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相互監視と台本 – 壱

ひどい、日本の報道。

ますますひどくなっている。

国政選挙、都知事選挙などの期間中報道は「公平性」の名の下に激減しているにも関わらず、国民に投票権のない自民党総裁選については連日連夜報道する。しかも勝者は最初から確実視されている。

国民に「ご理解いただく」= 現状を変えることはできないと無力感を与えるには、最高の方法かもしれない。

この方法はこれまでも、日本社会のいろいろな局面で行われてきた。戦前はもとより、戦後もずっとそうだったと実感している。

繰り返し、同じ話題を流すことで、おかしな事も既定事実、真実のようになる。内容よりも、映るものが有利になる。

今年の長崎原爆の日で、首相記者会見での質疑応答が台本通りだったことがカメラに晒され、「問」「答」の映像やスチルが出回ったのはつい一月前のことだ。
呆れ果てた話だが、これはこの日だけの事ではなく、また国政に限ったことでもないだろう。でなければ、もっと大きな問題になっていた筈なのに、偉い大人はみんな身に覚えがあるのか、平然としている。
尤も、カンペだった衝撃以上に、その答弁内容にツッコミが入るべきなのだが。

報道は権力監視が目的、と言われているが、歴史を少し見ればわかるように、もともとは民衆を統制する目的で整備されたものだ。TVには貴重な電波を使っているわけだから、当然ここにもシナリオは存在する。

各社各チーム、現場の判断や、より大きな倫理なども存在するだろうが、戦後75年を経て、報道の恣意性は異常だ。もっとも反対の視点では、5〜6年前から「報道の自由」は「制約」である、とされ、公平は偏向であるとしてコントロールしてきた成果がこれなのだから、全く噛み合わないどころか、治りそうもない。

となると民衆は、報道が何を監視しているのか、何を統制しようとしているのか、報道や公的なものを監視し、疑わねばならなくなる。これも相互監視社会…

ずっと異常だったものが、コロナ禍によってやっとまともになった面もあるのに、一気にアクセルを踏んできた感。

自助や共助とは、国から自らや地域を守る、という意味で解釈せねばならぬのか。

こちらはこんな事を感じ取ると、何度もお腹が痛くなる。毎日過ごすだけで健康不安になる説。
何も考えずに済むなら、楽だろうな。
きっと、誰も同情なんてしない。みんなそうだもんな、恐らく。

同情いらないから、ちゃんとしましょうよ。

こんな報道で育つ次世代が、可哀想だよ。

So Green – R.I.P, Gary

Gary Peacock が亡くなった。

この気持ちはとても書き表すことができないので、
僕の人生を決定付けたアルバムを。

Gary Peacock, Art Lande & Eliot Zigmund / Shift In The Wind

最初に聴いたのは彼のペンによる Last First。
知人からのダビングカセットを聴いたとき、
時間が止まり永遠になった。

その後アルバムを手に入れ、ずっと聴き続けた。

冒頭の So Green は Art Lande の曲とされ、
コード進行などは Last First と類似形だ。
どちらがどちらに影響を与えたのかわからないが、
共に僕の中では、Gary の代名詞のような
何ものにも替えがたい、音楽。

fireball kid forever

僕はスポーツ全般に疎く

自分の運動神経のなさも相まってなかなか興味を持てない。しかしながら

藤川球児の引退を知ったのはやはり事件である。

彼はたぶん僕が最後に好きになった野球選手で
彼とサッカーの乾貴士(高校時代)がおそらく…な…スポーツ選手だろうか。
なにせここ10年以上野球を観ないようになり、阪神ファンであることすら忘れてしまったのである。

しかし今でも、オレンジ色のものを見ると、ふつふつと思ってしまう。
たとえば AKG の K712 Pro ってヘッドフォンがあって、音は最高なのだが、なんでフレームがオレンジやねん… ゴールドか黄色やろ… てな具合だ。

球児はどこか親近感を持てる風貌であり、しかしながら、まだ実績がない時代から
発言がでっかく、また華奢な体型に似合わぬ太い、掠れたいい声をしていて
その辺羨ましいなぁ、と思っていた。

実際生で見る機会は逃したのであるが、いつも画面であの直球の伸びと空を切るバットに
痺れていたもんだ。

引退会見で久々に姿を観たが、相変わらず…痺れること言ってくれるぜ。

ありがとう。本当にお疲れ様、でも250セーブ、目指してください!
この人が名球界に入らないで、どうするんだ、と思う。

リザイン

例の首相の退陣発表について

とても作為的な流れを感じたが、お涙頂戴の中に、改憲への執念を潜り込ませていた。
それは求めてられていなかったんですよ。あなたとなんとか会議以外には。

発表された病状はお気の毒であるが、それはこれまでの数々の疑惑と虚言、そして行ったことを帳消しにするものではないので、有耶無耶にしないでください。マスメディアご一行様。

衣は誰が着せるのか

裸の王様は
最後
同情という衣をまとい
去っていった

衣は仕立て屋が
一月かけて縫い
半日で仕上げ
ムネンの生地と
差し出した

今度は誰も
裸と言えないように
まじないを
かけた

あるいは
その中が無垢に見える
衣だった

着せたのは
誰だろう

どんぶらこ

ダイアリーであるからして、近頃は割と欠かさずタイプしている。

が、けして暇こいているわけではない。人とは会わないが毎日忙しく、落ち着ける時間は貴重だ。

フリートウッド・マックをしばらく聴いたところで – といっても、初期の最重要人物ピーター・グリーンを飛ばしているから、モグリといえばモグリなのだが – 改めてジェニー・ボイドの「素顔のミュージシャン」を読み進める。

いやぁ…

これはきくわ。グサグサくる。素晴らしい、と共に、何度も死刑宣告されてる気になる。

彼ら、彼女らがどうしてミュージシャンに「なったか」、あの曲を「創作できたか」が、いろいろな過程を含め、レコードを聴くだけではわからないレベルで、綴られる。それって、凄いことなんだが、

すべては – 将来が見えていた – ということのかたまり、なので。

間違いなく、素晴らしいんだけどね。

やっぱり、今の自分が読むにはきついものがある。「将来」なんて概念、あまりないもんな。
やり残しはいかん、と必死なだけで。どんな自分でありたい、というイメトレは、小さい頃から散々してきたし、ある程度は実現したようだけれども、今、それだけじゃ根本的なところは叶わない、ということを思い知っているわけで。

近道なんてもともと存在しない。何度も後戻りし、納得したところでしか進めない。

子役俳優からドラムに転向したフィル・コリンズ。幼い頃から町の社会で「画家」扱いされていながら、敢えてソングライターになるためにギターを取ったジョニ・ミッチェル。祖父も叔父も偉大な映画音楽・劇伴作家であり、いくらピアノが上手くても当然としか扱われなかったランディ・ニューマン。テキサスではフットボールに馴染めず吹奏楽、ドラムに道を見出し、やがて叩きながら歌う術を見出したドン・ヘンリー。ドロップアウトしドラムのカタログを見ながらひたすらドラマーになる事を信じ、習うのではなく、バンドマンとして叩き続けたミック・フリートウッド。

道は違えど確かな裏付けを重ねてきた先達の話が、幾多の「いい話」と共に、己にスパイクで蹴りを入れる。

たぶん、人生舐めてたんだと思う。自分は。今頃気づいたか。

コロナ禍を差っ引いても、やっぱなめてたな。

とても歯が立たない、幻想の未来。


だが。

ほっといても、きてしまうんだよ。それは。

まだこないものは、やがてくる。誰にも等しく、来てしまうのだ。

そう思うと、いくら串刺しにされても、どんぶらこ、どんぶらこ、
時間の海を流れていく、漂流の吾輩である。

ガラパゴスや neptune だって、アトランティス、のこされ島だって、その先は開けてると思うからな。

一体どういうことなんだか、わからないけど、

根拠のない時間軸を、不思議な自信と共に流れていく、午前2時14分。

tiny table to future games

flexlife の YouTube ライヴを観る。リアルタイム見逃してしまったから後からでも観れるのはありがたい。

(埋め込もうと思ったけどできなかったので、ごめんね)

行ったこともある部屋から配信されているのを観るのは面白い。本棚があって NPR の Tiny Desk Concert みたいなのだ。今回は別の画角だったが。

彼ら、画になる。さすがというか、画作りも映りも、もともと才能ある人たちなんよね
そこが他のミュージシャンと違うというか、おいらとも。

彼らとは春にミニツアーする予定だったし、
それが飛んだ後はリモートライヴ配信も計画していた。
思ったより技術的なハードルが高く、僕も部屋に引きこもって頭がパンパンになってたので
すぐに諦めてしまったのだが。

(他にもいくつか計画していた。できたのは、バラ録りの大橋トリオの「エメラルド」だけだ)

そして宅録だけに絞った僕とは違って、世界は着実に進化していて、
彼らはいつのまにか、本来の才能を発揮し出した。

さすがやねー。

別に褒め殺してるわけじゃなくて、なんか、なんでも出せばいいわけじゃなくて
自然体で、大倉さんがはみ出しちゃってるとこもあっても、細かい仕草とか声色とか
やっぱ役者さんだなというのが。

翻って自分なのですが、8月以降もなかなか人前に出る気になれません。
もともと、目立ちたがり屋と隠れたがり屋が同居していて
それを自分でもよくわからない回路で切り替えてるんですが
しばらく後者が優っているようで。

とはいえ、人にコントロールされるのは大の苦手なので、なんとか自分で会得したい。
ライヴステージは、そういう両面にとって、いい経験になっていたなと振り返りつつ、
うーん、今年は明らかに、違うモードだ。


Stevie Nicks, 声が好きでソロを聴いているのだけど、ピンとこない。

やっぱ Fleetwood Mac の、抑制の効いた音の中で、はみ出し気味のあの声で歌ってるのがいいのか、でも3人 vo のバンドでは彼女のリード曲が少ないので、もうちょっと他の音の中での彼女も聴きたい。Tom Petty とのあれはいいのだが。

Buckingham Nicks のスタジオアルバムは公式には配信されてなくて、YouTube で探すとやはり別格にいい。
というか、素晴らしいな。バンドサウンド、音含めて。

“Crystal” は、Christine McVie のシンセが効いた Fleetwood Mac バージョンもいいけれども、こちらもいい。
あんだけオーケストレーション豊かで繊細なギター弾けて激しく歌えるパートナーいれば、怖いものなしだよな。
Lindsey Buckingham, あんたには一生勝てねぇや。


というところで、興味は Buckingham / Nicks 加入以前、Bob Welch 在籍時代の1971年盤に向かっている。”Future Games”.
あの年代となると、アイデアが多少わからなくても質感だけで好きになったりするから、不思議だ。

はしのはし

いろいろなサービスやオンラインショップを
訪れるたびにログインを求められて
アカウントを持ってないとだめみたいになってきて
いいサービスやお店でもアカウントを作るのがいい加減億劫になってきて

やっぱ やーめた

となる率がかなり増えてきた。
いろいろなことが、いろいろだ。バテなんかな。

もうなんか(ネットしか外の世界との繋がりがなくなって久しいからか)
たいがいお疲れ気味である。

オンラインでの世界再編、結構つらいなー。
世界を二つに分けるのってつまらないけど、着実に進行中なのを感じる。
わかるだけに、無抵抗でいいのか? と思うが、そもそも土俵に乗るのがバカバカしくもなる。

ものすごく緩慢に、カルマが幽霊になっていく気がする。

そんな感じ。

もう一段階脱力して外に出、いつもの20cm上から空を見る。
近所の人と、わずかに世間ばなし。
桃色と紫とグレーの空が綺麗だ。


曲をアップしてしまうとほっと一安心、
出来栄えや反応はさておいて、やっと解放され(リリース、とはそういう意味とも思う)
束の間数日の間、嬉しい日が続く。

なんのために音楽やってるのか、本末転倒な気もするが
何度も転倒しながら生きてきたので。そしてこれが、自分の選択なのだ。

自分で曲を作ってみると、楽器演奏家としての自分とは違う部分を重度に使うので
- たとえ全パートを弾いていても、それは明らかに違う回路だ -
空っぽになれる。

この隙を忘れぬために、しばし純粋にベースの練習したり、
時間が余れば、前に作った曲がギターで弾けるかやってみる。
だいたい弾けないし、コードも忘れている。だが少しやると、手が思い出す。

ダブルベースの「練習」は、長い間やっていないので、やばいやばいと思い出して
数時間でようやくアマチュアの少し上手い人、ぐらいのレベルに戻る。
アマチュアだって学生だって、今の俺よりはマシだろ、ということはわかる。

今更スーパープレーヤーになれる気もしない。やらなければならないことは果てしない。
学んだり練習した時間にも楽器にも、関わった音楽家にも失礼な気もする。

だがこうするしか、生きた気がしないのだ。
そのうちまた、いい演奏ができるようになるだろう。これまで以上に。

それに。ベースだけのモチーフを、描いていかねばならない。なんのために。やろうとしていたことのために。できるのか?

わかるのは、そのうち何かが浮かぶということだけ。


もう一度首を上に、身体を正す。
どんな共有の世界になったとしても、
自分の視点でしか観ることも、会得することも、できない。

そして、それは、空との相対的な位置にある。

ほしぞら

細い月とほしぞら。

hoshizora って、それだけで憧れたことがある。

見ればそこにあるのに、そこにないかのよう。

いや、ほとんどの星は見えないから、永遠に憧れでもある。

プラネタリウムに、憧れる。再び。2020夏。結局行かない。

このあたりの細い月は、夜中に昇って、最も高くなる前に朝が来てしまう。

夜更かしの月だ。

ほしぞらが見れるということは幸せだと思う。もしこれが空襲の夜ならば。

政治家の考える戦争と民衆の考える戦争と兵士の考える戦争。だけど兵士は元は民衆。止むを得ずそうなった人が大半だ。
前にも書いたが、ごく若いうちなら、あるいは何かに動かされて、飛び込んでしまうこともあるだろう。

そのためなら、いくらでも、報道でも、あるいは芸術でも使って、人々は鼓舞されてしまうであろう。
実際におこったこと。

そして、世の中の境界を生きるがため、いろいろ気づいているはずの芸術家でさえ、そうさせられた事実。
聡明なはずの科学者さえ、御用にされた事実。今だって、そうじゃないと言えるか。

げいじつか、げいのうじん、あしもとのつかないもの、
いや、このよのあしもとのつきかたを、ずっとさぐるもの。

細い細い月とぐんぐん大きくなるほしぞらが、みている。

空前のサウナ

去年も暑かったな、と思いだす。

それから後、それほど大したことはできていないのだが

ずいぶん、世界も変わった。

灼熱が、まだそこに委ねる気になれたころ。思考がすべて停止してもいいと思えた夏。2019年。
そこで得た心境は ここ に記してある。レコードとしては甚だ未完成だが。

2020年、オリンピックでうんざりしていたけれども、その他は希望を持っていた。
ものすごく持っていたかもしれない。

現在。なかなか厳しい。

サウナで悟りを開いてるな。


しかし香港のことで頭も胸も苦しくなっている。訪れたこともない場所だが
街が、おおきな、街がひとつ、遺伝子操作されていくのが、言いようのない気持ちだ。

僕は雨傘革命もその後も詳しくは追えていない。いや殆どキャッチアップできていない方だ。
それ故書きにくいところもある。

アグネスさんは、民主化運動のシンボリックな存在であり、
ジャンヌダルクのようなアイコン、と認識している。

(あるいは、まんまとネットにのっかって、「認識させられている」のだが)

シンボルであるが故の、こともある。彼女だけフォーカスしていいの? ってことだ。

彼女だけでなく無数の人々が、香港の民主主義の維持を求めて運動し、大きな暴力を受け、ときに拷問を受けたといい、
さらに大きな力により、次々に敗れている。

法律は施行されてしまえば恐ろしい力を持つ。だが施行前に遡って弾圧、するのか?

そもそも、ジャンヌダルクが辿った運命、どうだった?


朝起きれば、アグネスさんは保釈されたようで、まずはよかった。

だが、それはポーズかもしれないし、そもそも逮捕と保釈には狙いがあるだろうし、国際的に著名になった人をどう扱うかのシナリオは、さんざん練られているだろう。それがどういう影響を及ぼすかも含めて。
彼女だけでなく、さまざまな人々の、無事を祈るが。共感とメディアのあり方、個人の安全、気が遠くなるが。

対岸の火事では、ない。

日本の震災後の動きは着実におかしいものだし、それを動かせるのは、さまざまな人々でしか、ない。
意識は個人であっても(個人を大切にする、というものであっても、共同体がどうあるか、という話でもあるから)。

チョウさんが言っていた、20代と10代の壁、というもの。40代と30代だって相当なものだが、そんなにジェネレーションギャップがあっちゃどうすればいいんだ、と思う。
だが、一方で世界を動かしているのは、60代70代でもあるわけだ。

で、とはいっても人生は地続きであり、振り返れば誰だって10代で20代だったわけだ。
今頃気づくことだっていっぱいあるし、いつになっても失敗の仕方は同じだ。


昨夜は、さっさと寝てしまおうと思ったら、そんなことも気になり、自分も省みて全く寝付けず、だがその原因を考えれば違った角度の答えが見つかり、また新たに音楽に向かうことができた。今日もなんとか。

結局、自分はやるべきことをやってない、というのが結論だ。一ヶ月前に書いたようなことは、要するに自分はやるべきと決めたことを全くクリアしていない。

頑張ってうまくいったようでも、肝心のところで、欲しかった物事がいつも消えてしまうのは、自分の中に虚無があるからだろう。

だがその虚無の原因が何かは、考え直す価値がある。それが少しばかり見えてきている。

見えたからってできるわけではない。

だがいい加減、やらないとな。

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