アーカイブ: 2021年2月

黒と木

たまには写真を。

ボケてますが。

kikan

きかん。

なんのきかんか。

さて。

がんばるぞ。

いうこときかん。きかんしゃのように。
さるこくさいきかん。さなぎのきかん。きかんしだいじに。


今夜も Metheny を練習する。
この一枚目は、Neil Young と似てるんだよな。
どことなく。はかなさが。

聴くと弾くでは大違い。案外すぐに終わったりする。
ヘッド、ソロ x2、ラストヘッドで4コーラスしかない。
楽器も左右のギターだけ。
でも聴いてると、至福。

リスナーモードとプレーヤーモードはやはり違う。いろいろな意味で。

コンサート、やってる側はいつもあっという間。聴いてる方は違うかも。
いや、聴いてて長く感じるとダメだと思うから、やってて長く感じる時はもっと悪いと思う。

やってて永遠に止まってるときは、気持ち良くてあっという間なんだけど。
たぶん、どちらも。

ねじれはねじれではない

ここ最近で驚異的にヒットしているのがこの曲だ。

もちろん、僕という局地的存在にとっての話。

Any Major Dude Will Tell You (1974, D.Fagen, W.Becker)

あまりに素晴らしい。
僕はこのアルバムを持っていないが、ここんとこ、決めるともなしに毎日10回は再生している。

たぶんもうこの曲の再生回数は100回は軽く超えていて、
それでも向こうに届くだろう対価を考えると、ストリーミングってやっぱりおかしい、とも思う。
まぁ、どレジェンドの人に何をってことで、心配の矛先、ちっくと違うけど。

このアルバムは Pretzel Logic といって、邦題はたぶん数あるおかしな洋楽日本語タイトルの中でも一、二だろう。

『さわやか革命』

ごめん。ありえん。

本当は Pretzel = ねじれ、Logic = 理屈なので

「ねじれた理屈」「屁理屈」「へそ曲がり」「天邪鬼」あたりだろう。
「つむじまがり」ってのもあるか。

しかし、音だけ聴いてると確かに「さわやか」でもある。爽やかにひねくれている。

敢えて連想すれば、
音楽密造者、日野原幼紀さんが作った「つむじ風の朝」が浮かぶ。

ちなみにこの矢野誠さんアレンジの素晴らしすぎる曲、アルバムは、配信されていない。
コロムビアさんお願いしますよ。

話は翔んだが、Any Major … で決定的なフックになっているのがあの折り返しのギターフレーズだ。

これ、相当いろんな人に影響与えたのだろうなぁ。僕は全然掘り下げれていないが、

全く違う(かもしれない)ところでデジャヴったのは、
90年代のハバナ・エキゾチカのこの曲。その時も相当やられたのだが。

30年ぶりに聴いた。
友人ドラマーのカーステで衝撃を受け
借りてダビングさせてもらった DAT を何処にしまったか忘れてしまい
記憶の隅に残っていたすごいアルバム。JB ばりのグルーヴ、このギター。コーラス。
サブスクに感謝です。いや、ごめんなさい、今度は買いました。

Buffalo Daughter 全然聴いてなかったな… 大野さん

当時は、関西にバディ・バースト・オールディーズという、また凄いガールズバンドがいた。
(対バンしてはうっとりしていた。これも20年ぐらい前だが、ふとメールをいただいて嬉しかったことがある)

やっぱ、記憶と音楽は捻れ続けるな。ねじれてるとも気づかずに時系が歪む。

それはたぶん、時間自体が螺旋状だから、本来はまっすぐなのが、ねじれなのだ。
ていうか、日野原さんのアルバムタイトル、そのまま『螺旋時間』やん。

だから、Pretzel Logic とは、

とても爽やかで、素直な Dude の心なのだ。たぶん。ね


* Apple Music をここんとこせっせと埋め込んでるけど、ログインしないと一部しか再生されないし、ましてうちでは iPhone で Safari でログインしたつもりでもはねられてしまう。その間も、Music では普通にサブスク再生できている。あいかわらず、めちゃくちゃだなアップル。

Blue Valentines

昨夜。思うところあって海岸をドライブし、
若干の胸騒ぎがしつつ帰宅、風呂から上がる。

東北では大地震。

こちらは無事であるも、当地の惨状と不安を思う。
関東も広範囲で停電だったらしい、とはいえもっとも大変なのは福島の人々。

どうか余震が早く収まり、人々が無事でありますよう、充分に眠れますよう、
コロナから人が守られますよう。

ごく型どおりの事しか書けませんが、本当に。


そして原発がまた暴れないよう。

まだ原子力緊急事態宣言継続中にも関わらず、
オリンピック誘致以降、ほとんど報道されなくなってしまった1F、
そして日本の沿岸に今も林立する原子力発電所や核施設が。

日本は、3.11から生まれ変わることができた筈なのに
そのチャンスを何度も逃して今に至る。

だが、辛いことの連鎖も
まだ間に合うという啓示であると思いたい。

ここだって、明日は我が身と常に思っている。
だけど、生きているうちは精一杯、何かを見出していたい。


物を持たないということ
最小限持つということを考える。

災害は物をため込むことの危うさを思い知らせたが
たとえ災害なくとも、墓場までは持っていけない。楽器も、宝物も。

むしろ、そうなったら他の誰かに使って欲しい。
まだ譲る気はないけどね。

楽器はたしかに人と一体化し得るが、人と楽器は別の命を持っている。
いい楽器の命は、一人が奏でることができた音楽よりはるかに長く続くのだ。

戦争さえなければ、だ。

人は物やクラウドの力を借りるけれども、それは自らにスパークを起こして
何かを見出し形にするためだと思う。

それができるまでは生きねばならない。やらねば。


舞台演奏をしないからといってやることがなくなるわけではない。

むしろ、音楽に向かう者としては、より多くを感じ、より実践できる刻でもある。

限られた時間であってもどう使うか。

朝思いついた曲ができたり、朝、気になった曲が、一日の終わりには弾けるようになったり。
それは誰のためでなくても、たとえ聴かせる人がいなくても。

大学の先輩も好きだったあの曲が、こうすれば弾けるんだと気づくこと。
音楽が自分の身体に乗り移る。それはどれほど大きなことだろう。

転写。この世の身は仮の姿。借り物。なにかがなにかに、のりうつる。

ギターで弾けるようになれば、それはベースに乗り移る。
一方で、ベースはたった4本の弦でも、成り立つ楽器でもあるのだ。

音楽の可能性はひろい。

競争心や上昇志向がなくなって、それから本当の成長だ。
それを実感できるのは、幸せなことなのだ。∞に。


走る。

スキニージーンズ、ぎりだが辛うじてストレッチ。

あの感じを思いだす。振り子。

体が左右に揺れる感じ。小学生の頃掴んだ感覚。自分の波を、超えていく。

思い出した。やっと。

いける。
いろいろなことを身体や脳が思い出す。
いけるかもしれない。
自分として、ということ。

そんな幻想を、しかし、かすかなれども、確かに、感じた二月十四日。


『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界』も、ついに読み終える。

すると。これから読みたくなるもの、だらけなのだ。


表題はもちろん Tom Waits。

これを初めて聴かせてくれた人。その後想像もつかないけど、元気だといいな。
あれも震災の年だった。阪神淡路大震災。京都のスタジオの面々。

僕は、元気で、やってます。いろいろ、あったけどね。

Sings & Sobs

朝から Pat Metheny の曲が頭でループし、弾いてみる。

ずっと好きな彼の一枚目 – Jaco とのトリオ – 後半の曲だが、ギターで弾いた方が理解が深まる、という当たり前のことに今頃気がついた。だが当然の如く、ほとんど弾けない。

それでも、辿々しい指先から、いろいろなことを学べるのだ。演奏技術に関わらず、楽器ってそうだと思う。


Chick Corea が亡くなった。朝からいろいろなところでトリビュートコメント。
僕はこういう流れに乗るのが苦手だ。
だけど、彼は言うまでもなく偉大で、多大に僕も影響を受けている。
僕はピアノも弾けないが、割とトランスクライブした人でもある(タッチが明瞭なので)。

90年代末に Blue Note NYC で彼を観れたときはビッグバンド編成で、ごく正直にいって、わからなかった。
あまりに広い活動のごく一部しか受け止めることはできなかったし、共演を夢見ることすらなかったが、良く聴いたのは Patitucci, Colaiuta との Humpty Dumpty と Tumba のライヴ録音かな… Blue Note Tokyo の。
そして Vitous と Haynes との Now He Sings, Now He Sobs と、やはり最初に聴いたカモメの Return to Forever。

あまりいろいろ聴き集めることも、弾き倒すこともできなかったが、彼の音楽は思考をクリアにしてくれたり、想像をまっすぐ突き進めてくれたり。その中に潤いを感じさせてくれたり。ロマンチックでロジカルな夢をたくさん見せてもらいました。

捻れてもまた真っ直ぐになる、プレッツェルじゃない理論の使い手。Fagen とはまた違ったダンディ。


つづく。本日はまだ続いてる。RTF の鳥はカモメじゃなくてカツオドリ、なんですね。

宵。久しぶりにお気に入りの店を訪ねる。まだ3度目だが、ずっと昔から通ってたような心地になれる場所だ。
というのもここの店長さんならきっとその話ができるだろうと思ったからだが、
果たせるかな、カツオドリが羽ばたいていた。

ここには sonihouse の多面体(ほぼサッカーボール)スピーカーが吊ってあるのだが、たたずまいも音も気持ちいい。
スピーカー自体の設計もそうだが、その配置 – 当然、それを含めて設計しているだろう – がいいのか、
空間と音の流れがとても、人の動線や会話の流れと馴染む、そんな気がした。

まぁ個人で手が出る値段ではない。置いてある場所は、貴重だと思う。


そろそろ例の丸眼鏡を直したい、と思う。
いや、眼鏡本体は健在だが、要であるクリップオンのグラサンが破壊されたままなのだ。

もともと全く関連のない、たまたま Westwood の店でセットで売られていた、イタ車とアメ車だ。
いや国を跨ぐのは珍しいことではない。ACコブラとでも思っておこう。違うか。

真面目なことをいうと、このグラサン部分は DKNY とあるが、何年検索してもダナキャランでこんなものは作ってないし作ってた形跡もない。
Lennon タイプでもこのブリッジの波形部分は独特だし、入ってるレンズも暗くなく眩しくもない、ステージでも運転でも絶妙だったのだ。

数年前にツアーの最中、名古屋の眼鏡屋から鯖江に送ってもらい、ピンポイント溶接で直してもらった。
だが、数ヶ月でまたポキっと取れた。ワイヤーを変えて溶接してもらう、ぐらいの事が必要だろう。
完全オリジナルに拘って強度を犠牲にするのではなく、いい形で直して一生使いたい。


Metheny の曲は、少しは…マイマイの速度で押さえられるようになった。やっぱ真面目に取り組むことだよ。
と、ちっとも真面目にキャリアを形成してこなかった自分が思う。

そろそろ、またムーミントロール前史の解読に取り組むか。

2.11

昼、練習に出かける。

扉を開け、久しぶりに見た猫にまた逃げ去られ、苦笑しながらいつもの場所へ。

駐車場はほぼ満杯で、そんなに出歩く人いるんだろうかと思いつつ
目的地はいつもに輪をかけて、誰もいない。

僕は、本当に人の居ないところに縁があるらしい。

体の軸がまただいぶ歪んだな、と思い、直しながら4時間。


高野寛さんの日記。

note でも読めるのですが、サイトの方をリンク。
https://www.haas.jp/post/2021-2-11(木)戦争と平和

僕がずっと感じてきたことも、これに近いです。

英雄物のドラマにせよ大河にせよ、そこには必ず
物語を彩るために影になった側の人がいる。

そういう意味では、近年の明智光秀再考*などは興味深いですが。

今日は建国の日。世界にはさまざまな建国の形があるとはいえ、
そこには、誰か、あるいは集団を称える形で作られた、
フラットな目で見るとぎょっとするような物語が少なくない。

フィンランドについて、トーヴェ・ヤンソンの研究史を唸りながら読んでもほんとにそう思う。
先日からトロトロ 進んでいるのですが、ただいま十二章。面白くなってきました)

高野さんとは、実際のところ、まだほとんどお話しできたことがない。
– 京都のタクシーで、同席させてもらったことが懐かしい – のですが、
この方のセッションに参加できたことがターニングポイントの一つであり
ずっととても感謝しているのです。

* もちろん、光秀も戦国「英雄」の一人です。その後ろには無数の。

あっというまに

一年。

Atto Iu Ma Ni をオンラインで出してから1年経過しました。
去年出した26曲、その中でも一番好きな曲です。

去年の2.9といえば、日本ではコロナ禍直前。
まだ僕も、2020年はこんなことしよう、と夢見てた時期で、ドリーミーでもある。

あ、これだな、と思いつつ、この路線を踏襲していないのが僕なのですが…

この曲の配信は継続します。
でも、ちょっと後半に手を加えていて、近々発表する予定。

完成後にリリースを置き換えるか別バージョンとして出すか、まだわかりません。
まずは bandcamp からかな、と思っています。

as easy as a b c

そっかぁ

相変わらず Steely Dan ばかり聴いてるが(1974のアルバム最高だ)、

Murder by Numbers / The Police はフェイバリットソング(?)の一つである。
ソング、というよりミュージックが近いか。

この奇妙な曲は Synchronicity の LP レコードに入らず、カセットや CD に最後の曲…ボーナストラックとして入っていた。

僕が最初に買ったのは CD だからその時には入っていたが、それ以前にレンタルして UDII カセットにダビングした LP には…入っていなかった。
もしかしたらレンタルレコードではなく、FM ラジオのエアチェックだったかもしれない。さすがにその記憶はあやふやだ。

最初に聴いたときは、Tea in the Sahara がすでに不思議な地味曲なので*、それに輪をかけて不思議なこの曲を理解する気にもなれなかった。

最後、引き笑いの声で終わってるし。

時が経つと共にこの曲が好きになり、弾き語ったりしてるとすごく面白いことに気づき、今では…上に書きましたな、フェイバリットだと。

この曲、モンセラット島の Air Studio で彼らがアルバム作ってたとき、夕食のテーブルでなんとなく Andy が弾いたコードから Sting が歌詞を思いついて
さぁやってみるべ、と各自が弾いてみたのをヒュー・パジャムが録音していて、ワンテイクしかやってないそうだ。

曲の構成を決めるリハもせずにレコードになった、完全なジャム・コンポーズド曲だ。- いや、アナログには入らなかったのか、ややこしい –
しかも互いのブースは結構離れてたようで(離れたリビングでドラムを録ったとある)、アイコンタクトもなかっただろう。そりゃ、笑うわな。終わった瞬間。

唄がオーバーダブなのか、その時録ったのかは知らない。どっちもアリな気がするが、
最初 Stewart がドラムを叩き始めときは他の二人はブースにたどり着いてもいなかったそうだから、後からじゃないかな。
そうすると、Sting はトークバックで、Verse とか Chorus ぐらいの合図はしてたかもしれない。”Z bass” を弾きながら。

2018年、SoundVapors の記事*より。


* 今聴くと、Tea in the Sahara がどんだけ凄い曲かわかる。ドラムも最高で、彼自身がフェイバリットというのも肯く。

* なんでこの記事を見たかというと、Miss Gradenko の後半に、どんな音源を聴いても入ってるバリバリしたノイズについて、事実はどうなんだろうと気になっているからでもある。まだ答えは知らない。パジャムがそれを良しとしたんだろうか?

* トータルとしては、僕はあまりこの 5th album が好きではない。低音とバンド感が物足りない。2nd の Regatta de Blanc の方が圧倒的に素晴らしい。

* エンディングで “A, B, C, D, E-” と叫ぶ彼は、ベースで “G, A, B, D, E-” と弾いている。これもある種のダジャレだな。

ホールはひろい 弐

ホールはひろい の続きである。

1.29にNHK大阪ホールで演奏していた内容は収録されていて、配信される。

前回11.19、東京での公演も収録され、こちらは先に確認に観せてもらった。
とてもいいコンサートだったな、と改めて思いつつ – 自分の痩せっぷりには改めてびびったが – 次のアルバムに入るようですよ。

今回は、また違う感じのコンサートになったかな。

– と書いているうちに、実はもう配信されていて、本日いっぱいまでアーカイブです。
トリオどんの唄が素晴らしいですよ。僕は髪がだいぶ伸びて、見た目はこっちの方がサマになってたかな。


舞台は深い。そこに辿り着く多くのもの。
例えばこれを車の部品と完成形に見ることもできるだろう。
さまざまな商品の発表会に投影することもできるだろう。

だが、少し違う。いやだいぶ、違う。

演奏舞台はシステマティックにもできるが、それだけなら全部同期にすればいい。
口パクでもメロダインでもホログラフィでも VR でもなんでも使えばいい。

しかし、人間がやることとテクノロジー、決まりごとと決まってないことが同居する舞台。
それは、本当の舞台の姿だと、僕は思う。

そしてそれをやっているのが、大橋トリオ というアーティストだ。
彼は楽器演奏の才人にして、声も天性、作編曲もマエストロという、魔法使いのような人であり、まぁ書ききれないが、なおかつ人間臭さ、ユルさも持っている。

ここ何年か、この人の舞台に加わることができ、とても光栄、かつラッキーであった。
音楽をこんな面白いバランスで続けているアーティストは、本当に貴重です。
これからも、彼の活躍を信じ(るまでもない)、遠くからではあるが応援したいと思う。


ここからはご挨拶になります。

足掛け二年、しかし体感時間はあっという間だったツアーを無事終えることができました。
感染対策や振替公演、難しいやりくりを実行してくださったすべての関係者、メンバー、
そして、こういう状況にも関わらず、安全に気をつけてご覧くださったオーディエンスの皆さんに、改めて深く感謝申し上げます。

ここで、ある程度の時間をとって今後を考えたかったのですが、
そうもいかない事情もあり、結論を出すことにいたしました。

僕はこのツアーを持って、大橋トリオチームでの演奏活動から退きます。


このコロナ禍に対する僕の警戒レベルは、おそらく常人の倍以上。
陽性確認者が減る一方で死亡者が増加する? という不可解な状況で、情報が錯綜する中、これからがますます読みにくくなる。

そんな中、長距離を跨いでの生演奏活動を続けることに、東海地方在住の僕にはさまざまな面で無理があります。
本来ならば、ここは関東、関西どちらにも移動しやすい上、
また僕の観点では、情報過多の都会から距離を置きつつ創作・発信していく方が面白く、距離をさほどハンデには感じていないのですが、生演奏はリモートとは違います。
発信先がリモートでも、発信元は同じ場所にいる必要が(現在の技術ではまだ)あります。

また、特に ohashiTrio band のようなバンドマジックを生む為には、ディスタンスはあまりいつまでも有効には働かないことも、わかっています。

東京圏の音楽家たちがこの状況で頑張っているのも見聞きしているし、最近は実演その他も活発化しているようにも思える。それは、彼らの判断です。
彼らとして最大限の注意をし、仲間を大切にし、仕事と人生を大切にしている。もちろんガイドラインにも沿っています。

しかし、越境しながらこれをやるということは、僕一人の問題ではすまないことになります。もし感染を持ち込んだら。

そして医療はどこも、大変です。


音を作る、曲をつくる、詞を作る、それは引き続き、可能な限りやっていきます。
対外的にはともかく、自分の中では、それらは着実に育っています。

あるいは、単発のセッションはあるのかもしれない。
リモートのお仕事は歓迎します。

舞台の素晴らしさを改めて知った今、
それを自ら絶つことに虚脱感もあるのですが、
それも捉え方次第。The World is Mental, です。

もしかしたら何かで花が咲くかもしれない。
僕にはやりかけのことがあり、吸収したいことも、沢山ある。

そして、近年一番大きな、日本でも最高の音楽仕事であったチームを、
離れることにいたしました。

大橋くん、この縁を作ってくれた神谷くん、メンバー、
そしてここ5年余りの間に出会った
すべてのミュージシャン、スタッフ、トリオファンの皆さん、
本当にありがとうございました。

ごきげんよう。




ホールは屋根が高い。
奥が広い。
普段の部屋とこーんな違う世界。
味合わせてくれて
あんがとよ。
マスク越しでも
楽しんでくれれば
嬉しいな。

Thanks,
Ray

トロールの誕生

最近の睡眠の友は

「トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界」(冨原眞弓)という本だ。

ムーミン作者、トーヴェの背景に関する著述で

ほんわかしてるのかと思いきやとんでもなく

彼女の父母の世代からの、フィンランドとスウェーデンやロシア、
ナチスドイツ、その他の内外情勢と
風刺雑誌「ガルム」の筆頭漫画家としての活動から、ムーミン誕生を探るという
めちゃくちゃ難解な記録&考察となっている。

お気づきかもしれないが、この場合の睡眠の友というのは

心地よく眠れる

のではなく

難しすぎて眠くなる

ということである。

割と速読の自分が、この本は難解すぎて全く読み進めない。
何しろ、北欧の人文地理にも疎いので、次から次へと出てくる人名や地理名を
頭のテーブルに載せるだけでも大変だ。
(テーブル、というのは、揮発性メモリ = RAM みたいなもので、咀嚼する間にあくまで一時的に並べるという意味だ。理解する、という事はそもそも放棄している)

しかし凄まじいのは、トーヴェの母、シグネ(彼女も「ガルム」の筆頭漫画家だった)の時代の、フィンランド国内のさまざまな政治信条、イデオロギーの軋轢のすさまじさだ。*

隣国スウェーデンとの近親憎悪(にみえる)、母国語や、自国のアイデンティティを形成する「物語」を巡っての学生や政治家の運動などを読んでいると、学ぶことがいっぱいありそうな気がする。

アジアでも、要するに日本でも同じなんだよな。
そして、現在進行形でも。
これをやってる(やってきた)人が、世界中にはびっくりするほど沢山、いるっていうことだ。

詩人や芸術家がある勢力に利用されたり、あるいは逆に擦り寄ったり、
人間のあり方がどれだけ危うく、またどれだけ歪んでいるかも見てしまう。

つまり、単に文が難解なだけではなく、そのことに気が遠くなって、
眠るしかなくなるのだ。

まだまだ本の7章途中で、全部で20章あるので、いつ読み終わるのか、
その時に何か学んでいるのか、わからないのだが。

* あまりのことに、「凄まじサンドイッチ」してしまいました。悪い文の見本です。

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