カテゴリー: muse

七日

ことばに無力を感じ


といいつつも、それは常にそうでありつつも、
今年はちゃんと形にしていけるよう、やっていきます。

またお知らせできるかな。


演奏について

…思うのは、いろいろな角度で
弾くこと、聴くこと、楽しむこと、努めること、ふざけることを経て
やっと味のある、説得力のあるプレイができるのだ、ということ。

これは若い頃から思っていたことで、できる限り実践したとは思うものの
ここ数年振り返ると、つくづく穴が多い。

もちろん、自分の境遇の大きな変化もあるが、多角度に加えて縮尺の振れ幅に
毎日驚くばかり。逆を返せば常に新鮮。

長く聴いてこなかったタイプの音楽を久しぶりに聴くと、新しい発見がいろいろあったり。
耳は確実に肥えているから。
脳のどこかが勝手に制限をかけてきたつもりでも、実はキャパは増えていたりするのだ。

変わることと、変わらないこと。できることと、てんでダメなこと。極めるべきこと。
難しいからいいこと、簡単だからいいこと。うるっとすること。
今年も追っていこうと思います。


北陸の状況

報道や SNS、知人から伝わり知れる範囲ですが、物資や輸送、天候、余震、地盤、原発、
とても心配です。
被災された方々が日々、辛さをほどけ、少しでも早く。

義援金といってもどこの主催がよいのか、などと悩んでいましたが、何がベストかなど結局わからないわけで、県庁や、使っている金融機関に、微力ながらお送りしました。
いろいろな経路を通して、全国から大きな額が寄付されているようですが、本当に困っている人たちに行き渡ることを切に願います。

ふりかえる

世の中はクリスマス休暇というやつか

ようやくのんびりムード、あるいはお祝いムードになってきたようです。

いや、今日一日外に出なかった自分がそう思うだけで、街ではいろいろ

争奪したり競ったり、のんびりどころではないのかもしれない。

それどころかミサイルが飛び、何の恨みもない筈の離れた国の若者が徴兵される
世の中だ。何度嘆いても怒っても足りず、逃避しているだけなのかもしれない。

John Lennon のあの歌を、本当に世界に雪と共に降らせたい。
それもひとつのこころの象徴として、なのだろうか。

しかし、そんな彷徨うこころのひとつである自分なりに、
ぼちぼち今年を振り返る。

これまでより、音楽に向かう時間を多くとった。
人前での活動の多寡に関わらず、改めて音楽は深いなと思ったものだ。

若い頃早々と挫折した、あるいは読み飛ばした譜面に
再び向かう。そんなことができて幸せだ。
とっくに手遅れ、なのかもしれないが、一方で、ずっと待ってくれた音符や休符に感謝する。

自分のライヴは実質的に、5月の一度だけだったが、
とてもいい内容のものができた。
課題は山ほどあるが、あんなライヴをする人はそうはいないだろう、とは思う。

あの後、「何度でもできる」という余韻はあったものの、7月、9月、11月、そして12月が過ぎ、
ふりだしになった。僕はイメトレ派なので、また、どこかでやるとき、その場所を思い浮かべ、曲をつくることから始めるとおもう。

そしてこれも遅ればせながら、ひきがたりをはじめた。

包括契約(難しい名前だが)とやらで、カバーをやってもちゃんと作者に還元される、という約束らしい。
それを信じつつ、好きなカバーや、オリジナルを、
カバーは主にその人たちの誕生日やその周辺に、思いついて、できそうなときにやってみる。アコースティックベースと声だけで。という縛り。

これまでにやった「満月」「新月」などの縛りも、絶対自然条件として大きかったのだけど、ミュージシャンの誕生日を調べてみると、これが(あたりまえながら)多いのなんの。ひっきりなしに、誰かの B.D. がくる。とても追いつけない。

そんなわけで、今年は多くの人をカバーし損ねたり、トライしてうまくいかなかったり。でもたくさんできたと思う。

次回にお預けは、C. Hay, G. Hum, G.G, C.B, C.A, S.Copeland, A.Ross, L. Buckingham, D. Hall, S.L.B, Joni, 種さん, S.Bishop, Jimi… いっぱいいます。できるかでけへんか、わからんけど!

天体も地球も回るけど、そしてそのせいではあるが、いろんな人生が、つながってるん。

ever since

名古屋へ。千種区という場所には少し馴染みがあり、なんとなく足を伸ばしやすい。

ほぼ3年ぶりに彼らに会う。

かわらない。

正確には互いに大きく変わっているのだが、それでもあえて記す。

かわっていない。


彼らは音楽の森。

それをステージ後方上から、かつてとほぼ同じ目線で体験できる円形劇場。

いつもと同じ「無茶振り」と与えられた機会。

不思議なものだな、と思う。

この感覚はとても書き表せないし、持ってった Olympus も取り出せなかったが

ありがとう。

大橋くん、チャームくん、佐伯さん、スタッフのみなさん、会場にいらしたすべての人。

音楽を、つづけましょう。

Plum


Plum / Ray Kondo

November 2023

霜月末、久しぶりの曲をリリースします。

Bandcamp

Streaming (Spotify, Apple Music, etc.)

ストリーミングは順次並んでいきます。

november 7th 2023

今日は11月7日 – とても素敵な響きの今日は
知り合いも憧れも含めて多くのミュージシャンが生まれた日。

Joni Mitchell
種ともこ
土屋浩美
Rastko Rasic
(敬称略)

ささやかなお祝いにカバーをしたいのですが
このところまったく時間がなく、外出もできず、なんなら睡眠は大丈夫かという状態です。
…そんな中「よこくの」はやりましたが…

種ともこさんはセンパイであり一度だけスタジオでご一緒できた方でもあり
カバーをするならこの曲、というのがあるのですが
またの機会にお預けにさせてください。

Joni Mitchell は断片的にかなり影響は受けてますが
ちゃんとカバーしたことはありません…カバーのカバーで
Annie Ross の “Twisted” ぐらい。

浩美ちゃんはお元気にお過ごしでしょうか。
すばらしい R&B シンガーであり、
Saravah Tokyo でバンマスとして、慶一や拓ちゃんと手伝えたライヴは忘れ得ぬ記憶です。

そして我が友、Rastko は
最近ようやく、少し近況がわかるようになり。
黒澤明が好きで、どこか松重豊のような雰囲気もある彼は、今もいい感じで謎を残した男。

1998.11.7 すなわち彼の誕生日に、Vardan Ovsepian と3人で録音することができたアルバムは宝物であり
あれから25年経つけれども
昨日のこと、そしてこれから先のことのようなのです。

kamoe october

以前にもまして、人のライヴを観るのが楽しくなってきました。

小さな場所でのライヴは繊細なニュアンスを聴き取れるし、アーティストのお話しのトーンやちょっとした仕草を含めて情報量がすごい。

人間の脳のうち実際に使われているのはごく一部と言われますが、音楽を感じ取るということも、そこで放たれる膨大な情報のごく一部を、なのでしょう。

同じ音楽でも聴く人によって、またはその人の気分や志向・調子・経験によって、大きく響き方が異なる。

中でもその振れ幅が大きいのは、やはりアコースティックな音楽だと思います。
数値やグリッドで縛られない音楽。電気を使わない、あるいは適切に、最小限に使う音楽。
そこには弾き手の心技体やメンバーの化学反応に加え、空間も大きく影響する。

ダイナミクスやトーンに応じて耳を澄ますと、たとえばどうしてここでこんな軽いタッチになるのだろうと、あれっと思うこともある。そこで聴き方を変える。
しばらくすると響きが変わってくる。たとえば暗闇に目が慣れ、視界が変わってくるように。

リズムも然り。
自分の中にあるリズムの引き出しと共に、目前で起きている音楽を味わうのもいいけど、でもそこに自分と少し違ったテンポやリズムやタッチが感じ取れたとき、それは自分を広げ、柔らかくほぐし、新しくしてくれる。

そうして生で体験した音楽は、その夜も、翌日も、何ヶ月あとにだって、響いてよみがえってくるのです。
そうですよね? (誰に聞いてるのだ)


浜松にあるカフェ、鴨江珈琲 にて、ボサノヴァギタリストの 木村純 さんたちを観に。
ここはとんでもなく居心地がよく、珈琲がおいしく(とても重要)、素敵な本がいっぱいある。

純さんを観るのは二度目。三宿のカフェで20年前にライヴを拝見し、そのときいろいろお話しさせてもらった。東京に行ったばかりで、バンドと音楽雑誌の執筆をしながら、演奏の仕事を探し回っていたころだ。

途中の色々をスキップして、音楽に対する感覚だけをつなぎ合わせると、なんと楽しいものだろう。
感謝。

ライヴ写真は撮れておらず、すみません。

これは席の隣にあって、ライヴそのものとは関係がないものの

ゆれるリズム だなぁと。

帰り際、店の佇まいの素敵さをとらえたかったのだが、やはり iPhone X では限界か…

まっていても

いいあきを おすごしでしょうか。

10月も半ばになり、こちらはにわかに、創作の火がついてきました。

やっぱり秋ですね。いつでも録れるようにマイクを向ける。

ギターを持つと、覆い被さるジェット機と工事の音。

⚫︎⚫︎

が、気を取り直す。

そのくりかえしです。

ミライノキオク 於 鎌倉

九月十日、矢野誠さんのアルバムリリパ、第二回。

矢野さんの地元、鎌倉へ。

文化と自然の宝庫。あの海があって街並みがあって、ゆっくり時間が進む。

鎌倉ずるい。よすぎる。

歴史あるジャズクラブ Daphne で、7人編成のぎゅうぎゅうのステージ、
私は舞台からはみ出して、ずいぶん前で、道脇の木のごとし。

よーこさん、直子さん、和世さんのハーモニーに、
ワタルさん、真理さんとのリズム隊もグルーヴしてきたし
何より矢野さんのピアノがノリノリでした。

詩人の﨑南海子さんのお話もたっぷり聞けたのは、鎌倉ならでは。

また、第三弾、四弾とやりたいですね。
全国津々浦々、なんて。

イラスト by 池田有希子さん

 

多元ものがたり

「講談」を観る。

近くの街の公民館。どこから折れてよいかわからない道を突破すると、何事もなかったかのように湖岸に開けるエリア。

二方の硝子壁から陽光降り注ぐその小さなホールは、ちょっとした楽園だ。

もっともこの酷暑では陽光も地獄を呼びかねない。厳重にカーテンが下されている。

災害用の段ボールベッドを転用したという高座に、お二方がのぼる。

そこがどんなつくりであっても、場所であっても。

見事なものだ。

現実と「つくりばなし」の境目がはっきりわかる講談に、親近感のようなものを感じるのはなぜだろうか。

張り扇で釈台を叩く。それはチャプター(章)の切り替わりでもある。ほんとに空気がパシッとかわってくれる。

マルチバースを旅するのが講談師なのだろう。

自らを振り返る。曲や語りのところどころで無意識にベースのボディや指板を叩いているのは、そういうアレなのだろう…か?

自分には講談の研究どころか、観た記憶も殆どない。
だが落語や初期の漫才や何やを見聞きし、無意識に影響されていたのかもしれない。

いや、たぶんそんな大層なことでもない。なんとなく、あれをすると気持ちがしまるのだ。

ああだこうだいっても、いろんなものが混在した自分は、所詮邪道に過ぎない。
が、色々な verse – ものがたりをきき、楽しみまなび、こわしてつくっていきたい。

つりあい

この一週間そして週末は瞬く間に過ぎてしまったのですけれど

彼はもうそこにはいなくなって

花のように姿を表し

…未だに YMO の “Nice Age” のこのくだりの不思議さが解けない

Paul McCartney が成田で逮捕されたあたりのジャーナルらしいのだけど

この一週間は、何やら忙しかった。
今までと反対方向に、何度か足をのばした。

その結果知ることになった素敵な場所もさることながら

出会ったこの本に感謝したい。


志村寿一 著
ヴァイオリン演奏のための
身体と音楽との調和

アレクサンダー・テクニークに基づき
より深く具体的に、音楽、弦楽器について綴られている。

とっつきにくいかもしれないが、僕にはどストライクで
ずっと疑問に思ってきたことが、これを読んだおかげでほどけてきた。

こと「稽古」「練習」ということに関して、
どうアプローチしたらいいのか、
何度も失敗することについてどう向かうのか、
音色やパルスに対して
どう感じ、考え、捉え、身体を使うのか。

甲野善紀さんや陽紀さんの教えとも近いかもしれない。

表紙の左上 “basics” が語るように、
これはごく基本的なことなのだろう。ヴァイオリンの道をいく人には。

だが僕はなにか、これからに希望が持てるかも? という
– それはもちろん、ベースや発声、そして +α に –
少なくないヒントをもらったのだ。

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