カテゴリー: libre

モジュラーパッチ ii

身体性を少しずつ取り戻している。

使わなかった動きを紐解き、バラバラな回路を結びつける。

あれとあれって、案外同じ動きでいけるんだな、

こういうのって嬉しい

うみあび

日没後 段ボールをリサイクルボックスに持参しつつ
海にいく。

相変わらず誰もいない。ここが賑わうのは初日の出ぐらいだ。

流れが速く海水浴できる場所ではないし、勇気あるサーファー以外は水に近寄らないのだ。

ふと日本海を思う。
丹後由良や出雲、鳥取砂丘に小浜。魚津。
なぜかアットホームに思う。山地で生まれ湖岸で育ったのになぜだろう。

うち出雲だけは未だに訪れていない。
京都の親戚が数年間、出雲で暮らしていたので、勝手に「いつでもいける」気になっていたが
それが「いつもいってた」にすり替わってしまったようだ。

魚津の駅前がとても静かだったことを思い出す。

静寂のある街って、すごく貴重だと思うのです。

とぎすまされる。

下手な音は出せない。

それって、プレッシャーだろうか。

喧騒に紛れてなんでもできる、っていうのは
それはそれでいいことなんだろうか。

また、「それぞれ」に戻ってしまう。

海はそんなことは気にしない。

four fourteen

ひとつの区切りと勝手に思っていた日。

たくさん、じたばたする。

形にはならない。

arrange arronzo

アレンジ

吾輩にその才能があるのかは横に置く。未知数としようか。

一人ベースオーケストレーション、みたいなのは勿論やってきたし
DIY でやってると必然的に、常にアレンジをすることになるのだが

あるパートに異様に執着して他はスカスカ、みたいな、常に偏ったものをやっている。

そういうのが好きなんですよね。
いいなと思うのもあれば、あっちゃーもあるが。

最近になって、いろいろゼロからやってると
好きなものをちゃんと研究すればいいじゃないか、ということに漸く気づいている。

とても時間がかかるのです。が、大事なことですね。

* タイトルはちょっと好きな人のもじりです。配色も好みです

re-member

表の活動としては停止しているのですが

最近でも海外から見ていただくこともあり

英語もアジア語も設定していないのでなんだかなと思いつつ
(僕の日本語を自動翻訳するとかなりおかしなことになりそうです)

ストリーミングも含め、ふと全然知らないところから聴いてもらえると
うれしいものですね。

Spotify は全く放置してしまっていて – あれはやはり僕には難しい…
Apple Music も、今後アー写更新? なんて考えると気が重くなるのですが

追って計画したいと思っています。

Bandcamp だけのもののストリーミングリリースについても、
もういくつか季節がすぎるかもしれませんが
忘れているわけではないので、しばらくお待ちください。

お待ちください、って、おしつけがましいかもしれない。

しばらくお忘れください、っていう言葉が通用すれば、いいかも。

who’s gas, who’s voice

先日のメジロとは違い

今日はウグイスの声を沢山聞いた

シャドウから少し入れば

西にも東にも水面にも

たくさんのさえずりが

こだまする

最も美しいものをきいている

そう思う

このウグイスの声を邪魔できるのは

空を我がもの顔に旋回する鉄の舟

これを皆が許し賛美したとき

この世は滅びるだろう

life is not a gas

sky is not your exhaust

listen to the voices

of small nightingales

なんでこんな自分は遅いのだと思う果てのメモ

このブログではことあるごとに

ゆっくり だの

のんびり だの

スローライフ、スローミュージックを称賛し、正当化してばかりのようだが、

実際ここまで自分がスローだと、辟易することもある。

僕は元々人の数倍イラチなので、思いついたことはすぐに済ませてしまいたいのだ。

なんでこんな正反対になったのか、知る由もない。

ともあれ、世の中にはプロフェッショナルという人々がいる。
仕事がとにかく速い。あらゆる状況に対応できる。物事を深く理解している。

浅く広く、でなく、深く広く速く、なのだ。

それがあってこその、凪。そんなプロフェッショナルに、僕はなりたい。

だが明らかに体内時空感がスローになっている。なんなのだろう。

今年冒頭からの日記で(一昨年ぐらいからか?)好きなレコードのことをたくさん綴った。

実は、その時一番はまっているレコードについては触れてなかったりもするのだが、まぁわかる人にはおわかりだろう。

その中にはレッキング・クルーだったり(解体業者、という意味)
まぁプロな人々が、一聴するとユルいレコードを支えて…ささえるだけじゃないな、作り上げてきたのだ。

slow になれるための、fast。

誰かが速く動くから、誰かがゆっくりと時間が取れる。

それって、必要だ。

ん…救いになってないな。

たぶん。

だれかがゆっくりしてるときは、誰かが速く動けるのだ。

そういうこと。

自分がリラックスできてたら、それは同時に瞬間的だ。

それにしておこ。

水よりも速く。

こもれびとたたずまい

いやぁ、そっくりでしたね。ジョー。
’80年代の大月錠一郎の風貌は「音楽密造者」日野原幼紀さんのジャケ写そのもの
…って誰が思っただろうか。

『カムカムエブリバディ』

この朝ドラは、綿密な設定に役者の演技に、素晴らしかったです(最終話のみ残した時点で)。

英語も時代劇もいいのですが、やはり音楽に関わってきた者として二部からのジョーとるいとトミーの物語には感じるものがあり。
また、虚無蔵さんや五十嵐含め、夢を失った人たちとその後の話なのがいいのかな。

ただツッコミどころはいつも満載でした。
突っ込めないとそれはそれでつまらないので、これは却って楽しみでもあり。

本日 (4/7) の放送回、アニーとるいがやっと再会する場面、
最高の舞台で奏でられているのは On the Sunny Side of the Street
…なのに
スローモーションの二人の世界、そして視聴者には、弦楽の別の曲が聴こえているんですね。
これは複雑でした – いい曲でしたが。

この舞台は二人にとって最高のもの、でもあるけれども
それ以前に、クリスマスフェスの真打ちを楽しんでいるオーディエンスの、そして全身全霊を注いでいるバンドマンやスタッフたちのもの。

ハプニングで、ゲストシンガーが歌い終えた途端に舞台を降りても、抱き合っても、それは受け入れるかもしれない。
だけど、なぜその曲が Sunny Side of the Street ではないのだろう。
別の時空に遷移したとしても、別アレンジの Sunny Side でやることってできなかったのかな。

人前で演奏してきた経験を振り返ると、
あくまで陰に佇んで、というときも、世界の中心にいるつもりで、というときもありました。
どちらも正解で、どちらも唯一の答えではなかったと思います。
音楽の捉え方はさまざま。奏で方もさまざま。
そして、奏でたり聴いたり、その場にいたりする「こころ」も、さまざまでしょう。

いろんな想いがあって、舞台はできています。
少なくとも、そうだった、と思います。

venom & poison

ちとおっかない話で恐縮だが

サソリには毒がある

日本じゃあまり見ないものの、アメリカの内陸部だとその辺に普通にいるらしい

だが、蛇同様、刺されるときついものの
その毒を飲んでも大丈夫だという

venom = 皮膚から入るとやばい = 酒にしてオッケー
poison = 飲むとやばい = ワインに入れるのダメダメ

…今までしらんかった

毒ってもいろいろあるね

efficiency

世の中なにをやるにも
効率や時短は重要視されるが

自分に関してはこれはあまり当てはまらない

おそらく(無意識に)効率化できていることはあるだろう
キーボードを打つ速さとか、〇〇、□□、(あまりない)

だが
やりたいことをあまり身体化できていない僕は
効率と真逆のことをいつもやり続けなけれないけない

また、それとは別に(境が難しいが)
新しくやりたいことは、たいがい効率的にはできない。
人一倍時間がかかる、というやつだ。
おそらく四倍。これは性格的なもの、能力的なもの、両方あるのだろう。

一旦わかってしまえば
それから超スピードで片付けていくのは、とても好きなんだけどね。

効率と非効率の二元論というより
両方常に存在するし、なんにでもたぶんあてはまる。

Calendar

2025年2月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728  

Category