カテゴリー: libre

多元ものがたり

「講談」を観る。

近くの街の公民館。どこから折れてよいかわからない道を突破すると、何事もなかったかのように湖岸に開けるエリア。

二方の硝子壁から陽光降り注ぐその小さなホールは、ちょっとした楽園だ。

もっともこの酷暑では陽光も地獄を呼びかねない。厳重にカーテンが下されている。

災害用の段ボールベッドを転用したという高座に、お二方がのぼる。

そこがどんなつくりであっても、場所であっても。

見事なものだ。

現実と「つくりばなし」の境目がはっきりわかる講談に、親近感のようなものを感じるのはなぜだろうか。

張り扇で釈台を叩く。それはチャプター(章)の切り替わりでもある。ほんとに空気がパシッとかわってくれる。

マルチバースを旅するのが講談師なのだろう。

自らを振り返る。曲や語りのところどころで無意識にベースのボディや指板を叩いているのは、そういうアレなのだろう…か?

自分には講談の研究どころか、観た記憶も殆どない。
だが落語や初期の漫才や何やを見聞きし、無意識に影響されていたのかもしれない。

いや、たぶんそんな大層なことでもない。なんとなく、あれをすると気持ちがしまるのだ。

ああだこうだいっても、いろんなものが混在した自分は、所詮邪道に過ぎない。
が、色々な verse – ものがたりをきき、楽しみまなび、こわしてつくっていきたい。

あおいとりさえずりし

あおいとり、といえばこちらかもしれないですね。

Twitter から青い鳥が消えました。名前も変わってしまうかもしれない。

マスクさんの物になって以来、すでに色々な変化が(改革が)あったわけで

善きにせよ悪きにせよ、何が起こってもおかしくなかったから

(すなわち自分は完全に見放していましたが、それはとっくに見放されていたからでもあり)

なんとも居心地の悪い電線に、今は片足で立っています。

ことばを通して自分もとべるんだ、

と、思わせてくれたのが Twitter かもしれません。

地表すれすれから誰もいない高空まで、森から屋根の上まで。

tweeter はスピーカーでいう高音域担当。僕は bass だからどちらかといえば woofer だけど

その上で気楽にさえずる気になれたのは、よかったのかも。

2011.3.11 以降にその威力をしり、

それから数年が一番熱心だった。いろいろと目から鱗を剥がしてくれました。

始祖鳥の鱗は、羽根になった。

情報を集めるためには、とてもよかった。

発信するにも、割とよかった。

政治的には、とても重要で、力があったと思う。

次第に色々なものが介入し、なんだかなと思ったり
(なんだかな どころではなく うんざり も はるかにこえていたが)

自分という人間にとってにも、時折これは難しいな、相当、と思って離れたりしました。

昨年末に再開したときは、最期を見届けるぐらいの気持ちだったけど

こうして最期が来てしまうと果たして自分、野次馬の列にも並ぶことはできなかったですね。

でも。ありがとう青い鳥さん。

鳥も僕ももうさえずることはないけど、残って頑張ってる、人たちを
これからも見に訪れると思います。リツイはするかもしれません。

あおいとりのまうみずべ

『君たちはどう生きるか』
観てきました。

前作の『風立ちぬ』と同じ映画館。
あれは10年前の、9月10日だった。

あの時、なんとも説明のできない感覚でちょっと苦しんだんだっけ。
* 当時の感想:

10年はあっという間でもあり、しかし世の中は確実に、変わっている。
変わってしまっている、これから、さらに。

だから、タイトルを出すまでもなく、期待するものがあったかもしれない。
僕たちは、どうすればいいのか。
宮崎駿さんからの、道標。

そういう観点からすると、大いに期待はずれだった。

もちろん映画は一つの観点からだけでは語れない。
目まぐるしい映像展開や現実(二次元だが)と非現実の螺旋軌道、
彼のこれまでの作品のどれをも想起させるシーンの数々が映し出すように、
多くの意思とヒントが、描かれた作品だとは思う。

だが、芯のところが、わからない。
あるいは、響かない。

宮崎さんは、なんでこれを作ったのだろう?

とも、思ってしまった。

時代設定が太平洋戦争中、最初は首都、途中から疎開先という展開で
「風立ちぬ」との重なりを強く感じたし、あのモヤモヤを取り除いてくれるのか?
と思ったら、たぶんそれが間違いだったのだろう、輪をかけてモヤモヤする羽目になった。

最初のシーンで主人公の鼻筋が映し出された瞬間、それが予告されたように
物語は、恐らく西洋の血を引く、あるいは貴族的な家庭で葛藤を抱えた男の子の視点で続く。

父は軍需産業、戦闘機の風防を作って財を成す。これは宮崎氏自身の父のことなのかもしれない。
では主人公は駿さんそのものの投影なのか?
氏が表現者としてこう生きたという出発点を、表現しているのだろうか。

ならば、それはとても大切なテーマだと思う。
いつかは向き合わなければならないこと。

また、そこから溶けてくる、他の作品に込められた意味も感じ取れては来るのだが。
(たとえば、王蟲の目をガンシップの風防にしようとした風の谷の人の思い)

宮崎アニメは、未来少年コナンからナウシカ、カリオストロの城から、
ラピュタやハウルなど、多くは「王族にまつわる少年少女」に関わる物語だった。
アニメ以前の、『シュナの旅』にしてもそうだ。

そこが彼の作品の魅力でもあり、天井でもあった、と思う。

ディズニーや日本の昔話の多くも、そうかもしれない。

だが、2023年にそれは通用するのだろうか?

格差と AI と、SNS と相互監視と、権力の幻影と、戦争と。

これだけ顕になっている、こわれかけの僕らが、どう生きるか、というときに、

頼りになるのは、想像力と、火の神と、天才が組む積み木なんだろうか?

それをもう一度思い出せ、ということだろうか?

わからなかった。

時を経ると、違う見方も、沁みてくる味も、ある、とは思う。
だが今のところ、わからないのです。


どう生きるかは、自分を見つめて考えろ。

それが一番のメッセージなのかもしれない。

catch a star

逢魔時を超えて西に向かうと

いつになく大きな星が黄色く照っている。

こんなデカいのあったっけ、惑星の位置はいつまで経ってもわからないが

超新星か、超新星って赤い星だけじゃなかったか、

それとも大きく見えるのはメガネのせいか?

いろんなことを考えるが、その星(どうやら木星か金星)は全くもって

自信満々に空にいる。薄曇りの空、夕方は豪雨の兆しもあったのに。

星、一匹。天を我が物に。


ふと思う。あの星、お金にならないのかな。

何かが欲しい時、何かをしたいとき、「あの星で払います」と言ったら

相手も星を見て、「おっしゃ」と星を受け取る。

取引成立である。

あるいは、この靴の値はあのスピカな、この曲はアンドロメダな、と言い値をつける。

これなら紙幣も硬貨も、カードもポイントもアプリも要らない。

星は誰も所有できないし、だけど我が物にする気になれる。

経済なんてこれでいいんじゃないか。

貧富の差は心と視力でしかない。

そしてこの「新しい経済活動」とかのためには、何より空気が綺麗でなければならない。

すると、だ。

環境問題も経済も戦争も、これからの人類の健康も、すべて解決するだろう。


そんな出鱈目、ありえない。だが半分マジで、そんなことを思う。

色んなことはでたらめからだろ、違いはダンディかどうかだろ?

exhaled

いい週末だった。

外出と部屋での行い、共にバランスが取れるようになってきた。
もちろんコロナで全く外に出なかった昨年までとの違いもあるのだが

2023年、半年経っても、ようやく、である。
これから先も、わからない。

先日、図書館で沢山借りた本も、今日返却である。
ホーキングやブラックホール関連、難しくて読破できなかった。

これも昨年、読書を完全にストップしてしまっていたので、
いわば呼吸の「吸」というところか。

電磁波から見た自然界

図書館で大量に借りた本の一つ。

著者の宮嶋望さんには一度だけ、新幹線で偶然隣り合わせたことがある。
今から15年前のこと。

僕の楽器が座席のリクライニングを不可能にしているので、お詫びを兼ねて話しかけたところ、なぜか意気投合し、初対面の僕に随分いろいろなお話をしてくださった。

低周波と意思伝達の話、高速移動と頭の回転の話、電位とハチマキや兜の話…

それっきりお会いできていないが、この方の主催する共働学舎新得農場のチーズは近隣でも入手できることがわかり、時折購入している。

氏の考えはとても深く、独創的かつ論理的で、自然と科学、人や生物への慈しみが滲む。殊に自然界の電磁波の流れと水や生態系との関わりについての考察と実践は驚異的で、それだけで映画ができそう。

この本は2011.11.20に発刊されたもので、今も(今だからこそ)響いていると思う。

いつかまたお会いしたい。十勝に行ってみたいなぁ。

* ご近況は この記事 が詳しそうです

ボトルネック

何かが詰まっている。

何か色々やってる気がしているのだが何もやってない感がある。

一瞬で数週間が経っている。

なにが? と探ってみるがわかりはしない。
何がボトルネックなのか。

そんなもんはいくらでもある。わかってできれば苦労はしない。

ボトルネックは弦の上だと滑らかにきしみ
吹くとちょっと和む

カビが生えてりゃ吹くのもこわいが

多くの生命体って究極的には「管」だから

自分自身は常にボトルネックだ。

会話も呟きも叫びも歌もすべて
ボトルネックから来てるってわけだ。

焦ったってしょうがない。

nigiyakana tento

冷たい雨と夏の陽射しが交互に。
満月まで来てしまった。空は賑やかだ。

静かなサイレン

遠いはずのFMチューナー

おそろしくポピュラーな選曲

吹き荒れるクリアーな笑い声

強くなったんだな、もとから強かったんだなと

余計な詮索。

通行止めで降ろされる高速、つながらない道からは迂回路が数珠繋ぎ。

数珠から漏れてパンを買う。店構えに惹かれたから。

簡単な切り返しをしそこねて、またタイヤとホイールを痛める。
それよかフロントの角、結構擦りまくってる。気にならなくなってる自分はアメリカ人並みか?

そこもかしこも宿場町、周りにいる人はみんな宿場町で活動してるんだな、と思うと
どうやらそれぐらい日本全国に「宿場町」がたくさんあったようだ。

というか、人が寝泊まりするとこ、すべて「宿場町」ちゃうん?

そんな風情がぜんぶアスファルトや同じ図面のSAで取って代わられるのは
やっぱおかしいなと思いつつ、それでもネズミ色の道を追う。何を追ってる?

山の上のSAでは束の間十四日月が見れる。背中だもんな。西行。

そう空はにぎやか。空想も賑やか。地面も…そうだねやっぱ。

甘いのか酷いのか

ろくでもないニュースの後ろでは、とんでもない(本来、詳細に報道されるべきの)ニュースが一気に続いていますね。

変なカードが保険証を飲み込んでしまい、すべての口座が脆弱な番号にリンクされてしまい、あげく第三者に平気で情報を売られてしまう(もうとっくに、だろう)。

ポータルサイトはいくらでも規約を変えられ、運営側はすべての情報を収集し、一切の責任を負わない。
なに国民に対して不平等条約かけとんかい!? ってぐらい酷い話。

人類最大の環境汚染源である核兵器と核発電は強行推進される。何も学ばない国と世界。世界と国。いや、この国当事者だろう? 原爆を2回も落とされ、史上最悪規模の原発事故を起こした国が、どの面をさらす。

もっと良くしていこうよ… 核など要らない。もっといい選択肢が、人間にはある。そのために目を覚まそうとしていたんだろう? あの時以来。

うやむやにして砂にまかれ、地獄の業火に焼かれる前に、もうちょっと賢くなろうぜ… 兄弟。

— 以上5.31

こういうことを書くと、気を悪くする人もいるだろうと思ったり、詰めが、あるいは見通しがまだまだ甘いと思ったりで
結局寝かせてしまうことも多い。

今回もまたそうなったのだけど(翌日は朝からミサイルとスキャンダル騒ぎ、法案は難なく通過)

それでも残しておく。今は備忘録にしかならないけれども。

— 6.6

目覚ましのための二つの仕掛け

朝は嫌いではないのだけど

朝のテレビは昔から苦手だ うるさすぎる

さぁ起きろと 目覚ましをしているのだろうけど

そのほとんどは どうでもいい情報で

みんなが一斉に 鯉のように餌を撒かれている

そんな風に思えてしまう

朝は静かに迎えたい

その方がはるかに 起動することができる

ものすごい力を感じ取ることも できるんだがや


先日 キルヤで買ったブルーノ・ムナーリの絵本 英語版

一見するとピタゴラスイッチ調 だが

これは難しい

英語版を訳するのが面白いなんて嘯いていたのだけれども

というか ここまでひねくれた文だと何語でも難しいわけで

何度か笑いを屈折させて 機械から出てくる そんなスライスを味わおうとしながら

二週間が経つ

この中に

“Machine for taming alarm clocks”

「目覚ましアラームクロックをおだやかに鳴らす機械じかけ」

というのがある

すばらしく馬鹿馬鹿しくて

目覚めることも眠ることもできない

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