16分音符といえば
あるいはより細分化された音符といえば
Radiohead っていろいろなジャンルのミュージシャンに好かれてるんだなと
つくづく思う
ジャズピアノからフィドル、マンドリン、チェロ
曲がいいんだろな
アレンジか
想像への入口が広いというか
深いというか
16分音符といえば
あるいはより細分化された音符といえば
Radiohead っていろいろなジャンルのミュージシャンに好かれてるんだなと
つくづく思う
ジャズピアノからフィドル、マンドリン、チェロ
曲がいいんだろな
アレンジか
想像への入口が広いというか
深いというか
まっすぐの視野を持てないなら
少し斜めに傾けよう
地軸は傾いてる
時間は常に動いてる
すべてのかんせつは
まわりながらそれをかんじとる
その場で考えた音を録っていく。
あるいは、考えもしない音を、瞬間的に録っていく。
そういうこともよくしてきた。または、そんな音を後から聴き返し、覚え込ませることも。
最近は違うことをやっている。考え、書き、録り、聴き、また考えて書く。
これがとても建設的だったり、無駄だったり、理にかなっていたり、面白くなかったりする。
書いて形にすると、それ自体が一人歩きする。間違いや変えたいところが出ると、そっちに気を取られて弾くのを忘れたりする。
それは本末転倒でもある。ちょうど、試験前に勉強よりも部屋の整理に夢中になるように。
全部無駄、というわけではないのだけどね。
ガイドトラックとは面白いものだ。ガイドにもなるし、全くガイドにならなかったりもする。
そう、面白くないものに面白さをみつければ、たいがいのことはなんとかなる。
ある意味、それで幸せに生きていける。
だがふと我にかえったとき、それがいいのかどうかは別の話。
ガイドは光か、それとも影か。
新月だった一日は
色々話し合い。
手首の使い方を見直す。
楽器を本腰入れて探求することに。
グロッケンをある形に – 別途おしらせを。
そんなはじまりです。
SNS をやめると見事に世の中のフローから取り残されるので
日本の音楽界隈が今どうなっているのか、皆目わからず。
しかし一方、情報を遮ってつくづく感じるのは
シーンとは作り物 = 良くも悪くも集団幻想なので
それに乗るもよし、乗らないも吉ってこと。
手が届く範囲で、何かが起こっていれば、それがいいんだと思います。
古くても、新しくても。
とはいえ、知り合いの日記を読むと、驚いたりしますね…
思い出深い場所がクローズしたり、店の形を変えたり、すると…
熊本の TATOMIYA。ここも大変お世話になりました。
サンドイッチは美味しかったし
マスターは「トーキンブラザー」を気に入ってくださったし
flexlife に便乗して変わった演し物もさせてもらえたし…
で、なんといってもこの空間がいいんですよね
グリーンの場所にとにかく弱い拙者。
自ら訪れることは、もう九分九厘できないけど
近くの方はぜひ、まだイートインできる間に行ってくださいな。
パーティーは5/8だそうです。詳しくはこちらで。
身体性を少しずつ取り戻している。
使わなかった動きを紐解き、バラバラな回路を結びつける。
あれとあれって、案外同じ動きでいけるんだな、
こういうのって嬉しい
とても小さいグロッケンで
音を録る
大人には眩しすぎるほど
澄んだ高域がはじかれる
曲に合ってるかはわからないけど
大きな楽器も小さな楽器も
出会ったものとはつきあっていきたい
練習。だいぶ身体でつかんできたものがある。
ただし、子供用の楽器なので、そもそもが身体に合わないんだよな。
それは沢山のことを試みる。
紛失してしまった「バチ」が届く。