投稿者: ray

七日

ことばに無力を感じ


といいつつも、それは常にそうでありつつも、
今年はちゃんと形にしていけるよう、やっていきます。

またお知らせできるかな。


演奏について

…思うのは、いろいろな角度で
弾くこと、聴くこと、楽しむこと、努めること、ふざけることを経て
やっと味のある、説得力のあるプレイができるのだ、ということ。

これは若い頃から思っていたことで、できる限り実践したとは思うものの
ここ数年振り返ると、つくづく穴が多い。

もちろん、自分の境遇の大きな変化もあるが、多角度に加えて縮尺の振れ幅に
毎日驚くばかり。逆を返せば常に新鮮。

長く聴いてこなかったタイプの音楽を久しぶりに聴くと、新しい発見がいろいろあったり。
耳は確実に肥えているから。
脳のどこかが勝手に制限をかけてきたつもりでも、実はキャパは増えていたりするのだ。

変わることと、変わらないこと。できることと、てんでダメなこと。極めるべきこと。
難しいからいいこと、簡単だからいいこと。うるっとすること。
今年も追っていこうと思います。


北陸の状況

報道や SNS、知人から伝わり知れる範囲ですが、物資や輸送、天候、余震、地盤、原発、
とても心配です。
被災された方々が日々、辛さをほどけ、少しでも早く。

義援金といってもどこの主催がよいのか、などと悩んでいましたが、何がベストかなど結局わからないわけで、県庁や、使っている金融機関に、微力ながらお送りしました。
いろいろな経路を通して、全国から大きな額が寄付されているようですが、本当に困っている人たちに行き渡ることを切に願います。

twenty-twenty-four

謹賀新年

平和を望みます

いつものように海岸で、年々賑わってきている元旦の太平洋岸で写真を撮りました。

ただし今回は色を想像に寄せました。

イメージに近くなって、公開したいな、と思っていたのですが、
西陽の入る部屋で、初仕事に向かっていると
揺れを感じました。

遠い、がとても大きい。

本州の反対側、日本海、能登が震源。


北陸は、子供の頃は若狭湾に海水浴に行ったし、
雪の加賀温泉は特別な思い出です。

学生時代は、能登から来たMくんに大きく感化されたし
…彼はインドに行ったきりですが

それからだいぶ年を経て、演奏で魚津や氷見に行き、街並みや漁のこと、高岡の工芸、
また南砺や金沢、行けたところも、まだのところも含めて
北陸にはどこか、里帰りのような、ルーツの感覚があります。

なかなか状況も伝わらず、行くこともできず、
あっという間に立ち上がった義援金もどこがどこまで信頼できるのかわからず
(それも言い出せばきりがないのでしょうが)とてももどかしい。

でも被災した方々はそれどころではないでしょう。

少しでも被害が早く、軽くおさまりますように。

ことに輪島や珠洲や穴水、七尾で、平穏な日常は遠いのかもしれませんが、なんとか命を守り、
避難所でも辛い思いなく過ごせますように。

よりによって元旦になんで。
だけど人類が決めた暦も、天体からみればごく僅か。
かないません。僕らは自然のこと、少ししかわかっていない。

それでも、人間ができることはあるはずです。

愚かな間違いを冒さないように。火事場泥棒に走らないように。
自然を畏れ いのちと共に慈しめますように。

現地の方々が身を挺して救助や支援をされている中
すべての文字が無力に思えてならず、更新もできませんでしたが

願いをこめてご挨拶とします。

中央ちかいある一点とグローバルシャッター

吉田直哉さんという方の著書に『脳内イメージと映像』というのがある。
1998年に出た本で、発見したのは2008年。そのころ愛読していたのだが、読み返すとやはり深い。

この方は主に NHK の特番や大河ドラマの演出を手がけ、後年は司馬遼太郎との協業、また執筆を多数残している。
とはいえ、ちゃんと読んだのはこの本だけだ。また深追いしてみようと思う。

ともあれ、この本の中に、井深大氏との会話のくだりがある。ソニー創業者の彼は云う。

いまはコンピュータ万能の風潮だが、コンピュータはまだまだ駄目。たとえば画面の中央ちかいある一点を認識させる問題を与えてごらんなさい。コンピュータは画面上の左端から右端へ走査しながら、だんだん下へおりてきて、その一点をとらえる。そこからそこを過ぎてまた何もない領域を走査して行って、最後まで行ってやっとその一点を確認するわけでしょう。

ところが、人間はパッと一目でその一点を確認できる。このメカニズムを学ばないかぎり、コンピュータは人間に近づけない。処理速度の問題ではないのです。根本的なメカニズムの問題だ。だから、心の中のイメージを描く映像も、いままでのデカルト的映像ではなくて、根本的にメカニズムを変える必要があるのではないか? ミクロに置き換えられた非現実の世界のように。

視覚の本質をついている。この日付は1988年11月、とある。

35年経って、グローバルシャッター搭載の民生用カメラが遂に Sony から発売された。
センサーの左上からではなく、全面を一気に読み取る。
そのため高速で動く物体を撮っても画像が斜めにならない、つまりこんな「ローリングシャッター歪み」が発生しないわけだ。

だがこういう現象は副産物であって、本質は人間の知覚との違いをどうクリアできる(た)か、だろう。

あいにくアンチソニー製品の僕なので、α9 III にさほど興奮することもないが、
ソニー開発陣は、井深さんの遺志を継いでいたんだろうな、と想像する。

そんな凄さは素直に認める。Sony ってすごい。

他のメーカー、もっと頑張ってほしいな。

もっとも僕のイメージとしては、人間の視覚をより触発してくれるのは、まず画面中央ないしメガネ型の領域から、放射状にスキャンする方式だと思っているのだが。

こんなこと、AI はとっくに学習済みだろうか?
それとも「レンズシャッター」方式ならば、これは実現済みっていうことなのだろうか?

ふりかえる

世の中はクリスマス休暇というやつか

ようやくのんびりムード、あるいはお祝いムードになってきたようです。

いや、今日一日外に出なかった自分がそう思うだけで、街ではいろいろ

争奪したり競ったり、のんびりどころではないのかもしれない。

それどころかミサイルが飛び、何の恨みもない筈の離れた国の若者が徴兵される
世の中だ。何度嘆いても怒っても足りず、逃避しているだけなのかもしれない。

John Lennon のあの歌を、本当に世界に雪と共に降らせたい。
それもひとつのこころの象徴として、なのだろうか。

しかし、そんな彷徨うこころのひとつである自分なりに、
ぼちぼち今年を振り返る。

これまでより、音楽に向かう時間を多くとった。
人前での活動の多寡に関わらず、改めて音楽は深いなと思ったものだ。

若い頃早々と挫折した、あるいは読み飛ばした譜面に
再び向かう。そんなことができて幸せだ。
とっくに手遅れ、なのかもしれないが、一方で、ずっと待ってくれた音符や休符に感謝する。

自分のライヴは実質的に、5月の一度だけだったが、
とてもいい内容のものができた。
課題は山ほどあるが、あんなライヴをする人はそうはいないだろう、とは思う。

あの後、「何度でもできる」という余韻はあったものの、7月、9月、11月、そして12月が過ぎ、
ふりだしになった。僕はイメトレ派なので、また、どこかでやるとき、その場所を思い浮かべ、曲をつくることから始めるとおもう。

そしてこれも遅ればせながら、ひきがたりをはじめた。

包括契約(難しい名前だが)とやらで、カバーをやってもちゃんと作者に還元される、という約束らしい。
それを信じつつ、好きなカバーや、オリジナルを、
カバーは主にその人たちの誕生日やその周辺に、思いついて、できそうなときにやってみる。アコースティックベースと声だけで。という縛り。

これまでにやった「満月」「新月」などの縛りも、絶対自然条件として大きかったのだけど、ミュージシャンの誕生日を調べてみると、これが(あたりまえながら)多いのなんの。ひっきりなしに、誰かの B.D. がくる。とても追いつけない。

そんなわけで、今年は多くの人をカバーし損ねたり、トライしてうまくいかなかったり。でもたくさんできたと思う。

次回にお預けは、C. Hay, G. Hum, G.G, C.B, C.A, S.Copeland, A.Ross, L. Buckingham, D. Hall, S.L.B, Joni, 種さん, S.Bishop, Jimi… いっぱいいます。できるかでけへんか、わからんけど!

天体も地球も回るけど、そしてそのせいではあるが、いろんな人生が、つながってるん。

趣味

最近、趣味ができた。

何かを忘れられること。忘れることができる何か。

なんでもかんでもいつも忘れっぱなしの気もするが

(こないだはベースを忘れて名古屋にいった。いや、それを盾に無茶振りを断ろうと思ったのだが、かわりにギターを渡されたというわけだ)

何を書こうとしていたかもう忘れてしまった。

没頭。これできること、趣味、あるよ。

そう、写真である。写真ほど、才能のあるなしが冷酷に出るものもないと思うが、
それでも、楽しいのである。

思うように撮れないこの5、6年を経て、今年はじめに思ったのは

もう、iPhone でええやん。

だった。Canon EOS M3 を持ってるのだが、これはもうなにしろピントが合わない。
オートフォーカス(AF)が遅いのは噂で聞いていて、それでもデザインと持ち心地とシャッターの音がよかったから、これに決めたのだが、もうなにしろ遅すぎる。
はっきりモニターに映っているものでも、延々と AF が合わず、いつまでたってもシャッターが切れない。

マニュアルフォーカス (MF) にすればとも思うが、ファインダーがないしどうもこれも合わんのだよ…

画質はとてもいいと思うのだが。

もう、10枚撮って1枚使えたらもうけもん、ぐらいで、ほとんど見放していたのだ。

そこいくと iPhone はすごい。どんなものにもたいがいピントが合うし(合わないわけが、ない)、live フォトなら後からフレームも選び放題。
画も結構きれいだし雰囲気もある。

そんなんで、カメラを持たずに iPhone だけで、やってきたのだ。たいがいは。

動画も M3 でやるのに懲りていたし、iPhone で十分。なんなら音もそのままでいいし。
ただグースネックのホルダーがどうも使いにくくて、いつも微妙に位置が決まらない。まぁまあ。これで十分やん。

でもどうしても。夜景や月は絶望的だし、望遠もツバメも難しい。

M3 に代わるものを探してはいるのだけど、よさそうなカメラは軒並み高価。

そんな中、必要に迫られて、サブスクでカメラを借りることにしたら、すっかりはまってしまった。

店の回し者ではないので、以降詳細は省くが、比較的安いランクの本体とレンズを、いろいろと交換して借りている。なんとなく、カメラの仕組みや得手不得手がわかってきた気がする。今頃。

キヤノンの EOS M6 はやはり M3 より全然速いし、ちゃんとピントも合う。でも入れ替えるつもりはない (M3 のほうがかわいい)。R7 は借りたの一瞬だけど、望遠動画もきれいに撮れた。R10 の AF は驚異的にすごかった。シャッター音がすごくチープで、ボディもうそみたいに軽くて、モノとしての魅力はなかったけど、道具としては十分すぎる。

ニコンは D750 を借りた。近くの写真屋さんが昔、秋祭りをそれで撮っていて、これいいよと勧めてくれてからなんとなく憧れていたのだけど、
ミラーレスに慣れてきてしまった自分には、大きくて重くて、左肩のダイヤルが回しにくくて、どうも合わなかった。
なぜか AF も精度が低かった。こんなもんだろうか? 発色や、はまったときの雰囲気は、すごいと思ったが。

枯葉を iPhone と D750 で撮ったら、その違いが凄まじい。

もちろん下が D750。

こんな、なにげない肌色の空の色合いも、好き。

こんな淡い、海辺とか。

だが、これとか D850 はプロじゃないと使いこなせんのだよ、と自分に言い聞かせている。

ニコンのミラーレス Z は、まだわからない。Zf はかっこいいけどなぁ。Z6 や 7 はどうも惹かれないし(高いし)、Z5 か Zf-c 借りて判断しようか…

ソニーはスペックも AF もすごそうだし、すごく売れてるみたいだけど、僕はどうも昔から Sony 製品と相性がよくない。音の機材でも、たくさん買ったけど…なのでどうも使いたいと思わない。借りてみたらやっぱこれええやん、とか、これを知らずして今のカメラを語るな、となるかもしれないけど。

オリンパス、今の所、一番合ってるのはこれかと思う。もうブランドは OM SYSTEMS になってるけど、OM-D E-M5 がすごくいい。買うなら最後の Olympus ロゴの OM-1 が欲しい…と思いながら、大丈夫かなぁと二の足を踏んでいる。

E-M5 は一度返したけどまた別のレンズと借りてて、やっぱりいいなと思っている。絶妙にクラシカルデザインで、裏にグリップが少しだけあって、よく右手にひっかかる。また、シャッターボタンがおさまったダイヤルが、絶妙に使いやすい。このへんは OM-1 と違うんだよな…

撮る対象は人より湖岸の鳥や月や、自分はなにげに望遠レンズが好きらしく、フルサイズだとかなり大変なことになりそうだ。マイクロフォーサーズや APS-C なら、コンパクトに望遠セットが組める。これ、かなり重要かもしれない。
一方で暗い景色が基本的に好きで、なんとかこの陰影を写したいといつも思っているので、そこは画素数を控えたフルサイズなどがいいんだろうけど… 完全に矛盾じゃないか。

まだ借りてないけど、ルミックスはどうなんだろう。S5 や S5mkIIx は使いたいと思う。初代の G9 Pro も触っとくべきかもしれない。AF は Canon や Sony にかなわないらしいが、それでも EOS M3 よりは何倍かいいんでしょ?

あとは SIGMA ですね…

機材自体で面白がるのは、男子の永遠の病気だろうな。

また、もっと写真自体について記します。たぶん

ever since

名古屋へ。千種区という場所には少し馴染みがあり、なんとなく足を伸ばしやすい。

ほぼ3年ぶりに彼らに会う。

かわらない。

正確には互いに大きく変わっているのだが、それでもあえて記す。

かわっていない。


彼らは音楽の森。

それをステージ後方上から、かつてとほぼ同じ目線で体験できる円形劇場。

いつもと同じ「無茶振り」と与えられた機会。

不思議なものだな、と思う。

この感覚はとても書き表せないし、持ってった Olympus も取り出せなかったが

ありがとう。

大橋くん、チャームくん、佐伯さん、スタッフのみなさん、会場にいらしたすべての人。

音楽を、つづけましょう。

Plum


Plum / Ray Kondo

November 2023

霜月末、久しぶりの曲をリリースします。

Bandcamp

Streaming (Spotify, Apple Music, etc.)

ストリーミングは順次並んでいきます。

束の間

ようやく解放されたのも束の間。

だが。

その束の間の週末は滋賀と三重に。夏以来に湖北を訪れ、紅葉をと思ったが
天候が…

陽光の力って偉大ですね。

だがその前、湖南では奇跡のショットが撮れたので
大きく救われることに
…なりそうだ。

三重はいきつけの(近所ではない)店に、また行きそびれてしまい
大急ぎで用を済ますのが精一杯

ゆっくり来たいのだが日が沈むのが早い
フェリーの時間も間に合わなかった。

まぁよい、星空をたっぷり見て
帰ることができた。

それだけでも十分な「束の間」だったよ。

おかんと道の駅の店員さんとおさるさんしか会わなかった究極の秋旅

みのむしの秋

ここ一ヶ月は信じ難いほど動けず

当初描いていたのとは大きく違う

ミノムシのような秋になってしまった。

今年はアルバム制作は無理せず、ライヴをしていこう、

あわよくば車で色々なところ回ろう、

と思っていたのに、

その半分どころか。

11月の今頃は、ミニフェスのような計画もしていたのに。

まぁでも、こればっかりはどうしようもないです。

november 7th 2023

今日は11月7日 – とても素敵な響きの今日は
知り合いも憧れも含めて多くのミュージシャンが生まれた日。

Joni Mitchell
種ともこ
土屋浩美
Rastko Rasic
(敬称略)

ささやかなお祝いにカバーをしたいのですが
このところまったく時間がなく、外出もできず、なんなら睡眠は大丈夫かという状態です。
…そんな中「よこくの」はやりましたが…

種ともこさんはセンパイであり一度だけスタジオでご一緒できた方でもあり
カバーをするならこの曲、というのがあるのですが
またの機会にお預けにさせてください。

Joni Mitchell は断片的にかなり影響は受けてますが
ちゃんとカバーしたことはありません…カバーのカバーで
Annie Ross の “Twisted” ぐらい。

浩美ちゃんはお元気にお過ごしでしょうか。
すばらしい R&B シンガーであり、
Saravah Tokyo でバンマスとして、慶一や拓ちゃんと手伝えたライヴは忘れ得ぬ記憶です。

そして我が友、Rastko は
最近ようやく、少し近況がわかるようになり。
黒澤明が好きで、どこか松重豊のような雰囲気もある彼は、今もいい感じで謎を残した男。

1998.11.7 すなわち彼の誕生日に、Vardan Ovsepian と3人で録音することができたアルバムは宝物であり
あれから25年経つけれども
昨日のこと、そしてこれから先のことのようなのです。

Calendar

2025年1月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

Category