カテゴリー: muse

so loose to get groovy

Charlie Watts の追悼記事はたくさん、そりゃあぎょうさん出ていて
そのごくごく一部しか観られないのだが

これは Guardian の記事。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts

Stewart Copeland と Max Weinberg によるコメント。

Stewart と Charlie は僕の中で二大ヒーローで
とはいえ彼らのスタイルやビートは真逆だから
あまりこの二人を同列に好きな輩はいないかもしれないけど

ここが刺さる。by Stewart、以下は僕の訳

Charlie described himself as a jazz drummer, but they all do that – in rock’n’roll, that’s sort of like saying “classically trained”. Rock musicians aspire to have jazz credibility – even Ginger Baker called himself a jazz drummer, for God’s sake. I’d say it was a futile enterprise: a member of the Rolling Stones denying being rock’n’roll is not very convincing! But one thing you can see of the jazz influence on him is that he went for groove, and derived power from relaxation. Most rock drummers are trying to kill something; they’re chopping wood. Jazz drummers instead tend to be very loose to get that jazz feel, and he had that quality. The jazz factor in Charlie wasn’t in the use of the ride cymbal going ting-ting-ti-ting, it was his overall body relaxation. It’s also why he hardly broke a sweat while driving the band to light up a stadium.

チャーリーは自分をジャズドラマーと言っていたけど、それってロックンロールあるあるだよ。
楽器を弾けるっていうときに、「クラシックを習った」といえば箔がつくだろ、ロックミュージシャンにとってはジャズがそうなんだ。ジンジャー・ベイカーだって自分のことをジャズドラマーだと言ってたし。

僕に言わせればそんなの言うだけ無駄だよ。Rolling Stones のメンバーがロックンロールを否定しても、あまり説得力がないだろう!

でも彼を見てわかるジャズの影響のひとつは、彼はグルーヴを追求し、リラックスすることでパワーを得たっていうことだ。
ほとんどのロックドラマーは何かをぶっ殺そうぐらいの勢いでドラムを叩いてる。木を斧で切ってるみたいだ。
ジャズドラマーはそうじゃなくて、すごくルースになることで、ジャズ特有のフィールを出す。彼にはそれがあったんだ。

チャーリーのジャズの要素というのは、ライドシンバルをチンチキチンと叩くことじゃない。身体全体をリラックスさせることだ。だから彼はライトアップされたスタジアムでも汗をかかないんだよ。


The biggest thing I learned from him is volume – he plays very quietly. Very early on, he discovered this wonderful device called the PA system: five billion watts of PA means that the drummer doesn’t have to work all that hard after all. When I was a young drummer, I was out there trying to kill every drum in sight, and it’s through watching Charlie that I realised: you know what? You can actually get a better sound out of your drums, and a better groove, if you relax.

僕が彼から一番学んだのはボリュームだ。彼はとても静かに叩く。早い時期に彼は、PA システムというすばらしいものを発見したんだ。50億「ワッツの」 PA があれば、ドラマーにとって力む必要など何もない。

僕は若い頃、視界に入るドラムを、全部ぶっ殺すつもりで叩いていた。
チャーリーを見て気づいたんだ。何かわかるかい?

リラックスすれば、よりいい音をドラムから引き出せるし、もっといいグルーヴが得られるんだよ。

* 一部穏やかでない表現があるが、「ぶっ壊す」ぐらいがよいのかな。どうなんでしょう、ロックドラマー諸氏。あと知人をフォローしておくと、汗をかかないのは体質もあるでしょうね。

Weinberg の方もじっくり読んでみる。Born in the USA と Street Fighting Man では力の入り方がだいぶ違う気がするけど…

* 8/29 夜追記: Max Weinberg の Charlie Watts 追悼寄稿、多岐に渡る深い話なので、近日中に訳して公開します。「お洒落」に関する話が特におもしろいです。 こちらから

slippery when

雨間に窓を
開けとったら

ダブべーの指板
ありえん程に
濡れとぉ

フェスに出ても
おらんのにのぉ


不覚にも

今月はまったく新曲に手をつけておらず

新月も半月も満月も見過ごしそうな気配である。

もういっこ半月あるけども。

もし何かが起これば、准旧曲のリメイクを発表できると思います。

とはいえ最近はむしろ内面的に得るものがあり

そのちょっとした変化が出せるかも、しれません。

そうならなければ、またの日に。

みなさん・いろいろな境遇はあると思いますが・身体を大切に

コロナを舐めずに・雨を舐めずに・滑っても転ばずに

生き抜きましょう。

バックリィ

先月だったか、ふと気になって
これまであまり真剣に聴かなかった Jeff Buckley を聴いたり、映像を観たり。

彼はスタジオアルバム一枚でこの世を去ってしまった。そのアルバムはたぶん、潜在意識には入っているのだが、親父さんの Tim と比べて、サウンドが少し苦手だったのか、あまり記憶がない。

これって単純に自分のキャパの問題でもあるので、改めて聴いてみるとやっぱ影響受けてた、というか彼がバンドでやってたサウンドは、自分の好きな音楽と共通点多かったんだなと再自覚する。

Television、Yes、Bill Frisell、Led Zep… そしてもちろん Tim Buckley。

なんで苦手だったんだろう? ベース?

今ならいろんな音源や映像に触れられるので、追体験。すごいね、この人。

https://music.apple.com/jp/music-video/grace-bbc-late-show-stereo/1538374733

ギターの人のペダルを踏むタイミングは突っ込みどころがありすぎて…
4人のバンドサウンドって、改めて奥が深い。
自分が若かったら、こんなバンドやってみたいな。

それからこの人、弾き語りのときの波動がとんでもない。Mark Bolan みたい。

アルバムタイトルでもある “Grace” の詞、読んでみた。

これって…ぼかしてるけど
明日戦場に赴く兵士だよなあ。飛行機乗りの。

すごい歌唱だと思うけど、この世界には僕は同意できないな、
彼も若かったし、1994年というときもあったのだろうけど
美談とか運命とか、任務とか大義名分が自分に染みてくる感じとか
それって、今一番、拒絶しなければならないものだと、思ってる。
人間が人間であるためには。

当時の僕は英語読解力がとても低く、わかってもどう思ったか、なんだけど

たぶん、9.11 後に自分で書いた “grace behind the word” は
こういう曲に対する無意識の返歌でもあったのだと思う。DIarY レベルだけども。

そんなことを思った。
日が明けて、違うことを思った。この詞は飛行機乗りを指してなんかいない。
こちらの勝手な思い込みだ。*

だが、
彼のインタビューでも “mortality” という言葉が残っている。

“It’s about not feeling so bad about your own mortality when you have true love.”

えっ…? 「愛があれば」「死すべき運命も」「そう悪くない」…?
あかんやろ、それ。

“Grace is what matters in anything—especially life, especially growth, tragedy, pain, love, death. That’s a quality that I admire very greatly. It keeps you from reaching out for the gun too quickly. It keeps you from destroying things too foolishly. It sort of keeps you alive.”

成長や悲劇、死や愛、何事においても、Grace を感じることで、君は銃に手を伸ばしたり、愚かな破壊願望を持つことから距離を保つことができる - あるいは、彼自身を律するような曲だったのだろうか。

だが彼は結局、30でミシシッピ川に沈んだ。意図的か、事故か、薬や酒のせいかはわからない。

死とは隣り合わせで生きていた Jeff.
フォークヒーローであり幼い彼を捨てた父は、手本でも、反面教師でもあっただろう。
Tim の映像を見ても、その思想の深さと思い切りの良さのようなものが伝わってくる。
だが彼も28で世を去った。

Jeff があの後も生きていたら、どんな表現者になっていただろう。
Tim じいちゃんと Jeff おじさんで、親子共演などしていたら?

田舎道の銀行から出て、この曲のライヴ音源を聴き始めたら
バンが通りかかり、そのナンバーが彼の誕生日だった。
「ひらがな部分」は「は」だった。
これ、「ば」ならもっとよかったな。ナンバープレートに濁点はないんだっけ。

つづく

* 「いい歌詞は、十人が聴けば、十通りに解釈できる」と、あるとき知人が言っていた。
とても説得力があった。今でも、たぶんそうなんだろうなと思っている。

上新粉ペーション

シンコペーションの再確認。

たまにはメトロノームを使う。

以前も記したように、僕にはkey=Eの音楽を避けていた時期が
結構あるのだが、

世の中にはやはり、EやEminのいい曲がいっぱいある。

4弦ベースにとっては、開放が使えるから願ったりの反面、
Lo-Dチューンにとってはめんどくさいことこの上ない。

で、Lo-Dに慣れると、レギュラーに直すのが頭の切り替え、ひと仕事だ。
5弦ベースもレギュラーだし。

演奏活動から離れると、こういうことをリセットできるので、
また新鮮な気持ちで接せる。

それに鍵盤やDAWを使えば、キーなどそもそもどうとでもなる。
だが。やはりEは大事なのだ。

前回記した Rikki Don’t…, それから
GやHやRや…いっぱいあるのだ。PHもNTYもGTBTも。

自分のもなんだかんだ、Eの曲があるけど、
しばらくは好きな曲に親しみながら、
そのうち出てくるアイデアをつかもうと嘯き、

実際は2年前からたまったメモスケッチが
睡魔を襲い続ける

そんなお盆周辺。

明日は盆の団子作りだ。

Bon Jovim と D. Fagen

あまりにも暑い。

朝から Bon Jovi の Wanted Dead Or Alive が頭で鳴っている。

まさかのボンジョヴィだ。

このアルペジオと進行、もしかして今の気分? と思ったのか
何かいいこと歌ってたんじゃないか? と気になったのか。

折角なので探し出して聴き直し、歌詞も見る。

ガットギターで少し確かめる。

いい曲だよなぁ…
…とまではならなかった。

僕の想像も及ばないようなでかいスケールで音楽活動した彼らだが、
この詞世界に関しては、僕には届かなかった。

いやそれは違って、アルペジオのレンジが高くて、ガットギターだと指が届かなかった。

そうじゃなくて。この詞はワイ(ル)ドすぎて、実感できなかった。

いつかわかるのだろうか?
リスナーのキャパで、音楽って伝わり方が違うんだな、と改めて思う。

それでも昔は、なんだかすごく大人な曲に聴こえたものだ。
意味を気にしなくても、耳を広げてくれた、というか。

そういうのって大事だ。すごく。


昼に近づき、どんどん暑くなる。

とうとうおかしくなったのか、ボンジョヴィをボサノヴァにしようと思い立つ。
当然、曲は Livin’ On A Prayer だ。

ボサノヴァと対極にあるような曲。だが世界中で愛聴されたということはジョビンと共通か。

ジョン・ボン・ジョヴィとトム・ジョビン。
ボン・ジョビンは灼熱の日本に何を語りかける?!…とばかりに、部屋流しで遊んだ午後だった。

感じたことといえば

  • この曲はボサノヴァには合わない。
  • Bメロの進行は、ことさらにボサから遠い気がする。
  • 歌い方次第でそれっぽくはなる。
  • でも、それっぽいカヴァーみたいなのは一発芸であり、今の僕の志向ではない。

マイナスばっかりやん!? なんてネガティブな人間なんだ。

しかし、そうは言っても何かがひっかかり、夜に再びやってみた。

何かわからないけど、何かがあるのかもしれない…と、思えなくもなかった。

だからそれでよしとした、八月八日だった。


実際のところ、Livin’ On A Prayer を Bon Jovim 的にやっていても
Rikki Don’t Lose The Number (Steely Dan) に切り替わってしまう、今年の気持ちだ。

ドナルド・フェイゲンって、あまりハイトーンに聴こえないのに、音符にするととても高い。だからとても難しい。ある意味得する声なのかもしれない。

最近よく聴いてる他の人の方が、遥かにハイレジスターに聴こえるのに、実は低かったりする。

どっちにしても、シンガーってすごいな。
じじいになるまでには、いい歌うたえるようになりたいわい。

まだ、そんなことを思ってる、あるおやじの夏でした。


Livin’ on…  って、Don’t Stop Believin’ (Journey) に似てるんよね。惹き付けどころが。

bleecker

八月になり、海を訪れる。

月初には海を観に行く。なにか心のカレンダーのようなものだ。

とはいえ、いつ観ても変わらない。初日の出は別として、いつもこの海は同じだ。
砂があり、海がある。人はいない。それだけ。

たまにサーフィンをしている人、釣竿を投げている人も見かける。ごくたまにだ。


7月は、オリジナル曲を作らなかった。6月に頑張り過ぎた。だが、それだけでもなかった。
何をするにしても、少し振り返ろうと思ったのだ。よって、数年前のアルバムの曲2つに取り組んだ。

実際は、数年前どころか、2000年代初頭に書いた曲だ。目黒区の端にいたあの頃は二度と帰ってこないが、あれはあれでとても貴重だったのだ。自分で落とし前は付けねばなるまい。


それと並行して、もう少し自分のルーツを掘り返したいと思った。そこで振り返ったのが、親子二代で強烈な輝きを残したシンガーソングライターだ。

彼らについては、まだ聴いている途中だ。特に、二代目については、彼の活躍期にどっぷり聴き込んだとは、とても言えないので、その理由含めて振り返り、いろいろ発見している。またの機会に記したい。


そして、彼らのさらにルーツを聴いている。

わかるんだけど、わからない。そんなものだろうか。

Beetles 2021

デカいイベントだからって、無条件に賛同しちゃいけないってこと。
とっくにそんな時代は終わってる、と思う。

いや、時代なんていっちゃいけないな、集合意識だし、僕はその流れにいないのだろうから。


朝、ゴミを出しにステーションに行くと
駅に急ぐ女の人が地面をみて、「すざっ」としたので

なんだろうなと帰りに地面をみると、小さなカブトムシだった。
ツノが非常に小さい。

今年はビートルによく出くわす。やはり近くに棲み家の樹があるのだろうか。

この子はどんくさそう(また誰かに踏まれそう)なので連れて帰り、水をやる。ツノがえらく汚れてるので(蜘蛛の巣か?)ぬぐってやる。

クワガタ派なのだが、ずんぐりしたカブトもなかなかかわいい。とはいえ飼う気はないので、
また林か樹に返しにいかんと。こういうとき、虫のショートステイ用の虫籠や小型水槽がない…手狭で捨てた…のが悔やまれる。

ふと、さる凄腕ピアニストの名の妙を思い浮かべる。
最後にお会いしたのは青森だったが、彼の演奏は至る所で耳にすることができる。電波に乗るってやはり凄いことですね。

思い出してみれば、僕が初めてベースを録音した曲は「カブトムシ」というタイトルだった。
借りた Aria Pro II の白いフレットレスベースを弾いた。M センパイありがとう。
当時始めつつあったバンドのメンバー周りの人が作曲したもので、その人はクロスオーバーからテクノからポップから、なんでも作れる人で、直接話したことはほとんどなかったのだけど、それからはハウスDJとして世界に名を馳せているようだ。
地元にいながら。それって理想の姿なんだよな。

とはいえ、作詞は誰だったか。センパイだったかもしれない。

カブトムシ 力が強い

最後の歌詞が結構泣けるのだ。

カブトムシ 力が尽きた

そうはさせじと、朝の小ツノカブトは、日暮れに林に返したのである。
出会ったおばあちゃんとの会話「最近はクワガタもカブトもいないでしょ」「結構いるんですよ、今年は」

とけいをひっぱりだす

時計をひっぱりだせ

river silver [side a] から、長く滞っていた曲を再公開しました。

この曲の背景からいくと、3.15か、今年ならば4.15にリリース、と思っていたのですが、
他に作りたい曲がどんどん出てきて、七夕になりました。

一聴してぷよぷよしていますが、その実は、
確定申告の書類整理にうんうん唸ってて、友達のイベントにも顔を出せないまま日が暮れる、という心情を綴ったものです。
ん、昼間にイベントやってたのか…? 三宿の trois cafe だと思うけど、それ以上の記憶がない。

この腕時計は、当時気に入っていた swatch。動かないまま、今も傍にあります。

Rickenbacker 8 弦を左右で弾いてて、時計が3種類、交代で鳴っています。
今回は2018年リリース時のボーカルトラックは残しつつ、声を重ねました。

そんな感じで、ぼちぼちやってます。

Bandcamp より。しばらくは stillbeat 名義です。

火輪の風と、海の蕾

改めて、六月の二つの作品の紹介。
さっそく聴いてくれた方ありがとう。

五月、すでに雨をたっぷり先取りしてしまったので
梅雨にもかかわらず、創作者の気分は乾いていました。
砂漠だったり、アメリカンだったり。

砂漠 – 未だにエジブトにも中東にも行ったことがない。
小学校の国語の時間に何を思ったか「二十歳になる前にサハラ砂漠に行きたい、でもどうやって帰るか、わからない」と発表したことがあるが、
結局それは果たさず、鳥取砂丘と中田島砂丘にとどまりそうだ。

だが、砂の「なんにもない感」には年々強い何かを感じており、
昨年あたりからの作にも頻繁に砂が出てきている。

構築や成長、変わらないための流転、それらすら許さないような微粒子。
ウィルスと違ってはっきり目視できるけれども、砂のそっけなさって、すごい。

海岸で見てるとわかる。一瞬で濡れて、一瞬で、乾くし。

trojan wheel は、曲と詩を書いた後に決めた題で、それ自体は
トロイの輪
という話を内包している。

これから、どうやっていくか。自分(たち)は。

トロイは、ギリシャ人たちが争い、滅した街。
トロイの木馬はトロイを破壊するために贈り込んだ、アカイア軍の木馬。
コンピューターウィルスの代名詞にもなっている。
だけど回転木馬や揺り木馬がそうであるように、木馬は破壊だけではない何か、別の世界への乗物でもある。はず。

ずいぶん前に書いたが、新宿にあるピエール・バルーさんのラ・ジュテで、不定期に不思議な催しがされていたころ(自分も出入りしていたころ)、
いつまでもひたすら回り続ける、という中東の踊りを、誰かがやっていた。
なんでそんなに回るんだろう。というぐらいに。色鮮やかな、衣を拡げながら。

音楽的には、ずっと前からのダブルベースのスタイルに立ちもどり、モードをどう紡げるかをやってみた。鍵盤はお休みし、ギター一本、ベース一本。打楽器も指のスナップだけ。

(…ちがった、シンセ弾いてました。)

フリーフォール、は、聴いてもらってのごとく。
底が抜けましたよね、っていうこと。
6月に入って、いろいろ。

どのように自由落下しますか。空から、あるいは宙へ。
利害のためにつくった虚構の街や催しなんて、とっくに。

これからも人を縛りつける企みは続くんだろうけど、
もっと大事なこと、あるし。

去年の Neptune と、根本的には同じこと。
あっちは徹底的に内面を見て、こちらは動物的にいきました。

パワーコードのトラックにアルペジオとリフを重ねたのだけど、サビのサイドギター、結構気に入ってます。
6/4拍子っていうのは、これも輪か。ノコギリと輪。

あとひとつ、常に思っているのは

蜘蛛の糸

あやとり、どこまでも。

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