カテゴリー: fushigi

かんたん

ひとは むずかしいことを じつげんするちからがある
みちすじがくりあであれば どんなむずかしいことも かんたんにできる

みちすじがひとにそぐわなければ
どんなかんたんなことも むずかしくなる

そんなきがした
すごくした

これは ぼくらのこれからの みごとな しごとっぷりにもかかわるし
どう ずっこけるかにも かかわってくる

エピローグ – 地球水洗便所説

地球水洗便所説
…?

梅棹忠夫を読みたいと思い、
かつて、河出書房から出版されるはずだったという
『世界の歴史』の最終巻「人類の未来」の目次を見ると、寝れなくなった。
エピローグに並んだ見出しのひとつがこれだ。

エピローグだけじゃない、12の章の見出しがすべてぶっとんでいるから、
それだけで目が覚める。

そもそも、歴史書の最後になんで「未来」が企画されたのか、
そのなりゆきもすごい。

それはさておいて…

「地球水洗便所説」
の次にくるのが、最後の段落
「暗黒のかなたの光明」

読んでみたい…読めるものなら。

ナウシカ原作の最終章、宮崎駿はヒロインに
「いのちは、闇の中のまたたく光だ」
と言わせる。妙な納得感のまま、「主」は巨神兵オーマに破壊される。

闇と光はずっと気になっているテーマ。
私が思うのはこうだけれども。

ヤマトの諸君

スカパーで宇宙戦艦ヤマトをやっていて

あの時代のアニメといってもヤマトは演出が結構恥ずかしいのであまり期待してなかったんだけど
効果音のかっこよさに、不覚にも入って観てしまった。

じゃんじゃん人殺すし上も下も無い宇宙空間で急降下爆撃とかやってるし
まなざしは巨人の星(この言葉を書くのも嫌だ)並だし
どうしようもないのだけど
それでも沖田十三はいい声をしている。銭形と違う声色良く出せるもんだ。

すくなくとも当時は、「放射能除去装置」というのが認知されていたわけだし
「ガミラスの人には必要だが地球人類には猛毒」という事で、核や力の二面性をある意味ちゃんと描写していたわけで
なんであれから数十年で日本人はこんなに核に対して平和ボケしてしまったんだろうと思った

音楽も、オールタイムに聴けるものではないけれど
オケをちゃんと、意思を持って鳴らしてるっていうのが凄く伝わって
それは今のこぎれいな映像音楽の手触りとは全然違う
完成度っていうのがどんどん違う方向に来ちゃってるな
当時としては、あれは半端ない気合いのもと、みんなが音出したんだなと改めて感じる。

ヤマトや999や…あの辺の松本零士にはなんとも言えないものがある。
今の若い、フラットな思考を持った人々には、どう解釈できるのだろうか。

それからたとえば…他の国にもヤマトはあるんだろうか。
中国とか。

一国の旧戦艦が地球を救う為に宇宙へ、って
ある意味最高の現実逃避だ。
オレが外国人だとしたら、どうしよう、この人たちとつき合えるだろうかって思うけど

戦争で負けて科学技術力を頼りに、俺たちヤマト民族は人類を救うんだ、って
そうでもしなきゃ日本人やってられねー、って、それぐらい頼りにされてたんだろうな。ヤマトは。

今の日本はそんなもんすら通用しないくらい重傷で
でも日本スゴイみたいなのが出て来てしまう。いや、だから、出て来てしまうのかもしれない。

「科学の力を信じていたのに」と「メルトダウン」で言い放った清志郎さん
波動砲以上に強力に、日本神話を吹き飛ばしてくれたけれど

それでも実際にメルトダウンした日本のシステムの姿は
ヤマトの残骸も見つからないくらい、情けないんだよ

そう、確かに俺たちに必要なのは、ヤマトじゃない。何か別のものなんだ。
だけど、ヤマトの諸君、君たちは真実を近くで見ていたのかもしれない。

古代進、守、っていう名前は、キャラはともかく、凄く示唆に富んでいるわけなのだ。

いまごろ

ルパンは五世ぐらいになっていると思うのだが。

化石と針とマイク

地表から上にはみだして、重力に逆らって立ち、色々なところを移動しながら
生きてるおれらのやることって、なんだろう

深くなりすぎてしまうけど、時折僕は空っぽになって
おれらは針じゃないかと思ってみる

地面という人生をトレースする針
あるいはマイクやスピーカーでもいい
カメラやテレビもアリか

記録し何を再生するかはその人次第、
それが音楽やる者の意味かなとも思っている

 

音楽やらなくても、みんなの存在意味かもしれない
体験した事を変換して吐き出すこと

これだけ人類がケータイやスマホにはまってしまったのは
自分らは伝達のターミナル、情報の変換素子なんだと自覚してしまってるからかもしれない

中身って、あるようでないんよね

身体の大半が水だっていう事と同じく
人間の大半はその人を通過する情報なのかもしれない

骨肉となったとしても
やがては吐き出さなければいけない

 

簡単にクリアできない、バイアスのいっぱいかかった情報だけど

統一見解とデフラグメント

昔、Music Life という雑誌を読んでいた中学生の僕は あるページでは持ち上げられ、あるページではけなされるミュージシャンの立場に どないやねん、この雑誌はと訝っていた。 メディアとしての統一見解ってないんか? ってやつだ。 その頃は、とても強くそう思っていた。 今。一般社会での新聞なんか読むと 新聞社によって方針ががちがちに固められてるのがわかる。 クライアントの方針。 団体からの圧力。 メディアとしての統一見解って、気色悪い。 そう、強く思う。 思えば Music Life で感じたことは、いい肥やしだったのかもしれない。 だが。 たとえば世論調査が有線電話に対するランダム自動発信によって行われてるとして その対象に携帯を使う「ふつーの人」がほとんど含まれないならば ものすごく偏った調査にすぎないということ、 同様に世代によって都知事選の結果も大きく異なっていたように 大新聞社にしても、ライター全員に同じバイアスをかけることなど不可能なはずで、必ず現状を変えようという人が存在するはず。極めて、ニュートラルに。 そもそも、何々社だからね、何党だからね、 というのは、もっとフレキシブルな筈の人間の頭脳を デフラグメントしているということ。 デフラグ。分類をきちっとすることにより、効率化を図る。 しかし、デフラグは必ずしも人間的ではない。 また、あらゆる活動を行えば、必ず人間のやることはフラグメントを起こす。 生きるとは、エントロピーを増やすこと。 その上でさらにデフラグを試みるなら 人々は、たとえ群れるにせよ、常に新しく変わっていくのだと 理解しなきゃいけない。 違う意見を持たないシステムは維持できない。 遺伝子を組み替えた食物は人間を生きながらえさせることはできない。 ある特定の企業や官僚が生き延び続けることはできない。

かぜのあとのよる

風車の回る夜

光ってる文字

月が読んでる

白いのが「人間カプセル」

オレンジが「リトル地球」

どちらにも たくさんのおやすみ

脱線

思いつきシリーズではあるが
総理だけでなく民間人がもっともっと思いつきを発信していくべきだろう

発電方法

オフィス発電
毎日働きまくってるオフィスワーカーが
タイピングするキーボードに数%効率の発電装置を仕込む
働けば働くほど
またはサボってメールやツイッターを書くほどに
発電ができるという仕組み
これで自前パソコンの数パーセントを賄うもよし
サーバー的に会社でシェアするもよし
オフィス照明にリンクさせるもよし(働かない時は自動的にオフィスがスリープモードになる)

貨幣発電
合金である貨幣そのものに、発電装置を仕組む
あるいは、自動販売機に投入され中を通る際に、何かを起動し発電を行う

もっとも石原某が目の敵にしているのは要は自販機の冷却機能(24/7)なのだろうが

消費税が復活させた1円玉そのものに何らかの発電装置があれば
税金で電力を賄うというわかりやすいモデルになるだろう

もっとも、金属の質は問題である。これが放射性物質であれば元も子もない

アイデア発電
昔から比喩で使われるように、「閃く」際には頭に電球が点灯する。
つまり、人間の脳活動には、ある種のワークフローでの発電機能が備わっていると考えられる。
それを普遍的に表現してきたのが、「ひらめいた」アイコンであろう。

人間そのものに備わった発電機能は、まずその本人にエネルギー供給を行う
次に、その人がかかわる周囲にも供給を可能にする。
つまり電源および回路がつながり、動き出すのである。

アイデアは恐らくすべての人が持っている力であるが
常時出せる力ではない
アイデアが出ない状態では人は極力休むべきである
つまりスリープモードである。
無駄な活動をしない、動ける時に動くのだとういうこと。
仕事効率が上がるときも、一日に大きく3つだと言われている。

さて…
音楽においても、メリハリは重要である。
休符の重要性、(日本人が本来備えているはずの)「間」の素晴らしさは
こういったことともかかわっているかもしれない。
常に一定のレベルで音の情報を与えることは、
本来限られているはずのリスナーの「ピーク状態」を浪費する
つまり、疲れるのである。

安易なヒットチャート音楽が、ある年代を超えると急激に魅力を落としていくという現象が
ずっと言われている。
これは、年代による「枯れ」だけではなく
年代による「体力」にも起因するところが大きいと思われる。

単純に若い者が体力があるということだけではない。
年を取ると、それだけ仕事や、心配事も増えるのである。
そこに日々使わねばならないエネルギーというのがあり、さらにその上で味わえる音楽に割くエネルギーとはなんだろう
決してアクティブなものではなく、むしろパッシブでありたいのだと思う
「これを聴いてやる!」として波形真っ黒の大音量に立ち向かうのではない
「聴く」ことからその中にある波を感じ、脳内で発電を起こしたい。
そのためには、緩急が絶対必要なのである。

「癒し」だけではない。表面的なエセ癒し音楽が実は何も起こしてくれないのと違い
いいオンガクなら刺激的な部分があっても総体としての緩急が自己治癒を喚起してくれる

また、音楽がそのエネルギーを独り占めしない、ということもとても大切ではないかと思う。
一曲で疲れてしまうような音楽だと、ほかの曲を聴く気になれない。
結果、レコード全体の売り上げも落ちるのだ。

音楽全体を盛り上げたいなら、安易なファストフードではなく
全世界の音楽をオードブル、メイン、デザートなどとリスナーに味わってもらえるように
それぞれの音楽が、「他の音楽を信頼しつつ」
役割分担をすることも大事ではなかろうか。

音楽の作り方、ミックス、マスタリングの仕方においても
「一曲でおなかいっぱいに」させないのだ。
これが結果的に、世界中の音楽を救い、リスナーを救う方法の一つであると私は考える。

ラウドネスメーターという、波形真っ黒から脱却するための新しい基準値への動きがある。
これは、とても大切な音の世界の動きだ。

おと はね ふるえる

速水浩平さんのTV出演を観た。
この人、頑張って貰いたいなとおもう。

06年のとある日、参宮橋近くの首都高速脇で自転車をこいでいた時、僕はこんな事を思っていた。
「この高速脇の音圧を利用して発電が出来ないか??」

この日は代々木の楽器屋に向かっていたけど、
この後しばらく笑えて、日が暮れるのを忘れて同じところをぐるぐる回った。
結局店の閉店に間に合ったのかも、忘れてしまった。

なんで笑えたかというと、これによって「音楽家」の立場が一変するからだ。
これまで無駄にエネルギーを使い、騒音をまき散らしたギター少年、オヤジ、パンクバンド、
スタジアムツアー、フリージャズ、これらがすべて「エコの使者」になる。

PA屋も楽器屋もオーディオメーカーもみな、先端エコ産業になる。
革命。

これこそが地球の求めるもの。

勿論技術的な敷居はまだまだまだ高いのだろうけど、
ギターはピックアップで発電しているのだから、そもそも実現済。
マイクもしかり。
後は効率だけの問題なのだ。とても大きな「だけの問題」

音が人に届く為に電気を消費するのは、あくまで聴き手に何かを伝えるため。
つまりは心を震わせるため。

あまった(でかすぎた)音を「拾った」り、人が「よっしゃわかった」と、音を「受け取った」後の
エネルギーを再び電気に還元するのは、別に何もおかしい事ではない。

ぜひやるべきなのだ。

この速水さんという人が活動しているのはその後知ったが、
小学4年で発案し、大学に進んで研究と実践に邁進。
美しい。

高速道路面やビル床への展開など、今後は明るいようだけど、

音の事を忘れないでほしい

そこはまた、音楽関係者も頑張るべきだと思う。

ただのベース弾きが思うことだけど、
未来って、まだまだある。

まだ、来てへんから、みらい。

サッチモ曰く、What A Wonderful World.

* この後に大震災が来たので、僕の捉え方はだいぶかわりました。が、今も引き続き考えています。
— 追記 2012/1/31

となりあわせ

エコポイントなるものを申請す

セーフがやってるサイトにて

とてもグリーンな頁にて

内容かきかき最後に認証

画面の文字をタイプというやつ

そうそうセキュリティキー

出て来たのはこいつ

poison

そうそう毒出してもっとやさしく

ちゃうやろ

さすがせーふ言うことが違う

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