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安全保障理事会

日曜討論をテレビでやっている。

話が噛み合わないのは当然としても

戦争をやりたくて仕方のない大人が嬉々として話す。

「日本を守る」とは

彼らにとっては、「日本の国家体制を守る」ということだ。

残念ながら、それは国民を守ることではない。

国民の命を守る、ということは

彼らにとっては、前線で戦わされる人を守ることではない。

空襲に遭い、逃げ惑う人を守ることでもない。

これは残念ながら、ずっとそうだ。太平洋戦争も、その前も、その昔も。

未だに歴史物語や大河ドラマでは、人々をコマのように扱い手柄を競った者が

歴史を作ったかのようにされている。

それは何もこの国に限ったことではない。

古今東西、そのような摺り替えが

何故ずっと通用しているのか、不思議でならない。


ロシア、中国、北朝鮮。これらの国名が踊る。

彼らを専制と貶しながら、彼らの体制に倣って自らも軍事国家を目指す。

ミイラ取りは進んでミイラになる。

SDGs、環境保全、人権。温暖化対策。

戦争はどんな題目も軽く握り潰し、灰塵にする。

どうして権力者は戦争を求めるのだろう。「だから」なんだろうか。

彼らにとっては遊戯に過ぎない。あるいは「ドラマ」に過ぎない。

賭博の材料に過ぎない。カジノと戦争もセットになっている。

どうして有権者はそれに乗るのだろう。

そこに気づかない限り、日本はまた滅びます。

次はロシアや中国に進駐される。その時、自民党は掌を返すだろうな。


現在、国連で中国とロシアが拒否権を発動し、という話があったが、

なぜそれができるのか、数秒考えてみよう。

国連の「安保理常任理事国」は

中国、ロシア、フランス、イギリス、そしてアメリカである。

これは、第二次世界大戦の戦勝国だから、である。

そもそも、「国際連合」とは “United Nations” すなわち

「連合国」”United Nations” から来ている。英語の名称も同じだ。

「枢軸国」である日本、ドイツ、イタリアに対抗し、戦勝した組織だ。

日本は、国連の「敵国条項」適用国である。

この立場の国が何を言っても、敵国の遠吠え、三蔵法師の掌。

もちろん、政府はそんなことを知らぬほど無能ではないだろう。

それが分かっていて、国民の支持を得る(欺く)材料にしている。

日本を軍国化したいのはもう一つ、アメリカの軍需産業。

そして、おこぼれで儲けたい国内企業。あるいは部品は中国で作るかもしれない。

そして、人が死ぬ。兵器(「装備品」と言い換えられている)って何かわかる?

人々を殺し、町を焼き、文化を無意味にする道具。

画面観てゲームやってちゃ、わからない。

人間の心を狂わせ、命を奪うもの。決して使われてはならないもの。

もう、作られる前から、政治家も経済界も狂ってきている。


改めて気づかされる。この世界がほとんど茶番だということ。

茶番の中で筋書きをし、波に乗って生きているのが人間だということ。

あるいは、そうさせられているのかもしれない。

歴史とは公平でもなんでもない。差別的視点によってつくられたもの。

気が遠くなる。

だが生きねばならないし、これからを生きていく。

gi

こおろぎ に ねぎ

何故打楽器には「ぎ」がつく

撥折れたまま 半年前から座する

かえるぎろ に

聞いてみたい わからない

bottlemail

ポリスの “Message in a Bottle” を
『孤独のメッセージ』
と訳したのはどなただろう。

この邦題は、ギリギリの線かなと思う。
(小生はボンサイ趣味のひとつとして、このようなこと をたまに)

孤独のメッセージ
を英訳して
Message in a Bottle
にできる人がいれば凄いと思う。

これが
Lonely Message
だったらひどすぎるし

Lonesome Message
でもどうかと思う。

– 実際 ‘More loneliness than any man could bear’ と歌ってるわけだが

最近は洋楽の邦題ってどうなんだろうか。
そもそも「洋楽」は死語だろうし
あまりいい曲はマスでは流れてこない。

探ればいっくらでも凄い音楽は出てくるが
英語圏だけではもうとっくに測れなくなっている。

せめて西葡仏伊語は理解したいと思う。
が、あまり時間も残されていない、というのは
日々の課題がこなせてないことから、明らかだ。

おじさんは、たまたま記憶にひっかかった
過去や近現在のものを
ときに考えるのみである。

Carlos Aguirre に
“Náufrago en la orilla” という曲がある。
大好きな曲の一つで、ライヴでも一度インストでカバーした。
この曲も Message in a bottle について歌っていたと思う。
(CD に歌詞カードがあるのだが車に入れたままだ)

それにこのタイトル
「海岸の漂流者」というそのもの、のようだが
確信がない。

というか、現在この曲を含むアルバムは Apple Music で聴けないようで
検索すると代わりに Message in a bottle が出てくるという
不思議。

アギーレさんの最新作 “Va Siendo Tiempo”、
ヘッドフォンをしてるのを忘れるぐらい自然な音。

眠る前にしばし聴く。豊饒すぎて眠れなくなるのが怖い。

ガラスをあけたら

サンプリングかっていうぐらい
鶯が近い

Alan Hampton の音楽に
あまりに馴染んでてね

 

降りる駅の数

シンプルなボタンって使いやすい

と思ったら大間違いなことが多い。

入力端子が沢山付いているディスプレイや

ヘッドフォンを沢山挿せるオーディオ機材で

切替ボタンが一つしかないとどうなるかというと

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

というリニアな現象が起こる。

実際に挿しているのはそのうち2つかせいぜい3つだ。

さて、こういうボタンはたいがいスタイリッシュなので

押しにくい。

どうなるかというと、入力3にしたいときに

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3

(1から3にするぞーおー行きすぎたー何番まであるねんーおー手前やーまたかいなーえーおいーやっと3になった)

ヘッドフォンを4本挿せるうち2本しか使わなくてそれらを切り替えるとき

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2

(1から2にするぞーカチカチーおー行きすぎたー何番やねんーおっとまた1にもどったー次こそはーおーまたやんけーええかげんにーおーこれやこれ)

という現象が起こる。私はほぼ毎日こんな調子なのだ。

もしこの説明がわかりにくければ、山手線でいつも目的の駅を降り過ごしてしまう人を想像してください。

そんな人はなかなかいない、というかもしれない。単にものの例えであるから真に受けないで欲しい。

ともあれ私にとっては、ボタンが4つ付いて直接切り替える方が圧倒的に早いのである。

ところが僕は、切替えボタンが4つも付いているような機材は好きではない。
基本的にごちゃごちゃしたものが嫌いなのだ。だがある種の道具は、見かけのシンプルさを実現するために、内側をわざわざ複雑にする。

何がしたいかというと、ワンボタンで切り替える方法を受け入れる代わりに、ボタンが対象とする選択肢を減らしたいのだ。

入力1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1
HP1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1

実際に挿していない端子をスキップできるようにする。そしたらたとえ2回間違えて2周大回りしても大幅に操作速度が向上する。

今の技術ならこんなこと簡単だろう。家電でもプロ用機材でも、こういうカスタマイズは大切だと思うし、なんならこれがその人の毎日を大きく救うことになる。鈍臭い人対策であっても、シビアな達人用であっても。

何か僕は、間違ったことを書いているだろうか。
それともまた、本質にたどり着こうとして大きな間違いを冒しているのだろうか。

delicious, malicious, capricious

目覚めの芳しくない日が続く。

肩やら手首やら首やら。起き切らない。

今日みたいに雨模様だとほどほどに起きられる気がする。

ポッドキャストならぬ NPR のネットラジオを聴いて目を覚ます。

こちらは7時、むこうは15時という。シアトルか。

脳の追いつかないハイスピードの英語に、それでも慣れてこうと抵抗を試みる。

ぜんぜん関係ない dagale が脳裏をかすめる。つかまえる。

70年代の西海岸、といっても南の方では、サーフロックが盛り上がっていて、

Stephen Bishop は「タイトルの響きから」曲をつくっていたという。

なんだかとてもわかる。曲からタイトルを作るより、そっちの方がよかったりする

…ときもある。

てなわけで、この日記タイトルでそのうち何か曲ができる

かもしれないし、できないかもしれません。

山の背

ブルーグラスに聴き惚れ
想像のアパラチア山脈を辿っていると
何故か核施設に道を見つけた音楽家を知る

とても素敵な活動をしてきたその人は
ルーツと煌めきを体現していたかのようだった
あくまで自然に

アパラチアの西部では炭鉱や油田が広がり
カントリーミュージックのリリックテーマとしても
よく挙げられていたという

オークリッジというその街は
テネシー州の東部にあり

のどかな街の名前は
カモフラージュのために選ばれたらしい

核兵器のために作られた街
今も廣島は彼らのマイルストーンとして記されている

どうしてその人がその道を選んだか
知る由もない
何重もの防護が必要なものがどうしてクリーンで安全なのか
そしてその防護は何万年どころか
10年前後の頻度で破られてきていることはポイントにならないようだ

ルーツミュージックがいくら素晴らしくても
超え難き壁はある

幾重もの壁 を 作る人 は よかれと思い

壁を 破ろうとするもの は 我が正しいと

点と線

ライスとパンチ

山と島々

むすびつき

弁当抜きでも

行ってみたいけど

まずは眠気の

世話をするかな

特撮的平凡

分刻みの今日が

仮面を外す

診てくれた歯科医も水を刻み

思わぬ虫歯に来月のマトリクス

帰りにこれじゃ間に合わないと

湖畔の公園 片付ける手紙

とはいえ凡人 車内でうずくまり

少しでも外に出れれば

そこは楽園 おっさん達も気付いている

味わうまもなく 帰って続き

分刻み

そんなこと わりとできるものだ。

このまま 自分は

16分音符を

弾かなくなるのだろうと

1年ほど前はわりとそう思っていた。

ゆっくりゆっくり

やがて冷温停止するのだろうなと

意外とそうでもなくて

最近は持続音から細かい音まで

わりと平気で出している。

メトロノームだろうがクリックだろうが

相手にできるのだから不思議

いやそうでもない

虫や鳥を見れば いつだって驚異があたりまえ

フリーハンドは最高精度のグリッド

心のパルスはデジタルの数倍の物理学

とはいえ理想と現実はいつでも白影

凧の上

roundtrip

遠出。

とても空いている高速。本当に GW か?

山の上のカフェにも行きたいがそうは時間が許さず。

だがあっという間に目的地に着く。

2年半ぶり…

記憶がシャッフル。

そしてあっという間もなく帰路。

PA ではなにやら天体観測に行列。月見だろうか。

惑星だろうか。

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