カテゴリー: hikari

相互監視と台本 – 弐

気になる本を読み出した。

山縣太一さん、大谷能生さんの「身体と言葉」(なぜか読み方が「ことばとからだ」)

演劇やってる人って、音楽とは違ってまたぶっ飛んでるんだろうな、とは思うけれども、とても示唆に富んでいる、また、読んでいくうちに頭が誤動作をしていくのがわかる。天才的に真理に到達してるのか、ふざけて端折っているのかわからない。その両方だろうか。

山縣さんのご両親がやっている劇団も、味わい深かった。

さて前回のとても暗い投稿と繋げるのは、前掲とは全く無関係の本でありながら、ここに気になること、正気に戻してくれるヒントが色々書かれているからである。まぁ、この帯のとおり。

この方は俳優が人前に立つという状況を「異常事態」としている。他人に見られ聴かれて表現する、そこに自らの身体を使う。ここからの論考がむちゃくちゃ素晴らしい – p.54 最高 – のですが、今回は端折ります。


「書かれた言葉」の可能性と内包する力。

紙の上に書かれている文字自体には身体がありません。文字と身体は、根本的な原理が違うのではないかと思うほど、遠くにあるものです。しかし、その距離を誤魔化してはいけない。遠ければ遠いほど、そのあいだに飛ばすことの出来る火花の電圧は高くなるのです。 – p.22

これは凄いと思う。
楽器演奏に置き換えてみれば、パッと弾いてすぐええ音が出るベースは、おもろないねん、と話してくれた清水興さんを思い出す(昔 B.Magazine でインタビューさせてもらった)がさておき。

〜書かれた言葉は、それが実行力を持って表れるとき、そこにいる人を発話する人と聞く人に分割します。書き言葉は会話とは異なり、そこにいる相手を黙らせる力を持っているのです。

この能力が最も強く発揮される場所こそ、演劇の舞台に他なりません。〜

俳優には、このような力を引き受けていることへの自覚と、その力が生み出してしまう「沈黙」を聴き取ろうとする姿勢が必要です。 – p.61

〜ある集団に、自分の身体と言葉でもって、ある書き言葉を「正しい」ものだと認めさせること。唐突な話かもしれませんが、ここにはおそらく、立法あるいは司法といった権力を生み出すような力が備わっているのではないかと感じます。 – p.62

記者会見や国会答弁、その他幾多の会合で、予め用意された原稿を政治家や官僚、町の代表がひたすら読むのも、この故なのだろうか。

「力を引き受けていることへの自覚」が必要というのは、パフォーマーだけに限った事ではないでしょうね。学校で立って教科書を読む子供にだって、その感覚を養うことは出来るはず。大いに。


「ダジャレ」の効能。

言葉自体を不安定にしておくことによって、発話という行為を毎回発見しなおすための回路を作っておく。- p.132

もう少し説明があるのですが、ほぼ完全同意。ぼくが駄洒落を多用するのも、そんなところか。

その他、今後も舞台に立つ(実感が薄れてるが…?)者としては、ずっと不思議だったことについて、答えと新たな課題をもらった気がします。

機会があったら上演を観にいってみたいです。

しまった

九夜十夜

何夜というのかわからないが
今宵の月は綺麗だ。

満月まであと五日かと
しばし眺めながら
左右上方の赤と青の星を見て
浄化されたついでに

気づいてしまう。

次に仕上げようと思っていた
「るいをよもう」という曲は
「あかりの来ない夜」の詩だった。

…….新月やん

今から満月の曲、かけへんで。

sugao no mousou

昔買ったジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」をふと読み返す。

とても影響を受けた本で、初版頑張って読んだのだが、今回は前書きを読みずっしりとしている。本編にはまだ入れない。

ジェニーさんというのは、ケニアで幼少時代を過ごし、60年代に活躍した美貌のイギリス人モデルであり、ロック界きってのドラマー達の奥さんでもあり、早くからインドの瞑想に傾倒した人であり…

ドノヴァンの「Jennifer Juniper」で唄われたひとであり。ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンが奪い合った「レイラ」= パティ・ボイドの妹でもある。

それはさておき、音楽家が何にインスピレーションを受けて創作を行なっているか、どんな葛藤があるか、などを75人のミュージシャンにインタビューしたレポートで、彼女が心理学者を志したときの大学の論文として作成されたものだ。そのためか、話があっちゃこっちゃに飛んで、といった感はあるが。

昔はなんだか、それを読んで盛り上がっていて、親しい人にもよく薦めていた気がする。
とはいえその人たちから感想をもらった記憶はなく、たぶん誰も読んでいないのだろう。

最近、久しぶりに Fleetwood Mac の70年代の曲を聴いていて(有名どころばかりだが)、なんでスティービー・ニックスの唄はこんなに素敵なんだろなとか、リンジー・バッキンガムって、いけすかないぽいっけど、案外哀愁があるのかな、とか、どう考えても哀愁やんけとか、フリートウッド・マックってドラマーとベーシストの両名ユニットだからフロントはなんだっていいんだな、とか。

その背景を知りたいと思うとジェニーの存在が出てきたわけ。すっかり忘れていた。

いつか僕もこんな本を書きたいなぁ、とか思っていたっけ。しかし僕にはそこまで沢山の音楽仲間がいるわけではなく、そもそもあまり人とつるまない。結局自分とごく数人の周りの人のレポートになるか、半フィクションの小冊子になる気がする。

また、ホラを吹きました。

ほしぞら

細い月とほしぞら。

hoshizora って、それだけで憧れたことがある。

見ればそこにあるのに、そこにないかのよう。

いや、ほとんどの星は見えないから、永遠に憧れでもある。

プラネタリウムに、憧れる。再び。2020夏。結局行かない。

このあたりの細い月は、夜中に昇って、最も高くなる前に朝が来てしまう。

夜更かしの月だ。

ほしぞらが見れるということは幸せだと思う。もしこれが空襲の夜ならば。

政治家の考える戦争と民衆の考える戦争と兵士の考える戦争。だけど兵士は元は民衆。止むを得ずそうなった人が大半だ。
前にも書いたが、ごく若いうちなら、あるいは何かに動かされて、飛び込んでしまうこともあるだろう。

そのためなら、いくらでも、報道でも、あるいは芸術でも使って、人々は鼓舞されてしまうであろう。
実際におこったこと。

そして、世の中の境界を生きるがため、いろいろ気づいているはずの芸術家でさえ、そうさせられた事実。
聡明なはずの科学者さえ、御用にされた事実。今だって、そうじゃないと言えるか。

げいじつか、げいのうじん、あしもとのつかないもの、
いや、このよのあしもとのつきかたを、ずっとさぐるもの。

細い細い月とぐんぐん大きくなるほしぞらが、みている。

カメラオブスキュラ


Camera Obscura / stillbeat
moon x moon #15

online single – 2020.8.4
lyrics

暑くなるとレイドバックしたエイトビートをしたくなる。

ジャズや EDM する人はどう思うのだろうか。

梅雨のある朝に思いついた曲。

前作 Loft & Found と順番は逆になったけど、
こっちはわりとマジなテーマです。

光とか輝きとか自由ってなんだろなと、日頃思うのですが

光がすべてを救うとも思えないし、それで騙されてしまう人もいる。
閃光がすべてを奪い、人の影だけを残してしまったことも。8月。

僕自身を励まし、導いてくれたいくつかのことも含んでいます。

カメラオブスキュラはピンホールカメラ、レンズを使わないカメラの原型です。
工夫すれば、部屋のカーテンをいじって、壁に薄く戸外を映すこともできるとか。逆プラネタリウム、みたいなものですかね。

2月に吉祥寺で観た青年団の「東京ノート」、フェルメールとカメラオブスキュラの話が出てきて、それが頭にひっかかっていたのかもしれません。

混迷の地 – PNR

夏がもう来たか、すぐそこなのか、という様相だ。

COVID-19 に、意味不明の GOTOなんとかに、謎のオリンピック全面広告に、
ここは LAND OF CONFUSION だが
(Late ’80s にも色々な誰かが警告していたんだね)

多くの人が色々なアンテナを伸ばしてやっている。
それは僕でもなんとなくわかる。

ただ、情報に距離をおかなきゃという姿勢は変わらず、
というか、おそらくあの時に PNR (Point of no return) を超えたので、
ある意味、自分の忙しさでいっぱいになっている。

(これは、もしかすると、あの界隈の人もそうなのかもしれない。別の意味で)

割と、殺伐としたものと、その中で響くものが見える、という状態だ。
David Sylvian とRobert Flipp の Graceland Tour の映像がしっくり来たりする。

自分の感度という意味では若い頃に戻ったかのようで、幸せですらあり、
ピエール・バルーさんが David Sylvian を家に呼んだりしてた、とアツコさんに聞いた話が、今頃染みてきたりしているのだけど、

正直、周囲との共感度においては、あまり期待していない。
今それは、ある種の安全装置として働いている。感受性はそれ自体がレセプターとなるからだ。

まぁ、もうしばらく、やってみよう。

SoleLuna

これすごい

アイスランドの Liska という照明デザインらしい
サイトの説明ほぼ読めない…

Clipso ceiling ってなんだと思ったら
こっちもすごい

天井の裏に太陽や月がわりの光点がある、っていうのはなんか夢があっていいですね。

器具の交換をどうするか、かな… ひっぺ返すのか、屋根裏から入るのか。

折り返しの織姫

今年も折り返した。

7.1 がそうなんだろうけど、7.7 ってことにする。

2年前か3年前か、river silver [side a] を出した。
river silver = 銀河
なのでそうした。7.7がゾロ目ってだけじゃなくて、後からいいこじつけがみつかったわけだ。

何を隠そう、そのアルバムは今絶賛廃盤中だ。[side b]  合わせて、合計16曲。
中には我ながら、「めいさく」もいくつかある。
grace behind the wordみつかったぞホタル や。
[side b] には double time runes がある。

CD やアナログと違って小回りのきく配信リリースとはいえ、はっきり書くが、ぜんっぜん採算に合わないのだ。儲かるどころの話じゃないって話。

こんなんじゃ、ゲストミュージシャンやイラストレーターに頼むなんて無理の無理。ちゃんとギャラ払いたいからね。レーベルオーナーとして。いや、人として。

配信ってなんなんだろう、とは常に思う。Apple はじめ、彼らのやりかたって、かなり疑問も感じてる。「1984」じゃない、って IBM を打ち砕くイメージで登場した Mac、実はビッグブラザーでしょ?
と、僕は Mac に向かって入力してる。その先は巨大サーバー。ビッグブラザーじゃん。

いろんな人巻き込んで、お金かけて、宣伝して、しまくって、広がって、元が取れる。
それは一つの有効なやり方だろう。資本主義。まだ王道なのかもしれない。この世の会員。

それができるのは、まず才能のある人だと思う。それは素晴らしいことだ。
音楽の才能。マーケティングの才能。人間としての魅力。言うまでもないので言わない。みんなわかってますよね。

なら、僕みたいに少なくとも、自分の得意なこと、より、自分のやりたいこと、を優先する人(≒偏屈な人)にとってはどうすればよいのだろう。

むずいね、無理だね、あきらめな、絶望だね、そんなことないね、どうでもいいね、最高だな、やばいな、ほなほんでええやんけ。いやいや、無意味なことなんてこの世にないやろ。

まぁそんな感じだ。あらゆる葛藤を360度 x 3600回超えて、僕も誰かも、こうやってオンラインリリースをしてる。「いいね」ごときでカウントできないっしょ。

それに比べたらアーティストイメージなんて関係ないし、ほんと、どうでもいいのだ。それに、やがて、人は灰になるし、チリになる。肺が使えなくもなる。

サーバーにデータすら残らない。何万字になっても数KB。解像度が高くても最適化すれば誤消去。諸行無常。

さて、全く重要じゃない前置きは終わり。

ともあれ、river silver は僕の(ほぼ)代表作でもある。Voice of Marble と別の意味で、問題大アリのかけがえの少ない作品集だ。

これは、改めてリリースしたい。できれば一年単位でなく、死後だって残したいものだ。

…間に合わなかった。いや、生きてるが。7.7 に。

数曲、リメイクしたいと思ったんだけど、この状況じゃなー。

だが、必ず、今年中には再リリースしたい、と思っています。


なんでこんな前振りが必要だったんだろう。

7.7 ということでこれは外せなかったのだ。あの前夜は赤い靴のライヴを 7th floor でしていて、仲間も沢山いた。

その同じ時、西日本では集中豪雨だった。

同じような状況だ。思い出さずにはいられない。

どうかご無事で、九州の方々。


同じような状況 ー もっと悪くなってないだろうか。香港、東京。アメリカ。目で確かめることも、容易ではない。そうなるとメディアを介したものしか、「社会」として認識できない。

これはもともとそうだったか。「社会」は最初教科書で、次に新聞やテレビで、それからもずっとそうで、町内会や自治会や、業界や、が入ってくるとしても、SNS やスマホで、でまたメディアになってしまう。

そうなると、リアルとメディアの関係は、永遠に。


折り返し。

また今年も何か、無茶なことをしよう、と思ってはじめた

moon x moon

完全に自己満足が発端なのだけど、ギリ続いている。

あと11曲の予定。

僕は昔から、曲の断片は溜めてきたから、作りかけ含めると1,000曲ぐらいのアイデアはあるのだけど、いかんせん歌詞が書けないのと、歌の才能が全くないので、ほとんど断念してきた。

もともと日本語の歌詞など興味はなく、インストか洋楽しか聴けなかった。
RC の「シングル・マン」を聴いてからだ。詞ってすごい、と思ったのは。

それからも随分経って、ようやく言葉が何処かを通って出るようになってきた。
才能がないなりに、少しは自分の声が出るようにもなってきた。

そんな遠回りをせずに、提供したり、共作したり、フィーチャリングボーカル使えばいいじゃん、って人は思うでしょう。

そんな単純じゃない。

フィーチャリングボーカルなんて、やっていいのは大沢伸一までだと僕は思ってるし。

自分も最高のシンガーとバンドをやったし、ものすごく素晴らしいボーカリストとも、たいがい共演した、それを経ての実感だ。

「うたうひとは、自分の世界を、うたいたい」。その方が輝く。

それに、僕は人を「使う」という感覚に、馴染めない。
プロデューサーっていうのが苦手なのだ。

ある意味対等でありつつ、意思を尊重して何かを見出すってのは、本当に難しいことだ。でもここからしか、長く聴けるマジックは生まれない、と思ってる。これは滅多にないこと。

それでも、僕のヘンテコな歌詞を歌ってくれたり、イメージをわかってくれる人なら、機会があれば共演したいものです。またそれが、人を介して、または独力で、きちんと仕事になるのならば、よいと思う。時間的なことを含めて。

やっぱりアイデアがある以上、人にお願いするにしても、自分である程度わかった上で、と思います。
しかし、わからない部分こそが、重要だったりもする。

難しい。ですよ。

難しいから、ガタガタ言わずに、やるんだ。


moon x moon は、リリース日以外にルールを決めていない、シングルリリースプロジェクトです。

昔から曲のアイデアはあるので、そこに、漸く詞がついたものを形にしたり、ということだったり。
とはいえ、ときには20年も前にアイデアが訪れたものを一度も人に聴かせずに、「新しく」出す、なんて馬鹿な奴も、そんなにいないと思います。そんな要領悪い人、いるの? ていうか詐欺? 案外いっぱいいる?

この24曲 25曲 の中から、残っていく曲も、発展させるのも、1年後にあっさり消し去ってしまうものも、ありそうです。

まぁそれでも、振り返ってみます。どれも、作った時は夢中でやってるから。
最高だと信じて、ね。


僕のリスナーは、少ないです。稀少な金属(レイア・メタル)です、あなたは。

が、はまるとハマるらしく、熱心に聴いてくれたり、するようです。
本当ありがとう!

僕は特にターゲットを決めたりしていないし、そもそも作品に表面的な一貫性はほとんどないので、もっと意外なとこから聴いてくれたりもするのかな、とは思ってます。

自分でもいいな、と思うのと、割と人気が一致するのが
Atto Iu Ma Ni

この曲、構成もうちょっと伸ばしたかったり、最後に歌やソロを加えたかったり、もします。
まずはライヴで育っていく曲、と思ったんだけど、この状況だからね…
後悔としては、タイトルは本来は “a tto iu ma ni” でした。こうできなかったのは、業者の Cap & Low(大文字小文字ルール)制限。”A Tto Iu Ma Ni” だとバランスが悪い。全部小文字にできるハックがあると、だいぶ後に知る。
「くつがえる ときのいわ」というのは「さざれ石」のことです。恐らく。

自分ではとても思い入れがあって、気に入ってたけどリリース後に聴き返せなくなってしまった曲もあって、その中で割と人気があるのが
わらい x きみ

です。これ、曲や詞としてはほんと大切なんだな。ボーカルでかすぎるね。
ジャケットは、京都在住の素晴らしい SSW、隆太くんによるものです。

自分では最高に気に入っていて、リリース後のトラブルもあり殆ど告知もしていないけど、いつの間にかよく聴いてもらえてるのが
Yesterday Morning

最近ようやく、リアルタイム歌詞も表示されるようになったので、きいて、よんでみてください。反省としてはコーラスがデカすぎるのですが、アウトロなんかはとてもご満悦です。
これはライヴでの再現はハナから求めていなくて、アコースティックで全く別物として成立します。だから楽しみでもある。

カーステで聴くとすごくよくて、割と人からも好意見もらえてるのが
Different Town

やっぱ8弦ベースがいいんですよね。
ジャケは、尾道で買ったミニカー。

地味だけど安定して聴かれてるのが
Waltz for July

です。本来は今月にリ・リリースするべきだった曲。待ちきれず1月に出してごめんなさい。やっぱインストゥルメンタルはいいんでしょうね。
ジャケットは、90年代の京都のさる風景です。

それから、よく聴いてもらえて、いいコメントももらえたのが
あかりをつけたら

これは死ぬ前には出さなきゃ(リリース=解放しなきゃ)、と思ってた曲。2バージョンあるけど、こちらがオリジナルアレンジ。とはいえ、ボーカルや、ドラムのマイキングに、今ならもっとこうしたい、というのはありますが。
自分の形はできたので。やや解放できてきた。だろうか。
至って健康ですよ。ただこの時世何があっても、との心境なのです。ジャケは近江大津のお宿です。

ほぼスルーされてる曲もいっぱいありまして、んなもん書くなよってことだけど
So It’ll Be

はもったいないですね。やっぱAメロのレンジが低すぎたのでしょう。歌詞含めて冒険心富んでるのになぁ。
Lou Reed も、磁石の武者、クシャナ殿下も、涙ぐんでる。
この「ペンシルドラム」の味も、捨てがたいのです。これはものすごく簡単なドラムセットで、マイクの前に立ててるポップガードっていう黒い金魚すくいみたいな物体の、ストッキング部分と縁の部分を、鉛筆で叩いたものなのだ。ASMR を先取りしてた。ジャケットは、エフェクトボードの光です。

それから、リリース後にものすごく再生されたと思ったら、いつのまにかその記録がなくなってしまっているのが
rivet

なんだったんだろう? いろんな意味で、重要な作品。好き嫌いはあるでしょうけれど。
タイトルが、右中央に浮かび上がっているのがおわかりでしょうか。

もう一つ、ほぼ完全にスルーされているのが
Black & White River

メロウなのが裏目に出たのか。あと、ジャケットが棺桶みたいで伝わらなかったのか。伝わったからなのかな?
愛しの目黒川。こないだ久しぶりに歩いたら、大橋ジャンクションはツタが絡んでて甲子園のよう。ポリドールの面影もなく。ただ、あの夜無数に星があった氷川橋の路面はそのままでした。

完全に太陽系外なのが
neptune

ま、そういう歌詞、もとい、詩なんだけどね。
中央からや権威から離れて、人間が作った歴史からも、っていう。
この曲のジャケットは4パターンあって、一番、おっと思うのを選んだのですが、
他のは美しすぎた。最後まで迷って、寂しげだけど何か言いたそうなこれにした。
でも全て気に入ってて、それらはまた公開するかもしれません。

そして、とても反応がよいのが
あめがおおきくゆらいだサイン

これは、ほんとになんのことかさっぱりわからないんだけど
なにか、いいんです。

さいごに
よこくの太陽 <feat. 神谷>

洵平くんやってくれましたね。当初かなり聴いてもらえました。
まぁ客観的に、よいのかというと…わからない 笑
以降、順当に、聴かれなくなっていますが。
それからこのジャケは、吉祥寺シアターという所の壁の一部を基にしています。

さて、そんなこんなもありつつ、これからも進むのだ。

七夕に彦星と織姫は会えるのか。

最もポップな、Z-A の運命やいかに。


<おことわり>
* 適宜、この投稿は増改築しています。ものすごく雑に書き始めたけれども、重要なことをたくさん含んでいるので。
* 数え直すと、なんと10月は2回も満月来るんですね。1曲増えたぜ…

Z-A


moon x moon #13 – full moon, July 5
Z-A / stillbeat

ひかりのなかま

Apple Music

歌詞はこちら


<バックヤード>

ずいぶん長く、部屋にこもっていた。
ひょんなことから ohT 氏のリハーサル、配信ライヴ、そして収録もあり
「外」に出たわけだ。

このジャケットは、その時のコックピットからの模様。
Z かポルシェか RX-7 といいたいけど、スイフトなんだな。
と、こちらが実体の、無人の川辺を自転車で走った模様。
錆びた橋の接合部があまりに美しく、虹に見えたので。

もともと、どこかのハイウェイをドライブしながら浮かんだ曲。
LA とでもしときましょう。
歌詞が全くできなかったが、去年の末から今年になってのことが
いろいろと自分の中ではまってきて、形にしたくなった。

まちってなんだろな

っていうのがテーマのひとつ。

都会からは離れて久しいが、

自分に馴染みと記憶のある、ふたつの街にも、すこし、交互で登場してもらっている。

もうひとつは

おわり と はじまり

かな。「ん-あ」みたいな。

テールランプの後ろは前、だし。


音楽的なことは聴いておわかりのとおり

いたって明るいものです。

無音のギターというものを織り重ねました。

あめがおおきくゆらいだサイン

6.21 新月リリース

しばらく stillbeat 名義で配信する予定。

この曲は詩集 flat five に掲載し、付属音源でしばらく配布していたので
聴いたことある方もおられるかと思います。知り合いにも割とよく聴かせたし。

ミニアルバム river silver で配信していた「ホタル」という曲の姉妹曲です。

もともとユルユルなのですが、これでもいくつかグレードアップしているので
前の音源を持っている方もぜひ聴いてください。

この曲もドラム叩いていて、マイク一本で録ったものです。


– 追記: 6.25 –

このジャケットは
ちょっと気に入っていて
何かわかります?

指も写ってあるのがヒントで
つまめる物体 だから一筆描きではないです。

まぁでも一筆ガキともいえますか

昔 ワタリウム美術館の on Sundays で見つけて
一目惚れした絵本があって
ずっと繋がった線で世界を一周、みたいな
Laura Ljungkvist だったかな

それを目指したわけではなく

そもそも僕は絵が得意ではないけれど

ごくたまに変な絵のようなものをノートに描くことがあり
今回は何も描けそうもないので昔のノートを漁って
何かスキャンできそうなものはないかとページを捲ってたら
何もなく さらに書いてる言葉もロクなものがなく
次々とページを破り ノートを破棄することに

そうするとどうなるかというと
残るは ページを留めてあるリング

僕は無印良品のダブルリングノートが好きで
そればかり十何年も使っていたので
(もうノートに書く習慣がなくなり、今は使っていない)
棚の奥には黒やベージュのリングノートばかり並んでいる

ひとまず一冊を解体し

針金のビヨンビヨンを燃えないゴミとして捨てる前に
記念撮影でもしようと床から拾うと
意外と面白い形になっている

これを角度を変えて撮ってみる

なかなかいいじゃないか

上のビヨーンとしたフックは月にも手錠にも見えるのだけど
ここは敢えて 犬の耳にも見える形を採用
なんだかソリで走っている鬼っ子とファルコンのようだ
下のクシャクシャは雨雲にも見えなくもない

ここでいつも困るのは
壁を背景に写真を撮ろうにも ロクな台がないのだ
結局指が一番便利な台だということ

うちの壁は白いのだが敢えてくすんだ水色にしてみた
近頃はこの色が好きなのです
とても

スバルにこんな色の車なかったっけ

あ 曲の方もよろしくお願いしますね


2020 連続シングル “moon x moon”

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