とても揺らいでる月を誰もつかまえられない
キャンバスなどそこにはないから
おもいだして 生き返らせなければ
どんなかみにも ふゆうたいにも
それはぼくのめが 走っていたから
何百キロも 夜通しで
目の前で 揺らぐ月
いなくなると わかるから
記憶の種だけ おいてこって
とても揺らいでる月を誰もつかまえられない
キャンバスなどそこにはないから
おもいだして 生き返らせなければ
どんなかみにも ふゆうたいにも
それはぼくのめが 走っていたから
何百キロも 夜通しで
目の前で 揺らぐ月
いなくなると わかるから
記憶の種だけ おいてこって
わかりあうこと
そんなかんたんなことじゃないし
そんな無理難題でもない
わかりあったからってそれがつづくわけじゃない
好きになったからってつづかないこと
いなくなったからって心からは消えないこと
目が
その先数十センチを見て判断しようとしていること
思い通りにならなくても
なったとしても
聴こうとした音がきっときこえるよ
誰かが励ます それはかなう
そうなんだろうと その場に来た僕は思う
聴こうとした音 いくつか交差して
近くでは判断のしようのない レコードができて
周りに居た 誰かだけがわかることもある
僕もそういうのを いくつか知ってる
客観視って 俯瞰って 自分が客や無限遠点になろうとして
なれたとしても
それをそう言っちゃあ おしまいだ
それほど陳腐なものもない
自分ではわからない なのに外には判ってる風に
それが今の世の中だけど
それはちょっと たからものを
台無しにしているように
おもうのだが
———
水の流れのあるこつが
わかったとしよう
アクリルの中にとじこめて
後はみんなに観てもらおう
例えば 一日300ペア
招待するから 観てってくれ
水の色や匂いや 育む命は
僕には 気配しかわからないし
あとは たのむよ
そんなわけで 水族館ができてる
回転扉を抜けて コインを入れて
青い列車の途中
Aquarium
入り口にはくらげがいて
中にはペンギンが飛ぶ
僕には空の上から
それを観た記憶だけが残る
記憶
今は届かない
あの頃はあの人もいたし
あの頃は 君もしらなかった
あの人と偶然 出逢う事もなかった
すれ違うこともなかった
だけで十年と少しが経って
今でも偶然どころか
いくつもの ヒントをもらえてる気がするのは
幸せだよな と思う
一瞬のうちに失った 路線図や
現像も忘れてしまった 35mm フィルムや
弾く事もなく 切れてしまった ダダリオXL
そんな 忘れた空気でも
どんな色をしてるかわからないし
数十センチ先の宙にも出てこないけど
ぼんやりと あたたかく どこかに沈殿して 浮かんで 飛んでいる
あこがれだった人が逝ってしまって
それでも ありがとうと思う
どうにもならない これからも無数の
食いつぶしていく 未来の瞬間も
どこに輝きがあるかも わからない地図も
きっと汽笛と同じくらい 確かな音を
ひろいせかいに 「よみとれ」と
おしつけていく
こわがりもしないで
阪神が負けて
悔しいからニュースを見なかった。
今朝、シャワーを浴びてる時に知った。
こんなこと、よくあっちゃいけない。
一度だってあっちゃいけない。
星が地面にきらめいている氷川橋の交差点の向こう
何度も何度も、ダークブルーのビルを見ていた。
そこで35年前に起こったこと。
その人が吹き込んだ記録は僕の日本語に対する意識を根本的に変えた。
ダークブルーのポリドールビルももうとっくになくなって
いまはアパートだ。
僕には気持ちの説明がつかないし
色々ふっきった今でも説明する権利もないと、この事ばかりは思う
ただ、ものごとはそれでもつづいていくんだろうなと
いまでは思う
「機械じかけの玉手箱」/ 相倉 久人
を読んでいる。
おもしろい。
1975年の本だ。全く古さを感じない。
いいのか?
2009年。