投票日だった。
午後3時頃に投票所へ。係員:投票者は8:3か。
出口調査もなし。
時間帯もあるだろうし、出たあとで数台車が入ってきたが、
ここ10年で見ても。
嘘だろう? これが現実。
画面の向こうだけじゃない。
郵便受けを見ると、またオケラが入っている。
今度はまだ元気だ。手に取ると凄い勢いで指の間をかき分ける。
痛いぐらいだ。動きが速い。
プランターに入れるわけにはいかないので、空き地の土に放す。
ぐんぐん掘り進んでいった。
結果が出た。
とてもとても、残念だ。
投票日だった。
午後3時頃に投票所へ。係員:投票者は8:3か。
出口調査もなし。
時間帯もあるだろうし、出たあとで数台車が入ってきたが、
ここ10年で見ても。
嘘だろう? これが現実。
画面の向こうだけじゃない。
郵便受けを見ると、またオケラが入っている。
今度はまだ元気だ。手に取ると凄い勢いで指の間をかき分ける。
痛いぐらいだ。動きが速い。
プランターに入れるわけにはいかないので、空き地の土に放す。
ぐんぐん掘り進んでいった。
結果が出た。
とてもとても、残念だ。
昨日の烏の話
今までも何回か、そういう経験があるのだけど
昨日に関しては、聴こえるか聞こえないかの人間の声ではなく
階段を踏むリズムが空に響いて
それに反応して鳴いたのではないかと思われる。
本日はさきほど
テーブルの周りで変な駄洒落を言ってたら
「チャンチャン」の締めとちょうど入れ替わって
「ピンポン」と玄関ベルが鳴った。
やはり、ものごとはつながっているのだ。
私らの閃きは、独自のひらめきでもなんでもなく
何かを受け取り、はじけているということなのだ。
– アンテナ考
情報の伝達って
それぐらいささやかなものだと思います
自分が考えついた
と思うことが実はそうでなかったり
新しいと思ってることが
なんでもない受け売りや
もう随分昔からあったのに
ようやく咀嚼できたことだったり
そんなことしょっちゅうで。
そこへいくと
人間が電波を使って
操ろうとしてる情報は
どれだけ不自然で大袈裟で
危ないものか
今は、そしてこれからは
本当に心した方がいいと思います。
明日は選挙です。
報道に惑わされず、長い目で正しいと思う選択をできるように
自分も心を澄まして判断したいし、
多くの人がそうであることを願います。
階段を上りながら
今は8:48かと
シャッフルで口ずさんだら
カーカーと
あいのてを入れてくれる
カラスは空から
人間の仕草を見てるから
いいアンサンブルをくれる
たまにですよ
いつもじゃないです
七夕だから七夕らしく
…la…
その前に
今日知ったのですが、iOS 15 だと写真からテキスト認識できるんですね。
画像に埋め込まれてる言葉をコピペできてしまう。
OCR アプリとか、ときどき試しては、使えないなと諦めてたけど、
知らぬ間に確実に世界は進歩している。
だけど、日本語は非対応。
漢字は認識するけど中国語 / 広東語としてであって、
ひらがなは意味不明になる。
最近は、漢字でも日本語字体じゃない文字が混じって表示されることが増えてきた気がする。
自動化の波に、日本って遅れまくってるんですね。
僕は自動化ってあまり好きじゃないけど、
避けてる間にも、グローバルの波に呑まれていく。
画一化と多様性がツイになったローラーに踏まれてく。
世界的には日本語を使う人は少数で、
国連の公用語も
中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語。
加えて、アラビア語。
「ロシアと中国と北朝鮮が攻めてくる」
「だから改憲して軍備増強を」
と、自民や維新が連呼してるけど、
そういうのじゃなく、日本って既に、
文化的に結構危機なんだなと。これは氷山の一角か。
軍備なんて、核の恐ろしさを学べない国とは勝負にならない。
そんなのじゃなくて、大事なところで頑張ろうよ。
パワーゲームに踊らされてるだけじゃなくて、
こういうところを、うまく、しっかりやっていきたいね。
この磁石というやつは
高熱になると役立たず
パタンと取れてしまうのだな
うちには超強力マグネットがいくつもあるが
どれも同じなんだから
間違いない
ようやく何かが見えてきたか
かもしれない
枕木一本
クロックを超えていく
独立記念日。
それはアメリカがイギリスから独立したという記念日で
本来日本にはあまり関係がない。
大きな流れでは、独立したその国はやがて黒船を送り
日本を開国させ
しばしの交流の後
大戦争を行い
日本を屈服させた。
そして世界の覇権をソヴィエトと争い
冷戦に勝利し
その後も戦争を続け
迷走し
イスラム世界に中国に
そしてロシアに
COVID-19 に
そして国内に
揺らいでいる。
進駐軍の時代も
安保闘争の時代も知らない僕は
米国に恨みも反感も持たずに暮らしている。
これは凄いことで、あれだけ国土を焼き尽くされたのに
どれだけ巧みにこの国の政府と国民がコントロールされたのか、という例だ。
全く異なる文化と歴史と人種の国が、他の国を完全に従わせた、という
稀に見る成功例だろう。見事なものだ。
怒りの矛先を変え、ガス抜きをし、三つの “S” (Sports, Sex, Screen) を与え、
経済成長という餌を与え、時には優越感も持たせ、
一方では軍事と経済と地位協定で支配を続けている。
関東は米軍基地で包囲され続け、オリンピックは NBC の放映都合で日程が決められる。
どんな情報も、ほぼ一瞬でアメリカのサーバーに吸い取られる。
太平洋という広い海と、海底光ファイバーと、半日以上の時差。
日本とアメリカの距離は実に不思議だ。
日本海(という呼称が通じない場合もある)という小さな海を隔てたアジアより
米国を近く扱っているのは、何故なのか、
若い人たちも、考えてみるといいのではないでしょうか。
ふと、何かの拍子で、気づくことがあるかもしれない。いろいろと。
とはいえ、僕は
支配の体系には気付いていても、米国自体にネガティブな感情はない。
(それってよっぽど麻痺してるのかもしれないが、そういう者の実例として記しておく)
だが、危ない動きに対しては、それはこの太平洋という距離、言葉の違いという壁をうまく使って、日本を守るべきだと思う。ここは良くも悪くも、東洋の端の孤島なのだ。
学校で乱射事件が頻発し、ガンコントロールが日常のニュースの話題になる(そして解決はみえない)ような国を見て、どう思うか。
世界中での戦争をやめられず、憎しみと犠牲者と次のテロの卵を生み続け、軍需が次の戦争を求める国。旧式兵器の在庫を世界中に売却する国。どう付き合うべきなのか。
ここは良くも悪くも、東洋の端の孤島なのだ。
西洋の最前線不沈空母でもなければ、東洋の玄関を塞いでいる蓋でもないのだ。
(あるいは、そのどちらとも見做されている。だからだ)
日本人なら本当は、何ができるか。その先に。
音楽でも、学ぶことも、違う提示をするべきことも、たくさんある。
これまでも多くの人が、それを試みてきた。僕自身も多くのことを感じ、微々たることをやってきた。
それはこれからも続けようと思う。
独立とは何か。インディーとは何か。
僕らに武器は持てないし、持つ気もない。
そんなことをしなくても、
自分、自分たちなりの独立はできると思う。
僕は
一匹狼の人が好きで
群れる人は好きでなく。
意見や価値を計るのに
「人の数」は人類共通のものさしで
スーパーの売り上げも
手袋屋の存続も
選挙も
人や物の「数」で成り立っている。
だから、人は「人数」を集めるために
日々、奔走する。
知力、体力、全力を使って、人の数を増やす。
商品を買ってくれる人の数
リコメン記事に反応してくれる人の数
魅力、魔力、威力、表面張力。
閑古鳥ギャラリーを維持してくれる人の数
ライヴに来てくれる人の数
再生してくれる人の数。
フォロワー数、いいね数。
なので、僕の価値観は
そもそも現実にかなっていない。
21世紀もクォーターに近づき、
クーの理想はますます遠のく。
こまっちまうな。
僕が人と群れるのが好きで
流行りが好きで社交的な人が好きで
だったら楽なんでしょうね。
群れはいろいろな形をとります。
「一致団結」すればスイミーの仲間も
大きなマグロを追い払えるとか
よさそうです。
ほんとかな。
群れは、いいリーダーがいて
はじめていい動きをする。
ひどいリーダーがトップに立っている状態で
群れることを強いられる人々はどれほど辛い。
それとも、そんなこと気づかない。
今日も、それはひどいニュースがあって、
結構落ち込んでいる。
音楽は、体制翼賛に組み込まれたら、
それはもう、軍歌の時代なのさ。
まずは餌を与えられて、次は手綱を握られて、
次はあらゆる表現が、おかしなことになってく。
出来の悪い、漫画の中の話なのさ。
そう、コロナを「奇貨」として
あらゆるドミノが、悪い方に崩されていく。
もう少しいい、ピタゴラスイッチは、
ないのかい?
そんなものに、頼ろうとするから
ダメなのかな。
燕がまだ宙返りする古い街並みで、
フィラメントの列を懐かしく思い
バーバーのあの模様って、回転ネジ式なのか上がってくのか
今日と言う今日は…
わからぬまま、夜が更けてく
人の作品って
人の生活が
やっぱりそのまま出るんだなと
思う。
名曲二つを
リピートで七回聴く。
本日の発見
みるみる大きくなった
バジルの株分けをしようにも
プランターがない
いなくなってしまったメダカの
桶を利用しようと計画し
そこに穴がないことを知って
漸く気付く
メダカの水槽ではバジルを育てることが
できない
プランターではメダカを育てることが
できない
よって次の推論を行った
メダカは
重力生物である
閉じられた水空間でしか生きられない
バジルは
土空生物である
そこそこな土と水の動きによって生きられる
われわれは
なんだろうか
さて、Here comes July,
2022年も後半である。
徐々に音楽活動を再開していきます。
といっても基本、ライヴは行いません。
詳しくは、おいおい。
おいおいって、おいおい。
おーい。