6月5日の頂フェスの映像が、一曲上がっています。スカパー公式らしいので。
カテゴリー: muse
みたりきいたりよんだり
Peter Broderick 来日
やっと生で観れた、マイペースさとピアノ、声の丁寧さに感じいる。
Taguchiの12連スピーカーも、自然な増幅で気持ちよかった。
Léonore Boulanger / Feigen Feigen
新作強力、音像がサラヴァっぽくて、Raincoatsも思い出す。ギターの質感が好き。
Dianne Reeves のいろんな作品
今頃聴き返してる、とてもクリエイティブ、参加全員、音楽家としてすばらしすぎる。
ピアニストの脳を科学する: 超絶技巧のメカニズム | 古屋 晋一
案外すっと読めた。続編はあるのかな。練習によって脳内に回路ができるできない、というあたり、技能の向上だけでなく、世の流行なり時代性なりの移ろいとも関連しているような気がした。
続 ピアノを弾くからだ | 黒河 好子
ちらとかじっただけだけど、より深く考えさせられる。「眉毛を使うことにより音楽的なフレーズになる」って面白そう。
旧約聖書の世界 | 谷口江里也
とても読みたくて。なんで人々は争い続けるのかなって。どうしていろんな作品に、ああいう名前が登場してきたのかなって。
— 以下、まだだけど —
これは買いでしょう
Andrés Beeuwsaert / Andrés Beeuwsaert
山口洋佑さんがジャケットを描いた作品はたいてい素晴らしい気がしていて。
Vardan Ovsepian も連弾で参加しています。
Vardan, Rastko と嘗て作った音楽 – Voice of Marble
end of the water
J-Wave live
super cable by BJ Electric
PCOCC線材の貴重なケーブル、ものすごくピュアです
今年のスペシャルバンド
サウンド的には
ストリングスとペダルスティール宮下くんの存在が
特に大きかった気が、します
Thanks all & all!!
vacant
原宿をほっつき歩くなんていつぶりだろう。
自分とはまず接点のないだろう人種が密集する街。
竹下通りでは自分の設定速度での平行移動さえもできない。
なんのこともない、歩行さえも。
だがそこを歩かなければいいだけで、不思議とマイペースな人たちが定在している空間、でもある。
その薄い重ね着のような路地を浮遊し、定住の香りを耳で聴く。
ローラースケートで現れたグレート.D。
フィラメントにこだわる「家」の輪郭。
変わらぬ天井からの「マルコヴィッチの穴」。
別に、奇妙な脳内行為が映されているわけでもないのだろうけど。おそらく。
ここは9年を経てもかわらない。
そう、オープンの時に出たんだった。
パフォーマンスって素敵だ。ステージは、どんなやり方の人も特別にしてくれる。
ぼくは人前で演奏するのが、好きだなぁ。
チビ牝ラクダ
by the river again
久しぶりに骨董通りを歩いて
なんとなくブルーノートの前に来ると
山中千尋の公演だった。
そういえば先日、Sapporo City Jazzで出てたなぁ。
チヒロさんを観るのは随分久しぶりで
しかもヨシワキさんがベースだったので
これはいいタイミング、というわけだ。
当日券を買ったがほぼ満席近くで
カウンターの補助椅子に座れたのがラッキーだった。
チヒロさんもワキさんも昔からずば抜けてて、
音楽性も人間性もいろいろな国の人に愛されていたので
音楽家として世界的に活躍するのは当然のことと思ってる。
しかし、ジャズのアイコンのように、マイペースにキャリアを重ねるチヒロさんは
精神面でも相当タフなのだろう。
まぁそんなことはさておき、
インタープレイで作曲しているようなワキさんのソロや落ち着いて美しいライン
メジャー感を求められ、それに応えている(のだろう)わかりやすい選曲の中で
突如扉を開けて、全員をどこかに連れて行ってくれるチヒロさんのプレイ
そしてコンビネーション
さすがにつきる。
今後とも、永く、ご活躍を。
kaho nakamura at ko-en-dori
この後彼女はフジロックですごいことになったのだろうと思うが…
ふりかえる。
中村佳穂ちゃんと出会ったのは「シャキーン」の収録、神谷くんに誘われて
岩見十夢くんの手がけた詞を、十夢くんと佳穂ちゃんの二人のバージョンで録音する、という試みのときだった。
よく事情がわからずにスタジオに行った時にはもう佳穂ちゃんのテイクは終わっていて、
そちらにはぼくは参加していないので(神谷くんとのデュオだ)
のんびり十夢くんバージョンの準備をしつつ、出来立てのラフミックスをエンジニアの原さんがプレイバックしていたので聴くともなしに聴いていたのだ。
…なんと…いい世界(ホシ)の音楽なのだろう。
唖然とした、とか、はっとした、というのも正しいのだが、
彼女の多重コーラスの自在さ、ピアノのオーソドックスさと遊び心、
島の人? みたいな歌い回しの奔放さ、
気持ちいいだけじゃなくて野性味あふれるその声、
…まぁ形容詞は何が来ても虚しいね、
とにかくこの人は只者ではない。というかなんでこんな娘が大学生なん?
そして、こちらもめちゃんこレイドバックして空が広い、
十夢くんバージョンの傑作を録り終え、
佳穂ちゃんからいただいたサンプルCD「口うつしロマンス」を、
その春から割とヘビロテで聴いていたのだ。
「うつしマンス」って何? と思いながら。
その後、中野の店でライヴをみてぶったまげ、
高野さんとコラボしてる精華大のイベントも機会見つけて観に行って
いつの間にかKAIさんも衣装チームに加わったりしていて
そんなんでご活躍っぷりを遠くで眺めながら、いい刺激になっていたというか。
今年リリースされた「リピー塔がたつ」は、完全に最近のリピート盤で
ピアノも歌ももちろんだが、シンセ類も含めて音がめっちゃくちゃいい。
で、今回のライヴなのだが、なぜかひょんなことから、
東京でのアルバムリリースワンマンにゲストベースでぼくを呼んでくれた次第。
いやぁ冒険するなぁ。
訪京の際に、なつかしいVOXホールの脇のスタジオで2時間ほどうち合わせて
それから一月経って、忘れたころに渋谷の会場で会った、という段取り。
忘れてませんよ。
僕は彼女の音楽に必ずしもベースが必要とは思ってなかったけど
…ピアノの低音だけで十分じゃ…
そんな固定概念(?)を余裕で壊すぐらい、キャンバスの広い人でした。
シンプルなループと自然発生的な歌のパワー、
何か2000年代はじめに浸かっていた感覚にタイムトリップしたよう。
初心というか、これでもダテに大人になってねぇなーとか、
でも、やっぱ初心なんだよな。
お客さんも様々な年齢層、みんなたぶん…
グレートな時間でした。
多分、二度と味わえないシチュエーションでしょう。
佳穂ちゃん、これからますます多忙になるだろうけど、
また機会あったら、ご一緒しようね。
音楽をとことん楽しんで、770億人分のあの人と一緒に!
何かがはじまったの図 出番待ちの舞台袖から
アートの力
「人間は何かを創造的に生み出すか破壊するかその二つの力しか持っていない」
「暴力の力に対抗するのは暴力ではなくて 〜 一人一人がアートを生み出しながら創造的に生きることなんだよ」
by 安冨歩教授、20160707、品川。
すばらしい。
これを、僕なりに解釈します。
アートにはなんでそんな力があるのでしょうか。
「アート」と呼ばれる行為、思索は、
僕らが存在の意味に立ち返る為に、触覚を伸ばすこと。
手で、心で、耳で、脳で。
触覚を伸ばした先、その「ゾーン」にあるのは、
とても澄んで、冴えて、楽しいもの、面白いもの。
それを、音楽家も、画家も、文筆家も、デザイナーも、
そしてアートが好きな人も、いつも求めてる。
罪悪感や義務感、閉塞感からではない、個人が何かに繋がった時に生まれる何か。
さて、意識的か無意識的かわからないが
人間の作った言葉には力強い意味が含まれてる。
漢字、英語、日本語、それぞれ。
僕らが生まれ、育ち、死んでゆくこの世界のほぼ全て、それは地球の表面。
では地球の中心には何があるか。
eARTh
ほらね。アート。
アートを行う人は僕らが絶対に忘れるべきではない
(或いは、逃れることの決してできない)
大切なものと交信している。
実用的、非実用的を超えて飛び込んでくる何か、
伝わる何かがあるからこそ、アートは伝播し、存続し続けている。
もしアートを自分の中に持っている人がいたら
その人は小さな地球
いやむしろ
地球の表面に生きる74億の人間は
地表を周るちいさな74億の星たち
だと思う
本来は
そう一人一人を星だと思えば
一人の命は地球より重いと言った誰かの言葉も形をもってくる。
星は引力でひかれ合い また
互いに距離を保つ必要もある。
ぼくはこんな風に考え出して以来、
生きるのがだいぶ楽になっています。
tabi
髪を切る。
去年の今頃以来、ずいぶん伸ばしていたので
軽くなって気分がいい。
ついでに視界も広くなった。
一年間、ずっと左目を半ば閉じてたようなものだからな。
再び旅に出る。
車窓、音出し、のみくい、街眺め。
仲間と一緒に過ごした時は次の音楽になっていく。
合間、ふと海岸に行ったり、ありきたりすぎて地元の人でも行かない場所を巡ったり、
人が教えてくれた場所にすぐ行ってみたりする。
人がぽろっと教えてくれた情報には力があるもので
どうしてその人がそこを教えてくれるに至ったのか、たぶんそこにはプラスαがあるので、行ってみるべきなのだ。
- とはいえ、行かずして悔やんだ故の実感の方が優る -
—
全然違う土地から話の続きがつながったりする。
神戸の海岸で見かけて妙に気になった家族の銅像
とその横にあった、移民船の解説
福岡でふと時間をつぶしていたコーヒー屋で
8年前のcoyoteがあったのでなんとなく読んでいると
その移民船「笠戸丸」がサントス港に到着したあとの話が書いてあった。
…やっぱりな。
1908年「希望の船出」で日本を旅立った、781人の人たちは
新天地ブラジルで、打ちのめされることになる。
充てがわれた痩せた土地では何も育たない。
10年近くにおよぶ土地改良の努力から、やがてコーヒーが実り、
幾人かはコーヒー農園主として「成功」するに至る。
その過程で得たもの、失ったもの…
要するにコーヒー屋にあった雑誌なのでコーヒー特集であり
コーヒー農園以外に携わった移民の人たちがどうなったかは
…
わからない。
が、なんとなくわかること。
「希望の船出」なんて、そんなにはない。
あとで美化するしかないんだな。
ないからこそ、モニュメントにする。
もぬけのから。
だから、殻をつくる。からだ。
どこかに楽園があるのかな
ぁ。
たぶんない。
だけど、
たとえゼロから始まっても、つづきができたとしても、
世界はどこも同じくらい
-
きっと。
positive.