カテゴリー: libre

春のアークヒルズ


桜が舞う都心部。滅多に行かないエリアだが、半月で二度訪れることになった。

sugar me のアルバム “SUPER ME” リリースツアー。東京公演のみバンドで参加、の巻。

多摩から1時間半かけて朝のサウンドチェック。陽気は春を越え初夏のよう。
ひろびろと開放的なカフェレストランに機材を持ち込む。
ベース二本にペダルトレイン。アンプが超小型のしかないとのことで、骨董物の Fender Bassman。
真空管が生きてるかわからないので、予備の Little Mark Red。
いざとなれば Mark から Bassman のキャビにつなぐ算段。どっちもいい音。めちゃ重い。

ペダルボードは実際は、二本のベースの切り替えと DI 送りのためなので、ホントはこの半分以下でも良いのだが
結局ツアー用とあまり変わらないことになった。

エレキベースは Rick 4001。ずっと頼りになる。
Taylor のアコベースも使いたかったが、リハを経て音量やバランス的にこうなりました。

世代やバックグラウンドが多彩なメンバーなので、とにかく新鮮。
今までの経験値は一旦クリアして、あたらしく臨む。

– long time no see – Robert Kretzschmar とは今回初めてだけど、話してるとアットホームになる。サウンドチェック。新しくて懐かしい声。

グッズ。Robert のも sugar me のも、とにかくお洒落。あゆみさんの娘さんが描いた絵を元に、アルバムジャケットも、トートバッグも一点物で構成されている。ロバートの最新アナログは、それぞれジャケットデザインが違う…!


サウンドチェックからスタートまで一時間。分刻みの自分は地下鉄に乗る。
Andy Summers の写真展。ライカギャラリー銀座。

web で彼の写真はたびたび観ていたけど、伝わるものが段違い。
ギターと同じで、ナチュラルにシュール。簡潔なのか難解なのか、わからないけど、常人が見逃す視点とジョークを絶やさない、この人。
女性たち、男たち、少女たち。モノクロから滲む、あまりにカラフルな世界。


会場に戻り、Robert のスタート。
途中、不思議な多重トラックショーが始まる。遠くてよくみえないけど、何か、ルーパーや同期と違う。
完全人力でもなさそう。

あとから聞くと「〇〇」だったようで…
おもしろかったな。真似はしないし、できないけど。

sugar me。位置に立つとファンの方がよく見える。彼女もデビュー10年、バンド時代からはもっと、だそう。
僕はライヴ演奏はじめてなんですよね。WWW や京都、何度かお誘いいただいて観に行ったし、節目節目で観てもらってもいるけど。

常に軽やかなようでいて、彼女はものすごくクレバー、普通できないような速度で何もかも回してく。
実際、ステージでもすごいことをしている。

そのひとつ「オムニコードの弾き語り」

Omnichord、知ってますか? Suzuki が昔出していた不思議な電子楽器で、ギターとキーボードの合体のような。
sugar me のアルバムではいつもこの楽器がいいアクセントを出していて、今回はこれをライヴで。
というか僕もリハで初めて見ました。
あゆみさん本人と、鍵盤のさおりさんとで持ち替えながら、2曲で披露。おわかりでしたか?

他にも、ガットギターをようくんと持ち替えながら弾いたり、パーカッションをたかしくんと分担したり、Robert の紹介は英語で完璧にやったり、ふつーはできません。

明るく、周囲を導く声。pop music だからできる、ゆったりとした、祈り。

素敵なご家族と仲間たち。Table for Two、そして for Three。

周りからみれば、誰よりも人生を謳歌してる、ひかりの中にいる人のような。
たぶんそういう人が、いてもいいのでしょう。

大変さもたくさん、僕たちと同じかそれ以上にあるのかもしれないけど。

 


ステージ中はそんなことは全く忘れ、あっという間に時間が過ぎる。

春の日曜日、カフェライヴはあっという間。

終わったけど、余韻は残る。ありがとう。


僕はその後、また荷物を満載して、一路、湘南へ。

途中ガス欠しかけて、やむ無く渋滞の駒沢へ。予定より45分遅れの、大磯…

*写真は企画と PA のベンさんより

なんでもいいからさっさと靴を履け

ふたたび長旅。とても長い距離を走った。

大いに刺激を受けたこと、漸く思い出したこと、発見があったこと、
ほぼ無意識で受け止めたこと、などなど沢山あるが

まずは、お相手してくださった方々に感謝申し上げたい。

ほんと色々考え、実行してる人、あまり喋らなくてもプロフェッショナルな人、
そして明らかに天才な芸術家

テキトーにいい感じでやってるおやじ、かっけー若者、

リアクション名人な方、

人生楽しんでる GS のにいちゃん…4年前に出会ったのとは別の…

自分はといえば…
(以下、精神分析モードに入りかけたので省略)

ま、いいや。

今回は宿代を浮かせるため、これまで知らなかった東京の西側に滞在した。
だがリハや本番が都心だったので、都度往復するだけで3〜4時間。
そこに予定を詰めまくったので、全く時間の余裕はなかった。

ゆっくり、いそげ

…というのはクルミドコーヒー、影山知明さんの言葉であるが、
今回の自分はその逆でしかなかったか。

さておき。

国分寺の胡桃堂喫茶店にも、やっと行けた(ほんの20分程度)し。

青梅の気になっていた場所、MANSIKKA は予想を軽く超えていた。
すっごい。
そのロケーションから中身まで…しかもまだまだ発展し、変わり続けるだろう…という。
発展といっても、都会とは全然違う意味です。

府中にも福生にも、それこそ檜原村にも行ってみたいのであるが、またの機会にしよう。

夜中、ナビに出た道が、車幅が通れるか分からないぐらいの獣道で
どんどん狭くなって引き返すことも前進もできず、このまま森に埋まるか、ぐらいの事態にも陥った。

あー、やっちまったか、
だが
まー前にいくしかない、とアクセル踏み、なんとか脱出できた。結構この愛車にもダメージ喰らわせてるな。

そんな中、なんとか忘れ物もせず、帰って来れた模様。

時系列ゆがんでるけど、続きはまた書きます。

– 日記タイトルは、三宅伸治さんの「さぁいこう」から。入間の So So が懐かしい –

わかりにくいライフワーク

東京にいってもインスピレーションは受けるし

幸い演奏の機会もあるし

とはいえそれに甘えず ライフワークをやっていきたい

僕の場合、ライフワークが非常にわかりづらい

身近な人であっても、わかりづらいようで、たとえば今降り出した雨にも、おそらくわからないだろう。

(雨はとにかく、人のいうことなんか聞いちゃいねぇ。すべてを飲み込んで流れていってしまうのさ)

(空気の中に飛び込む。自分が水であること、摩擦で消え去りかねないこと、そのぎりぎりを楽しんでダイビングしてるんだから、それ以上の周りのことなんか知ったことじゃない。自分は、あめ、なのだ。空から降りて、地面につくまでの、ただそれだけの間)

…とまぁ、こんなふうに出鱈目で指の運動にしかならないようなことが、わきでてくる。それをライフワークと呼ぶのだろうか。


時間はとにかく逃げていく。逃げ足の速さはランニング・マンナミダ。

みつばちとじゅえき

April fool なので。
これから書くことがどれだけ本当かは、しりませんよ。


週末は江戸に行ってきた。

楽器も持たず、電車での東行は1,500日ぶりだ。
思えばコロナ禍以降の移動はほぼ車。東京も大阪も京都も名古屋も信州も。
車が大の苦手だった自分がよく運転したものだ。

多い時は月に20回乗った新幹線も、4年経つとすっかり忘れている。
ビールやコーヒーを買うのにどのキヨスクがいいか、
おむすび屋はどうだったか、地下鉄の乗り方はどうだったか、

いや、案外、何も変わっていなかった。

変わったのはこちらで、もうビールも飲まない。
キヨスクではノンアルなど売ってない。

だが。中目黒の信号も、Umineko も、神宮前も、NHK 前も、官邸前も、新宿も水道橋も、あまり変わってなかった気がする。渋谷駅は相変わらず、大事なところが後回しだった。

発見もあった。
全体に海外の人の割合が増えていたが、初めて行った赤羽は、別の意味で異国情緒だったり。
千駄ヶ谷から銀杏並木にかけて、あんなに旅客機が舞うのを、知らなかったし。


雨と突風。富士山を越えた頃、とつぜん青空が広がり、夏が来た。

一時停止を余儀なくされた新幹線と同様、さくらも、ムロに群がる蜜蜂も、時間のネジをほどきはじめる。

人間と昆虫、それぞれのハニーとベネフィット。


今、たびをおえて、ここはまた突風がふいている。
春の嵐。だろうか。ドアの蝶番も破壊され、今夜眠れるかもやや心配だ。

春はおかしい。毎年あまり好きではない。
秋の人だから、この気候がメカニズムに合わないのだ。

だが、好きなふりをしておこう。

エイプリルフール。

バーバラとボコスと僕

愛知 セントレア近くの街 常滑市

常滑やきもの散歩道に

BARBARA COFFEE ROASTER という
とても… 異空間なカフェがあります。

と書きつつ、僕はまだ行ったことないんですけど

ここの本店、KEDI BASKAN そして
かつて存在した名古屋市千種区の BABI CHAN CAFE

といえばご存知でしょうか。

KEDI のマスターとマダムには大橋トリオのツアーバンド時代から
何かとお世話になっており

BABI でやらせてもらった ray live mini @ BABI CHAN CAFE は
知る人ぞ知る伝説の宴でした。

その後コロナを経て、だいぶ間が空くのですが
今回、すてきなお誘いをいただき、僕も混じることになりました。

The BOCOS のことを初めて知ったのは池上本門寺の SLOW LIVE だったか。
LD&K の谷口さんに、ばったり会って、なんと彼が…みたいな。わかる人はわかる話です。

で、その後 赤い靴の浜松公演を手伝った時に、対バンしたのがこのお二人です。
懐かしい…
そのときのお店も、どうやらなくなっちゃってますね。
何かいろいろ変わってるような、たぶん彼らは変わってないような。

羊毛くんは、これも赤い靴の月観ル公演でギターで参加してて、そのとき僕はベースで、
それを大橋トリオどんが観に来てて、それで何を思ったか、いきなり年明けの全国ツアーから僕を抜擢してくれたのですが、

今から思ってもあの流れは不思議でした。たぶん裏で、神谷くんが手を引いていたのでしょう。

さて、そんなこんなで 2024年。

僕の音楽活動もいろいろ変わっているわけです。
やりたいことも、身体に入ったことも、感じ取っていることも。

はっきりいえるのは、このイベントは間違いなく面白くなるだろう、ということです。
どうぞ、お楽しみに。

3と1と1と

昨日は
能登半島地震の義援金
Bandcamp の売り上げとしてお預かりした額と
自分からの分を含め
振込してきました。

改めて、楽曲購入くださった方々、
ありがとうございました。

少なくとも義援金自体の受け入れが終了するまでは
この企画は継続しますので
今後とも、もし楽曲が気に入り、趣旨にご賛同いただける方は
よろしくお願いいたします。


夜は地域の防災訓練。

そもそも災害は「予定」されているものではなく
19時に警報が鳴る、などといった訓練に意味があるのか?
という考え方もできる。

それでも、準備は無意味ではないでしょう。

いざというとき、地域で密接に連絡を取るのがいいのか
そんなことじゃなく、「てんでんこ」で逃げるのが大事か

それも、正解はない話。

役割(システム)を構築する事は、それ自体がある種、快感でもあり
そこで満足してしまう大人、老人、若者、それぞれいると思う。特に男性の場合。

たとえばヨーロッパでの核戦争を描いた漫画「風が吹くとき」
ここでも、男の老人(おじいさん)は、ミサイルが自分たちの街に到達するまでの間
NATO だかの軍事システムがどれだけ組織立っているかを暗唱し、
それで自分と妻(おばあさん)を安心させようとする。
おばあさんはそれを聞き流し、別の心配をしている。

そんなもんじゃない…
どんなもんか、と言われて答えられるものではないけれども。

ともあれ、いざというときに自分が何ができるのか、
それは、わかりません。

でも、できることのキャパは、閉じないでおきたい。


自分がここ数年間、よりアコースティック傾向を強めているのも

物は結局持ち出せない(かもしれない)、電気は使えない(だろう)

ということが大きいです。もちろんアコースティックといえど、大切な楽器をそんなとき、持っていられるかはわかりませんが

でも、身体で音楽を覚えていれば、何もなくても音楽家でいられる。はず。

そうでなきゃいけないな、いつになったらそうなれるんだろう、という思いは、ずっとあります。


3.11 は、多くの人もそうであっただろうことですが、

僕の価値観を根本的に変えました。

被災された方に(遠いところから、わずかなれど)心を寄せると共に

それからの日本がたどってきた路がどうだったのか

がっかりすることも多いのだけど

あきらめず、歩んでいきたい、です。

sea and lake – for NOTO

sea and lake


2024.3.1 release at Bandcamp

ことばにならない曲を
3月のはじまりに

収益は能登半島地震義援金として全額を寄付いたします。

僕個人の音楽など微々たる力ですが
気に入っていただけた方、賛同できる方、よろしくお願いします。

ray: doublebass, gut guitar, glockenspiel

https://stillbeat.bandcamp.com/track/sea-and-lake

* 当初「Bandcamp や金融機関の手数料を除く全額」としておりましたが、これらは既にご購入いただいた分も含め、当方が負担いたします。

螺旋と糊代

ある週末の記録。

この前と同じように、名古屋経由で西に行く。

10月、12月、そして1月。いや、12月はそのまま折り返したのか。

まず三重へ。正月明けからすぐにでも行きたかった nest にようやく辿り着く。

なぜならここは、降りてくる巣なのだ。なにがだ。

とはいえ、なんとかして自宅や湖周でインスピレーションを掬い、織り込んだ作品は
漸く完成した模様で、今回は喫緊の「降りてくれなきゃ」はない。

jazz の燈の下でふみつけるきおく。
実際、頭を空っぽにしたかっただけかもしれない。

雪景色を撮りながら、今じゃすっかり慣れてきた IC からのいく通りかの道を折れ、
名古屋に向かう。

逆やん。

逆やけど。今回はそうせやな、目的を達せられへん。

ライオンシアター、Kitri を観にいく。

入ってみるとなんと! “ライヴハウス” やん。
懐かしさと不思議なアットホームさを感じ、後ろで観る。

キトリを観るのも3年ぶり。社長さんの計らいだが、
俺、こんな歌上手い二人と一緒に、ハーモニーやってたこともあるんだな。

オーチャードホール、記録に残らないあの曲が蘇る。いや、でけへんけど。今は。

バンドネオンより一回りこぶりな、〇〇…なんて楽器だっけ
(コンサーティーナというらしい)

手動エレクトロニカ、連弾になったと思ったらすぐに右側に戻るヒナさん。

フロンティア、というか、パイレーツやなぁ。

女海賊、二人組、みたいな。

京都。学生時代からの友 Uくんに会う。
Stewart Copeland の “Police Diary” をお土産代わりに持っていく。

小綺麗になった学食を訪れ、喫茶店で色々話す。
ポリスとツェッペリンとビバップについて。ドラムについて。

阿闍梨餅をいただく。

音楽サークルもバイト先も東京もアメリカも、
一緒ではないけれども、パラレルに体験してきた友だ。
4年間の空白も、もっと前に戻せる。かけがえがない。

別れを告げ、帰る前に、今日こそ恵文社に行ってみようと思い立つ。なぜだか自分の中で敷居が高かった。

ダメ元で、しばらく消息がつかめない友に打診しつつ、一乗寺へ。
本屋のすばらしさに感動しつつ、なんと連絡が取れている。少し会う約束をする。

光嶋裕介さんの「ここちよさの建築」を買う。

秋の On Reading と逆のパターンで、その後でギャラリーに寄る。
展示がすてきだ。

海辺や夜の…青… がきれいなのだが、それだけではない。

暖色も、きりっとした輪郭も、やわらかさと同居している。
プレパラートから観た景色とでもいうか。

理系と文系のまじった画風というか。ありそうでない。

作者の萩結さん、少し話すと、浜松の方だった。

また好きな作家さんが増えた。

ギャラリーストアで売ってたカメラオブスキュラのミニチュア、欲しいなと思いつつ断念し、
書店を出、Kくんに会う(イニシャルが僕と同じだ)。

彼とも4年強、会えていないのに、ニックドレイクの Pink Moon や
彼とジェームステイラーのストリングスアレンジの「ねじれ」や
ギターが「なりすぎない」こと、ふつーに話せる。何事もなかったかのように。

ひとそれぞれ。このコロナ禍、止まったことも変わったことも、苦労もいろいろ。
それでもふしぎなことに、全然違う螺旋時間をつなぎとめることができる、謎の「のりしろ」があるようだ。

蹴上から京都を出て、いつものように高速に乗り損ね、ぐるぐる回って、夜半に帰着。

いいことがいっぱいあって、けして晴れてない夜空に

冬のダイアモンドが、まじで光ってた。

カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン。

七日

ことばに無力を感じ


といいつつも、それは常にそうでありつつも、
今年はちゃんと形にしていけるよう、やっていきます。

またお知らせできるかな。


演奏について

…思うのは、いろいろな角度で
弾くこと、聴くこと、楽しむこと、努めること、ふざけることを経て
やっと味のある、説得力のあるプレイができるのだ、ということ。

これは若い頃から思っていたことで、できる限り実践したとは思うものの
ここ数年振り返ると、つくづく穴が多い。

もちろん、自分の境遇の大きな変化もあるが、多角度に加えて縮尺の振れ幅に
毎日驚くばかり。逆を返せば常に新鮮。

長く聴いてこなかったタイプの音楽を久しぶりに聴くと、新しい発見がいろいろあったり。
耳は確実に肥えているから。
脳のどこかが勝手に制限をかけてきたつもりでも、実はキャパは増えていたりするのだ。

変わることと、変わらないこと。できることと、てんでダメなこと。極めるべきこと。
難しいからいいこと、簡単だからいいこと。うるっとすること。
今年も追っていこうと思います。


北陸の状況

報道や SNS、知人から伝わり知れる範囲ですが、物資や輸送、天候、余震、地盤、原発、
とても心配です。
被災された方々が日々、辛さをほどけ、少しでも早く。

義援金といってもどこの主催がよいのか、などと悩んでいましたが、何がベストかなど結局わからないわけで、県庁や、使っている金融機関に、微力ながらお送りしました。
いろいろな経路を通して、全国から大きな額が寄付されているようですが、本当に困っている人たちに行き渡ることを切に願います。

twenty-twenty-four

謹賀新年

平和を望みます

いつものように海岸で、年々賑わってきている元旦の太平洋岸で写真を撮りました。

ただし今回は色を想像に寄せました。

イメージに近くなって、公開したいな、と思っていたのですが、
西陽の入る部屋で、初仕事に向かっていると
揺れを感じました。

遠い、がとても大きい。

本州の反対側、日本海、能登が震源。


北陸は、子供の頃は若狭湾に海水浴に行ったし、
雪の加賀温泉は特別な思い出です。

学生時代は、能登から来たMくんに大きく感化されたし
…彼はインドに行ったきりですが

それからだいぶ年を経て、演奏で魚津や氷見に行き、街並みや漁のこと、高岡の工芸、
また南砺や金沢、行けたところも、まだのところも含めて
北陸にはどこか、里帰りのような、ルーツの感覚があります。

なかなか状況も伝わらず、行くこともできず、
あっという間に立ち上がった義援金もどこがどこまで信頼できるのかわからず
(それも言い出せばきりがないのでしょうが)とてももどかしい。

でも被災した方々はそれどころではないでしょう。

少しでも被害が早く、軽くおさまりますように。

ことに輪島や珠洲や穴水、七尾で、平穏な日常は遠いのかもしれませんが、なんとか命を守り、
避難所でも辛い思いなく過ごせますように。

よりによって元旦になんで。
だけど人類が決めた暦も、天体からみればごく僅か。
かないません。僕らは自然のこと、少ししかわかっていない。

それでも、人間ができることはあるはずです。

愚かな間違いを冒さないように。火事場泥棒に走らないように。
自然を畏れ いのちと共に慈しめますように。

現地の方々が身を挺して救助や支援をされている中
すべての文字が無力に思えてならず、更新もできませんでしたが

願いをこめてご挨拶とします。

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