大変な状況は続きますが
みなさんにとって
少しでもよい時間の積み重なる一年になりますように。
晴天だったものの、水平線近くの雲により
いつもより10分ほど待った初日の出でした。
その間、”2021″ は3度ほど
波にさらわれた。
大変な状況は続きますが
みなさんにとって
少しでもよい時間の積み重なる一年になりますように。
晴天だったものの、水平線近くの雲により
いつもより10分ほど待った初日の出でした。
その間、”2021″ は3度ほど
波にさらわれた。
年末ですね
今年は満月と年末が重なったことも
連続配信の最終が12.30だったこともあって
この年の最後にどんな曲を形作れるか、心配だったのですが
そのせいか、2曲も形ができてしまい、どうしようと悩んだ結果。
これらは両方、今年に出さないといけないという念が強く、
12.30と12.31にリリースすることにしました。
tail of the future 2020.12.31 release at bandcamp*
4日前の日曜に思いついた後者の曲に至っては、
年末の掃除とか、諸々を掻い潜っての極限状況であり、
例年ならさっさと尻尾を巻いてしまうところだったのですが、
あかんあかん、こんなことばかりしてたから俺はずっと人生を棒に振ってきたんだ、
と再認識し。
もちろん、時間が許せばもっともっと凝った、詳細な形のものにできるのはわかりきってるけど、
それって、違うんですよね。
今年が始まったとき。
2020っていうのは、twenty twenty と言われ、
視力で言えば最高(両眼 2.0)、すべてが遠く見渡せるとき、
というので、僕も、とても先まで見渡せる、重要な年になると信じていた。
それが、全然違う形になる、そんな兆しが見えた1月の終わり。姿を表した2月。
その後のことは書きません。
だけど、僕が感じ取ろうとしていた、2020とはなんだったんだろう?
と思うと、不思議でなりません。本当に。
オリンピックイヤーではない、本当の意味の、twenty twenty。自分に直して、価値のあるのはなんだろう?
こんな思いはたぶん、二度とできないと思う。だから今年中に、スケッチであっても形にしようとしました。
去年か、一昨年か、数年前か。あるいはずっと昔からか。
列車でも、街中でも、書籍でも、CM でも、無敵ワードのように使われていた言葉。Mirai。
なんでみんな使うんだろう、でもそりゃそうだよな、僕もそうだもんな、と思いながら。
そう言えば、僕は2011、あの時の直前に こう確信していた 。封印してたけど。
まだ、こない。だから、こそ。
それを考え直し、自分なりの表現をするのが、今年だと思っていた。
ユートピアか、ディストピアか。お互いが仮面を被って巧妙に手を結んでいるのか。ますます見えなくなっていく。
だけど、それを超えたい。見つけたい。
実際は、表現どころか、考え直すこともできなかった。自分はただひきこもり、曇っていただけだ。
だから、この言葉は、ポジティブな人や、あるいは別の人たちに、委ねるのが妥当だとも思う。
自分とは違う並行宇宙。それでも、いいよね。
それぞれだから。「未来」。
そんなこんなも含めて、今年中に形にしたかったコンセプト。
ぽっと曲が浮かんだので(たぶん、これはオリジナルでもなんでもない。ただ、僕が影響をうけたものを、好きな形のスケッチにシンプリファイしただけだ)、録音し、歌詞を形作ってみた。
2020、ネズミの最後、尻尾が彗星と共に消え去る前に。
録音したこの曲 “tail of the future”。
が、配信サイト、12.31になっても、夜が明けても、正午になっても、一向に置かれる気配がない。
リリース日はあくまでも2020.12.31なのだけど、年明けてからじゃ…少し違ったものになってしまうんだよな。
というわけで、初めて、bandcamp なるものを開設してみました。
こちらは、当日でも、アップした瞬間にリリースができるようで。
既に Apple Music その他に配信* しているものと同じなのですが、こちらはダウンロードもでき、フォーマットもたぶん、ずっと高音質です。
だけど、急ごしらえということも、そもそもがボーナストラックに近いということもあって、今回はスペシャルプライスにしてみました。
この価格が妥当なのかどうか、正直よくわかりません。だけど、考えた末です。
紅白歌合戦なるものが流れている間、裏の裏のチャンネルとして、聴いてもらえたら、嬉しいです。
少なくとも、世に普通に流れるのとは違った意味で、相当面白い曲だと思っているので。
* 配信サイトについて(2021.1.2追記)
この曲はアグリゲーターを通して各配信サイトへのリリース準備を行ってきましたが、想定以上に日数がかかっているため、今回は bandcamp 限定にて配信いたします。
ストリーミングをお待ちの皆様、ごめんなさい、bandcamp をぜひチェックしてみてください!
通常通りに配信されている “Rio”
これはずいぶん昔に地球のほぼ反対側で書いた曲です。
それ以来、何があったのか?
こちらもずっと手を出さずに封印していたのだけど、今年になって形にしなきゃと思い、5月に曲の構成と歌詞を固めました。ガットギターとフレットレスベースもかな。
だけど、難しかった。とにかくこの曲は難易度が高い。
8月、改めてトライしたものの、どうにもならなかった。
(ハイハットと、ライドシンバルは、この時にどこかで録音したものです。コーラスもか。)
これは最初から、シリーズラストにしようと決めていたので、12月後半、改めてトライした。
ダブルベースを底辺に重ねて、改めてメロディ。
どうなっただろう。これが今の自分のできること、である。
よいお年を。アデュウ。
今年も一年、おつかれさまでした。
ご覧になっているみなさん、仕事した方々、交流した(ほとんどそんなことはできなかったけど)人々、拙い僕の音楽を聴いてくれたみなさん、詩を読んでくれた方々、改めて感謝申し上げます。本当にありがとう。
ようやく仕事も自分のプロジェクトも終わり、一安心しています。
去年は今頃…ここから夜明けまで、原宿でたけちゃんの sax のオーバーダビングだったかと思うと…
どっちが幻、という感じ。あの原宿駅すらないし、勝手に自分のガレージと思っていた WGT さえ、もうすぐなくなるというし…
コロナ禍がどうなるのか、全く油断できない状況ですが、
これからも – これからこそ、命を大切にしましょう。
たとえ、誰かが、自分はどうなってもよい、と思ったとしても、
この病気は誰かをきっと巻き添えにします。
医療従事者、社会生活で関わる人々、あらゆる業種の方々、家族、親類、仕事先、友人。
僕は極力(おそらく、平均よりはるかに)人との接触を減らしていましたが、
それができたのはラッキーでもあり、また、それにより失ったものも多かったでしょう。
来年も有り難いことに少しはオファーがありますが、
今年がそうであったように、全くわからない状況も続きます。
違うことを始めるかも、しれません。正直それはわからない。
今年は無茶と無理を承知でひたすら曲を作り、発表し続けました。結果はどうあれそれはよかったと思う。
これからも、みなさんそれぞれが、それぞれの道をいき、あるいはつながり、
次の年、明日、時代、未来、世 … を生きていくことでしょう。
風の時代が始まったというけれども、僕には土がこれまで以上に大切な気がしている。
だけどそれは、捉え方次第。人それぞれ。
がんばっていきましょう。
2020.12.30
だが
こんな日でも
クリスマスは
違う文化の祭りとはいえ
ありがたいと思うよ
静かに
ただ静かに
夢のかけらを
そこから広がる無限を
おもう
これ以上
格差を広げて
どうするんだ
強欲の
ごうつくばりの格差
自由の
情報の
利権の
格差
そして
誰もが一度は拠り所にし
夢にも見るだろう
「正義」の格差
「正義」がその視点によって
いくらでも変わりうる事ぐらい
悲しいけど とっくに
気付いてしまっている が
こんなに出来の悪い「正義」もないだろう
自分たちが生き残るために
報道を 司法を 幾重にもねじ曲げ
命の選別をし
民を番号管理し
つまりは家畜扱いする
家畜にも失礼
奴隷といった方が
やはり正しいか
愚かな人間の歴史
繰り返す
誰もの夢を壊した
誰もが生きる上で抱く夢を壊した
人たち
愚か
国としてもレベルが低すぎる
よ
こんなんじゃ
また戦争させられて
今度は滅びても不思議じゃない
こんなんじゃ
「蜘蛛の糸」が書かれ、読まれた国とも思えない
頭を使いすぎてパンクしそうになり、
たまらずに車ででかける。
今は冬なのか秋なのか。海か山に行きたい。
紅葉が観たいがあまり見れる気はしない。
海と山に行く。
金延幸子の『み空』はこのブログでも何度か書いているように
愛聴盤であるが、全曲に精通しているわけではない。
ハミングキッチンのイシイモモコちゃんに教えてもらったのが最初で、
彼女らと、ドラムの林立夫さんご本人と一緒に「あなたから遠くへ」をやったこともある。
懐かしい湘南の日だ。
絶妙なバンドアンサンブルとフォークギターのみのオーケストレーションの対比する
僕がそう記す必要もない、名盤中の名盤だ。
だけど僕が全貌を理解するには、たぶん一生の三乗はかかるだろう。
最近車では iPhone – Bluetooth ばかり使っているが
Apple CarPlay なんてのがほんとに、ホントに、本当に、鬱陶しいし、
何度も「今後は(二度と)使用しない」を選択しているのにランダムに復活する。
カーナビを頼りに初めての山道を走っている最中に、突然立ち上がって画面を占領したりと、
マジで命に関わるぐらい怖いので、ああいうアプリはやめて欲しい。
思い上がったグローバルテクノロジーに殺される人、いっぱい出てくる、って肌で感じる瞬間。
こんなくだらない理由で終わりたくはない。
そんなわけで、時々 iPhone を絶って、CD を聴いたりする。
もう家で CD を聴くことはないし、ましてアナログを聴く環境は僕にはないけど
へんなところで CD。Toto Bona Lokua, Alexandre Andrés, Ojo De Agua。
金延さんに入れ替えて、気がつけばアルバム三周。
あまりにも すばやく
はやぶさは
山を超え やって来たから
…どうしてこんなにとびこんでくるのだろう
羽をのばしたわ
青ざめ空
あざける雲を後にして
このアルバムではさまざまな「青」が謳われている、けれど
あおざめぞら、は、すごすぎるよ。
昨夜見た、筋金入りの音楽ライターの方の Roundabout / Yes の評を思いながら
この曲も8分あるんだな、そして、編成はフォークギターと唄だけなのに、
完全にプログレだな、と思う。
何も考えずに楽器を弾く。
しばらく経って、8月から中断していた、シリーズ最後の曲を思い返す。
身体で。最高にいい曲だ。
シリーズ最後から2番目の曲はどうするか未だに皆目わからないが
たぶん出てくるだろう。
漏れ聴こえてくる音では、周囲の人も相当頑張って練習している。
管楽器や弦楽器。
防音スタジオは持てないけれど、こういうのもいいな、学生に戻ったみたいで。
音を録ることに振り回されず、消えていく音と、操り損なった身体と戯れる。
釣りみたいなもんかも、しれないな。
そろそろ今年も振り返らねばならない。
一月早いか? 今やるか?
そんなのはカラスの勝手だが、そう言ってくれた人もこの世にはいないのだ。
来年はどうなるのだろう。
加部正義さんも … 最初にやったバンドで Wasted をカバーして以来のファンでした
近藤等則さんも … 一度だけ月観ルで対バンできたのが宝です
Toots Hibbert も ... あやまるロックをいつかお聴かせしたい
Gary Peacock も … my man
Eddie Van Halan も … 夏にはなぜか無性に聴いてました、高速で
いないのだ。この秋だけで。
来年は、誰とお別れをせねばならんのだろう。ご冗談を
相変わらずヘビーな書き出しだが、この世の中(2011.3.11以降*)僕は
基本的には、いつどうなっても覚悟、と思って生きている。
* 311以降、特に2012.12以降の流れに、といった方が正確だ。
真剣に生きる糧になってもいる。
防潮堤なんて、いくら作っても、津波は防げない。
「万里の長城」と評された田老が乗り超えられた瞬間からそれはわかり切っているのに、
アリバイと仕事を回すために、海岸はいじられ続ける。
ここでも、全国でも。
放射性廃棄物も軍鉱も似たようなこと。
あれほど愚かだとわかり切っているのに、運営する力を持つものはあらゆる手を使ってそれを覆す。彼らにとっては、愚かではない、或いは、愚かなれど仕方ない、或いは当然の選択だ、とされているのだ。
ならば僕はあらゆる心を以て、何度も記すしかない。「それは間違っている」。
思い残すこといっぱい、あるのだが、音楽に対する思い残しは、ないようにしたい。
つまりは毎日が、しゅうかつなのだ。
しゅうかつ、誤変換を誘ふ、それも間違いではない、なかなかいい言葉。
磨崖の支配者にも薦めるよ。
今年、moon x なんとかなんていうのをやったのも、一つにはそれに違いないし
そうやらないと、自分は果てしなくサボり続け、楽器も練習しない DAW も触らない
平気で半年ベースを抱えなかったこともあるのだ。この阿呆は。
だが、今年は多くの曲を形にできた。これまで22曲 – 再リリ除く。
20年以上前のスケッチから、その2日前に生まれた曲まで。
やれば、一人でもこのくらいはできるんだな、という、確認はできた。
このくらいしかできないんだが… それはもう、楽しかったぜ。
とはいえ流石に、二週間に一曲という制作ペース、尋常ではなかった。
作曲・作詞・演奏・アレンジ・録音・ミックス・マスター・ジャケット。
リリースの頃にはへとへとになり、宣伝する気力も残らなかったが
この年でなければあり得なかっただろう。変な先見の明を持ったものだ。
来年は half moon と称して、半月に合わせてリリースしようと思う…
それって月2回やんけ、あかんあかん、
上弦の月限定か、三日月限定にしよか。crescent って。
湖上の三日月… 誰なんだろうな。
名義は結局、どうするかわからない。今年は半々にしたものの結局どっちも(…)
一生名無でいいとも思う、ゼロのひかりである
来年は自分だけではなく、人と仕事を回していけるだろうか?
それには元手が要るのだが、何か見出せるだろうか?
今年は色々な計画があった。特に、小さな箱での演し物という意味で。
どう考えても最高…だが、それは花のように姿を消してしまった。
測ったようにコロナ禍になったので、それは、そういうことだったのだろうとも思う。
自撮りでの配信ライヴも考えたが、ちっと敷居が高かった。
これは来年以降のお楽しみにしよう。
身体能力も眼力も大概衰え、人前に出たくなくなったので、それと全く矛盾する配信ライヴなど、やっぱりできないとも思う。
だが、逆を言えば幾らでも直す余地はある。
近藤等則さん、ずっと凄い眼光だったなぁ。ああはなれないけど、かっこいいなぁ。
同輩のように、いい感じで枯れればいい、と思っているが
悔しいことに、僕は声がいつまで経っても子供っぽい。
あるいはじいさんだ。いい感じの「大人」がない。
常人としての人生を生きてる気がせず、時折ほとほといやになるが、これも課題だ。
課題があるうちは、幸せなのだよ。
自己肯定、自己否定、どちらも僕らは通っているわけで、どちらが上というわけではない。
プラスとマイナスが作用し、共に体現することで、はじめて波は生まれ、音にもなる。
そしてそれらは必ずゼロを通る。ビートは止まってこそ動くのだ。
投降、登校、陶工…
何の必然もない日記です。
非日常を日常にする、Performer が
毎日が非日常である 2020 に
なにを思うかというのが
やうやう解ってきたような気がする
長い(ほぼ)一年であったが、いろいろな事を思い、感じ、また綴った。
それらほぼ忘れてしまった今では、ピンクと青のトラックのコントラスト具合を
指で辿るぐらいしかできない。とっておきの鯨のノートも誰にも見せられなかったから。
いつか、”- – smith” という言葉に不思議な力と縁を感じたこともあったが*
日本語にも「とうこう」という不思議な言葉があらぁ。
誤変換すると色々な意味が出てくる。まぁ、職人、あるいは芸術に対する降参ってやつか。
ここ silent studio では、相変わらず音も出せない中、音楽が作られている。
ヘッドフォン? 骨伝導? イルミネーション音楽? touch sensitive?
尤も生楽器主体の僕はそんなのに耐えられるわけがなく、どこかで音を出し、録音しながら持ち帰っている。
スタジオ? そんなわけない。俺はマークボランじゃない。好きに使えるスタジオなんてない。
電話をし、手続きをし、公共施設で感染に気をつけながら、MacBook とマイク運び、一人のシチズンとして音楽やってるだけだ。
でも、世界もこの国もこんな状況だけれども、ちょっとしたことに嬉しくなることも、あらぁよ。
それは誰の自由でもあるが、夜空の自由でも、昼空のなんとかでもある。
TV 観なくても、本読まなくても、なんとかなることもある。
無駄なトラッキングの繰り返しだけど、埋もれてるいいテイクを見つけられないかもしれないが、
それでも秋は、ほんとは幸せなんだと、思いたい。
思いたくなくても、思ってるのだから。
もう、11月も、僅かだな。一番好きな季節。
いろんな大切な友人が、歳を重ねてく。なかなか連絡できないけど、ね。
* smith – 鍛冶屋や職人を表す。そんな投稿 を以前した筈だが見つからない…日記を探ったら2002年、昔のサイトの文だったのでこのサイトにも転記した
次の配信は…さすがに今回は手一杯で厳しいな、ごく短いインストゥルメンタルか
禁断の…打ち込みだけで許してもらおうかな、と思っているのですが、
あろうことか、変な曲が浮かんでしまった。
とてもラフながら、たぶんこれを出す。
『つめきり』
そして、寝る前にスケッチを一度聴こうと思ったら、
またデータが吹っ飛んでしまった。
あー。また幻かぁ。
と思ったら、なんとか骨組みは救出できたので、たぶんこれを形にすると思います。
たぶん…ね。