才人たちに囲まるるの図。詳細後日。
札幌、京都…日本は広いのです。
Apple Watchかぁ
まずまちがいなく買わないけど
方向性は興味あって
つまり、僕はウェアラブルデバイスって過渡期のものだと思ってて
結局は手を使わないモノに移行するための過程なのだろうと
手を使うのだったら「本」の方がいいわけで
ノートブック/ラップトップコンピューターも何がいけないって
縦開きであって本みたいに横開きでないことであって
だけど横開きだと角度とかそういう問題があるから
テキトーな角度で、間に3Dの像を結び、
かつ、手で捲るというよりは「目で捲る」方向に行かないとなと思ってる。
多分、iPadってものすごく過渡的なデバイスで
やっぱり平面のガラスを見てるのは不自然で
曲面ガラス等にしても結局不自然で
本来ならたとえば駅のホームで見るなら、ホームの向こうの壁とかを見ながら情報が得られるぐらいじゃないと
人間の健康を損なうばかりでいかんと思う
なのでそのあたりをみながら、かつ、多分指や手のジェスチャーじゃなくて
「目線」でコントロールするぐらいになるのだろうと思ってる。
既に「目」でもって本人認識してしまうテクは実用化されてるので
すごく怖くはあるけど
多分、「目線」ぐらいはデバイスのカメラで追跡できるので
たとえばウィンドウフィールドの「右端」に目線が行ったら次のページ、とか
そういうナビゲーションが実用化される日は近いと思う。
目でジェスチャーすると。
つまらなそうなら違う検索結果を出すとか
食いついて来たら何を出すとか
目配せでよろこぶ(ふりをする)とか
そんな事まで連中は考えてると思う。絶対。
列車で長旅。いいギター工房だったな。
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駅で車掌が「ドアを閉めます。ご注意ください」とぶっきらぼうに言ってて
他人事みたいな「ドアが閉まります。ご注意ください」より気持ちよかった。
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飯を食いながら
「オレは昨日までとは一味違うぜ」「オマエ、ご飯粒ついてるよ」
どうやら「オレ」の発言には、※印が付くらしい。
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すごく速く動いて、止まれば、氷になる。
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車に乗って、しりとりをするとき
周りを見て、景色を言葉にしながら
しりとりをすると、何故かうまくいく。
くだらないものを。
https://soundcloud.com/stillbeat/iphone-6-rear-pu
(いつのまにか、soundcloud からは消えてしまったのですが)
RickのS/Nを上げようと回路をいじっているとき、ふと思いついて
手元のiPhone 6をリアピックアップに近づけてみた時のサウンド。
すさまじいノイズ。
これまでも、充電中にiTunesを聴くとノイズで我慢出来ないっていうことはあったけど、これは普段音にならない電磁波をマグネティックピックアップがうまく拾ってくれてる例。
途中、スリープボタンを押しているのだけど、スリープ中もけったいな信号を発している。
この電磁波が健康に悪いかどうかは正直わからないけれども、あまり頭に近づけたくはないと思うこのごろ。寝る時もオフにしたい。
(だから深夜にメールもらっても、見てないことが多いです。昔と違って、夜は寝ますので)
iPhoneのかわりに旧い旧いiPod nanoを引っ張り出したら、心無しかこちらの方が音がすっきりして、変につぶれてなくてよい気がするのです。コンバーターの世代では最新の方がよいのだろうけどね。
あかいつきのよる。
Red Red Red / 赤い靴ワンマンは、Special-Tと、次元になりたくて秋から着てるVarde77の上下で。
二人の編成がユニークだけあって、ステージの並びも初体験。
ドラムの背後からベースを弾くというのは、やってる事が全部見えるから、実はとても合わせやすかったりして。
(見えてなくても合わせやすいですよ)
いいフィールとハーモニーと空気を大切にした、とびきりのグループに参加できてうれしい。
コロナの代わりに呑んだBlue Moonが懐かしく美味しくて、しばらく買い求め続けました。
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David Matthews Tokyo Trioで、とあるクリスマスショートコンサート。
一般公演ではないけれど、観ている方々と、吹き抜けの会場の響きに力をもらいました。
生きる力とそれを結ぶ音の力というか。
聴き取りにくいモニターでもばっちり聴いてくれる波多江さんのドラム、
ハートの大きさがそのまま出て来るデイヴのピアノ。
あやとりのように、三人の一体感も増してきました。
来年、ぜひ色々なところでやりたいですね。Trioも、All Starsも。
帰路、送ってくださった藤井さんの言葉。
『日本人は、外国人が街に来たときに大抵「あなたはここへ何をしに来たの?」と聞く。外国では「あなたはここで、これから何をやりたいの?」と聞かれる。この差は小さいようで、大きい』
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このごろ、気に入って読んでいたのが「倍音」という、中村明一さんの本。
左脳=管理、右脳=感性、みたいな分類って、日本人には真逆 — えっ?
しょっぱなから既成概念をひっくり返し、中盤で一般ネタで引き込み、後半で魔界にどっぷり。
本としてもいい構成だと思う。さすが内田樹さん推薦、というか文の流れも似てるなぁ。
内容的には、「日本文化は素晴らしい」という勇気づけになれど、ぼく側としてはそのまま受け入れられない部分もあるので、咀嚼が要る。
はたして骨盤は、立てるのがよいのか、寝かすのがよいのか…「密息」はアレクサンダー・テクニークとは正反対にも思えるし。
はたして西洋人の音楽や楽器は日本の古典に比べて「高次の整数倍音」や「非整数倍音」が希薄なのか…ゴスペルクワイアでものすごい声と音の渦を感じ、ソプラノ歌手がホールやスタジオをいとも簡単に震わせてしまう場に居合わせた自分には、そうは思えなかったり。
ただ外来語と同じで、鎖国の反動としての急速な西洋音楽の吸収、戦後の一層の欧米化が、日本の音楽、言語、文化に大きなバイアスをかけたのは事実だろうし、
日本人が本来の力を発揮出来ていないような部分も感じるし。
渡米前後に感じた「向こうで上手い人って、日本でバンドやってる人より音量小さいのに、すごく大きく聴こえるな」というのは、たぶん我々の多くが「倍音」の使い方を「忘れてるから」、だと思ってたり。
「間」と「数える」こと、自分が発する音と会場の響き、共演者との倍音も含めたアンサンブル、というのは、これからすぐにでも、また永く追求し続けられる大きな大きな課題だな、と思い、嬉しくなっているところです。
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夏に続いて横浜〜関西のミニツアー、安室裕之グループ(っていう名でよいのか?)。
新谷くんのドラム、前回にも増してタイト。引っ張ってくれるしすごい! 互いに2度目だとバッチリ合ってくるね。
ヒロのギターは謙遜と裏腹に炸裂。喋りの饒舌もますます磨きがかかっている…
利香ちゃんは要所要所で、盛り上げてくれたし。
森本さんのドラム、超自然体で…僕の知らない事、忘れてる時間、教えてくれる。まだまだ自分は押して伸ばすべきツボがあるなと。
前回よりファンキー&エレクトリックな要素を増やしたのも、楽しかったなぁ。
地球上でまだ4〜5回の “astronotes” が意外なほど毎回うけてます。
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たぶん、もちょっと追記します。写真も。
才ある人たち。
声でギターをチューニングする人
それに合わせてタブラを整える人
そこにすっとギターで入ってくる人
鬼ヶ島はいいところみたいですね。
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才ある人たち。
華で語りかける人
鍵盤で飛び跳ねる人
指板と電気箱で握手する人
晴れる夜ですね。
久しぶりに、金属の塊をいじる。
数年に一度はこんなことが必要なバーガンディグロー。
Rick 4001を弾くには、不条理を我が友にしなければいけない。
弦のテンションと戦い、数年経てばブリッジが曲がって浮上するベース。
オクターブピッチがずれれば、分解して当てずっぽうに三角・サドルを動かすベース。
三角形の下は、時と場合によってアクリル板だったりする。場合によっては、何もない。
これはほんの一部だ。
だが、これでないと出ない音があるのだ。その音の幅は、アクティブベースはおろか、アコースティックベースとも違う平行宇宙の物語だ。
この謎がとけるまで、ぼくは不条理と共に生きるだろう。
エノラゲイの乗組員の証言: ww2時代の日本人は、今日の日本人と違って”nice people”ではなかった、だから日本を”subdue”するために出来る限りのことをした。
Last Hiroshima bomber: “I’d do it again”:
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「nice peopleではなかった」というのは、なぜだろう? 或はどうして「nice peopleではない」と信じたのだろう?
どちらもプロパガンダがないと成立しない。
“subdue”は「征服/鎮圧/抑制」えらい振れ幅のある言葉だ。
10.07
青山見本帖で「勝井三雄 ゆらぎとゆらぎてん」を見る。
色空間を透かして浮かぶ谷口江里也さんのことば。日本語は斜め折り、英語は縦織り、重力と遊んで降りてくる。
「無数のゆらぎとゆらぎのなかで 音楽がつくり出され、それが記憶や予感とつながる不思議。」
よかんと・つながる・ふしぎ。
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「言葉は発せられたその瞬間にその言葉を発した人の存在を証し始めます。」「文字もまた書き付けられたその瞬間からそれが示すことを考えていた人間がたしかに存在していたことの証となります。」
しめすこと・かんがえていた・にんげん・たしかに・そんざい。
—
「空間構想事始」に、論理は人を遠くへも導いてくれる一方、人の思考を停止させる力もある、というくだり。 “When their eloquence escapes you, their logic ties you up and rapes you” というPoliceの歌を想起。
なんで november を急ぐのか…? と昨日もいじられた。
単に好きだからとしか言いようが無い。生まれた月だし。
でも10月も毎年楽しくて、今年は特に面白い事が沢山起きている気がする。
バーンスタインのせい? 不思議な月のせい?
West Side Story の音楽って、やっぱとんでもなくかっこいいな、というところから。
青山見本帖、という、行くという発想すらなかった所に足を運び、
勝井三雄さんの書籍、谷口江里也さんの詩を観て来た。
「ゆらぎとゆらぎ」
手袋をはめて、美しい、巨大な本をめくる。緊張しながら。
縦長のページを、右上からゆらいでいく詩。
反対頁には、天からゆったり降りる英訳詩。
触発される所は一字一句覚えようとするのだけど、北島マヤじゃあるまいし、無理だ。
手袋してるからメモも取れない。
後でパンフレットをいただくと、同じ詩が掲載されていたのだけど。
隣に置いてあった、「空間構想事始」を読み出すと、とまらない、
だがリハがあるので、さわりしか読めずにお暇する。
ページの紙質もさることながら、表紙、裏表紙がとんでもなく美しかった。
さすが、見本帖…
青山劇場の前を通ると、ミュージカルに行列。いい雰囲気。
ジャニーズ関係らしい、これも音楽はバーンスタイン。
生オケじゃないだろうな、と思いつつ、こんな賑わう劇場、なんで閉鎖するの?と改めて疑問。
apartment cafe では…なんで今? いしんでんしん?
王子ホールに備えたリハではこれまで体験したこともないような完全生音、生声アンサンブル。
結構激しい曲もあるのに。(いや、内心、こっちの方がやりやすいと思ってる)
これも、特製キットを超ミニダイナミクスで叩いてくれる、沼くんのおかげ。
ハルくんにチェロを触らせてもらう、弦楽器はベースとヴァイオリンしか触った事ないから凄く不思議。
日が変わって、映像録音。ひさしぶり。
スタジオが移転して、すごいことになってる。エレベーターのボタンがわからない。気づいて吹きそうになった。
「赤い靴」のお二人との出会い。というか、念願の半分再会。
そしてもう一人、ギターのしいやくんとは15年も昔、数日間同じシェアハウスにいた…
びっくりしすぎる。
京都。
東西線への乗り換えに、いまだに迷う。四条で降りるんかいな、次かいな。
すてきな、そんでもって超うまい、グラノーラ専門店 COCOLO KYOTO。
旧友が開いた店。
Candy ははじめて。出番までベースをピアノの蓋に立てかけて、大丈夫?と思ったけど、うまく収まってた。
家ではそういうことに全く抵抗ないけど、楽器 x 楽器ってこわい。
ほどよくゆるくて心地よい、ドラマーの棟くん。
勢いあって、土台の強さを感じるピアノの麻美ちゃん。
音色がきれいで頼りになる姉御、サックスの利香ちゃん。
置きアンプの出力が異様にデカくて、目盛り1/10でもハウるのでかなりカットしたけど
録音したらいい音してたからよし。まぁ生をやってれば、何も怖いものなし。
ようやく、自前の増幅装置もいい感じに落ち着いてきたし。
そして、november。
Adbaloo でやってた曲。2001年の秋に急に思いついて、一度何かのフェスでやってしばらく忘れて、
2002の秋に急に録音して、友人のイベントに間に合わせてアルバムにした。
結構反応もよくて、ライヴでもよくやった。
november – black & white
だけどもう随分長いこと忘れてた。
ジャズでやってもいいかな、と思いだした。
というか、もともとジャズだった。
やると、結構面白い。あまりにもすぐに終わるので、次回は構成少し変えてみよう。
愛車は、だいぶくたびれてしまった。また車検、ホイール交換かな。