Just So Happen / Bill Frisel & Gary Percock
ゆらめきアフリカ / 佐久間順平
Marquee Moon / Television
そんな午後
ひさびさにTelevision聴く。iPhoneのしょぼいスピーカーでもサイコー。
佐久間順平さんははじめてラジオで耳にしたのだが
アレンジと歌詞に聴きこんでしまった。
Just So Happen / Bill Frisel & Gary Percock
ゆらめきアフリカ / 佐久間順平
Marquee Moon / Television
そんな午後
ひさびさにTelevision聴く。iPhoneのしょぼいスピーカーでもサイコー。
佐久間順平さんははじめてラジオで耳にしたのだが
アレンジと歌詞に聴きこんでしまった。
… to exercise my brain…
Police の “When the world is running down, You make the best of what’s still around” の一節だ。
聴き流しそうで、はまる曲。
Andy のコードをフェードインするだけのソロが、なんともインチキくさいけど、
Soul music のふりをしてるのか、スパイ映画のつもりなのか、
説教か、ただのうだつの上がらない日記か、
でも、いつだって少し頭にひっかかってる。
そんな中の一節「MCI」ってなんだ?
アメリカには MCI っていう電話会社があって、それのこと?とか
つづりをもじって Mic のこと?とも思ってたけれども
“MCI Recordings”* っていうメーカーのレコーダーじゃないだろうか。
Plug in my M.C.I だから
当時 Sting がこのでっかいレコーダーを自宅に持ってたのか
缶詰になってたスタジオのコンソールの事を言ってたのか
どっちかはわからんけれど、この会社は1982に SONY に買収されてるから、分かる人ぞわかる、っていうわけだ。
今、置いてるスタジオ、あるんかなぁ?
* 過去に書いた時のリンクが変わってしまったようなので更新
先日からのバリー・サンダースの本と
その前の王羲之の話と
みのまわりを
照らし合わせて
考え直しをせねばならぬ
デジタルは すべて計算機による変換を要するから アナログやアコースティックから遠い
ということを書きとめたあと
口語、口承のみによる言葉と
文字による言葉(識字のはじまり)を考えると
ある意味、文字=デジタル信号なんだと気づいてしまった。
いや、さらに遡れば、音声による言語もデジタル記号の一種なのかもしれない
文字を読み、それを連結し、意味の通る言葉として再生するまでには
頭の中でかなりの計算がなされている。
この速度を限りなく速くして、レイテンシーを感じないレベルまで上げたところで
識字社会が成立している、
アナログやアコースティックも振幅からの変換を要するけれども
それ自体に複数の意味をパッケージし、現実とパラレルに進行する文字や音節っていったい。
やっぱサンプリングソースなのかなぁ。
敗北感。
ただし。デジタル信号はバラバラにぶったぎったon or offからの再構成であるから
文字はそれより遥かに複雑な計算を要している。
あるいは語感が意味を先行することがある。
人間に理解しやすい言語はマシンに理解しにくい。
マシンに理解しやすい言語は人間に理解しにくい。
ここに救いがあるのかな
機械と張り合ってもしょうがないねんけど。
で、こないだの王羲之の文字を輪郭を取りながら徹底再現試みてた人は、
端的に言えばフォントを作ってたんだろうね。
それ自体に「美学」を感じるサンプル素材を。
「素材」って言葉、僕は嫌いなんだけど、
料理の素材。建築の素材。紙質。テクスチャ。
すでに付き合ってるってこと、理解しなきゃいけない。
人がみんな、フォントを選ぶように、フォントと戦うように、
ループやインストゥルメントを選んでる。
選び取ることの繰り返しで、もっと重なり合う美学。
そりゃぁ、そうかもしれない。
でも、「選び取れない」要素が重なり合うこと。
これこそが、僕らを前に進めてくれると、やっぱり思うけどな。
だって、理解できる事しかこの世になければ、明日を生きる希望も何もない。
こないだ買ったPeter Broderickがほんとによくてほれぼれする。
Paul Bley / Gary Peacock / Tony Oxley / John Surmanの”Fair Share”とこのアルバムがずっと回転中。
狂気か天才か?
若き天才作曲家ピーター・ブロデリックの進化と深化
ヴォーカルとリリックにフォーカスした野望いだく作品
ジャケ写ほどではないけどつっこみどころ満載の帯コピー
混沌とした時代やなぁ
重大な問いかけに次の行で結論出し切ってるし
ヴォーカルとリリックにフォーカスって何事よ
野望いだく作品ってあんた
でもいいのさ
この人好きだし
かっちょいいぞ
Preacher’s Wife の
Hold On, Help Is On The Way が
最高に好きでした。
荒井由実を聴き出すと
星が見えてしまってしょうがない
実際にオリオン座を見ながらだと
夢のアフリカも銀色のセスナも
ひこうき雲も曇り空も
翼の影の下も
調布基地も
なんだか
というか当然のように
そらばかりうたわれてる気がする
ユーミンのうたはとても和
そして宇宙ジンだ
浮遊感って
ほんとにそらにいる人じゃないと
意味合いが違ってくる
そらがとってもひくい
ほんとに低いんだろう
としかいいようがない
ユーミン初期 – 初期しかあまりきいてないけど
のレコードで偉いのは
サウンドがいくら疾走したり
建物をたてたり部屋を遊び回っても
うたは空を舞ってることだと思う
Pat Metheny の Orchestrion は面白そうだ。
ついでに言えば Nonesuch というレーベル名もいい。
YouTube でプレビューやインタビューを観てる分にはとても心地よく刺激的で、これが音だけになった時にどうか、買ってないから判らないのだけれど。
…プレビューは彼のギターに加えて「語り」という生の要素があるわけで。
最近は彼の One Quiet Night を良く聴く。
バリトンギターだけ、宅録、という成り立ちもいいが、音がなんだか細胞まで届いてくれる。
North to South, East to West なんてギターで出来た気球の家で旅しているような、そんな感じだ。
Pat Metheny は正直、今迄それほどのめり込んで聴いてこなかった。
1st の Jaco との Bright Size Life は相当聴いたが、
他は自分にとってはミネラルのない蒸留水みたいに通過してしまい、記憶に残っていない。
James みたいに、聴いてみるとそっけないが演ると楽しい、あ、やっぱいいんだ、みたいな曲もあったけれども。
自分の触媒構成が変わったのか、聴く角度を見つけたのかな。
Battle Hymn Of The Republic
或は「リパブリック讃歌」
というのはアメリカの愛国歌のひとつであるらしい。
いわゆる「ごんべさんのあかちゃん」だ。
五反田駅で
きょうは選挙の日です みなさん 投票にいきましょう
ともっともらしくさけぶ車椅子の女性がいた
ひと呼吸おいて、彼女はこのメロディで
きょ〜はた〜のし〜いせ〜んきょ〜のひ〜〜
と歌いだしたのである。
僕は、同じく駅前でティッシュを配ってるホスト系の男に向かって
思わず笑いかけてしまったが、
日本は変な国だろうか、救いがあるだろうか?
そんな事はおいといて
今日は楽しいレコーディングだった。
dr.のデニスは驚いた事に、ゴスペルクワイアの同窓でもあったが、さすが、の一言に尽きる。
それにしても、初めて行ったEMIのTerra Studio、豪華。
自分のブースに行くのに何個ドア開けるねん、何回Closeでガッチャンって閉めるねん。
おかげでベース弾く前によっこらせ、と
まるで温室に花の様子を見に通うおやじになったような気分だ。
シンプルなジャズドラムキットに向けられたマイクの数、18個。
こんな沢山のチャンネル、よく扱えるもんだ、と録音技師に別の次元で驚く。
ちなみにベースに向けられたそれは4本だった。
自分のベースは先日久々に弦を変えて、誰が聴いてもわかる新しい弦の音がしていたが
この録音には合ってたんじゃないかと思う。
思えば、一昨年の夏、表板が全て陥没して大修理してからというもの、音が良くなった気がする。
一度死んだ者として愛が深まったのか、単なる錯覚か。
修理直前はこりゃベース買わなきゃ、と思ってたけど、録音すると毎回音の評判もいいし、自分にはこれがいいんじゃないかな、と改めて思う。
三宅さんの”Power”よろしく
つぶれりゃつぶされるほどみなぎる のだ。
またこれでPowerを弾くときも、よろしく。