bottlemail

ポリスの “Message in a Bottle” を
『孤独のメッセージ』
と訳したのはどなただろう。

この邦題は、ギリギリの線かなと思う。
(小生はボンサイ趣味のひとつとして、このようなこと をたまに)

孤独のメッセージ
を英訳して
Message in a Bottle
にできる人がいれば凄いと思う。

これが
Lonely Message
だったらひどすぎるし

Lonesome Message
でもどうかと思う。

– 実際 ‘More loneliness than any man could bear’ と歌ってるわけだが

最近は洋楽の邦題ってどうなんだろうか。
そもそも「洋楽」は死語だろうし
あまりいい曲はマスでは流れてこない。

探ればいっくらでも凄い音楽は出てくるが
英語圏だけではもうとっくに測れなくなっている。

せめて西葡仏伊語は理解したいと思う。
が、あまり時間も残されていない、というのは
日々の課題がこなせてないことから、明らかだ。

おじさんは、たまたま記憶にひっかかった
過去や近現在のものを
ときに考えるのみである。

Carlos Aguirre に
“Náufrago en la orilla” という曲がある。
大好きな曲の一つで、ライヴでも一度インストでカバーした。
この曲も Message in a bottle について歌っていたと思う。
(CD に歌詞カードがあるのだが車に入れたままだ)

それにこのタイトル
「海岸の漂流者」というそのもの、のようだが
確信がない。

というか、現在この曲を含むアルバムは Apple Music で聴けないようで
検索すると代わりに Message in a bottle が出てくるという
不思議。

アギーレさんの最新作 “Va Siendo Tiempo”、
ヘッドフォンをしてるのを忘れるぐらい自然な音。

眠る前にしばし聴く。豊饒すぎて眠れなくなるのが怖い。

鱗粉とらんじすた

最近 Mac の漢字変換がすごい。

昔の「ことえり」から相当なものだったが

たとえば2022年6月現在

「いまーしぶ」

と打つと

「一括償却資産」

と変わる。

これってどういうことなんだ。

確定申告でうんうん唸ってたのと
空間オーディオを調べてたのが
ごっちゃに記憶されているようだ。

AI の進化、増殖は止まることを知らず
吾のごとくテクノロジーの後尾と先頭を漂う
てふてふは
すごいミクスチャーを目の当たりにしてる。

蜥蜴の混合物どころじゃないな。

ガラスをあけたら

サンプリングかっていうぐらい
鶯が近い

Alan Hampton の音楽に
あまりに馴染んでてね

 

hoshino

晴、雨、晴、曇り

暑、涼、暑、寒、湿、爽

季節はゆっくりと、その実素早くうつっていく。

地球の回転(公転、自転)には、反転する外輪でもついているのだろうか?

ゆっくりが早くみえるのは、そのものの動きと反対に動くものが加算されているため。

???

根拠なくそんなことを思う。イメージはあるのだが。

バーバー…散髪屋のくるくる回るアレだろうか。

やじろべえと地球儀とコマが一緒になった様な、あれだろうか。

星空を見たい。

明日、星空、出ないかな。

うけとりかたしだい

朝起きたら Say It Isn’t So が聴きたくなって
ひさびさに聴くと、今日はあのサウンドが薄っぺらくもなく
いい感じで楽しめた。

あのあたりの Hall & Oates はいい曲ばかりで
詞もいろいろな解釈ができて時が経つといい感じで熟成される

のだが 80’s の音って熟成を拒むようなところがあって
良くも悪くもだが
黎明期のデジタルという化学物質が多いので、発酵しにくいのだろうか。

その次に Everything Your Heart Desires という
あまり彼らを聴かなくなってしまった80年代後半の曲が流れて
あ…この音は受け付けない…
ベーシストの Tom T-Bone Walk プロデュースで、彼のスラップベースもフィーチャーされているのだが
当時の他の音と共に、ドンシャリ具合といかにもなプログラミングに
なんともいえない寂しさというか、うそっぽさを感じてしまった。

だがダリルの家でやってるの聴くと、すっごくいいのだ。
もったいないというか、そんなのは聞き手、作り手の勝手な都合だというか。

彼らみたいに、若い頃の面影なくなってきても
声や音はより研ぎ澄まされて
音楽楽しんでる人たちの姿を見ると
とても勇気づけられて

今日はその後、なんとか大変だが楽しく過ごせたつもりだ。

まだ録音がたくさん残っているが
呼んでもらえたことの嬉しさを感じつつ
頭が飽和してきたので
Three Little Birds をピアノで弾き叫びして
音楽に酔っ払って戻ってきた。

最近は体内からアルコールが抜けすぎたか
チーズケーキでも酔うようになってしまったが

こういう感じは悪くない。

空想スクリーン

録音をしながら…

Aretha の映画、そういえばまだ

…みてないけど

…みてるかのように

なにかを取り込もうとしてる

これも「想像」というものなのかな

道具

5弦ベースたちが久しぶりの出番。

ライヴ要員みたいにずっと使ってきた Lakland 55-94、録音でも割と残っている。映像もか。

先日電池を抜いたままだが、パッシブが、またいい。彼ら Dan Lakin と Hugh McFarland の作った楽器はやっぱり作りがしっかりして、鳴りと安心感が違う。

Dan は2010にメーカーを譲って以降、自分の名で JB や PB を作っているけど、知らないうちにスタッフや工房がまた変わったようだ。
いいデザイナーとクラフトマンがいれば、いい楽器はできますね。

僕はおそらくもうベースを買うことはないけれど、興味ある人、機会あったらチェックしてみてください。
(というか昨年から Dan Lakin Bass は何も更新されていないけど、大丈夫なのか…?)

そんなんで、楽器もそうだが大事なのはプレイの中身。

曲にしっくりくるには、いろいろな要素がある。
掴みたし。とらえたし。

誰が為に歯は並ぶ

うぃーん

と面白い音が近場で鳴っている。

漫画版ナウシカの終盤だったか、土鬼では人造妖怪(兵士?)を制御するために
ヒドラ使いがある高周波を利用していた – 歯の間に細工をして。

私の超至近距離では、低周波とも高周波ともいえる、なめらかにつながったその音が
歯の間の細工そのものを作っていた。

不覚にも発生していた、虫歯とやらを削るのって
こんな音やったんや。

削って元に戻るもの、戻らぬものを一瞬思う。

思ったところで取り返しがつかない。詰め物は爪のように伸びはしない。大人しく緩慢に劣化していくだけだ。

高周波といえば、僕は子供の頃から口笛が苦手で、
それができないかわりに会得した甲高い笛は、前歯の間から発生したものだった。

僕は姉と共にそれを「歯笛」と呼んだ。

どうやら、現在世間で言われている「歯笛」とは異なるもののようで、おそらく実際に目の前で吹かないと、誰にも共感してもらえないだろう。そんなつもりもないが。

僕のは隙っ歯を利用した管楽器、というべきものだ。口笛より1オクターブ上が出る。
弦楽器でいうところのハーモニクス、歯も肉すというころだろうか。

あまり自慢にもならないのに、自分はこれができるからちょっとすごいんだ、と思っていた時期もある。誰にも共振されなかったと思う。人間のかわりに猫や犬に伝わっていたのかもしれないし、ヒドラや巨神兵に慕われてたかもと思うと少し恐ろしい。

さて…

なんだか無理やり話を膨らませているが、本来僕にそんな暇はない。
この週末は、ある録音を形にしていかねば。

師というべき人からのお誘いに感謝しつつ、頑張りますにて。

これにて駄文失礼いたしまする。

Have a nice weekend.

降りる駅の数

シンプルなボタンって使いやすい

と思ったら大間違いなことが多い。

入力端子が沢山付いているディスプレイや

ヘッドフォンを沢山挿せるオーディオ機材で

切替ボタンが一つしかないとどうなるかというと

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2…

というリニアな現象が起こる。

実際に挿しているのはそのうち2つかせいぜい3つだ。

さて、こういうボタンはたいがいスタイリッシュなので

押しにくい。

どうなるかというと、入力3にしたいときに

入力1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 5 -> 1 -> 2 -> 3

(1から3にするぞーおー行きすぎたー何番まであるねんーおー手前やーまたかいなーえーおいーやっと3になった)

ヘッドフォンを4本挿せるうち2本しか使わなくてそれらを切り替えるとき

HP1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2 -> 3 -> 4 -> 1 -> 2

(1から2にするぞーカチカチーおー行きすぎたー何番やねんーおっとまた1にもどったー次こそはーおーまたやんけーええかげんにーおーこれやこれ)

という現象が起こる。私はほぼ毎日こんな調子なのだ。

もしこの説明がわかりにくければ、山手線でいつも目的の駅を降り過ごしてしまう人を想像してください。

そんな人はなかなかいない、というかもしれない。単にものの例えであるから真に受けないで欲しい。

ともあれ私にとっては、ボタンが4つ付いて直接切り替える方が圧倒的に早いのである。

ところが僕は、切替えボタンが4つも付いているような機材は好きではない。
基本的にごちゃごちゃしたものが嫌いなのだ。だがある種の道具は、見かけのシンプルさを実現するために、内側をわざわざ複雑にする。

何がしたいかというと、ワンボタンで切り替える方法を受け入れる代わりに、ボタンが対象とする選択肢を減らしたいのだ。

入力1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1
HP1 -> 2 -> 1 -> 2 -> 1

実際に挿していない端子をスキップできるようにする。そしたらたとえ2回間違えて2周大回りしても大幅に操作速度が向上する。

今の技術ならこんなこと簡単だろう。家電でもプロ用機材でも、こういうカスタマイズは大切だと思うし、なんならこれがその人の毎日を大きく救うことになる。鈍臭い人対策であっても、シビアな達人用であっても。

何か僕は、間違ったことを書いているだろうか。
それともまた、本質にたどり着こうとして大きな間違いを冒しているのだろうか。

甲虫と飛蝗

夏ですね

そろそろ今年も「夏の心配」をしだす。

心配事なんていくらでもあるが

さしあたってはこれかな。

また今年も、ノコギリクワガタが郵便受けに飛んできて足をすべらせてひっくり返ってたらどうしよう

こないだ初日の出が出たばかりなのにもうこんな季節。

今月頑張れば、少し何かが見える気がしている。

徐々にベースプレイを再開しつつ、豆鞘のような飛蝗を見つつ、

鋸君を思い出す夜。

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