あおいとりのまうみずべ

『君たちはどう生きるか』
観てきました。

前作の『風立ちぬ』と同じ映画館。
あれは10年前の、9月10日だった。

あの時、なんとも説明のできない感覚でちょっと苦しんだんだっけ。
* 当時の感想:

10年はあっという間でもあり、しかし世の中は確実に、変わっている。
変わってしまっている、これから、さらに。

だから、タイトルを出すまでもなく、期待するものがあったかもしれない。
僕たちは、どうすればいいのか。
宮崎駿さんからの、道標。

そういう観点からすると、大いに期待はずれだった。

もちろん映画は一つの観点からだけでは語れない。
目まぐるしい映像展開や現実(二次元だが)と非現実の螺旋軌道、
彼のこれまでの作品のどれをも想起させるシーンの数々が映し出すように、
多くの意思とヒントが、描かれた作品だとは思う。

だが、芯のところが、わからない。
あるいは、響かない。

宮崎さんは、なんでこれを作ったのだろう?

とも、思ってしまった。

時代設定が太平洋戦争中、最初は首都、途中から疎開先という展開で
「風立ちぬ」との重なりを強く感じたし、あのモヤモヤを取り除いてくれるのか?
と思ったら、たぶんそれが間違いだったのだろう、輪をかけてモヤモヤする羽目になった。

最初のシーンで主人公の鼻筋が映し出された瞬間、それが予告されたように
物語は、恐らく西洋の血を引く、あるいは貴族的な家庭で葛藤を抱えた男の子の視点で続く。

父は軍需産業、戦闘機の風防を作って財を成す。これは宮崎氏自身の父のことなのかもしれない。
では主人公は駿さんそのものの投影なのか?
氏が表現者としてこう生きたという出発点を、表現しているのだろうか。

ならば、それはとても大切なテーマだと思う。
いつかは向き合わなければならないこと。

また、そこから溶けてくる、他の作品に込められた意味も感じ取れては来るのだが。
(たとえば、王蟲の目をガンシップの風防にしようとした風の谷の人の思い)

宮崎アニメは、未来少年コナンからナウシカ、カリオストロの城から、
ラピュタやハウルなど、多くは「王族にまつわる少年少女」に関わる物語だった。
アニメ以前の、『シュナの旅』にしてもそうだ。

そこが彼の作品の魅力でもあり、天井でもあった、と思う。

ディズニーや日本の昔話の多くも、そうかもしれない。

だが、2023年にそれは通用するのだろうか?

格差と AI と、SNS と相互監視と、権力の幻影と、戦争と。

これだけ顕になっている、こわれかけの僕らが、どう生きるか、というときに、

頼りになるのは、想像力と、火の神と、天才が組む積み木なんだろうか?

それをもう一度思い出せ、ということだろうか?

わからなかった。

時を経ると、違う見方も、沁みてくる味も、ある、とは思う。
だが今のところ、わからないのです。


どう生きるかは、自分を見つめて考えろ。

それが一番のメッセージなのかもしれない。

catch a star

逢魔時を超えて西に向かうと

いつになく大きな星が黄色く照っている。

こんなデカいのあったっけ、惑星の位置はいつまで経ってもわからないが

超新星か、超新星って赤い星だけじゃなかったか、

それとも大きく見えるのはメガネのせいか?

いろんなことを考えるが、その星(どうやら木星か金星)は全くもって

自信満々に空にいる。薄曇りの空、夕方は豪雨の兆しもあったのに。

星、一匹。天を我が物に。


ふと思う。あの星、お金にならないのかな。

何かが欲しい時、何かをしたいとき、「あの星で払います」と言ったら

相手も星を見て、「おっしゃ」と星を受け取る。

取引成立である。

あるいは、この靴の値はあのスピカな、この曲はアンドロメダな、と言い値をつける。

これなら紙幣も硬貨も、カードもポイントもアプリも要らない。

星は誰も所有できないし、だけど我が物にする気になれる。

経済なんてこれでいいんじゃないか。

貧富の差は心と視力でしかない。

そしてこの「新しい経済活動」とかのためには、何より空気が綺麗でなければならない。

すると、だ。

環境問題も経済も戦争も、これからの人類の健康も、すべて解決するだろう。


そんな出鱈目、ありえない。だが半分マジで、そんなことを思う。

色んなことはでたらめからだろ、違いはダンディかどうかだろ?

quiet storm [room 23]

 

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7.12 は大橋トリオの誕生日。小さなお祝いを兼ねてカバー動画をアップしました。

ツアーも盛り上がっているようで何よりです。
僕はコロナ禍で旅ができなくなってしまい、違う道を歩んだのですが
これからも彼と仲間たちは音と言葉、歌と服飾を楽しみ、音楽シーンを引っ張ってくれることでしょう。

この quiet storm は2020年のアルバム “This is music too” の収録曲で
僕が唯一、歌詞&曲で提供させてもらった作品です。

発端はある物語から膨らませたもので、書いた場所は三重の山の上のカフェでした。
ノートに走り書きし、帰宅後、めっちゃ一気にデモ録音した記憶があります。

彼に予想以上に気に入ってもらえ、
’19年の年末、イントロと展開部を書き加えて、スタジオで guitar & bass を同録したときの楽しさは忘れられません。
その後 vocal, harmony, そしてさらに、彼のアレンジによる武ちゃんの凄い a.sax が加わって
音源はドラムレスながらとてもゴージャスです。

僕のは完全に番外編。
アコースティックベースの弾き語りなのでほんとにミニマムで荒いですが
これも “This is also music, too” と思ってもらえれば。

グラサンは ’17だったか、フェスで Spotify のブースでもらったもの。
こんなギラギラしたの、滅多にかけません。

あと、ドア、閉め忘れました。トリオエコーが開けたのかな。

つりあい

この一週間そして週末は瞬く間に過ぎてしまったのですけれど

彼はもうそこにはいなくなって

花のように姿を表し

…未だに YMO の “Nice Age” のこのくだりの不思議さが解けない

Paul McCartney が成田で逮捕されたあたりのジャーナルらしいのだけど

この一週間は、何やら忙しかった。
今までと反対方向に、何度か足をのばした。

その結果知ることになった素敵な場所もさることながら

出会ったこの本に感謝したい。


志村寿一 著
ヴァイオリン演奏のための
身体と音楽との調和

アレクサンダー・テクニークに基づき
より深く具体的に、音楽、弦楽器について綴られている。

とっつきにくいかもしれないが、僕にはどストライクで
ずっと疑問に思ってきたことが、これを読んだおかげでほどけてきた。

こと「稽古」「練習」ということに関して、
どうアプローチしたらいいのか、
何度も失敗することについてどう向かうのか、
音色やパルスに対して
どう感じ、考え、捉え、身体を使うのか。

甲野善紀さんや陽紀さんの教えとも近いかもしれない。

表紙の左上 “basics” が語るように、
これはごく基本的なことなのだろう。ヴァイオリンの道をいく人には。

だが僕はなにか、これからに希望が持てるかも? という
– それはもちろん、ベースや発声、そして +α に –
少なくないヒントをもらったのだ。

exhaled

いい週末だった。

外出と部屋での行い、共にバランスが取れるようになってきた。
もちろんコロナで全く外に出なかった昨年までとの違いもあるのだが

2023年、半年経っても、ようやく、である。
これから先も、わからない。

先日、図書館で沢山借りた本も、今日返却である。
ホーキングやブラックホール関連、難しくて読破できなかった。

これも昨年、読書を完全にストップしてしまっていたので、
いわば呼吸の「吸」というところか。

ハッピーイノシシ 2023

矢野誠さん、76歳の誕生日。

鎌倉には行けないので、せめてもの。

 

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矢野さん2000年のアルバム “あむ ~ chorusing” より、2曲目の「あなたにとどけよう」

これは男女5声のポリフォニーとパーカッション、そして印象派とアフリカンとゴスペルが混在したような矢野さん独特のピアノが交錯する、素晴らしい曲。以前、小川美潮さんとのデュオでも一度観たことがあり、場内総立ちになった、とてつもなくパワーのある音楽です。

これを一人で、しかもベースの弾き語りでやるというのは無謀の極みなのですが、
正攻法ではとても再現できないので、これもひとつの解釈としてお聴きください。

矢野誠さんの音楽に触れるきっかけになってもらえれば嬉しいです。

元のアルバムを世界中の人がもっと聴いてほしいな、とも思います。
サブスクされていないので、CD を手に入れてもらうしかないのですが

「交差点」や「むちゅうではしった」、心が鷲掴みにされます。

ひらたよーこさん、白神直子さん、葛岡みちさんと矢野さんによるこちらの映像も、ぜひ。

朗読の日

619には六-十-九で「ろうどく」の日、という言われがあるらしい。

面白いので乗っかることにした。昨日に続いて忙しい。

 

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“Alba”

うみのうえ
ほしひとり
そらをまつ
ほとりのひ

はこのなかの
ひかりを
たびにだそう

うみのうえ
ほしふたり
そらおりる
はまべのよる

はなのなかへ
ひかりを
てらそう

いとしきレトリバー

“Martha My Dear” をベース弾き語りするのが近頃の楽しみである。
「ホワイト・アルバム」に入ってる、ポールの曲。
ラグタイムみたいだしマヌーシュみたいだし、とても不思議で頭に残る。
いうこと全然きいてくれない愛犬への歌。

なんと彼の81歳の誕生日! ということでアップしてみました。

Happy birthday Paul!

 

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ひびきと構造

しばらく Bill Evans ばかり聴いていた。

ピアノ弾きではないので、彼の音楽の大半を理解していないという思いはある。が、その上で。

エヴァンスのアルバムを最初に聴いたのは Toots Thielemans のハーモニカをフィーチャーした Affinity (1978-79) だった。ベースは Marc Johnson、ドラムは Eliot Zigmund。空気に包み込まれる素敵なアルバムだ。
Paul Simon の “I Do It For Your Love” のカバーから始まっている、ということには、だいぶ後に気づいた。

それから遡って Waltz for Debby や Explorations … (1961)
ベースとの絡みは衝撃的に面白かったが、ビル自身のプレイはタッチも含めて控えめに感じた。
Scott LaFaro の脇役、みたいに思えていたのだ。

1958, Miles Davis バンド参加直後の “Love for Sale” を聴いてから考えが変わった。
イントロからテーマ、バッキング、そしてソロの鋭さ。こんなにとんがってたのか、みたく。

この時の b & dr はフィリー・ジョーとポール・チェンバース。グルーヴしまくってる。

最近、アレンジャーのエンドウさんから教えてもらったビデオで、”Some Other Time” (バーンスタインの曲)を意識して聴き出した。このイントロは…そうか、マイルスの “Flamenco Sketch” と同じだ。改めて Kind of Blue を聴き、ビルの 2nd に遡ると、いろいろ面白い発見があった。

Everybody Digs Bill Evans (1958) は、前述のマイルスバンド加入後、彼が一度解雇されてからのレコードだ。理由は薬物中毒とされているが、当時はキャノンボール・アダレイから音楽面でも「何かが足りない、レッド・ガーランドが恋しい」とダメ出しされていたらしい。

ところが数ヶ月後のこのアルバム、ジャケットに並ぶのは、ジャズメンがエヴァンスを誉めそやすリコメン文。ジョージ・シアリング、アーマッド・ジャマル(!)、もちろんマイルスも。そして一番長い文を寄せているのがキャノンボールなのだ。彼がビルへの評価を覆したのか、自分の中の「ピアニストの基準」を切り変えたのか、とびきりの社交辞令を発揮したのか。

このアルバムはフィリージョーとサム・ジョーンズとのトリオという、グルーヴの塊のような面々だが、ピアノソロ曲の美しさが際立つ。”Peace Piece”。そして「ボーナストラック」扱いの “Some Other Time”。これらが数ヶ月後、再参加したマイルスの Kind of Blue セッションでモードジャズとして結実する… という流れなのだが。

改めて “Flamenco Sketch” のコード(モード)チェンジを聴いていると、”So What” との対になっているようでもある。So What のイントロは Flamenco Sketch と同じく揺蕩いながらゆったり進む。左手(ベース)と右手(コードワーク、ホーン)との掛け合い、という意味でもこの二つは似ている。ベースの動き具合で、こんなに別の曲になる。

ベースという視点で、動の So What、静の Flamenco Sketch といえるかもしれない。

ところが、よく聴くと、というかこの曲を弾いてみるとわかるが、単なる「静」どころじゃない…チェンバースは裏でいろいろ手を回している。ネックの後ろで…

さらに、エンドウさんの指摘によると、Flamenco はラヴェルのボレロと似ている。確かに。
ボレロ = スネアというイメージに惑わされて気づかなかったが、リズムもかけあいも、メロディの動きも、基本構造は同じじゃないか。

フランスの印象派からモードジャズへの流れは定説だが、「ひびき」以外をあまり意識してなかったために、驚くことばかり。

たぶんこんなこと、ある程度音楽やっていれば、常識中の常識なのだろう。

我は何年、何をやってきたんだ。
いつまで経っても、幸せな能天気である。

電磁波から見た自然界

図書館で大量に借りた本の一つ。

著者の宮嶋望さんには一度だけ、新幹線で偶然隣り合わせたことがある。
今から15年前のこと。

僕の楽器が座席のリクライニングを不可能にしているので、お詫びを兼ねて話しかけたところ、なぜか意気投合し、初対面の僕に随分いろいろなお話をしてくださった。

低周波と意思伝達の話、高速移動と頭の回転の話、電位とハチマキや兜の話…

それっきりお会いできていないが、この方の主催する共働学舎新得農場のチーズは近隣でも入手できることがわかり、時折購入している。

氏の考えはとても深く、独創的かつ論理的で、自然と科学、人や生物への慈しみが滲む。殊に自然界の電磁波の流れと水や生態系との関わりについての考察と実践は驚異的で、それだけで映画ができそう。

この本は2011.11.20に発刊されたもので、今も(今だからこそ)響いていると思う。

いつかまたお会いしたい。十勝に行ってみたいなぁ。

* ご近況は この記事 が詳しそうです

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