むかしはカブトムシがいたのにね

花粉、30年で最大5倍に NPO調査、温暖化一因か

朝日新聞、こんな見出し。

一応、見出しからして「か」綴じの責任逃れ文なので、こちらも断定は避けておくけれども、

僕が、いにしえは都でもあった山林を知る住職さんからこの耳で聞いた限りでは、
花粉が増えたのは、花粉を出す大量の杉がこの数十年で成熟したのが「一因」だ。
この杉を日本中の山林に植樹したのは、戦後の日本政府という。
復興そして経済成長という名目で植えられまくった杉は、外国産の木材の低価格の前に買い手を失った。
適量を切られる事がなくなった日本中の杉は、ひたすら毎年、花粉をまき散らしている、という。

僕はこの話に、ごく素直に実感を持てている。

だってさ、むかしはカブトムシがいっぱいいたのにね、その山林には。
クヌギやクリの広葉樹林、今は杉に浸食されている。

とするとこれは、数十年先の見通しを誤った政策、そして
政策の本来の意図を(あるいは、建前であっても)
汲み取らずに外国産木材を選び続けた業界の問題であって、
温暖化に原因を誘導するのはどうにも怪しい。

市民が好きな「NPO」に語らせているが、
メディアならこのくらいの事は知っている筈。
それ迄の生態系を壊して花粉症を引き起こしたのならば
とんでもない大失態なのに、CO2や、隣国の大気汚染物質でカモフラージュ?

キャンペーンの燃えかすのようなCO2叩きよりも、排出権取引などよりも、
植えた杉をきちんと使い、必要なら燃料にし、国内産業を整備することの方が
よほど前向きだと思う。

そして、同じ失敗を繰り返さないことじゃないかな。

だれかが現状維持をしようとすると、いろんなものが壊れていく。

パソガレ

カメレオンの尻尾
のような

だけど
野菜のように見える

らしいよ

うそと光のはなし

光はうそっぽく
ゆっくり

まどを なでて
入ってきた

まほうをかけられた
午後の列車は
うっとりと
人をのせる

マスクばかりの
冬だけど
この部屋は
あたたかい

光はまだ
おどってる
南向きから
東へ

誰かの湖が
やってくる

みずとでんき

みずにでんきはかなわない

みずによってでんきがおこる

みずによってでんきはとまる

さいしんえいのせつびであっても
みずでどんぶらこ

さいしんえいのせつびは
じょうききかんからまったくしんぽしていない

でんきをつかうわれわれは
ななじゅっぱーせんとちかくもみずでできている

みずでできたわれわれは
でんきをこのむ

でんきをみずのわれわれが
はっせいさせて
かんがえたりうごいたりする

このみもかなしみも
でんきしんごうかもしれないが
それはみずのなかでうごいている

そしてみずがちをはこんでいる

でんきをつかうと
みずがへる

みずをあたえるために
でんきをつかう

かしつきははつでんきのまったくぎゃく
だけど
かしつきはつでんきはないのはなんでだろう

空飛ぶゆうれい船

1969年の漫画映画、これは面白かった

あり得ねー水平移動をする人物の動きにも度肝を抜かれるが
中身がすばらしい。

『国防軍』長官と親しい、船舶業の黒潮会長が
怪物と軍の兵器を両方作ってて
双方を戦わせて街を破壊し
軍事予算と復興予算で丸儲け
おまけに、旨くてやめられないが人体を溶かす
『ボアジュース』の輸入請負とCM連射って

ほんと、漫画の世界
そして現実を射抜く
先見しまくった目

ヒーローのゆうれい船が
当時の御多分に洩れず原子炉で動いてて
少しがっかり

だけど『ボア』を攻めるときに武器が無くなったら
総司令部に体当たりすれば原子炉が核爆発を起こすわって
おいおい女の子、ちゃんと分かってる

なんでそんな危ないもの、みんな知ってて持ち上げてたんだろ

体当たりとなればこの国お約束の特攻物語で
相手にしっかり弾幕張られて突っ込む辺りは
『永遠の0』とそっくり

だけど船長のこの台詞
「脱出カプセルを用意しろ。自殺はいかん!」

わかってるやん!!
石ノ森章太郎、偉い!

最後のセイリングシーンがなんだか大将っぽいが
これ、名作やね。

宮崎駿も作画スタッフで参加してる。
どことなくコナンにも似てる

もう一個はっとするモノがあって
『磁力砲』
「大丈夫、磁力砲であのマシンダコに仕組まれている、コンピューターを狙うんだ。
そうすれば記憶装置の磁気に変化が起き、マシンダコめ…」

コナンの『2008年7月、人類を滅亡危機に追いやった、核兵器を上回る超磁力兵器』
より腑に落ちた。

今の時代、アップルやグーグルの巨大サーバーに磁力砲撃てば
おれら瞬殺じゃないの?

うそと音の話

うそでできてる世界

うそでできてる音楽

うそでびっくりさせて

音をとびはねさせよう

次はあっちに

いいじゃないか

たたいて はじいて あやつって

思いの外 きれいなメロディー

ふしぎだね

かわいい うそで きれいな音が

できたって 本当かい

ことばとさんぷりんぐ

先日からのバリー・サンダースの本と
その前の王羲之の話と
みのまわりを
照らし合わせて
考え直しをせねばならぬ

デジタルは すべて計算機による変換を要するから アナログやアコースティックから遠い
ということを書きとめたあと

口語、口承のみによる言葉と
文字による言葉(識字のはじまり)を考えると
ある意味、文字=デジタル信号なんだと気づいてしまった。

いや、さらに遡れば、音声による言語もデジタル記号の一種なのかもしれない

文字を読み、それを連結し、意味の通る言葉として再生するまでには
頭の中でかなりの計算がなされている。

この速度を限りなく速くして、レイテンシーを感じないレベルまで上げたところで
識字社会が成立している、

アナログやアコースティックも振幅からの変換を要するけれども
それ自体に複数の意味をパッケージし、現実とパラレルに進行する文字や音節っていったい。

やっぱサンプリングソースなのかなぁ。

敗北感。

ただし。デジタル信号はバラバラにぶったぎったon or offからの再構成であるから
文字はそれより遥かに複雑な計算を要している。
あるいは語感が意味を先行することがある。

人間に理解しやすい言語はマシンに理解しにくい。
マシンに理解しやすい言語は人間に理解しにくい。

ここに救いがあるのかな

機械と張り合ってもしょうがないねんけど。

で、こないだの王羲之の文字を輪郭を取りながら徹底再現試みてた人は、
端的に言えばフォントを作ってたんだろうね。

それ自体に「美学」を感じるサンプル素材を。

「素材」って言葉、僕は嫌いなんだけど、

料理の素材。建築の素材。紙質。テクスチャ。

すでに付き合ってるってこと、理解しなきゃいけない。

人がみんな、フォントを選ぶように、フォントと戦うように、
ループやインストゥルメントを選んでる。

選び取ることの繰り返しで、もっと重なり合う美学。

そりゃぁ、そうかもしれない。

でも、「選び取れない」要素が重なり合うこと。

これこそが、僕らを前に進めてくれると、やっぱり思うけどな。

だって、理解できる事しかこの世になければ、明日を生きる希望も何もない。

リアリティは膠のように粘り強くよみがえる

本が死ぬところ
暴力が生まれる

A is for ox

バリー・サンダース
杉本卓 – 訳

すごく面白い本。

読み出したばかりだけど、邦題に限定されないテーマで
訳もとても素敵だ。

今は、「本」以前の「口承」のお話。

文字を発明する前に、人の脳は、ことばのグルーヴを発明した

そして、著作権という概念が生まれるはるか以前、人はグルーヴにのって、物語を共有していた

というような内容。

めぐりめぐって、今、人は「共有」にやっきになってる。

これって、先祖帰りなのかもしれないね。

王羲之とサンプリング

なぜかNHKを観ながら過ごした週末

書聖、王羲之の書に迫るという番組をやっていた
自分のひどい筆才は横に置いといて、興味深いんだけど…

博物館が所有する原本を傷めないように丹念にトレースし、
そこから書の勢いや力強さを再現すべく、内側を筆で書いて行く。

うーむ。それもとてもいい勉強なんだろう…
でも、素人だから言うけど、そんなの、所詮サンプリングじゃん!

その出来上がりが原書に肉薄してたか、勢いが足りなかったかなんて
番組の最後に採点していたけれども、
それがどれだけくだらない議論か、プロのこの人たちはちゃんと、わかっててやってるんだろう。
そう思っておこう。

真似る努力に、価値を付け過ぎると大変だ。

Marcus Millerが、どんな風にフレーズを弾いたかなんて、
本人に会ったときもそんなに気にしてなかったし、

Andy Summersは昔エッセイでこう書いてた。
「音楽は、録音されるべきものじゃないんだ」

そんなこといっても、こうした「努力」を、みんな止めないんだろうけれども。

映しだされた書体の中には、たぶんみんな真似しないんだろうなという字もいくつかあった。

これらはサンプリングされないんだろうな、と思った。

世の中のサンプリング音楽が根本的につまらないのは、
こういうところだと思っている。

デジタルのキャパ増大と共に、
どんどん、「揺らぎ」の幅は広くなっているけれど、
どこを意識的に見てるか、見えないものをそのまま捉えてるかどうかは
アナログやアコースティックとの根本的な差やもん。

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