カテゴリー: libre

序の口

去年は序の口、これからが本番、みたいな。

昨年夏の時点で、ブラジル・ミナスの音楽家、ロウレイロさんも言ってたこと。
〜通常のライヴコンサートを再開するのはまだ一年以上は難しいだろう、その間はこうしたセミナー含めた別のアプローチで音楽に取り組みたい〜 at sense of quiet MUSIC LAB

COVID-19 による非日常からの脱出には長くかかる。ならば長く、音楽への取り組みを見つめ直そう。

といっても僕は、もともと、自分のことを体系化するのがあまり得意ではない。
時間があっても、思いつきにしたがって無駄口の巣を張っていくだけだ。
クモを見ていると彼らの方がよっぽど賢い。行動が理系だし、無駄がない。

去年は「月」だけを枠組みにしたけれども、今度はどうするか。

ブライアン・イーノがとてもいいことを言っている。Rolling Stone 誌。

SNS… 威力は知りつつも、またやめてみようと思う。ニュースとしては見る。発信をやめてみる、どうなるか。
フォロー外すなら今のうちですよ。

世界の分断は SNS によって起こっている…それもそうかもね。
違うかもしれない。それに警鐘を鳴らしてる Eno さんも、インタビュー後半、やはり何かを一刀両断している。人間だから、しょうがない気もする。ともかく。

世界を1か0に分けるのだったら、デジタルは永遠に二進法のままなんだな。
どうなんだろう? 随分会っていない東大卒の音楽家と、話してみたくなる。
彼の活躍を時折思う。というより、彼らと食べた三宿の板そばの味をかな。


今年の活動はまだ固まっていないが、曲は楽しく作っている。

何かのスイッチでアイデアが浮かぶ。空き時間を縫って形にしていくのは、面白い。
…と、小学生のような気持ちで自分にとっての音楽を再発見している。

周りのミュージシャンを見渡せば、みんな素晴らしいところに行っている。
演奏力、企画力、フットワーク、美しさ、いろんな面で随分、遠くに離れたなと思う。

でもこれでいい。半分は自分が望んだことでもある。

ここから自分は再構成していくし、その後に時代の流れと波長が合うかなんて、どうでもいいことだ。


名古屋の 読書珈琲リチル さんから、時々豆を買っている。cliché というブレンド、とても後味がいい。

三ヶ日の雑感

またたくまに三が日はすぎる。

— 全く整理しない、備忘録です。読んでもおもろないで。 —

半年ぶり? に日本酒を飲む。飲み過ぎはできないものの。
3年前だか、おそらく年末にかけてのストレスと酒頼みで体を壊し、
それから胃カメラを定期的に受けている。
幸い潰瘍は「いつのまにか治っていた」ようだが、こわいこわい。

昨年の巣篭もりでは、ずいぶんビールに頼ったものだ。
ジムとか楽器持ってそこら中歩き回るとか、ギリギリの列車に向かってリュック背負いながら猛ダッシュしたりとか*、それまでは文化部なりに運動をこなしていたことを省みても、ほんとに体力は衰えてしまった。幸か不幸か、ちっとも太ってはいない。

* ホームの駆け込み乗車じゃないですよ、田舎道を駅に向かって、です。そんでも迷惑だろうが

こればっかりは、年が明けてもすぐによくなりそうもない。
せめて体の使い方を変えようと思っている。

頭の使い方、意識と血流、音楽のテンポと体の液体部分のシンクロ…うーん

などと考えて皿を洗っていたが、どうだろう。そんなことが体現できるのか。

だがこれから、限りある資源と限りある、なんとか、と共に生きてかなあかん。
元気なだけ幸せなもんだ。どうせならば軽い気持ちで、去年ですら出来なかったことを実現したいものだ。


一年の計は、元旦。
辛うじて、縦と横のアコースティックベースを触った事で、つなぎとめることができた。

縦ベースはいまだに、全然あかん。身体でベースがわかってない。…ということは自分ではわかるが、いい加減これをときほぐしたいなと思う。できるかもしれない。ゆーっくりやってけば。

横ベースは、ついに手に入れたアコースティックのベースがとてもよく、ネックが細すぎボディが大きすぎることが不慣れだが、いろいろと曲ができそうだ。
ほんとは小さい場所でのライブ用だった…それはまだまだ無理だろうな。

面白いことに、両方とも、パッと弾いてるときに感じる生音と、マイキングした時の音が違う。

縦は、生音が物足りない。が、マイクで録ると恐ろしく充実してる。
(スタジオ録りではまだまだ、違う可能性があると思う)

横は、生音最高だが、マイキングすると中抜けしてしまって物足りない。ポイントを探すのが難しい。レンジとダイナミクスがありすぎるのかもしれない。あとは、張られていたエリクサーのコーティング弦は、やっぱり僕には合わないのかな。PU からの音は硬いし、まだ研究必要かな。


ともあれ、ベースという単音楽器の面白さに再び立ち返れるかもな、と思う近頃。
ガットギターを触ってて(ショボいなりに)コードの響きに、青少年の如く喜んでいたここ数年であるが、単音とメロディや語りだけでも、やっぱ音楽は面白かったりする。

なんかそういうの、作っていきたい。また。


今年はどんな音楽活動をするのか。

考える。オファーについてはやれるだけのことをやる。人前での演奏については状況次第としか言えない。
リモート制作をもっとやっていきたいが、どれだけできるかな。

ただ少しは、(フィジカルな意味とは別に)足腰がついている気も、する。時流にあったものかどうかは知りませんが。
どうしても、抵抗があるんだよな。どのシーンに乗っかることにも。

昨年、この MacBook Pro ’16、スペックの一番高いやつを買ったのは、映像編集も視野に入れてのことだったが、ほとんど映像には手が回らなかった。そういう意味ではモトが取れた気がしないものの、ストレスなく宅録はできた。M1 Mac が出ているが、互換性の問題もあるし、そちらは当分手を出さないだろう。
(ホントは、シングルコア性能に優れるならば、Apple Silicon という CPU はむしろ音楽向きなのだろう、とは思うのだけど)


どんな音楽活動をするのか。

昨年と同じことをしてもしょうがない。また、客観的に(皿を洗いながら)振り返ってみると、去年味わった気持ちはそうそう味わえないレベルのものであったし、巣篭もりだったからこそ平気でいられたものの、人前で活躍する身ならば方々に怒られまくっただろうと思う。少しはストラテジーを学びたいものである。

だが、なんかこの状況の自分にしか見えないものもあって、それをやっぱり突き詰めていきたい。

10,000人が1度聴く音楽より、100人が100回聴いてくれる音楽を作りたい。
どちらにしても、そんなんじゃとても。だがそこから。


SNS は twitter のみ、最小限にやってきたのだけど、今年は基本、やめます。

ログも残さないし、いい会話があってもその時限りです。
Andy Summers が ’83年の ロッキンF のインタビュー* でたしかこう言ってた。
(清志郎&チャボが表紙のやつね)
「音楽とは本来、録音されるべきじゃない、その場でただ演奏されるべきものだ」

だけど、みてると本当、日本中、世界中、すばらしい人、こと、いっぱいありますね。
悲しいこと、やばいこともいっぱいある。

生きなきゃいけない。だから情報は集めます。


* その号を引っ張り出して読むと、どうやらそんな発言は載っていないようだ。どこで読んだのだろう? とはいえ、子供のころ読んでもさっぱりわからなかったアンディの発言が、今はおおよそ理解できる。

新年

大変な状況は続きますが

みなさんにとって
少しでもよい時間の積み重なる一年になりますように。

晴天だったものの、水平線近くの雲により
いつもより10分ほど待った初日の出でした。

その間、”2021″ は3度ほど
波にさらわれた。

ねずみのしっぽ

年末ですね

今年は満月と年末が重なったことも
連続配信の最終が12.30だったこともあって
この年の最後にどんな曲を形作れるか、心配だったのですが
そのせいか、2曲も形ができてしまい、どうしようと悩んだ結果。

これらは両方、今年に出さないといけないという念が強く、
12.30と12.31にリリースすることにしました。


Rio 2020.12.30 release online


tail of the future 2020.12.31 release at bandcamp*

4日前の日曜に思いついた後者の曲に至っては、
年末の掃除とか、諸々を掻い潜っての極限状況であり、
例年ならさっさと尻尾を巻いてしまうところだったのですが、
あかんあかん、こんなことばかりしてたから俺はずっと人生を棒に振ってきたんだ、
と再認識し。

もちろん、時間が許せばもっともっと凝った、詳細な形のものにできるのはわかりきってるけど、
それって、違うんですよね。


今年が始まったとき。

2020っていうのは、twenty twenty と言われ、
視力で言えば最高(両眼 2.0)、すべてが遠く見渡せるとき、

というので、僕も、とても先まで見渡せる、重要な年になると信じていた。

それが、全然違う形になる、そんな兆しが見えた1月の終わり。姿を表した2月。

その後のことは書きません。

だけど、僕が感じ取ろうとしていた、2020とはなんだったんだろう?
と思うと、不思議でなりません。本当に。

オリンピックイヤーではない、本当の意味の、twenty twenty。自分に直して、価値のあるのはなんだろう?

こんな思いはたぶん、二度とできないと思う。だから今年中に、スケッチであっても形にしようとしました。


去年か、一昨年か、数年前か。あるいはずっと昔からか。

列車でも、街中でも、書籍でも、CM でも、無敵ワードのように使われていた言葉。Mirai。

なんでみんな使うんだろう、でもそりゃそうだよな、僕もそうだもんな、と思いながら。

そう言えば、僕は2011、あの時の直前に こう確信していた 。封印してたけど。

まだ、こない。だから、こそ。


それを考え直し、自分なりの表現をするのが、今年だと思っていた。

ユートピアか、ディストピアか。お互いが仮面を被って巧妙に手を結んでいるのか。ますます見えなくなっていく。

だけど、それを超えたい。見つけたい。

実際は、表現どころか、考え直すこともできなかった。自分はただひきこもり、曇っていただけだ。


だから、この言葉は、ポジティブな人や、あるいは別の人たちに、委ねるのが妥当だとも思う。
自分とは違う並行宇宙。それでも、いいよね。

それぞれだから。「未来」。


そんなこんなも含めて、今年中に形にしたかったコンセプト。

ぽっと曲が浮かんだので(たぶん、これはオリジナルでもなんでもない。ただ、僕が影響をうけたものを、好きな形のスケッチにシンプリファイしただけだ)、録音し、歌詞を形作ってみた。

2020、ネズミの最後、尻尾が彗星と共に消え去る前に。


録音したこの曲 “tail of the future”。
が、配信サイト、12.31になっても、夜が明けても、正午になっても、一向に置かれる気配がない。

リリース日はあくまでも2020.12.31なのだけど、年明けてからじゃ…少し違ったものになってしまうんだよな。


というわけで、初めて、bandcamp なるものを開設してみました。

こちらは、当日でも、アップした瞬間にリリースができるようで。
既に Apple Music その他に配信* しているものと同じなのですが、こちらはダウンロードもでき、フォーマットもたぶん、ずっと高音質です。

だけど、急ごしらえということも、そもそもがボーナストラックに近いということもあって、今回はスペシャルプライスにしてみました。
この価格が妥当なのかどうか、正直よくわかりません。だけど、考えた末です。

紅白歌合戦なるものが流れている間、裏の裏のチャンネルとして、聴いてもらえたら、嬉しいです。
少なくとも、世に普通に流れるのとは違った意味で、相当面白い曲だと思っているので。

* 配信サイトについて(2021.1.2追記)
この曲はアグリゲーターを通して各配信サイトへのリリース準備を行ってきましたが、想定以上に日数がかかっているため、今回は bandcamp 限定にて配信いたします。
ストリーミングをお待ちの皆様、ごめんなさい、bandcamp をぜひチェックしてみてください!


通常通りに配信されている “Rio”

これはずいぶん昔に地球のほぼ反対側で書いた曲です。
それ以来、何があったのか?
こちらもずっと手を出さずに封印していたのだけど、今年になって形にしなきゃと思い、5月に曲の構成と歌詞を固めました。ガットギターとフレットレスベースもかな。
だけど、難しかった。とにかくこの曲は難易度が高い。

8月、改めてトライしたものの、どうにもならなかった。
(ハイハットと、ライドシンバルは、この時にどこかで録音したものです。コーラスもか。)

これは最初から、シリーズラストにしようと決めていたので、12月後半、改めてトライした。
ダブルベースを底辺に重ねて、改めてメロディ。

どうなっただろう。これが今の自分のできること、である。


よいお年を。アデュウ。

小晦日

今年も一年、おつかれさまでした。

ご覧になっているみなさん、仕事した方々、交流した(ほとんどそんなことはできなかったけど)人々、拙い僕の音楽を聴いてくれたみなさん、詩を読んでくれた方々、改めて感謝申し上げます。本当にありがとう。

ようやく仕事も自分のプロジェクトも終わり、一安心しています。

去年は今頃…ここから夜明けまで、原宿でたけちゃんの sax のオーバーダビングだったかと思うと…

どっちが幻、という感じ。あの原宿駅すらないし、勝手に自分のガレージと思っていた WGT さえ、もうすぐなくなるというし…

コロナ禍がどうなるのか、全く油断できない状況ですが、
これからも – これからこそ、命を大切にしましょう。
たとえ、誰かが、自分はどうなってもよい、と思ったとしても、
この病気は誰かをきっと巻き添えにします。

医療従事者、社会生活で関わる人々、あらゆる業種の方々、家族、親類、仕事先、友人。

僕は極力(おそらく、平均よりはるかに)人との接触を減らしていましたが、
それができたのはラッキーでもあり、また、それにより失ったものも多かったでしょう。

来年も有り難いことに少しはオファーがありますが、
今年がそうであったように、全くわからない状況も続きます。

違うことを始めるかも、しれません。正直それはわからない。

今年は無茶と無理を承知でひたすら曲を作り、発表し続けました。結果はどうあれそれはよかったと思う。

これからも、みなさんそれぞれが、それぞれの道をいき、あるいはつながり、
次の年、明日、時代、未来、世 … を生きていくことでしょう。

風の時代が始まったというけれども、僕には土がこれまで以上に大切な気がしている。
だけどそれは、捉え方次第。人それぞれ。

がんばっていきましょう。

2020.12.30

そこからひろがるむげん

だが

こんな日でも

クリスマスは

違う文化の祭りとはいえ

ありがたいと思うよ

静かに

ただ静かに

夢のかけらを

そこから広がる無限を

おもう

「正義」の格差

これ以上
格差を広げて
どうするんだ

強欲の
ごうつくばりの格差

自由の
情報の
利権の
格差

そして
誰もが一度は拠り所にし
夢にも見るだろう
「正義」の格差

「正義」がその視点によって
いくらでも変わりうる事ぐらい
悲しいけど とっくに
気付いてしまっている が
こんなに出来の悪い「正義」もないだろう

自分たちが生き残るために
報道を 司法を 幾重にもねじ曲げ
命の選別をし
民を番号管理し

つまりは家畜扱いする

家畜にも失礼
奴隷といった方が
やはり正しいか

愚かな人間の歴史
繰り返す

誰もの夢を壊した
誰もが生きる上で抱く夢を壊した
人たち

愚か

国としてもレベルが低すぎる

こんなんじゃ

また戦争させられて
今度は滅びても不思議じゃない

こんなんじゃ

「蜘蛛の糸」が書かれ、読まれた国とも思えない

はやぶさ山を超え

頭を使いすぎてパンクしそうになり、
たまらずに車ででかける。

今は冬なのか秋なのか。海か山に行きたい。
紅葉が観たいがあまり見れる気はしない。

海と山に行く。

金延幸子の『み空』はこのブログでも何度か書いているように
愛聴盤であるが、全曲に精通しているわけではない。

ハミングキッチンのイシイモモコちゃんに教えてもらったのが最初で、
彼女らと、ドラムの林立夫さんご本人と一緒に「あなたから遠くへ」をやったこともある。
懐かしい湘南の日だ。

絶妙なバンドアンサンブルとフォークギターのみのオーケストレーションの対比する
僕がそう記す必要もない、名盤中の名盤だ。

だけど僕が全貌を理解するには、たぶん一生の三乗はかかるだろう。

最近車では iPhone – Bluetooth ばかり使っているが
Apple CarPlay なんてのがほんとに、ホントに、本当に、鬱陶しいし、
何度も「今後は(二度と)使用しない」を選択しているのにランダムに復活する。

カーナビを頼りに初めての山道を走っている最中に、突然立ち上がって画面を占領したりと、
マジで命に関わるぐらい怖いので、ああいうアプリはやめて欲しい。

思い上がったグローバルテクノロジーに殺される人、いっぱい出てくる、って肌で感じる瞬間。
こんなくだらない理由で終わりたくはない。

そんなわけで、時々 iPhone を絶って、CD を聴いたりする。

もう家で CD を聴くことはないし、ましてアナログを聴く環境は僕にはないけど
へんなところで CD。Toto Bona Lokua, Alexandre Andrés, Ojo De Agua。

金延さんに入れ替えて、気がつけばアルバム三周。

あまりにも すばやく
はやぶさは
山を超え やって来たから

…どうしてこんなにとびこんでくるのだろう

羽をのばしたわ
青ざめ空
あざける雲を後にして

このアルバムではさまざまな「青」が謳われている、けれど
あおざめぞら、は、すごすぎるよ。

昨夜見た、筋金入りの音楽ライターの方の Roundabout / Yes の評を思いながら
この曲も8分あるんだな、そして、編成はフォークギターと唄だけなのに、
完全にプログレだな、と思う。

 

12月はじまるのだよ

何も考えずに楽器を弾く。

しばらく経って、8月から中断していた、シリーズ最後の曲を思い返す。
身体で。最高にいい曲だ。

シリーズ最後から2番目の曲はどうするか未だに皆目わからないが
たぶん出てくるだろう。

漏れ聴こえてくる音では、周囲の人も相当頑張って練習している。
管楽器や弦楽器。

防音スタジオは持てないけれど、こういうのもいいな、学生に戻ったみたいで。

音を録ることに振り回されず、消えていく音と、操り損なった身体と戯れる。
釣りみたいなもんかも、しれないな。

11月おわるのだよ

そろそろ今年も振り返らねばならない。

一月早いか? 今やるか?
そんなのはカラスの勝手だが、そう言ってくれた人もこの世にはいないのだ。

来年はどうなるのだろう。

加部正義さんも … 最初にやったバンドで Wasted をカバーして以来のファンでした
近藤等則さんも … 一度だけ月観ルで対バンできたのが宝です
Toots Hibbert も ... あやまるロックをいつかお聴かせしたい
Gary Peacock も … my man
Eddie Van Halan も … 夏にはなぜか無性に聴いてました、高速で

いないのだ。この秋だけで。
来年は、誰とお別れをせねばならんのだろう。ご冗談を

相変わらずヘビーな書き出しだが、この世の中(2011.3.11以降*)僕は
基本的には、いつどうなっても覚悟、と思って生きている。

* 311以降、特に2012.12以降の流れに、といった方が正確だ。
真剣に生きる糧になってもいる。

防潮堤なんて、いくら作っても、津波は防げない。
「万里の長城」と評された田老が乗り超えられた瞬間からそれはわかり切っているのに、
アリバイと仕事を回すために、海岸はいじられ続ける。
ここでも、全国でも。

放射性廃棄物も軍鉱も似たようなこと。
あれほど愚かだとわかり切っているのに、運営する力を持つものはあらゆる手を使ってそれを覆す。彼らにとっては、愚かではない、或いは、愚かなれど仕方ない、或いは当然の選択だ、とされているのだ。
ならば僕はあらゆる心を以て、何度も記すしかない。「それは間違っている」。

思い残すこといっぱい、あるのだが、音楽に対する思い残しは、ないようにしたい。
つまりは毎日が、しゅうかつなのだ。

しゅうかつ、誤変換を誘ふ、それも間違いではない、なかなかいい言葉。
磨崖の支配者にも薦めるよ。

今年、moon x なんとかなんていうのをやったのも、一つにはそれに違いないし
そうやらないと、自分は果てしなくサボり続け、楽器も練習しない DAW も触らない
平気で半年ベースを抱えなかったこともあるのだ。この阿呆は。

だが、今年は多くの曲を形にできた。これまで22曲 – 再リリ除く。
20年以上前のスケッチから、その2日前に生まれた曲まで。
やれば、一人でもこのくらいはできるんだな、という、確認はできた。
このくらいしかできないんだが… それはもう、楽しかったぜ。

とはいえ流石に、二週間に一曲という制作ペース、尋常ではなかった。
作曲・作詞・演奏・アレンジ・録音・ミックス・マスター・ジャケット。
リリースの頃にはへとへとになり、宣伝する気力も残らなかったが
この年でなければあり得なかっただろう。変な先見の明を持ったものだ。

来年は half moon と称して、半月に合わせてリリースしようと思う…
それって月2回やんけ、あかんあかん、
上弦の月限定か、三日月限定にしよか。crescent って。
湖上の三日月… 誰なんだろうな。

名義は結局、どうするかわからない。今年は半々にしたものの結局どっちも(…)
一生名無でいいとも思う、ゼロのひかりである

来年は自分だけではなく、人と仕事を回していけるだろうか?
それには元手が要るのだが、何か見出せるだろうか?

今年は色々な計画があった。特に、小さな箱での演し物という意味で。
どう考えても最高…だが、それは花のように姿を消してしまった。
測ったようにコロナ禍になったので、それは、そういうことだったのだろうとも思う。

自撮りでの配信ライヴも考えたが、ちっと敷居が高かった。
これは来年以降のお楽しみにしよう。

身体能力も眼力も大概衰え、人前に出たくなくなったので、それと全く矛盾する配信ライヴなど、やっぱりできないとも思う。
だが、逆を言えば幾らでも直す余地はある。
近藤等則さん、ずっと凄い眼光だったなぁ。ああはなれないけど、かっこいいなぁ。

同輩のように、いい感じで枯れればいい、と思っているが
悔しいことに、僕は声がいつまで経っても子供っぽい。
あるいはじいさんだ。いい感じの「大人」がない。
常人としての人生を生きてる気がせず、時折ほとほといやになるが、これも課題だ。
課題があるうちは、幸せなのだよ。

自己肯定、自己否定、どちらも僕らは通っているわけで、どちらが上というわけではない。
プラスとマイナスが作用し、共に体現することで、はじめて波は生まれ、音にもなる。

そしてそれらは必ずゼロを通る。ビートは止まってこそ動くのだ。

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