紛失してしまった「バチ」が届く。
four fourteen
ひとつの区切りと勝手に思っていた日。
たくさん、じたばたする。
形にはならない。
arrange arronzo
アレンジ
吾輩にその才能があるのかは横に置く。未知数としようか。
一人ベースオーケストレーション、みたいなのは勿論やってきたし
DIY でやってると必然的に、常にアレンジをすることになるのだが
あるパートに異様に執着して他はスカスカ、みたいな、常に偏ったものをやっている。
そういうのが好きなんですよね。
いいなと思うのもあれば、あっちゃーもあるが。
最近になって、いろいろゼロからやってると
好きなものをちゃんと研究すればいいじゃないか、ということに漸く気づいている。
とても時間がかかるのです。が、大事なことですね。
* タイトルはちょっと好きな人のもじりです。配色も好みです
re-member
表の活動としては停止しているのですが
最近でも海外から見ていただくこともあり
英語もアジア語も設定していないのでなんだかなと思いつつ
(僕の日本語を自動翻訳するとかなりおかしなことになりそうです)
ストリーミングも含め、ふと全然知らないところから聴いてもらえると
うれしいものですね。
Spotify は全く放置してしまっていて – あれはやはり僕には難しい…
Apple Music も、今後アー写更新? なんて考えると気が重くなるのですが
追って計画したいと思っています。
Bandcamp だけのもののストリーミングリリースについても、
もういくつか季節がすぎるかもしれませんが
忘れているわけではないので、しばらくお待ちください。
お待ちください、って、おしつけがましいかもしれない。
しばらくお忘れください、っていう言葉が通用すれば、いいかも。
who’s gas, who’s voice
先日のメジロとは違い
今日はウグイスの声を沢山聞いた
シャドウから少し入れば
西にも東にも水面にも
たくさんのさえずりが
こだまする
最も美しいものをきいている
そう思う
このウグイスの声を邪魔できるのは
空を我がもの顔に旋回する鉄の舟
これを皆が許し賛美したとき
この世は滅びるだろう
life is not a gas
sky is not your exhaust
listen to the voices
of small nightingales
copper
古いスネアのストレイナーが壊れてしまったので、工房に持っていく。
いろいろなお話しをする。楽器のことから金属加工、ベースの弾き方。
ドラムの打点と音量、ミュートの流行りすたり、レッグやスタンドの構造と時代ごとの役割…
興味は尽きませぬ。
half-moon-shine
新曲の録音中…
といきたいところだが、好きな曲の真似っこ録音、いわばカバー。
こういうのはとても面白いし、ためにもなるのだが、発表はしづらい。
YouTube ならいいのでしょうね。
まだ慣れてない楽器なので右に左に、あたふたする。4回を2テイク、首がいたい。
ふと廊下に出ると、半月が
五、六個…
典型的な乱視にて、えも言われぬ形状をしている。これは誰とも分かち合えない。
譜面と画面と指板ばかり見てりゃ、そりゃこうなりますわ。
なんでこんな自分は遅いのだと思う果てのメモ
このブログではことあるごとに
ゆっくり だの
のんびり だの
スローライフ、スローミュージックを称賛し、正当化してばかりのようだが、
実際ここまで自分がスローだと、辟易することもある。
僕は元々人の数倍イラチなので、思いついたことはすぐに済ませてしまいたいのだ。
なんでこんな正反対になったのか、知る由もない。
ともあれ、世の中にはプロフェッショナルという人々がいる。
仕事がとにかく速い。あらゆる状況に対応できる。物事を深く理解している。
浅く広く、でなく、深く広く速く、なのだ。
それがあってこその、凪。そんなプロフェッショナルに、僕はなりたい。
だが明らかに体内時空感がスローになっている。なんなのだろう。
今年冒頭からの日記で(一昨年ぐらいからか?)好きなレコードのことをたくさん綴った。
実は、その時一番はまっているレコードについては触れてなかったりもするのだが、まぁわかる人にはおわかりだろう。
その中にはレッキング・クルーだったり(解体業者、という意味)
まぁプロな人々が、一聴するとユルいレコードを支えて…ささえるだけじゃないな、作り上げてきたのだ。
slow になれるための、fast。
誰かが速く動くから、誰かがゆっくりと時間が取れる。
それって、必要だ。
ん…救いになってないな。
たぶん。
だれかがゆっくりしてるときは、誰かが速く動けるのだ。
そういうこと。
自分がリラックスできてたら、それは同時に瞬間的だ。
それにしておこ。
水よりも速く。
こもれびとたたずまい
いやぁ、そっくりでしたね。ジョー。
’80年代の大月錠一郎の風貌は「音楽密造者」日野原幼紀さんのジャケ写そのもの
…って誰が思っただろうか。
『カムカムエブリバディ』
この朝ドラは、綿密な設定に役者の演技に、素晴らしかったです(最終話のみ残した時点で)。
英語も時代劇もいいのですが、やはり音楽に関わってきた者として二部からのジョーとるいとトミーの物語には感じるものがあり。
また、虚無蔵さんや五十嵐含め、夢を失った人たちとその後の話なのがいいのかな。
ただツッコミどころはいつも満載でした。
突っ込めないとそれはそれでつまらないので、これは却って楽しみでもあり。
本日 (4/7) の放送回、アニーとるいがやっと再会する場面、
最高の舞台で奏でられているのは On the Sunny Side of the Street
…なのに
スローモーションの二人の世界、そして視聴者には、弦楽の別の曲が聴こえているんですね。
これは複雑でした – いい曲でしたが。
この舞台は二人にとって最高のもの、でもあるけれども
それ以前に、クリスマスフェスの真打ちを楽しんでいるオーディエンスの、そして全身全霊を注いでいるバンドマンやスタッフたちのもの。
ハプニングで、ゲストシンガーが歌い終えた途端に舞台を降りても、抱き合っても、それは受け入れるかもしれない。
だけど、なぜその曲が Sunny Side of the Street ではないのだろう。
別の時空に遷移したとしても、別アレンジの Sunny Side でやることってできなかったのかな。
人前で演奏してきた経験を振り返ると、
あくまで陰に佇んで、というときも、世界の中心にいるつもりで、というときもありました。
どちらも正解で、どちらも唯一の答えではなかったと思います。
音楽の捉え方はさまざま。奏で方もさまざま。
そして、奏でたり聴いたり、その場にいたりする「こころ」も、さまざまでしょう。
いろんな想いがあって、舞台はできています。
少なくとも、そうだった、と思います。
venom & poison
ちとおっかない話で恐縮だが
サソリには毒がある
日本じゃあまり見ないものの、アメリカの内陸部だとその辺に普通にいるらしい
だが、蛇同様、刺されるときついものの
その毒を飲んでも大丈夫だという
venom = 皮膚から入るとやばい = 酒にしてオッケー
poison = 飲むとやばい = ワインに入れるのダメダメ
…今までしらんかった
毒ってもいろいろあるね