季節外れの紅葉に
燕が舞い
満開の藤に
熊蜂が舞う
そんな春
ゆきだるまは巨大化し
地面はぐるぐる回される
りんごはぐ〜るぐる
季節外れの紅葉に
燕が舞い
満開の藤に
熊蜂が舞う
そんな春
ゆきだるまは巨大化し
地面はぐるぐる回される
りんごはぐ〜るぐる
日没後 段ボールをリサイクルボックスに持参しつつ
海にいく。
相変わらず誰もいない。ここが賑わうのは初日の出ぐらいだ。
流れが速く海水浴できる場所ではないし、勇気あるサーファー以外は水に近寄らないのだ。
ふと日本海を思う。
丹後由良や出雲、鳥取砂丘に小浜。魚津。
なぜかアットホームに思う。山地で生まれ湖岸で育ったのになぜだろう。
うち出雲だけは未だに訪れていない。
京都の親戚が数年間、出雲で暮らしていたので、勝手に「いつでもいける」気になっていたが
それが「いつもいってた」にすり替わってしまったようだ。
魚津の駅前がとても静かだったことを思い出す。
静寂のある街って、すごく貴重だと思うのです。
とぎすまされる。
下手な音は出せない。
それって、プレッシャーだろうか。
喧騒に紛れてなんでもできる、っていうのは
それはそれでいいことなんだろうか。
また、「それぞれ」に戻ってしまう。
海はそんなことは気にしない。
とても小さいグロッケンで
音を録る
大人には眩しすぎるほど
澄んだ高域がはじかれる
曲に合ってるかはわからないけど
大きな楽器も小さな楽器も
出会ったものとはつきあっていきたい
練習。だいぶ身体でつかんできたものがある。
ただし、子供用の楽器なので、そもそもが身体に合わないんだよな。
それは沢山のことを試みる。
紛失してしまった「バチ」が届く。
ひとつの区切りと勝手に思っていた日。
たくさん、じたばたする。
形にはならない。
アレンジ
吾輩にその才能があるのかは横に置く。未知数としようか。
一人ベースオーケストレーション、みたいなのは勿論やってきたし
DIY でやってると必然的に、常にアレンジをすることになるのだが
あるパートに異様に執着して他はスカスカ、みたいな、常に偏ったものをやっている。
そういうのが好きなんですよね。
いいなと思うのもあれば、あっちゃーもあるが。
最近になって、いろいろゼロからやってると
好きなものをちゃんと研究すればいいじゃないか、ということに漸く気づいている。
とても時間がかかるのです。が、大事なことですね。
* タイトルはちょっと好きな人のもじりです。配色も好みです
表の活動としては停止しているのですが
最近でも海外から見ていただくこともあり
英語もアジア語も設定していないのでなんだかなと思いつつ
(僕の日本語を自動翻訳するとかなりおかしなことになりそうです)
ストリーミングも含め、ふと全然知らないところから聴いてもらえると
うれしいものですね。
Spotify は全く放置してしまっていて – あれはやはり僕には難しい…
Apple Music も、今後アー写更新? なんて考えると気が重くなるのですが
追って計画したいと思っています。
Bandcamp だけのもののストリーミングリリースについても、
もういくつか季節がすぎるかもしれませんが
忘れているわけではないので、しばらくお待ちください。
お待ちください、って、おしつけがましいかもしれない。
しばらくお忘れください、っていう言葉が通用すれば、いいかも。
先日のメジロとは違い
今日はウグイスの声を沢山聞いた
シャドウから少し入れば
西にも東にも水面にも
たくさんのさえずりが
こだまする
最も美しいものをきいている
そう思う
このウグイスの声を邪魔できるのは
空を我がもの顔に旋回する鉄の舟
これを皆が許し賛美したとき
この世は滅びるだろう
life is not a gas
sky is not your exhaust
listen to the voices
of small nightingales