アーカイブ: 2009年4月

たてがき

丸形のカレンダーも星座表もあるらしい
ま、そりゃそうだ。それはともかく…

自分自身は横書きに慣れているし
コンピューターの制限上の不便も感じた事はそれほどないけれども

日本語はやはり縦書きだと思う

これは言葉のはなし。

いつからどうなったのかわからないが
物事は左から右に進むように、少なくとも値が高くなるように
設定されている事が殆どだ。

グラフ、ピアノの鍵盤、エレキベースの指板-右利きならば

ベースの場合は、弦が変わる毎に面白い「改行」をするのだけど
「時間軸」が右にスクロールしていく、っていうのは
ビジネスでも勉強でもDAWでもだいたい既成事実化されている。

どうなんだろう
日本語ならば、音楽は縦書きでやればどうなんだろ
邦楽の楽譜には慣れていないけれども

作曲法だって、縦書きでやればどうなんだろう?
重力の感じ方を、今までと違って感じられるんじゃないだろうか?

もともとあった、間と重力、段落の重みみたいなものを
思い出せるんじゃない?
みたいに

すごくテキトーだけど、半ば本気に
思っている。

また年めぐる

1年は365日。
約360日である。

ならばどうして、世の中に丸形のカレンダーはないのか。

ひと月は30度、季節は90度、さらに一日は1度である。
わかりやすいじゃないか。

勿論年に5度の誤差は無視する。
それぐらいの修正は、カンタンにできる筈だ。

せっかく一年が12ヶ月なのに、なんで時計と共有できないのか。
時計の針をもう一個増やして、月を表せばいい。

一年で一回りだから、地球と一体化した気分になれる。

どうです? エコが好きな人たち。

時は視るものだ

列車に急ぐとき、心でcountをする癖

走りながら、数えた方が焦らない、と思う癖

慌てる心を鎮める為にcountをする

それがたぶん理由。くだらない事を僕はしているわけだ

数えようが数えまいが、目的地には着くし、列車は列車でやっている

秒数に対してどれだけかの比率でかけまわっても、それはパルスとの約束でしかない

そこで視るものをつかみながらホームまでかけた方が楽しい

二度とは帰ってこない時間

数えてるうちに過ぎ去る

だけど目を閉じなければ、視た物が時間になる

無限の映像を見て、それらのいくつかに名前をつけて、生きている

時は視るものだ

勘所の名称

88年に出たという、「楽の器」なる本を今読んでいる。
編集: 藤井 知昭 / 山口 修 / 月渓 恒子
タイトル、装釘の素敵さに漏れず、中身も面白い。
すこし支離滅裂ではあるが。

論文というか、エッセイというか、これぐらいまとまりがない方が
真実なんだろうか、とも思う。

中でもびっくらこくのが長方さんという方の琉球三線と身体についての一編だ。
にこやかな「シャミセンにんげんの図」にはじまり、円も三角形も存在せず、
風や満月などの夜の諸機械と連結し、分裂する身体なのだ。

まぁこれは薄味のマッシュアップではあるが、実際の文章は頭が痛くなるくらい、興味深い。
久々にわけのわからない、真実を含んだ文を読んでいる気分。

この文章の最後はあまりにもかっこよくて、
シャミセンの曲を覚えるには「手にコンピュータをつけるさ。」だという。
(この「〜さ」は方言の方だ)

そしてそのコンピュータは、二進法の演算によって配列された音を再生するのではなく、組織化されない音たちを生産するのであるらしい。

使い古された頭にそんなコンピュータを備え付けたのが、思考における「シャミセンにんげん」であるらしい。

なんのこっちゃ。

その次が抜群にかっこよい。

「そうすれば、二次元の画像空間にシミュレーションしなくても、あの美しい流れを思考の三次元空間において全体的に把握することができるかもしれない。」

そっか。

なんかよく現してるね、目前にある落とし穴を。

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