無邪気ってなんだろな、としばし考える午後。
来週…ミッション。準備。
天気。二転三転。これからどう転ぶか。すでにやりくりだけで体感重力がおかしくなってく。
だが、いい時間にしたいから、他の時間も、そのために、それとは違った姿でも。
そんなこんなで、今月は音源をリリースできそうにない。
だが。詞だけ公開しようかな、とも思っている。
なりゆき次第ですけどね。
無邪気ってなんだろな、としばし考える午後。
来週…ミッション。準備。
天気。二転三転。これからどう転ぶか。すでにやりくりだけで体感重力がおかしくなってく。
だが、いい時間にしたいから、他の時間も、そのために、それとは違った姿でも。
そんなこんなで、今月は音源をリリースできそうにない。
だが。詞だけ公開しようかな、とも思っている。
なりゆき次第ですけどね。
空気の流れが激しいなぁ、いや、風が強いなぁ
景色が広いなぁ、山の上のハイウェイオアシスって壮観だなぁ
そんな夢(悪夢でなくてよい)を見ながら、壁の中で忙しく暮らしている。
Don’t Box Me In って曲、Coppola のサントラで Copeland がやってたな…と思い出して、そこからこの曲でコラボしている Stan Ridgway を聴き出した。
声質が面白い。コメディアンのような、TV 向きのような、なんというか。
彼がフロントマンだった Wall of Voodoo の live を数曲観る。思ったよりシンセサウンドだった(で、曲はピンとこなかった)が、ドラマーがオクタバン使ったりしてるし、Stewart との接点はそれ以前からあったのかな。逆もまた。
彼はハーモニカといい語り口調といい、ありそうでない感じなのがいい。
というか… キャラが面白い。
“You categorize this music? Does it have a name?”
“Hmm… I’m mostly just as confused as anyone else as to what to call it”
* 尚 Stu & Stan の Don’t Box Me In はなぜか Apple Music, Spotify で見つからない。日本で配信権がないのかもしれない。YouTube ででも探してください。珍しくマッチドグリップでスネアを叩く姿…
あった。
ワシントン D.C. では Amanda Gorman が素晴らしい朗読をしていた。
大統領になりたいと明言しての 5’30”
最後のリフレイン
there is always light
if only we’re brave enough to see it
if only we’re brave enough to be it
光をみる、光になる。ゆうき。
僕は しかして、ここ数年、光の意味を考え直している。
闇が光を輝かせる。門が音を響かせる。
と同時に
ダークな色がもてはやされたこの数年、これからは確実に反動がくるだろうな。
とも思う。きたるべき、光と高彩度の世界。
これらが現すもの。世界は二極なのか。
light と right はどうしてわかれるのだろう。
(興味あれば、一昨年書いた quiet storm / ohashiTrio の詞を読んでみてください)
あえて、自分は両方であろうとしている。
なれるのかな。
Amanda に戻る、途中、煌めいていたひかり
change our children’s birthright
こたえ、出てるね。
あの後、破壊的に創造的かつ事務的、伝統的にして情緒的な土曜日を送った私は
未だに眠れないでいる。
「コアタイムは眠れない」といったのは誰だっただろう? 当時そんな言い回しが流行ってたのか?
まぁそんなことはさておき
やり方を踏まえれば、あれをやるのも悪くないな、みたいに思っている。
アレってなんだ? なんだろう。どうせ形にできるか分からないから、まだ黙っておくよ。
ただひとつ確かな願い。ブルーの RX-7 いつか欲しい。
忙しい。どうも思うように時間が流れない。
巡行でも逆行でもよいのだが…
全く楽器を触れない日もある。しかも2m以内にあるのにだ。
しかして、自分の頭がどんどん悪くなってきたとしても、やらねばならないことは増える一方だ。
最近は自分も思わぬ進化も見せたようで、今日の先ほどなど、自動で皿洗いをしていた。
やる気など全くないのに、勝手に身体が動いてくれる。なんと便利な。
自らが AI 化してくるのも、ある意味役に立つ…こともあるのかな。
こんな、どうしようもない、なんでもない日常だが、それはそれで尊くもある。
明日は違った意味で大変だ。やる事が通常の3倍はある。駆動するには5種類ぐらい脳を使い分けんといかん。どうなることやら。
「曲作り」は膠着状態に陥りつつも、それでも書きかけの詞を見て弾き語ってるとインスピレーションが進んでくる。
こういう時が一番幸せだ。作詞家(一応そうなのだが)としてどこまでできるか、は別として
音楽は面白い。幻吾を扱うと、より、ね。
次の曲は、タイトルだけ言うと
Blinking news
ロック。英語にするか日本語か。
ふと、CS で鬼束ちひろを観る。デビュー作、リアルタイムでは随分聴いた覚えがある。
イメージの出し方はさまざまだとしても、本当に素晴らしいシンガーだ。
2017と2018のコンサートだそうだ。
チェロ、結城くんやん、ヴァイオリン、室屋さんやん、ベース、正人さんもやってるやん。
赤い丸絨毯、気合の場か…
勝手な感想だが、中島みゆきと、ユーミンと、両方持ってるよね、この人の声質って。
もし「国民的歌手」がいるとすれば、それはこの人だと僕は思うのだけど。心のどこかで。
で、たぶん、そういうのって、どうでもいい重荷なんだろうね。ご本人にとっては。
長尾真奈ちゃんが「日本むかしばなし」のテーマ曲をカバーしてるのを聴いたが、凄すぎた。
この人の声は… うーん、そのものやな… 悠久 … エレピも素晴らしい…
今年はご一緒できるか、わかりませんが、ご活躍とマイペースを願いつつ、遠くから応援しておりますよ。
そんなんで、1.15 は実は、まだ始まったばかりなのだ。
遠吠え – ハウリンウルフ
BASE と提携したっていう、それに違和感が全くない、note ってどうも苦手なんだよなぁ。
UI なのかなぁ、緑色は好きなんだけど、なんだろ? 決まったノートで書かされる感?
こんなんだから僕は世渡りできないんですけどね。
BASE から何個か買い物してますけどね、首里城再建願いの T-shirt とか。
SNS では流れてくる様々な写真やイラストを見るのが好きで、他はだいたい猫だけれども、音楽はもともと好きだった外タレ(敢えてこう書く)の近況ぐらいしか注意に入らない。たぶん音楽に関しては常に飽和状態で、なんでも受け入れる一方で、なにも受け付けなくなってる。視覚的にヒントをくれる写真やイラストにとても惹かれる。
ただ、音楽家の人たちがいつもセッション後にやっている集合写真というのがどうも苦手だ。
やっぱり、自分は違う方向でいった方がいいなぁ〜と今更ながら思う。
(人を撮ったり、人のブランド力を高めるのはどちらかというと得意なんですけどね)
21.1.12 – ということで、今日は新月の一日前なのですが語呂がよく、
bandcamp で公開している tail of the future を ver.2 にアップデートしました。
Apple Music などの配信も、即日リリースできたりとかなり使い勝手がよかったのですが、bandcamp はそれを上回る自由度があるので、今後は違った形で、並用していこうと思います。
価格は据え置きで、試聴無料です。既に ver.1 をご購入くださった方は、無償で新型をダウンロードいただけます(筈 – もしうまく行かない場合は、bandcamp 内からご連絡ください、責任を持って対処いたします)。
前回のリズムトラックは、ハイハットを叩いたショット音を組み合わせたループと、キックを並べたものでしたが、今回は自分でプレイしたハイハットと negi のスネアのトラックを加えています*。
また、コーラスパートも加えて、再ミックスしています。
bandcamp には今後も不定期で、デモやリリースの狭間にある音源を公開していく予定。よかったら follow してみてください。
* 左右のダブルハイハットはあまりいないと思えど僕は好きで、現在配信停止中の “river silver [side b]” の “アストロノーツ” では、打ち込みと生のダブルをやりました。
future… っていうと、シンセだったりエレクトロだったりが多そうですねぇ…あるいはレトロか。
この曲はお聴きの通り、いたって普通のニューウェーヴレゲエです。僕は生音が好きだし、Hi-Hat シンバルが異様に好きだし、頭抜きのリズムや、「ぼそぼそラップ」が好きだから。
ねずみのしっぽ にも色々綴ったのですが、最近は、その人にとってやりたい事や、何故かそれまでやれなかった事だったり、
ちょっとした何かを開いてくれることだったら、それが future – まだ、きてない、つまり、これから、くる、一番ワクワクすること – なんじゃないかな、という気がしてます。
それが綺麗であっても、濁っていたとしても。
少し音楽に戻ります。
昨年の舞台を観直したり、次のリモートの段取りを考えたり。
去年の1.11は満月で、シングル「わらい x きみ」をリリースしました。
この曲は1年リリース契約だったので、登録日から1年間でストアから下がることになっており、
すでに Apple Music などでは入手不可です。一年は早い。
実に DIY な音源でしたが、たくさんの再生、またご購入に感謝いたします。改めて、ありがとうございました。
我ながらいい曲なので、単に延長するよりも、もっといい音源にしたい思いが強く、
改めてリイシューする予定です。いつとは言えませんが、気長に待っていてください。
このジャケを描いてくれた隆太くん、京都でマイペースに音楽作ってるのでは、と思うけど、どうしているのだろう。
above photo by Y.Sugimori, 2019.11.23
2019.11.16
彼はとんでもない才能の持ち主です。
いつか音が聴けること、またどこかで共演できることを楽しみにしています。
bandcamp の方は、近々アップデート予定です。詳しくは追ってお知らせします。
SNS 投稿をやめたにもかかわらず、新年から沢山のアクセスありがとうございます。
こいつは一体何やってんだ?って感じでしょうかね、それとも唯の、米中のロボット検索か。
ほんとタイムライン見てると、コメントしたかったりハート付けたかったり、様々な誘惑に駆られるのですが、
僕ですらそうだから、世の中の多くの人はすごく、そう感じてると思います。見事な遊泳制御システム。よくできてますよね – 現役大統領まで凍結しながら。
今回は、世の中の動きに思うところを。言うなれば “Scritti Politti”* です。
コロナ禍に対して、政府が本気で人々を救おうとしているようには、僕には感じられません。
やっていること全否定はしませんが、GoTo Eat を、マスクのかけかたレクチャー付きで推進したすぐ後に、飲食店を元凶とするのは、とてもドライで狡猾ですね。緊急事態宣言の内容もスカスカで、しかも内容が薄いのを憲法のせいにする記事が、すかさず iPhone に表示されたりする。
何か仮想敵を作り、分断をはかることで自分たちの責任を回避し、時間を稼いでいる。ただこれって昔から、支配層の、システム維持の常套手段だと思います。
彼らのやっていることはトリガーに過ぎず、それを増幅させるかどうかはマスコミであり、SNS であり、私たち自身です。
飲食はマスクも外し、口で摂取する行為ですし、場合によっては酒を飲み、警戒を解き、距離感や感覚を鈍らせるのだから、コロナに関して外食がリスクがあるとは、僕自身ずっと考えています。それは飲食店の方々がどれだけ頑張ってるか、どんな想いをしておられるか、という事とは、また別の問題です。僕は極力、馴染みのお店からは通販や持ち帰りを試みています。人のいない頃合いを見計らって店にいったり。もともと群れない性格なのでこういうのは得意です。
ですから、それ(飲食店が〜)を表明すること自体に、冷徹さこそあれ、極端な悪意は感じません。その、ギリギリ責任を回避する方法にかけては、日本の指導層やマスコミはプロ中のプロです。企業やフリーランス、団体、地元社会というシステムも、幾重にもそれに取り込まれています。皆さんの身にも、あるいは覚えがあるかもしれません。僕にもあります。
それによって怒りを増幅させることは逆効果にもなります。飲食店もどんな業種も、攻撃し合うのでは、人類史上常に戦わされ、殺し殺され合ってきた、幾多の兵隊、つまり大多数の人々と同じ。もちろん憂さ晴らし(支配側にとってはガス抜き)も必要だったりするのでしょうが。
で、とはいえ、黙っていても、ダメだと思います。
政府の姿勢は、やはりおかしい。なんでいつまでも「自粛を要請」で、「罰則」や「店名を公表」が主要施策で、その後は GoTo 再開で、オリンピック開催は絶対視なのでしょうか? マイナンバー等にしても、国民ばかり情報を集められる一方、管理者側の記録はますます有耶無耶になっていますよね。
オリンピック開催にこの期に及んでこだわる時点でおかしいのですが、それ以上に彼らの最大の優先事項は憲法の改変だからだ、と僕はやはり感じています。
彼らはコロナ禍やオリンピックを、自分たちの権力を高め、国民をコントロールするための好機と捉えているのではないか。恐怖と熱狂。ナチスの手口、結局は金でしょ、国民は時期がくれば忘れる、やってる感が大切だ、税金は国民から吸い上げたもの、事態収束のために最大限の「工作」をする… 誰かや誰かが口を滑らせたあれらの言葉は、冗談でもなんでもなく、どれも、彼らの立場での、ごく真剣な発言なのだろうなと。
国民主権 基本的人権の尊重 平和主義
これら日本国憲法の基本原理を、変えよう、なくそう、というのが、中枢にいる人々の本音らしい。信じがたいことかもしれませんが、それを明言し、大いに盛り上がっている議員たちの映像も何年も前から出回っているわけで。というよりこれこそが TV ニュースやワイドショーで、大きく流すべき案件です。
彼らは、じっくりと、何十年もその実現に向かって取り組んでいるようですし、特に東日本大震災後の政権交代からは、まず報道を押さえつけ或いは懐柔し、その後は幾度もの強行採決を実現し、最近は一気にアクセルをかけています。あるいは、先を見据えて、ちょっと反対を抑えるためのブレーキをもか。
もし、昨年オリンピックが開催されていれば、今頃は毎日朝から晩まで、改憲アピールの CM が流れていたことでしょう。それが遅れただけでも、少しは考える時間ができて、マシだったと僕は思う。ものすごく消極的なのですが。
オリンピックに人々が醒める一方で利権はますます大きくなり、特定の人々に集中しつつある。どれだけ巧妙で、巨大なマーケティング(≒プロパガンダ)がこれから実行されるか。すでに「そっちの準備は万端」じゃないかと、思うのです。
そして、実態がどうであれ、コロナが春ごろに収束方向になれば、オリンピック開催へのアピールが一気にくるでしょう。これで「国民の雰囲気が変われ」ば開催です。そして、そんな中で開催されたオリンピックの実態がどんなものであっても、日本のマスメディアは総力を挙げて礼讃するでしょう。
そして、それを踏まえて(その経験の成功も失敗も、マーケティングのプロや AI が冷徹に判断しつつ)、一気に憲法改変に持っていく計画だと、予想しています。
仮定の話には答えられないんでしたっけ。
僕の心配が杞憂であることを願います。生きましょう。
次の世代によい明日を。
* ところで、Green Gartside の音楽に関してはどの程度 Scritti Politti (政治的文書) なのか、未だによくわからないでいる。実生活や経歴はともかく、表現としてはアイロニーかもしれないし。一生のうちに本人にお会いできればいいのだけどな。
去年は序の口、これからが本番、みたいな。
昨年夏の時点で、ブラジル・ミナスの音楽家、ロウレイロさんも言ってたこと。
〜通常のライヴコンサートを再開するのはまだ一年以上は難しいだろう、その間はこうしたセミナー含めた別のアプローチで音楽に取り組みたい〜 at sense of quiet MUSIC LAB
COVID-19 による非日常からの脱出には長くかかる。ならば長く、音楽への取り組みを見つめ直そう。
といっても僕は、もともと、自分のことを体系化するのがあまり得意ではない。
時間があっても、思いつきにしたがって無駄口の巣を張っていくだけだ。
クモを見ていると彼らの方がよっぽど賢い。行動が理系だし、無駄がない。
去年は「月」だけを枠組みにしたけれども、今度はどうするか。
ブライアン・イーノがとてもいいことを言っている。Rolling Stone 誌。
SNS… 威力は知りつつも、またやめてみようと思う。ニュースとしては見る。発信をやめてみる、どうなるか。
フォロー外すなら今のうちですよ。
世界の分断は SNS によって起こっている…それもそうかもね。
違うかもしれない。それに警鐘を鳴らしてる Eno さんも、インタビュー後半、やはり何かを一刀両断している。人間だから、しょうがない気もする。ともかく。
世界を1か0に分けるのだったら、デジタルは永遠に二進法のままなんだな。
どうなんだろう? 随分会っていない東大卒の音楽家と、話してみたくなる。
彼の活躍を時折思う。というより、彼らと食べた三宿の板そばの味をかな。
今年の活動はまだ固まっていないが、曲は楽しく作っている。
何かのスイッチでアイデアが浮かぶ。空き時間を縫って形にしていくのは、面白い。
…と、小学生のような気持ちで自分にとっての音楽を再発見している。
周りのミュージシャンを見渡せば、みんな素晴らしいところに行っている。
演奏力、企画力、フットワーク、美しさ、いろんな面で随分、遠くに離れたなと思う。
でもこれでいい。半分は自分が望んだことでもある。
ここから自分は再構成していくし、その後に時代の流れと波長が合うかなんて、どうでもいいことだ。
名古屋の 読書珈琲リチル さんから、時々豆を買っている。cliché というブレンド、とても後味がいい。