ミライノキオク 於 鎌倉

九月十日、矢野誠さんのアルバムリリパ、第二回。

矢野さんの地元、鎌倉へ。

文化と自然の宝庫。あの海があって街並みがあって、ゆっくり時間が進む。

鎌倉ずるい。よすぎる。

歴史あるジャズクラブ Daphne で、7人編成のぎゅうぎゅうのステージ、
私は舞台からはみ出して、ずいぶん前で、道脇の木のごとし。

よーこさん、直子さん、和世さんのハーモニーに、
ワタルさん、真理さんとのリズム隊もグルーヴしてきたし
何より矢野さんのピアノがノリノリでした。

詩人の﨑南海子さんのお話もたっぷり聞けたのは、鎌倉ならでは。

また、第三弾、四弾とやりたいですね。
全国津々浦々、なんて。

イラスト by 池田有希子さん

 

kou kowanu gokitai

秋になりました。

夏の間はいつも、ほぼ音楽活動をしない(バテている)ので

今年もレイはこんなものだろうと、皆さんタカをくくっておられたかと思います。

結果的にはその通りで、5月にライヴをした後は

6月も7月も、そして8月も何も演奏しませんでした。

さて、その裏ではとんでもない、例年にもまして音楽に取り組んでいたのですが

内容は伏せておきましょう。


季節とどういう関係があるのかはわからないけど、

どうやら秋になれば自然にアイデアが降りてくるようで、

あるいは、アイデアの森に自分が不時着していくようで

最近、いい曲がいくつかできてきました。

詩のあるものないもの、スキャットのもの、いくつか。自分に課したものもある。

そのうち発表なり演奏なり、すると思います。

kou kowanu gokitai.

暑さからの逃亡者

夏の終わりは、一味で信州を訪れた。

子供の頃に善光寺や白樺の山道を巡った。長野にはとても清々しい印象が残っている。

その次は大学時代か。音楽サークルの合宿で志賀高原に行った。
とても濃いサークルであったので、ガンボのような印象が残っておる。

また一度、何をとちくるったのか、チャラいスキーに行ったような記憶もある。
これは確か一日で嫌になり、翌朝帰ったはずだ。
テキトーに鈍行列車を乗り継いで、終電後は電話ボックスで野宿した。
誰もいない真冬の中津川が、脳裏のどこかに張り付いている。

その後どうやって京都まで帰ったのか覚えていないし、そこに残った友人がどう楽しんだのかも、今となっては知る由もない。

コロナ前の数年は演奏ツアーで何度か訪れたため、
「めちゃんこ素敵なところ。」 で上書きされている。

そんなタイムトンネルをくぐって


さて2023年。
今回はごく純粋に「避暑」あるいは「逃亡」先として車山高原、別名「霧ヶ峰」を楽しんだ。

南アルプスから南諏訪へ、そこから広大な農地を横切り北上。
要するに降りる IC を間違えたのだが、田畑は壮観だ。

ズームラインとエコーライン、やがてゆるやかに山道に入る。

素敵な食事処を超え、絵に描いたような景色、白樺湖を過ぎる。
なにこれ、っていうぐらいのリゾート地。
幼いころ通ったのはここだろうか? わからない。

左折し、トリッキーにもう一つ左折して山を降りると、ペンション村に入る。
その中の一つに滞在。

めったにこんな贅沢はできないが、多少無理しつつ、褒美でもある。
地元野菜を中心にした食事が、すばらしい。

薄曇りで上弦の月が照る夜空。それでも
あれはアルタイル、あれはヴェガ。あれが土星でアンタレス。
地平近くはフォーマルハウトか?
普段、北斗七星とカシオペアとオリオン以外の星座が認識できないのに。

早朝からヴィーナスラインを走る。
山道でありながら、不思議なくらいにヌケのよい景色。天然の芝生。
ハイジとヤギとペーターが出てきそうだが、いないのはなぜ?

数ヶ月前は野焼きの延焼で、辺り一面が山火事だった。無事だったという山小屋の辺り。

霧ヶ峰ってほんまにキリの世界なんや、一瞬で変わる光と影。

まぁこの調子で綴るときりがない。なぁ牛どん。

松本市内ではいろいろ観たいものはあったが、ごくごく王道な松本城。

白鳥、ちゃんと出番をわかっている。

この夏特に思ったのだが、鳥って自分のテリトリーにシビアで
白い大きな鳥って、人の視野あたり一羽しかいない。

自分がその場でどう輝くか、求められるものを自覚してるかのよう。

それが違ってたのは先日の琵琶湖北で、エリアに白鷺が何羽もいた。
ギャラリーがいないと安心して群れる、ということなんだろうか。

数年前から来たかった「日本ラジオ博物館」。

中町の「蔵シック館」。この手漕ぎポンプは佐鳴湖にもあり、既視感。

ここでは「木の匠たち展 2023」という展示をやっていて、とてもすてきだった。一階中央を陣取っていたのが、法嶋二郎さんのブランド Ambitious Labo
二種類の壁時計、こんな凝ったの見たことないギタースタンド、テルミンを木製ボディに埋め込んだ…これは…テルミンか。音楽への愛がにじんでます。

バターナイフにジャムスプーン。16分音符のようなポールハンガー。経歴も大変興味深く。

自分の道を貫く人って、ほんとすごいよ。いくら時間がかかっても。

Walk. Don’t run.

そんな流れで、諏訪のリビルディングセンタージャパン

想像を超えて、玄人向け店…だけど賑わっている。ここからちゃんとリビルドしていく男女が、若い世代にも多いってことだね。
いつか少し訪問したアンティークの山本商店も思い出す。マドキさん、ランプシェード探しにつきあってくれてありがとう。あれは代官山にあった eau cafe でりえんぬの誕生パーティーの時に僕がベースのヘッドをぶつけて壊したランプの… 長くなるな。

これはその「リビセン」で見つけたシングルレコード。
旅の情報をいろいろ教えてくれた、sugar me さんにかけて。

久々にご挨拶もできたし、よかった!

最後は、霧の谷に上がった花火。小雨も降ってて

これがほんとの、”Fire and Rain” かな。

James Taylor を脳内再生し、中津川を越え…

kohoku

お盆過ぎてからふるさとめぐり

帰りに数年ぶりの京都か迷ったが
今回は人に会わず自然だけ見ることにした

湖北
といってもいろいろな湖があろう
これは琵琶湖の場合

敢えて大通りを外れ
湖岸をひたすら走る

桜や紅葉シーズンはさぞ
夢のように美しかろう
今はとても静か

高島 今津 マキノ 海津 大浦 菅浦 塩津

淡水なのに海や塩とは何故

そして前から興味あった伝説の集落菅浦へ
車ではまともに入れず 入り口のみで断念する

パークウェイの半分まで来て通行止めとわかり
来た道を戻る 同乗者がいれば顰蹙だろう

日が傾き 違った景色になっている これも褒美か

ジグとモビーディック

気が付けば夏も終盤になってしまった。

今年は新しいのから古いの、合わせていろいろな文を取り入れようとしている。

きっかけは、偶然に出会った 平松宏城さんの訳書 と、ようやく手に入れた 渡邉格さんの2冊目 だったか。

昨年はひたすら多重録音をしていて、ほとんど本も読まなかった。20〜21年には割と読んだのだが、意欲がだいぶ空回りしたような気がする。

テキストはひとびとの希望も絶望もつないでいく。これだけ映像が簡単に共有でき、文を無限生成できる時代に、敢えて印刷された文字を紐解く意義がどこにあるのか、よくわからなくもなる。記憶も歴史も書き換えられ、遅かれ早かれ自分の存在も消えていく。それでもね。

結局は、音も言葉も、行き当たりばったりに呼吸しているに過ぎないのだろうけれども。


ほぼ10年ぶりに街の図書館のカードを更新し、いろいろ借りるようになった。時流を追わない自分にはこれぐらいがちょうどいいようだ。
30〜50年ぐらい経つと、木工楽器の音色もだんだん変わってくるし、同じように文体も社会通念も幾世代か変わる。テクノロジーだけなら何十世代も変わっているのだろうが、あまりそれらは気にしなくなってきた。


本を選ぶときは手にとって、パラパラとめくって、目の焦点がぼやけたままで文字の感触を確かめる。だいたいそれで読みたい/読める本かはわかる。ジャンルや作者にあまり必然性はなく、ただ、たまたまキーワードが重なることもある。最近だと、ハンガリーやニジンスキー。

『未来への記憶』にも『松雪先生は空を飛んだ』にも『ラブカは静かに弓を持つ』にも、なぜかハンガリーが頻出する。


アジアとヨーロッパをつなぐハンガリーはずっと気になってる国で、これからも何か縁があるような気はしている。知人は一人しかいないし、消息も連絡先もしらないのだけど(それってすでに知り合いとは言えないのだろうか)。


自分なら絶対に買わないようなタイトルの本も図書館だと借りられる。いや、借りる気にもなれないものも、無償処分だと手に取れたりする。それがすごく為になることも。

というわけで、『アメリカの文学』という本を先日読み終えたところだ。1983年刊行。
「アメリカはピューリタンがつくった国だ」という、ケープコッド、セーラムから綴った文学史は、けしてそれだけじゃないのだろうけど、いままで漠然としていたものにひとつのフレームはついたような気がする。

理想の高い清教徒が、潔癖症故に他者を排除する。エルサレムの後半から取ったセーラムという街は、後に魔女狩りの舞台となる。

ハーマン・メルヴィルの『白鯨』は(僕は未だに、Moby Dick といえば Led Zepp のボンゾのドラムソロ曲のイメージしかない)日本近海でのマッコウクジラ捕鯨を舞台にしている。この作品が出版されたのはペリーの黒船が来る2年前。
今の歴史の教科書では、ペリーの来日目的のひとつが捕鯨(鯨油を取るための重要国策)だったことが書かれているが、こんなとこで繋がっている。

白鯨と内容のかぶる、エドガー・アラン・ポーの長編小説『アーサー・ゴードン・ピムの物語』では、捕鯨船員同士、飢えを凌ぐための人肉食まで描かれている、ようだ。

血の気の多いひとたち…

この本は、当時の英語教育 AM ラジオ番組の内容を編纂したものらしい。

そんな、「ど」メインストリームな書籍にも関わらず、不勉強極まりないひとりの常人にとっては、新鮮だ。
というか俺は、一体何を勉強してきたのか? おまえほんまに、大学出てるの?


直球なものが昔から苦手だった自分は、歌謡曲もスポ根も、洋楽でいえばブルース・スプリングスティーンも長いことうけつけなかった。

Springsteen はどうも Born in the USA の拳の刷り込みが強過ぎて、あれは1984年当時の FM ラジオにも問題はあると思うが

だいぶ巡って聴けるようになったけど、それでもまだ遠い。最近なぜかよく目にする We Are The World の収録風景ビデオを観ても、彼だけ異質だしな…

でも、歌を聞けば明らかにあれはベトナム帰還兵のうたで、ストレートな米国愛国曲みたいに捉えてしまう僕はコロっと騙されてるわけだ。”they put a rifle in my hand – Sent me off to a foreign land – To go and kill the yellow man” 以外にもだいぶメッセージを逃しているので、たぶんそのうち、いろいろ掘り出すと思う。

彼のバンドのドラマー Max Weinberg はかなり Charlie Watts に影響を受けていて、確かに Born in… のドラミングも、チャーリーのフレーズがいっぱいだ。それはいつか日記に、ガーディアン記事の訳を綴ったとおり

しかし。音楽って言葉だけじゃないんだよな。やっぱりサウンドの質感とか、コードの響きとかで、伝わるメッセージも変わってくる… 聴く側がどう捉えるかにも…

声の大きな人が昔から苦手で、どうも政治家っぽくて、だが政治家は正しく選ばないと大変なことになってしまう。
それは当人だけではなく、周りも含めたシステムなので。どう関わるかも含めて。


さて、まわり道したが、そんなわけで一冊の本を手に入れた。

パンチ・ブラザーズを聴きながら、かみしめている。

当時10歳の女の子の文集。舞台は1904年のケンタッキー州、人口二千人ほどの街。
特に作家になったわけでない彼女が小学校の作文の時間に書いたものが、その娘によって屋根裏で発見され、出版社に持ち込まれて58年後にベストセラーになった…という嘘みたいな話。


ケンタッキーといえばバーボン。メーカーズマーク。デイヴ・マシューズさんの故郷。少し北にいけばシンシナティ。ブーツィー・コリンズの故郷。彼らはジェームス・ブラウンのバンドに加わる前、シンシナティのアパートでよくジャムしてたらしい。

もちろんファンクだけじゃなくてブルーグラス、ワルツ、ラグタイム、ジグ、ロール… 南部の音楽は深い、そしてアイルランドともフランスとも北部とも違う。のだろう。行ったこともないから、あまり勝手なことは記せない。


ジュレップとはバーボンとミントと砂糖水、クラッシュアイスでできたカクテル。どうもお菓子みたいな響きだが、この本では10歳の女の子が何杯も作っている。近所のミセスに頼まれて。

別の話では、算数を教えてもらおうと先生の自宅を尋ね、どういうわけかその母親にワインを振る舞われてよっぱらう。

厳格なのかテキトーなのかわからなくなる当時、当地のキリスト教会や学校。コミュニティには固さもいい加減さも必要なのだろう。それを、少女は敏感に嗅ぎ取っていたのだろう。案外、多くの子どもたちはそうかもしれない。もちろん、ここ日本でも。

「ジーザスは気にしない、だけど人々は気にする」エチケットや、そういった解釈をすりぬけた農作物の税金逃れや、どの道も女の子は通っちゃダメなら空を飛ぶしかない、とか、学校で万里の長城の話を聴いてローラーコースターを忘れずに持っていこうと思う感覚。宣教師はキリスト教を中国にも布教しようとするけど、中国語もわからないのに… そうなんだよな。

これらの作文が記されたのは120年前だけど、それからはるかに米中の関係がややこしくなって、それでも必要なのは、この女の子のような視点なんじゃ? と思ったり。

これとは他に、先日のようにニジンスキー周辺の(ポーランド、ハンガリー、サンクトペテルブルグに近く、侵略を繰り返されてきたフィンランド…)ロシアの状況も知るにつけ。

戦争を防ぐには、いろいろな方法がある。「政治家でもないのに」「ろくに SNS も使えないのに」できることは限られてるかもしれない。だけど、SNS メディアも頼りにできない気がするから、感じ取れること、読み取れることは、吸収しておきたい。

わすらふ にんげん

キーウ(キエフ)生まれのポーランド人、バレエ・リュスで世界を席捲した天才ダンサー、革命的な振付師、大戦期を心の向こう側で過ごした人、映像の残らぬその跳躍と動き。

ワスラフ・ニジンスキーについて、これまで何も知らなかった。
父が書棚に遺していった河合隼雄の著書。数年かけて読んだり挫折したり。
今年ようやく読んだ自伝の後半に気になるエピソードがある。
それが「ニジンスキー夫人」ロモラとのやりとりだ。

ハンガリーの貴族だった彼女はマルチリンガル、とにかく外向的。
ダンサーのひとりとしてバレエ・リュスに潜り込み、憧れのニジンスキーを射止める。
それも、ワスラフの(公私共の)パートナー、バレエ・リュスの総帥ディアギレフが
船旅を恐れて乗らなかった、米大陸行きの船の中で、だ。

なんという凄腕の…

だが彼女はそのことを生涯、密かに悔やむ。
そして河合氏にあるときそっと耳うつ。

運命は誰にもわからない。
ものごとの因果応報もわからぬものだ。

ニジンスキーはどうして、心の向こう側に行ってしまったのか。

当時最高の心理学者たちにも、ついにわからなかった。


こんなわけで、僕はかなり斜めからワスラフ・ニジンスキーのことを知った。

The Rite of Spring (春の祭典)で、彼はストラビンスキー、リョーリフと共に舞台芸術に革命を起こす。
知識としての音楽理論に乏しい彼は、感覚と、団員を直に使ったデザインで - ダンサーたちにとっては過酷極まりない制作期間を経て(それを界隈では「プロ」というだろう)、奇想天外な踊りをつくりあげた。

かしげた首、変拍子のストンプ、DJ プレイのように繰り返される不思議な旋回。衣装。表情。生贄と運命。なんという。

パリをロシアが揺さぶった日。

そしてロモラとの出逢い、ディアギレフとの決裂。

5年半後、ニジンスキーはスイスで「神との結婚」「戦争」と形容した舞踏パフォーマンスを行う。

その場にいたすべての人間にショックを与えたのち、その心は向こう側にわたってしまう。

“Schizophrenia” の名付け親であるブロイラーをはじめ、ビンスワンガー、フロイト、ユングといった精神分析の巨人たちも彼を連れ戻すことはできなかった。

その後31年、彼は生きた。
人生の半分を天才として愛され、崇められ、おそれられ、半分を所謂「統合失調症」患者として。
ドイツからロシア占領下に移ったハンガリーで兵士に発見され、なぜ故国の英雄が、と驚かれた彼は、穏やかにロシア語で話したそうだ。

二人好き。本来は、にんげんがすきでしょうがないひとだったのだろうか。


ある年齢をこえると
大人は急速にダジャレに惹かれていく

これを人間は
「連合弛緩」の予防や対策として用いているのじゃないかと僕は思う。
連合弛緩とは、言葉の連想を無視した(かのように思われる)発想の飛躍。
いわゆる統合失調症のひとつとされる。いや、さっきネットで知った言葉だ。

ことばの連想は、事象の地平面に落ちようとする大人の生存本能なのだ。

あまり深みにはまらないように、ここからは軽く綴る。

芸術と精神異常はかみひとえである、とよくいわれる。

生涯、そのエッジを「ギリギリセーフ」として乗り切った人は幸せであろうが
そうなれなかった人が、歴史上には大勢いる。
そして「歴史」という恣意的な物語にならなかった人は、数えきれないのだ。

残念なことかもしれないが、アートに携わるもの、志すものは
いや、アーキテクチャーでもアグリカルチャーでも、何かを成したい人は
長い目で、精神を保つことに注意しておいた方がよいだろう。

危険なものは危険な香りがするものである。

Sonic Youth の Sister というアルバムに惹かれ、毎日聴いていたころ、
その一曲目のタイトルの意味がよくわかっていなかった。
いわんや、歌詞の内容である。

よくわからず、なんとなくかっこいいと思っているころは甘っちょろいのである。
それができるのが、若さともいえる。

だが、その重みは、いやというほどわかってくる。
だから、やはり、気づいたときには記しておきたい。

それが21世紀のダジャレ男、のなんとかなのだ。

多元ものがたり

「講談」を観る。

近くの街の公民館。どこから折れてよいかわからない道を突破すると、何事もなかったかのように湖岸に開けるエリア。

二方の硝子壁から陽光降り注ぐその小さなホールは、ちょっとした楽園だ。

もっともこの酷暑では陽光も地獄を呼びかねない。厳重にカーテンが下されている。

災害用の段ボールベッドを転用したという高座に、お二方がのぼる。

そこがどんなつくりであっても、場所であっても。

見事なものだ。

現実と「つくりばなし」の境目がはっきりわかる講談に、親近感のようなものを感じるのはなぜだろうか。

張り扇で釈台を叩く。それはチャプター(章)の切り替わりでもある。ほんとに空気がパシッとかわってくれる。

マルチバースを旅するのが講談師なのだろう。

自らを振り返る。曲や語りのところどころで無意識にベースのボディや指板を叩いているのは、そういうアレなのだろう…か?

自分には講談の研究どころか、観た記憶も殆どない。
だが落語や初期の漫才や何やを見聞きし、無意識に影響されていたのかもしれない。

いや、たぶんそんな大層なことでもない。なんとなく、あれをすると気持ちがしまるのだ。

ああだこうだいっても、いろんなものが混在した自分は、所詮邪道に過ぎない。
が、色々な verse – ものがたりをきき、楽しみまなび、こわしてつくっていきたい。

あおいとりさえずりし

あおいとり、といえばこちらかもしれないですね。

Twitter から青い鳥が消えました。名前も変わってしまうかもしれない。

マスクさんの物になって以来、すでに色々な変化が(改革が)あったわけで

善きにせよ悪きにせよ、何が起こってもおかしくなかったから

(すなわち自分は完全に見放していましたが、それはとっくに見放されていたからでもあり)

なんとも居心地の悪い電線に、今は片足で立っています。

ことばを通して自分もとべるんだ、

と、思わせてくれたのが Twitter かもしれません。

地表すれすれから誰もいない高空まで、森から屋根の上まで。

tweeter はスピーカーでいう高音域担当。僕は bass だからどちらかといえば woofer だけど

その上で気楽にさえずる気になれたのは、よかったのかも。

2011.3.11 以降にその威力をしり、

それから数年が一番熱心だった。いろいろと目から鱗を剥がしてくれました。

始祖鳥の鱗は、羽根になった。

情報を集めるためには、とてもよかった。

発信するにも、割とよかった。

政治的には、とても重要で、力があったと思う。

次第に色々なものが介入し、なんだかなと思ったり
(なんだかな どころではなく うんざり も はるかにこえていたが)

自分という人間にとってにも、時折これは難しいな、相当、と思って離れたりしました。

昨年末に再開したときは、最期を見届けるぐらいの気持ちだったけど

こうして最期が来てしまうと果たして自分、野次馬の列にも並ぶことはできなかったですね。

でも。ありがとう青い鳥さん。

鳥も僕ももうさえずることはないけど、残って頑張ってる、人たちを
これからも見に訪れると思います。リツイはするかもしれません。

あおいとりのまうみずべ

『君たちはどう生きるか』
観てきました。

前作の『風立ちぬ』と同じ映画館。
あれは10年前の、9月10日だった。

あの時、なんとも説明のできない感覚でちょっと苦しんだんだっけ。
* 当時の感想:

10年はあっという間でもあり、しかし世の中は確実に、変わっている。
変わってしまっている、これから、さらに。

だから、タイトルを出すまでもなく、期待するものがあったかもしれない。
僕たちは、どうすればいいのか。
宮崎駿さんからの、道標。

そういう観点からすると、大いに期待はずれだった。

もちろん映画は一つの観点からだけでは語れない。
目まぐるしい映像展開や現実(二次元だが)と非現実の螺旋軌道、
彼のこれまでの作品のどれをも想起させるシーンの数々が映し出すように、
多くの意思とヒントが、描かれた作品だとは思う。

だが、芯のところが、わからない。
あるいは、響かない。

宮崎さんは、なんでこれを作ったのだろう?

とも、思ってしまった。

時代設定が太平洋戦争中、最初は首都、途中から疎開先という展開で
「風立ちぬ」との重なりを強く感じたし、あのモヤモヤを取り除いてくれるのか?
と思ったら、たぶんそれが間違いだったのだろう、輪をかけてモヤモヤする羽目になった。

最初のシーンで主人公の鼻筋が映し出された瞬間、それが予告されたように
物語は、恐らく西洋の血を引く、あるいは貴族的な家庭で葛藤を抱えた男の子の視点で続く。

父は軍需産業、戦闘機の風防を作って財を成す。これは宮崎氏自身の父のことなのかもしれない。
では主人公は駿さんそのものの投影なのか?
氏が表現者としてこう生きたという出発点を、表現しているのだろうか。

ならば、それはとても大切なテーマだと思う。
いつかは向き合わなければならないこと。

また、そこから溶けてくる、他の作品に込められた意味も感じ取れては来るのだが。
(たとえば、王蟲の目をガンシップの風防にしようとした風の谷の人の思い)

宮崎アニメは、未来少年コナンからナウシカ、カリオストロの城から、
ラピュタやハウルなど、多くは「王族にまつわる少年少女」に関わる物語だった。
アニメ以前の、『シュナの旅』にしてもそうだ。

そこが彼の作品の魅力でもあり、天井でもあった、と思う。

ディズニーや日本の昔話の多くも、そうかもしれない。

だが、2023年にそれは通用するのだろうか?

格差と AI と、SNS と相互監視と、権力の幻影と、戦争と。

これだけ顕になっている、こわれかけの僕らが、どう生きるか、というときに、

頼りになるのは、想像力と、火の神と、天才が組む積み木なんだろうか?

それをもう一度思い出せ、ということだろうか?

わからなかった。

時を経ると、違う見方も、沁みてくる味も、ある、とは思う。
だが今のところ、わからないのです。


どう生きるかは、自分を見つめて考えろ。

それが一番のメッセージなのかもしれない。

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