カテゴリー: muse

as easy as a b c

そっかぁ

相変わらず Steely Dan ばかり聴いてるが(1974のアルバム最高だ)、

Murder by Numbers / The Police はフェイバリットソング(?)の一つである。
ソング、というよりミュージックが近いか。

この奇妙な曲は Synchronicity の LP レコードに入らず、カセットや CD に最後の曲…ボーナストラックとして入っていた。

僕が最初に買ったのは CD だからその時には入っていたが、それ以前にレンタルして UDII カセットにダビングした LP には…入っていなかった。
もしかしたらレンタルレコードではなく、FM ラジオのエアチェックだったかもしれない。さすがにその記憶はあやふやだ。

最初に聴いたときは、Tea in the Sahara がすでに不思議な地味曲なので*、それに輪をかけて不思議なこの曲を理解する気にもなれなかった。

最後、引き笑いの声で終わってるし。

時が経つと共にこの曲が好きになり、弾き語ったりしてるとすごく面白いことに気づき、今では…上に書きましたな、フェイバリットだと。

この曲、モンセラット島の Air Studio で彼らがアルバム作ってたとき、夕食のテーブルでなんとなく Andy が弾いたコードから Sting が歌詞を思いついて
さぁやってみるべ、と各自が弾いてみたのをヒュー・パジャムが録音していて、ワンテイクしかやってないそうだ。

曲の構成を決めるリハもせずにレコードになった、完全なジャム・コンポーズド曲だ。- いや、アナログには入らなかったのか、ややこしい –
しかも互いのブースは結構離れてたようで(離れたリビングでドラムを録ったとある)、アイコンタクトもなかっただろう。そりゃ、笑うわな。終わった瞬間。

唄がオーバーダブなのか、その時録ったのかは知らない。どっちもアリな気がするが、
最初 Stewart がドラムを叩き始めときは他の二人はブースにたどり着いてもいなかったそうだから、後からじゃないかな。
そうすると、Sting はトークバックで、Verse とか Chorus ぐらいの合図はしてたかもしれない。”Z bass” を弾きながら。

2018年、SoundVapors の記事*より。


* 今聴くと、Tea in the Sahara がどんだけ凄い曲かわかる。ドラムも最高で、彼自身がフェイバリットというのも肯く。

* なんでこの記事を見たかというと、Miss Gradenko の後半に、どんな音源を聴いても入ってるバリバリしたノイズについて、事実はどうなんだろうと気になっているからでもある。まだ答えは知らない。パジャムがそれを良しとしたんだろうか?

* トータルとしては、僕はあまりこの 5th album が好きではない。低音とバンド感が物足りない。2nd の Regatta de Blanc の方が圧倒的に素晴らしい。

* エンディングで “A, B, C, D, E-” と叫ぶ彼は、ベースで “G, A, B, D, E-” と弾いている。これもある種のダジャレだな。

ホールはひろい 弐

ホールはひろい の続きである。

1.29にNHK大阪ホールで演奏していた内容は収録されていて、配信される。

前回11.19、東京での公演も収録され、こちらは先に確認に観せてもらった。
とてもいいコンサートだったな、と改めて思いつつ – 自分の痩せっぷりには改めてびびったが – 次のアルバムに入るようですよ。

今回は、また違う感じのコンサートになったかな。

– と書いているうちに、実はもう配信されていて、本日いっぱいまでアーカイブです。
トリオどんの唄が素晴らしいですよ。僕は髪がだいぶ伸びて、見た目はこっちの方がサマになってたかな。


舞台は深い。そこに辿り着く多くのもの。
例えばこれを車の部品と完成形に見ることもできるだろう。
さまざまな商品の発表会に投影することもできるだろう。

だが、少し違う。いやだいぶ、違う。

演奏舞台はシステマティックにもできるが、それだけなら全部同期にすればいい。
口パクでもメロダインでもホログラフィでも VR でもなんでも使えばいい。

しかし、人間がやることとテクノロジー、決まりごとと決まってないことが同居する舞台。
それは、本当の舞台の姿だと、僕は思う。

そしてそれをやっているのが、大橋トリオ というアーティストだ。
彼は楽器演奏の才人にして、声も天性、作編曲もマエストロという、魔法使いのような人であり、まぁ書ききれないが、なおかつ人間臭さ、ユルさも持っている。

ここ何年か、この人の舞台に加わることができ、とても光栄、かつラッキーであった。
音楽をこんな面白いバランスで続けているアーティストは、本当に貴重です。
これからも、彼の活躍を信じ(るまでもない)、遠くからではあるが応援したいと思う。


ここからはご挨拶になります。

足掛け二年、しかし体感時間はあっという間だったツアーを無事終えることができました。
感染対策や振替公演、難しいやりくりを実行してくださったすべての関係者、メンバー、
そして、こういう状況にも関わらず、安全に気をつけてご覧くださったオーディエンスの皆さんに、改めて深く感謝申し上げます。

ここで、ある程度の時間をとって今後を考えたかったのですが、
そうもいかない事情もあり、結論を出すことにいたしました。

僕はこのツアーを持って、大橋トリオチームでの演奏活動から退きます。


このコロナ禍に対する僕の警戒レベルは、おそらく常人の倍以上。
陽性確認者が減る一方で死亡者が増加する? という不可解な状況で、情報が錯綜する中、これからがますます読みにくくなる。

そんな中、長距離を跨いでの生演奏活動を続けることに、東海地方在住の僕にはさまざまな面で無理があります。
本来ならば、ここは関東、関西どちらにも移動しやすい上、
また僕の観点では、情報過多の都会から距離を置きつつ創作・発信していく方が面白く、距離をさほどハンデには感じていないのですが、生演奏はリモートとは違います。
発信先がリモートでも、発信元は同じ場所にいる必要が(現在の技術ではまだ)あります。

また、特に ohashiTrio band のようなバンドマジックを生む為には、ディスタンスはあまりいつまでも有効には働かないことも、わかっています。

東京圏の音楽家たちがこの状況で頑張っているのも見聞きしているし、最近は実演その他も活発化しているようにも思える。それは、彼らの判断です。
彼らとして最大限の注意をし、仲間を大切にし、仕事と人生を大切にしている。もちろんガイドラインにも沿っています。

しかし、越境しながらこれをやるということは、僕一人の問題ではすまないことになります。もし感染を持ち込んだら。

そして医療はどこも、大変です。


音を作る、曲をつくる、詞を作る、それは引き続き、可能な限りやっていきます。
対外的にはともかく、自分の中では、それらは着実に育っています。

あるいは、単発のセッションはあるのかもしれない。
リモートのお仕事は歓迎します。

舞台の素晴らしさを改めて知った今、
それを自ら絶つことに虚脱感もあるのですが、
それも捉え方次第。The World is Mental, です。

もしかしたら何かで花が咲くかもしれない。
僕にはやりかけのことがあり、吸収したいことも、沢山ある。

そして、近年一番大きな、日本でも最高の音楽仕事であったチームを、
離れることにいたしました。

大橋くん、この縁を作ってくれた神谷くん、メンバー、
そしてここ5年余りの間に出会った
すべてのミュージシャン、スタッフ、トリオファンの皆さん、
本当にありがとうございました。

ごきげんよう。




ホールは屋根が高い。
奥が広い。
普段の部屋とこーんな違う世界。
味合わせてくれて
あんがとよ。
マスク越しでも
楽しんでくれれば
嬉しいな。

Thanks,
Ray

すぎさる余韻も何もない

Apple Music で歌詞がリアルタイム表示されるので

人の曲を聴くときも、気になるところを見直したりする。

が、その時にはもう遅いのだ。

スクロールの彼方。

僕はこの設計、おかしいと思っている。

Music アプリの右肩に歌詞が表示されていくが

「今現在」が一番上で、過ぎ去った瞬間に消える。

余韻もへったくれもない。

聴いて、気になって、脳が「なんだっけ?」と思い

それから見るのだから、過ぎ去ったものも見えないとおかしい。

これ、天気予報も同じで、最近は雨雲レーダーも、1時間前まで見れるようになってるが、それまではすっごく不便だった。

考えてくれないかな。

渋谷 Room 関係の人だったか、ミュージックブランディングをやってる人の講義を、受けるともなく見たことがあって(もう12年ほど前か)、その人がとてもいいこと言ってて、

音は、その方向を見てない人も、振り向かせることができる。

そう、歌や朗読もそうだ。じゃ、振り向いた時に、何が残ってるのか。

かすみでいいから、余韻がほしい。クラウドなんだから。

鋼色の

長年好きになれなかったアーティストを、今頃になって突然、愛聴している。

そのリズム、その展開、その声。

どれをとっても自分の感覚と馴染まず、愛好家が多いだけに余計にピンとこなかった

Steely Dan

特に、BCM時代は猫も杓子も「聴いてて当然でしょ」みたいな
リファレンスアーティスト扱いされていたので、余計に嫌だった。

音のクリーンさとか、グルーヴの抑制された度合いとか、取ってつけたような Kicks(キメ)とか、
ヴォーカルのもっともらしさとか、なんとも、束縛を感じる音楽だった。自分にとって。

自分も stillbeat なんて、逆説的な名をつけているが、彼らのビートは止まっているように思えた。それって、最も遠い感覚だよな。失礼極まりないけど、ね。

人にとってはそれは Sting かもしれないし、受け取り方は、それぞれだろう。

多くの時間を共に過ごした大親友が Steely Dan の大ファンだったので、くる日もくる日も彼に、どこがどう凄いかを熱弁されては、流す、そんな具合だった。彼の事は今でも大好きだ。ギターも素晴らしいし。
まぁそれは別の話。

しかして、最近これが好きでしょうがないのだ。困った。

中でも2000年の “Two Against Nature” 最高すぎる。

その前も、Gaucho での “Glamour Profession” は昔から唯一、死ぬほど好きだったのだが。

なんか最近、ドナルド・フェイゲンの声に憧れている自分がいる。

コロナ禍で内省的になってるせいかな、とも思うのだが。
人は、変わって行く。


その後、過去作もスンバラしいであることがわかってきた。

“Pretzel Logic”, “Royal Scum”

深いね、プレイも最高やね。

というか、今までも受動的にせよ聴いた回数は相当なので、知ってる曲が多い。
嵌ってきた、ということさ。

もう坊やじゃないのさ。

いつまでやねん。


そして、好きじゃないアルバムの筆頭 “Aja” のラスト “Josie”
名曲、名演だ。チャック・レイニー、全開だ。

そういえば生で観てるんだよな、一度。
1996年の夏かなぁ MA郊外の Great Woods で。

この曲での、観客の盛り上がりはすごかったよ。
4曲目だった、なんて覚えてないけど。

ホールはひろい

ホールはどうしてホールというのだろう。

またつまらぬことを。だがこれが、気になりだすと少しも前に進めない。

鯖の骨の形が翼になるまでは。堀越二郎か。

だがこの際そんなことはいい。ホールは広い。

満員でも、席間隔を広げても、また、

リハーサル中に、スタッフ数人しかいなくても、どれもが広大だ。

天井高い。とてつもなく高い。

客席から舞台を見ると綺麗としか言いようがない。

舞台さんと照明さんが作り上げた物。そこに乗っかる者。

すごい世界。久しぶりにその場にいると、その⭐︎⭐︎さがわかる。

いや、わからない。ちっともわからない。離れればわからなくなるし、

近づけばまた、わからない。

距離

気づく、とだけ、しておく。


音楽を舞台で奏でる、あるいは、絞りだす、というのは

面白いものである。参加者一人として、どう面白いか、あえて説明しようとする。

それはとても自由だし、とても夢のようであるし、

とても、ただ、自然でもある。

それは己の足りない面もすべて曝け出してしまう。

後方にいたり、あるいはビットに入っている者は、

たとえ曝け出しても気づかれないことが多い。主役はそうはいかない。

すべてが、である。それゆえ主役は、やはり圧倒的に凄い世界にいる。

とはいえ後方のものでも、抜き打ち的に観られることがある。

その際、己がどんな状態かは、わかってしまう。

そんな面も含めて、舞台は怖い。だが面白い。

とてつもなく深い、穴のようだ。


hall と hole の語源がどうなのか、知らない(まだ調べていない)が、

多少なりとも関係があるのじゃないか、という気がする。

ホールは底無しの穴だ。そして、入って安心できる、暗闇と光の世界でもある。

穴そのものじゃないか。


つづく

天無邪気鬼

無邪気ってなんだろな、としばし考える午後。

来週…ミッション。準備。

天気。二転三転。これからどう転ぶか。すでにやりくりだけで体感重力がおかしくなってく。

だが、いい時間にしたいから、他の時間も、そのために、それとは違った姿でも。


そんなこんなで、今月は音源をリリースできそうにない。

だが。詞だけ公開しようかな、とも思っている。

なりゆき次第ですけどね。

おれい

SNS 投稿もやめ、全く何も宣伝していないにも関わらず

Rio” はこれまでより遥かに多くの人に聴いて貰えてるようで、嬉しいです。

誰かが気に入って、紹介してくれたのかもしれませんね。どうもありがとう。

今現在、2021年1月上弦の月の時点で聴き返して、唄はまだまだ良くなる余地はあれど、

曲と詞は自分の中でも特別だと確信しています。


あ…それから実はまだサボってて

歌詞をディストリビューターにアップしてません。

リアルタイムで見れればより楽しめると思うので、近々アップしますね。

それまでは、こちら をご覧ください。

あかりをつかさどるもの

空気の流れが激しいなぁ、いや、風が強いなぁ

景色が広いなぁ、山の上のハイウェイオアシスって壮観だなぁ

そんな夢(悪夢でなくてよい)を見ながら、壁の中で忙しく暮らしている。

Don’t Box Me In って曲、Coppola のサントラで Copeland がやってたな…と思い出して、そこからこの曲でコラボしている Stan Ridgway を聴き出した。
声質が面白い。コメディアンのような、TV 向きのような、なんというか。

彼がフロントマンだった Wall of Voodoo の live を数曲観る。思ったよりシンセサウンドだった(で、曲はピンとこなかった)が、ドラマーがオクタバン使ったりしてるし、Stewart との接点はそれ以前からあったのかな。逆もまた。

彼はハーモニカといい語り口調といい、ありそうでない感じなのがいい。
というか… キャラが面白い。

“You categorize this music? Does it have a name?”

“Hmm… I’m mostly just as confused as anyone else as to what to call it”

* 尚 Stu & Stan の Don’t Box Me In はなぜか Apple Music, Spotify で見つからない。日本で配信権がないのかもしれない。YouTube ででも探してください。珍しくマッチドグリップでスネアを叩く姿…

あった。


ワシントン D.C. では Amanda Gorman が素晴らしい朗読をしていた。

大統領になりたいと明言しての 5’30”

最後のリフレイン

there is always light

if only we’re brave enough to see it

if only we’re brave enough to be it

光をみる、光になる。ゆうき。


僕は しかして、ここ数年、光の意味を考え直している。

闇が光を輝かせる。門が音を響かせる。

と同時に

ダークな色がもてはやされたこの数年、これからは確実に反動がくるだろうな。

とも思う。きたるべき、光と高彩度の世界。

これらが現すもの。世界は二極なのか。

light と right はどうしてわかれるのだろう。

(興味あれば、一昨年書いた quiet storm / ohashiTrio の詞を読んでみてください)

あえて、自分は両方であろうとしている。

なれるのかな。


Amanda に戻る、途中、煌めいていたひかり

change our children’s birthright

こたえ、出てるね。

或る15日

忙しい。どうも思うように時間が流れない。

巡行でも逆行でもよいのだが…

全く楽器を触れない日もある。しかも2m以内にあるのにだ。

しかして、自分の頭がどんどん悪くなってきたとしても、やらねばならないことは増える一方だ。

最近は自分も思わぬ進化も見せたようで、今日の先ほどなど、自動で皿洗いをしていた。

やる気など全くないのに、勝手に身体が動いてくれる。なんと便利な。

自らが AI 化してくるのも、ある意味役に立つ…こともあるのかな。


こんな、どうしようもない、なんでもない日常だが、それはそれで尊くもある。

明日は違った意味で大変だ。やる事が通常の3倍はある。駆動するには5種類ぐらい脳を使い分けんといかん。どうなることやら。


「曲作り」は膠着状態に陥りつつも、それでも書きかけの詞を見て弾き語ってるとインスピレーションが進んでくる。

こういう時が一番幸せだ。作詞家(一応そうなのだが)としてどこまでできるか、は別として

音楽は面白い。幻吾を扱うと、より、ね。


次の曲は、タイトルだけ言うと

Blinking news

ロック。英語にするか日本語か。


ふと、CS で鬼束ちひろを観る。デビュー作、リアルタイムでは随分聴いた覚えがある。
イメージの出し方はさまざまだとしても、本当に素晴らしいシンガーだ。

2017と2018のコンサートだそうだ。

チェロ、結城くんやん、ヴァイオリン、室屋さんやん、ベース、正人さんもやってるやん。

赤い丸絨毯、気合の場か…

勝手な感想だが、中島みゆきと、ユーミンと、両方持ってるよね、この人の声質って。

もし「国民的歌手」がいるとすれば、それはこの人だと僕は思うのだけど。心のどこかで。

で、たぶん、そういうのって、どうでもいい重荷なんだろうね。ご本人にとっては。


長尾真奈ちゃんが「日本むかしばなし」のテーマ曲をカバーしてるのを聴いたが、凄すぎた。
この人の声は… うーん、そのものやな… 悠久 … エレピも素晴らしい…

今年はご一緒できるか、わかりませんが、ご活躍とマイペースを願いつつ、遠くから応援しておりますよ。


そんなんで、1.15 は実は、まだ始まったばかりなのだ。

tail of the future ver.2

21.1.12 – ということで、今日は新月の一日前なのですが語呂がよく、
bandcamp で公開している tail of the future を ver.2 にアップデートしました。

Apple Music などの配信も、即日リリースできたりとかなり使い勝手がよかったのですが、bandcamp はそれを上回る自由度があるので、今後は違った形で、並用していこうと思います。

価格は据え置きで、試聴無料です。既に ver.1 をご購入くださった方は、無償で新型をダウンロードいただけます(筈 – もしうまく行かない場合は、bandcamp 内からご連絡ください、責任を持って対処いたします)。

前回のリズムトラックは、ハイハットを叩いたショット音を組み合わせたループと、キックを並べたものでしたが、今回は自分でプレイしたハイハットと negi のスネアのトラックを加えています*。

また、コーラスパートも加えて、再ミックスしています。

bandcamp には今後も不定期で、デモやリリースの狭間にある音源を公開していく予定。よかったら follow してみてください。


* 左右のダブルハイハットはあまりいないと思えど僕は好きで、現在配信停止中の “river silver [side b]” の “アストロノーツ” では、打ち込みと生のダブルをやりました。


future… っていうと、シンセだったりエレクトロだったりが多そうですねぇ…あるいはレトロか。

この曲はお聴きの通り、いたって普通のニューウェーヴレゲエです。僕は生音が好きだし、Hi-Hat シンバルが異様に好きだし、頭抜きのリズムや、「ぼそぼそラップ」が好きだから。

ねずみのしっぽ にも色々綴ったのですが、最近は、その人にとってやりたい事や、何故かそれまでやれなかった事だったり、
ちょっとした何かを開いてくれることだったら、それが future – まだ、きてない、つまり、これから、くる、一番ワクワクすること – なんじゃないかな、という気がしてます。

それが綺麗であっても、濁っていたとしても。

Calendar

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

Category