投稿者: ray

青雲

RX-8 って意外と静かだな
交差点をミオロしておもう

空には かに星雲 のような雲と月の溶き玉子
ぴょこっと星がでる

くるまははしりさる

まだ温度のある あきのかぜのはじまるよる

うみぎわ

フジテレビ、番組収録。
気づけば10時間もやっていたけど、それ程長いと思わなかった。

自分は自分の持ち場に精一杯、それが綿密な計画の中で役を果たしている(と願う)。
これは快感に違いない。

大勢のスタッフの力が、ある一点に集中する。
自分はその周りで、低い単音で何かやっている。

どんな表情しているかもわからないけど、何かを生み出せてればいいな。
いい経験をさせてもらいました。
またやりたい、ものです。

朴訥だったタクシーのおっちゃんにも、感謝。

*ふとデジャヴしたのは、ボストンの Karma Club でやったビッグバンドギグ。
リーダーのセディークって男、何をしてるんだろう。

もんく

この水面
考えすぎ

その線路
長すぎ

そのペン
黄色すぎ

モノレール談義

Battle Hymn Of The Republic
或は「リパブリック讃歌」
というのはアメリカの愛国歌のひとつであるらしい。

いわゆる「ごんべさんのあかちゃん」だ。

五反田駅で
きょうは選挙の日です みなさん 投票にいきましょう
ともっともらしくさけぶ車椅子の女性がいた

ひと呼吸おいて、彼女はこのメロディで
きょ〜はた〜のし〜いせ〜んきょ〜のひ〜〜

と歌いだしたのである。

僕は、同じく駅前でティッシュを配ってるホスト系の男に向かって
思わず笑いかけてしまったが、
日本は変な国だろうか、救いがあるだろうか?

そんな事はおいといて

今日は楽しいレコーディングだった。
dr.のデニスは驚いた事に、ゴスペルクワイアの同窓でもあったが、さすが、の一言に尽きる。

それにしても、初めて行ったEMIのTerra Studio、豪華。
自分のブースに行くのに何個ドア開けるねん、何回Closeでガッチャンって閉めるねん。
おかげでベース弾く前によっこらせ、と
まるで温室に花の様子を見に通うおやじになったような気分だ。

シンプルなジャズドラムキットに向けられたマイクの数、18個。
こんな沢山のチャンネル、よく扱えるもんだ、と録音技師に別の次元で驚く。
ちなみにベースに向けられたそれは4本だった。

自分のベースは先日久々に弦を変えて、誰が聴いてもわかる新しい弦の音がしていたが
この録音には合ってたんじゃないかと思う。

思えば、一昨年の夏、表板が全て陥没して大修理してからというもの、音が良くなった気がする。
一度死んだ者として愛が深まったのか、単なる錯覚か。
修理直前はこりゃベース買わなきゃ、と思ってたけど、録音すると毎回音の評判もいいし、自分にはこれがいいんじゃないかな、と改めて思う。

三宅さんの”Power”よろしく
つぶれりゃつぶされるほどみなぎる のだ。

またこれでPowerを弾くときも、よろしく。

たなばたコネクション

梅雨時だというのに、ジーンズを買ってしまう。

Johnbullノンウォッシュの限定物。自分は縦長の人間なので、このままでは横軸がはみ出してしまう。
つまり洗わないとまともに履けない。

これを履くのは梅雨明け以降だろうか。

梅雨明けの時期は、毎年忘れるもののひとつ。
毎年気になり、きれいさっぱり忘れる。見事なくらいに。

今日みたいに星空と関連づけられた日だと、なかなか忘れないけど
梅雨明けにまつわる星物語なんて、そうは聞かない。

俺がジーンズを洗った日。
だれが一体気にする。多分俺も忘れる。

そんなわけで、ブルージーンの無い日が続く。
それもこれも、昨年買ったFCUKのジーンズがたった1年で崩壊したからだ。
まぁまぁ手頃で体型に合うから、昔から買ってるフレンチコネクションだが、
最近は質が落ちて来たのかなぁ?
かがんだらおけつが10cmぐらいびりっと破れる。
家ん中でよかったよ。フランス人の。

だいたい、物持ちのいい自分は、気に入ったものはシャツでも15年ぐらい着てしまうけど
1年で破けるジーンズなんて、最悪だ。

しかし、フレンチコネクションという言葉には文字通り、別の意味がある。
ろくにフレンチも話せないのに、時々やってくるコネクションだ。

それは省こう。
ともあれ、エビゾさん、すんばらばらしいジャンベとコラをありがとう。
そして来週末の松坂でもよろしく。

「映像を遮るのは映像でしかない」
高円寺でふと思ったこと。

叶うならば縦でいたい

僕は割と縦長な人間で
そのせいか、世間で言われる「ヒトの視野は横長だ」を信じられないでいる。

だいたい、改行のない横に長ったらしい文を見ると内容よりその形だけで不安になるし
今や家電屋の壁面すべてを埋め尽くすワイド TV にもイマイチ馴染めないでいる。

だいたい、僕は A5 や A4 を縦にしたカタチが凄く好きなのだ。
見開きで横に長くなったとしても、縦型になにかが記されているって、それだけで何かの意志を感じてしまう。
おかしいんだろうな、多分。

だいたいインターネットは未だに縦長主体で
純粋に横長に作られてるページはそれほど見ない。

折角縦スクロールができるんだから、ってことかもしれないが
なんか、横長モニタで殆どのヒトが見てる現実ではあまり必然性を見いだせず、
やむを得ず惰性でそうなってる気もしないでもない。

だが僕は、縦長ページならホントに縦長画面で見たい方で
昔は Radius の Pivot っていう、今はもうない(技術の転売された)
馬鹿でかい CRT をずっと使ってた。

アメリカに居たから、A4じゃなくレターサイズだったけど
ページがちゃんとレイアウトされて見れるのは最高に気持ちが良かった。

(Pivot は本来、縦横いけるモニタなんだが、当時の Mac では縦しか使えなくなってしまっていた)

もともと、シーケンスは横で、ワープロは縦で、と思って買ったのに、
シーケンスも縦でやるハメになった。慣れたら全然違和感がなかった。

別に僕はトラックをバカみたいに重ねる方でも、意図を持って重ねる方でもなく、
オーケストレーションは至ってシンプルだったけど、それでも縦長のワークスペースで慣れていた。

なんでかなぁ。

もう随分、横長の画面しか見てないが、ずっと「縦に帰りたい」病が続いている。
池尻に居た頃は丸正に渡る信号待ちの時、いつも首都高の更に上に伸びるでっかい杉を眺めてキッと空を睨んでた。
ジャンクションループの工事で木が切り落とされた時は、それなりにショックだった。

映画のスクリーンは16:9より遥かに横長で、
あまり意識してその効果を考えた事はないけど、それは正解なんだろうな。たぶん。
だが、縦長の世界はどうしてくれるんだ。

自分は視野が狭いんだか、エコな植物か電話ボックスなのかしらないけど
横長は寝てる時で、ええやんか。

というわけで、横になります。

五億年の五つ目

『考える人』 No.28

特集はピアノだが、この部分はまだ全然読んでいない。

長沼毅の「形態の生命誌」にいつものごとく大笑いする。
僕はこの人がツボなのだ。

節足動物を突き詰めると
体節に足が生えたものの集合体であるらしい。

とにかく節から二本なり四本なり足が生えていて
歩いたり食べたり鰓呼吸したり、足がその動物をどうにかしてくれるのだ。

そして、足の付け根に口がある。だから彼らは「タテグチ」なんだそうだ。

この構造は脊椎動物の真逆だそうだが
共通点だってないわけじゃない。

それにしても
う〜ん
オパビニアって変だ…

時間の魚

また変な事を書くけれど

人生や物事の進化って螺旋状だ、って良く聞く
それは本当だと思う

時間軸で言うと
行って、静止して、戻ってくる。
それを繰り返して、形になる。

それを見て感動したり、使いこなしたり、他人が利用して、いわば、発展する。

そんなのの繰り返しだと思う。人間が文明を築けたのは。

だいたい文字を記したり、モノを生産したりするのは、止まったものを産むこと。
それは流れる時間に対して静止、つまり過去に向かっていく事だ。

にも関わらず人がそれを続けるのは、どうしてなのだろう?
それを拾い上げて、また時間に向かって投げつける。
人の時計は、常に伸び縮みしている。

例えば。
この世が全て、画像だとする。
そんなことはあり得ないが、だとすれば、画像編集しようと、何でも注視するやつもいるかもしれない。

そうすると気づくのだ。この世は全て動画で、静止画と思っているのは動画のうち、止まっているように見える一種でしかない。

なのに人は、いちいち静止画に価値を見いだす。
モノは動くものもあるが、静止した形に固定されて初めて生産される。

もしくは。人は動いているものを、静止しているモノほど理解できないのだ。

価値を見いだせるのは、時の流れに耐えるもの。
流れて行っても、イマに戻ってくるもの。遡れるサケのようなもの。

もしくは、モモタロウのようにずっと先から流れて来たもの。

ここで螺旋が登場する。

新しい何かを固定して実現させたいなら、時間のずっと向こうにアイデアを投げなければいけない。
それが戻って来て、形になった時に、つかまえる。そこで流すか、また投げる。
何回か繰り返せば、魚は大きくなるかもしれない。

みんな、時間と釣りをしてきた。

動物は本能でそれをするけど、
人間は知ってか知らずか、そうやってきたのだ。

と、思う。

おぼえがき

ざっと、売れてる本を読んでのメモ

ドウタとマザは入れ替わっていないだろうか?
マザと思ってドウタが出て来たのではないだろうか?
そか、それとも –
場面場面で、マザとドウタのふかえりが入れ替わって出ているのだ。
姿を消す度、彼女は山梨あるいはどこかに戻り、入れ替わってまた現れる。
本人は区別がついていないか、どちらでもいいと思っている。

246の非常階段は所謂三宿のあたりなんだか。
コンビニなら天下一品の近くにあった。
自分が昔、一日一回は散歩していた界隈だ。

最初の場所に戻って、道がないと気づく。
最初から青豆は死んでいたんじゃないか?と相方は物語を読まずにそう言う。
全く僕に思いつかなかった考えなんだが、正しい気がする。
メリンダの影響だろうか?

青豆が最後につぶやく言葉は自分がこれから行くところである。
出来すぎている。

ほたる

とても揺らいでる月を誰もつかまえられない
キャンバスなどそこにはないから
おもいだして 生き返らせなければ
どんなかみにも ふゆうたいにも

それはぼくのめが 走っていたから
何百キロも 夜通しで

目の前で 揺らぐ月
いなくなると わかるから
記憶の種だけ おいてこって

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