派な、オートマトンだよ。

だがこの世はまぼろし。

そんなことにもめげず、4月2日を過ごした。

がんばった。いい日だった。

今度こそほんとの、土曜日にあおう。

うそのはじまりの

日に日に、というか一気に気温が上がり、

燕も飛び交い、桜は早くも散り始め、

湖面は穏やかで、よく見るとさまざまな鳥が泳いでたりする

いい春なのだ。

4月1日はいつも変な気分なのだ。

嘘をついてもいいって、素敵な気分でもあるのだけど

なんで日本じゃ、この日が年度始めなのだろう?

ちょっと真面目に生きようとすると、最初の日から嘘で覆い尽くされた感じになる。

というか、年度始めって、この一年、どんな嘘をついてやろう、って

人々が考えて実行始める日、みたいにも、思えてしまう。

あー、ったく、めんどくさい性格だ。でも、こんなこと、あなたも一度は思わないだろうか。

西洋と東洋がごっちゃになったこの国、エイプリルフールか新年度か、

どっちかを動かした方が、なんか前向きになれると思うのだ。

と、やや滅入りつつも

とても有意義に、すごしている、この頃です。

空という名の海
鳥というナノ魚

Calendar

2021年4月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

Category