ここはビッグピンク? グリーンオニオンズ?
だれかのユメをシェアする新居です。
ひさびさにひっぱりだしたportaflex。やっぱええわ。
animalsとhumanityに見守られ、最高の一日でした。
11月はシークレットギグが数本。
レギュラーギグはない(予定)だが、その分つきつめたい事はいくつかある。
ふとFbassを見ると、変わったところに傷がつきまくっていた。
楽器に傷が付くのはたいがい必然性があってのこと。
なんでG弦側のピックアップの間が掘られているんだろうな、
そんな無意味な強烈なフィンガーピッキングしてたかな?
と考えてみたら、
サムピッキングのアンカーで中指の爪が掘ってるのだった。
うーん変わってる。
たぶんこんな傷を付けるのは自分だけだろうな。
Alain Caronにインタヴューしたとき、あれは12年前だったか、
東京ドーム近くのホテルのロビーで会った彼のFbassは結構ボロボロだったのを憶えている。
Alain Caronモデル=ピカピカ、みたいなイメージがあるけど、そんなんとんでもない。
使う楽器は、使われ倒しているのだ。
彼の音楽に影響されたとは言えないが、彼の考え方や指使いの方法論は凄く深かった。
彼は5フレット分を一つのポジションでカバーするのだ。
ただでさえスケールの長い6弦のFbassを。
ダブルベースなら3フレット(分)、エレキでも4フレットを守る人が多いのに。
こういう独自の理論ってやっぱり大事で、切り開いていかないと何も新しいものは生まれなかったりする。
Ray Brownの教則本を改めて見てもそう。だいたい教則本って、読者の予想を超えていることが多くて、
案外そこにこそ面白さがあったりする。予定調和とか兵隊的遵守じゃあかんのよね。
クリエイトだから。各自がそれぞれ、惑星のコア(=eARTh) になるための技だから。
そんなんはさておき、「王道」って大事だな、とも思ったりもする。
変に見えても王道とされているものや人には、やはりバシッと筋が通っている。
大木といおうか。
そんなことを、王道楽器のネックを触っていると、思ったりする。
ほんまやで。
フジマルヒデミさんが cafe the eel の moto くんと遺した作品。
飛行中のB52からノースカロライナのゴールズボロに落下した水素爆弾が、小さなダイナモスイッチのおかげで奇跡的に爆発を免れていたというレポート。
この記録は機密指定されていたという。
今年で52年か。
パブコメ期限終了を合図にTV、新聞で報道されたこの国の秘密保全法の案には
行政機関の長は、指定の際には有効期間(上限5年で更新可能)を定めるものとする。有効期間満了前においても、アの要件を欠くに至ったときは速やかに指定を解除するものとする。
いう項目があった。
ぱっと読むと、すぐに解除しますよ、長くても5年ですよ、という印象だったが、
この「更新可能」というのは本当はどういう意味なのだろうか。
5年ごとに更新できるという意味ならば、全く違ってくるわけだ。
今回のはちょうど、いいヒントになるニュース、というわけだ。
びっくらこいた
逆向きに流れてくる歌詞を読み取るのはけっこー大変だが
ピアノロールを読み取る「やつ」はいかにも簡単に弾き熟している
—–
でも
こっちのほうがいいな
ブルースブラザーズを久しぶりに観た。
やっぱ、これやな。ダックダンとウィリーらのグルーヴ最高。
観客のノリも最高。
しかしアメリカ人、銃撃ち過ぎや。
『風立ちぬ』続き。
睡眠には、寝る前に体験したことを意識下で整理し、咀嚼する効果があるという。
つまり、「睡眠学習」にはある程度効果がある…
「眠らない」ことは、人にも、街にも、また機械システムなどにとってもよくはない。
そんなわけで、一晩寝ると、昨日より違った捉え方ができるようにはなってきた。
というか、ディテールに散りばめられたメッセージを、追体験できる。
映画の後味がなんともすっきりしなかっただけに、「なんで?」という思いが
これからも追体験を誘発していくのだろうか。
これは、この映画が毒にも薬にもならないものではない、という証明かもしれない。
まず、我が道をいくということ。
この時代、肉を食えという仲間に対して、サバ好きを通し、サバの骨のカーブを翼の断面のヒントにする。
美しいと評した独逸ユンカース製航空機を完全になぞらず、独自の発展型を見いだす。
(ちなみに、描かれた独逸製爆撃機は、ルパンの「アルバトロス」やコナンの「ギガント」に酷似していた。根っこが同じなのだろう)
思想調査で特高に逮捕されかかったとき
「身に覚えがない」
「今まで何人も特高に捕まった、みんな身に覚えのないことでだ」
というやりとり
そして最後の
「国を滅ぼしたのだからな」
「一機も帰ってきませんでした」
それら、みんな、とても穏やかに綴られている。
その穏やかさが、優しすぎるのか、諦めを感じるのか、大きすぎるのか
それとも単に、抑揚のないあの声が違うのか。
僕はやっぱり、なんで?と思った、(宮崎作品にときどき配される)とびきり抑揚の無い声。
サツキとメイの父や、雫の父やシータと同じ、あの声 — 声優が違っても。
コナンやアスベルやルパンやハウルや、マルコのような、強い声じゃいけなかったのだろうか。
穏やかで寡黙な人を表す「静かな強さ」の表現だとしても、それじゃどうなのだ、と思ってしまうのは
たぶん映画に、2013年の現在の切迫感を重ねているからなのだろうな。
たぶん、夢は悪夢でもあり、限られた10年は折り重なったトランプであり、
光は影を、影は光を土とともに補わなければいけないのだろうな、
そんなふうに感じる。
よくわからなくなったが、胸が苦しいかわりに、少しだけ胸があつい、
酔っぱらったしそろそろ寝るか、そんな
911
であった。
『風立ちぬ』を観た。
胸が苦しくなる映画だった。
「菜穂子」は限りなく美しく
恋と結婚のシーンも感動的だったが
根本的に何かが間違っている
という胸のつかえ
その結論を最後の「夢」に委ねた結末は
これはスルーしてはいけないと思った。
たとえ、全てをやり尽くした監督が、流したとしても。
「ただ、いい飛行機を作りたいんです」
「我々は武器商人じゃない」
って
…
じゃ、武器商人はこういうだろう
「我々は政治家でも、軍人でもない」
ちがう
それぞれ、持ちつ、持たれつ
やってたんだ
人間の技術は人間を幸せにするのかな。
「国を滅ぼしてしまった」イタリア、ドイツ、日本のそれぞれの
美学を描いている、とも取れる
そうかもしれない、今もドイツから学ぶ面は多い
それどころか、色々な分野で、独逸流を神格化するような空気さえ感じている
もちろん、イタリアからもだ
だが
いかん、やっぱ、胸が苦しい。
落としどころが無いので、加筆予定
* 追記
音楽は文句なく素晴らしい。冒頭の空気感から最後の「ひこうき雲」の林さんと細野さんのリズムセクションまで
だが音楽のレベル(ボリューム)に対して台詞が小さくて、正直、「耳が困った」
とっくに読了している暉峻 淑子『豊かさの条件』から備忘録メモ。
タイトルは好きじゃないが、中身はテーマも視点も多岐に渡り、すごくインスパイアしてくれた。
引用の引用だが
「管理されてばかりでそだつと、何か都合がわるいことがおこったら、それは管理しているものの責任であって自分の責任でないとかんがえる人間になってしまいます。」
(松田道雄『自由を子どもに』)
p.70
日本なら、さしずめ教育効果があがっていないとばかりに、浮かぬ顔をした先生が、いつも正答しそうな子に、「ハイ、××さん」と正解を言わせ、「ハイ、その通り」と満足するところだろう。
—ベルリンの小学校でのユニークな「1について」という授業風景との対比
p.74
「持てば持つほどあなた自身はなくなる」
ー時間と行動の制約の代替作用としてモノを買おうとすることについて
p.121
憎しみをあおるための、やらせ事件もいくつも仕組まれた。
ーユーゴスラビアの内戦について
p.140
ピンハネされないように知恵比べである。知恵があればケンカしないですむ。
ー難民への援助が、国や組織を通すと、本当に困っている人のところには満足に届かないことについて
p.150
他にも、山ほどあるが。