黄色い星と
赤い月が
とても長く
見あっておりました
hourglass
砂時計
次の曲のテーマはこれだな
このパエリアのように
あかいつき
はっ
なにいってんだか
黄色い星と
赤い月が
とても長く
見あっておりました
hourglass
砂時計
次の曲のテーマはこれだな
このパエリアのように
あかいつき
はっ
なにいってんだか
11月。一年はこの月を中心に回っています。
だがいつも、所用に振り回されるのもこの月で
年によっては倒れかけたりもする。
一番クリエイティブなんだけど
いちばん、脳と心に負荷かかる時でもある。
なんとかしたいなぁ…
本日。以前長く演奏を務めていた大橋トリオの15th aniv 公演。
東京国際フォーラム。
前回は10周年、リアルタイム放映だったからプレッシャーはすごかった(最初はね)。
左右からバンドで舞台ごとスライドして入っていく時は快感でした。
ドリフの全員集合になれた気分。
今回はどんなことになるのでしょうか。
ご厚意で招待いただいたのですが、江戸は遠く、残念です。
舞台の上でも、袖でも向かいでも、そして客席でも、よいコンサートを。
遠くから願っています。
彼は、そして彼の周りにいる人々はまれなる「音楽家」です。
今後も 生の音楽を 続けてほしい。
11.1 に戻る。この日は何かしようと、色々な人が思うのか
曇り空の下 連絡が行き交う。
不思議な気分で 壁の棚にある「だめだこりゃ」を何年越しかにめくる。
そっか、いかりやさんの誕生日、だったんだね。おどろき。
十月。
「かんなで削るような」月になると書いていましたが、
結局、録音や音いじりばかりをしていると、あっというまに月が終わり。
ようやく形が見えてきた、アルバムのリメイク作業も佳境で
…まだ終わってなかったのか…
たぶん、ごく数人にしかわからないであろう、その大きな違いを
早く聴いてほしい、という気分にもなってきました。
小さな違いと大きな違い。
アナログレコードの針が読み取る震えの違いは
溝に住む微生物が巨大な針の襲来に驚く声の重なりか。
無限に微分な0と1の違いか。
どちらでもいい。削られた片にも意味がある。
あるいは、削りぶしにこそ。
パーカータイマーが近づいている。
字面にするとなんとも間抜けなこの言葉、
もちろん認知されてはいないし、まして英語圏ではありえない。
‘08年の日記で「スターバックスタイマー」と記してあったので
その流れで思いついた。
共に、「ソニータイマー」のもじりだ。
さて
小生にもいくつか、お気に入りの服がある。
決してオシャレな方ではなく、むしろファッションには滅法弱い方だ。
近頃はコロナでその本性が露呈している。
そんな私でも、お気に入りのパーカーがいくつかある。
これらはいつのまにか姿を消していく。
たぶん、着れなくなって、だと思う。泣く泣く処分したような記憶が
うっすらある。
(私の記憶はとても曖昧で、そのうち閣僚になれるんじゃないか、と思うぐらいだ)
中目黒の高架下にあった Riding High の、後ろだけ黒セーターみたいなパーカー。
湾岸スタジオに行く途中にサブとして買った、なんでもないけど千鳥格子が使いやすかったユニクロパーカー。
なぜかどれもグレー。
今回犠牲になりつつあるのは、栄で買った Replay だ。
ミュージカルのサウンドチェック後にふらっと買いに行ったのだと思う。
黒とさんざん悩んで、これもグレーにした。
今年も出番か、と着出したら、どうも袖のあたりがおかしい。
穴が空いている。しかも日に日に穴が成長していて、切り取り線の予感すらある。
ある日、長めの袖がぽろっと取れる。
想像するだけでおそろしい。
またか。でも8年着たから、いいのか。
パーカータイマーってことか。
解せないな。しかし。
秋は、環境に一切心配しなくてもよくなるので
自分が唯一、正常でいられる時かもしれません。
で、正常だとどうなるかというと
ものごとにうちこむので、一層社交的でなくなる。
もし今が大昔の別の国だったら、「社交界」とやらに出てみたいものだ
と思うのだけど
週末は「たこやき」三昧。作ると楽しいものです。
食べるとさらに楽しい。
まるいものっていいですね。
私は同じ題材を何度もブログに取り上げる傾向があるが
たこやきもその一つである。
だが、こんな日記があった。
なんのことだろう? 思い出せない。
知人のユニットが解散したのかな(再結成してるかもしれないし)。
いい満月でしたね
一秒が一週間単位で過ぎていく秋
電話線のない2022年の秋
さがすおとのかたちには
どうやらぼくだけがきづかない
きみはあらたなみをとったころでしょう
げんきで からだをたいせつに
夜は寝ましょうね
かんなづき。
自分や作品に、かんなをかけていくかな。
削りすぎてなくなりそうな実体と
肥大化して収拾のつかない想像が
両方ありましてね。
imaginary な半月を
うかべておこう
と心の準備するまもなく
何度目かの 9.30 が過ぎていったわけだよ
– と –
ふと今になって
一年にとってこの日は下弦の月だと
気づく
もっと前に知っておきたかったな。せめて二十年ぐらい。
アメリカからやってきた人とときどき少し英語で会話する。
本当ならがっつり教えて欲しいのだが。
米国だと、10代に三回、大きな誕生パーティーの習慣があって、
その三つ目、成人になる18歳のパーティーでは
ガバメントからお祝いの封書が届くそうな。
そこには、男性の場合、「米国が他国と戦争状態になったら、徴兵の対象となることに同意する」
という一文があるのだそうな。
フリーダムとリバティの国では、すべての国民がシステムとミリタリーに手綱を握られている、どうやらこれが実際のようです。
そのカゴが大きいか小さいか、あるいはどう見えるか。
それだけの違いなのかも、しれませんね。
それでもね。
気づくことはたくさんあり、思うことも、たくさんあるのだ。
気が遠くなるが、これからも。
私たちが生きるこの世界も
この国も
誰かのものではない
虚飾をまとって
民主主義を葬るつもりでも
私たち一人ひとりにいつか必ず
かえしてもらうことになるだろう
私たちは番号ではない
誰かの臣民でもないのだ