僕らはどうして呼吸をするんだろう
そんなことを思った夜の記録
僕ら人間は面白くて
思念を立体化するために
指とインクと紙を使う
それをまた 眼で見る
30cmの距離を置いて
夏の夜の花火を眺めるように
小さい小さい僕らは其処で測る
宇宙の角度を
30cm
僅かな体の動き
それは碧く小さいが
宇宙を模するには
充分な実験なのだ
僕らはどうして呼吸をするんだろう
そんなことを思った夜の記録
僕ら人間は面白くて
思念を立体化するために
指とインクと紙を使う
それをまた 眼で見る
30cmの距離を置いて
夏の夜の花火を眺めるように
小さい小さい僕らは其処で測る
宇宙の角度を
30cm
僅かな体の動き
それは碧く小さいが
宇宙を模するには
充分な実験なのだ
そんな広告 N700系
素材になる奴は居るか
軽くて丈夫、伸縮、熱に耐え
水にも薬品にも強く
虫など 相手にもしない 炭素
それとも電子
それともインク
電子を誘うインクの群れ
そんな素材に託されている
日本の
…何?
来年の予算
懐
成績表
だからそんな素材を求めている
そんな素材に
なっちゃいけない
未だに地球温暖化の事をトップニュースにする日本のシステム
排出権取引で困る人間がそこにいるのだろう
二酸化炭素が生態系を壊し、放射能は壊さないと誰かが思ってる
最低賃金は暮らしを滅ぼし、軍隊は暮らしを守ると誰かと誰かが思ってる
誰かがさんざんねじまげた屁理屈に 誰かがのめりこんでる
ふと宙をみあげると
満月と木星
指三本ぐらいの間柄
雲が象る池で
向かい合ってた
親子のように
先日、山羊に聞く?という店でイベントに出たのだけど
そこでの控え室(たまたま、その日は、その役目を果たしていた)にあった絵本
「スガンさんのヤギ」
これ衝撃的だったなぁ。
エリック・バテューの絵もすばらしいのひとこと。
誰に愛されることもなく獲物を狙うオオカミと
飼い主の愛を振り切って暗闇の戦いに挑むヤギ
それが間違った愛だったのか
わからないけれども
自然はどちらも等しく愛した
そして星空が消えたとき
ヤギの心がながれさった。
こないだ買ったPeter Broderickがほんとによくてほれぼれする。
Paul Bley / Gary Peacock / Tony Oxley / John Surmanの”Fair Share”とこのアルバムがずっと回転中。
狂気か天才か?
若き天才作曲家ピーター・ブロデリックの進化と深化
ヴォーカルとリリックにフォーカスした野望いだく作品
ジャケ写ほどではないけどつっこみどころ満載の帯コピー
混沌とした時代やなぁ
重大な問いかけに次の行で結論出し切ってるし
ヴォーカルとリリックにフォーカスって何事よ
野望いだく作品ってあんた
でもいいのさ
この人好きだし
かっちょいいぞ
また日が過ぎ
あいかわらずこれからも、とりとめもないことを書いていこうと思う。
コンクリートだらけのこの世の中、はたして「とりとめのある事」なんてあるのかな、と思うのだ。
—–
ステージって不思議な場所で
ときには客席より居心地がよかったりする。
いや、シャレではなく本気の話。
居心地だけでなく、眺めもよかったりする。
それって困るやん? とも思う。
客席から他の出演者を見ていて、このライティングってないんじゃないの、と思ったり
ところがステージにあがるとすごくゴージャズだったり
それって、テンション上げるにはこの上なく、申し分ないのだ
しかし客さんを思うと、心配にもなるのだ
俺たちばかり楽しくって、いいのかいなと
だけど、どうやら楽しんでるのが自分らだけでないとわかると
それで良くなるんだがね。
—–
Reciprocity
最近気に入りの曲 by G.Peacock & B.Frisell
とにかくヘッドがうつくしい
インプロのフリーはテクニカルすぎて正直あんましなのだけど
呼吸の伸び縮みがとにかく最高なのだ
—–
月が僕の左にある — こう思うだけで嬉しくなる時がある。
何を思っていようが、格別の月が、道を歩く僕の左にいてくれる、
そんな贅沢って、実はどんな大人にも等しく与えられているんだぜ。
人が忘れようが — 月は忘れない。
月の輪グマが忘れようが — 輪は忘れない。
すべての記憶素子が忘れようが、放電しきったスクラップは、覚えている。
君の左には、誰かがいる。
きみのひだりには、だれかがいる。
—–
歴史
高校の時にあまりに面白い先生に影響を受け、西洋史を専攻してた僕は
「人間のやることすべてを歴史は含む、だから歴史をとらえることができればすべてはありえる」
なんてずっと思ってきたわけだけど
ふとしたきっかけで、今日、それは違うかもしれないと思う。
もし、人類の「歴史の中で」
延々と、「歴史担当係」が
「言い訳」をつづってきたとしたら。
いや、そのためにすべての文献や都市や神殿がつくられてきたとしたら。
歴史、なんて、すごく偏ったもの、なのかもしれないな。
いや、シャレではなく本気なんやって。
光が上にいってしまった
月も上から照らされる あと数日のこと
「巻き毛のリケ」素敵な話だ
そのひとがかしこいのか
そのひとがかしこくみられるのか
それは似ているようでとても違ったことだ
だけどどちらにもいえることは
他人の目も本人の自覚も
気の持ちようで変わるということかな
意識は幾重にもかさなっている
そして切り替えればどれも真実に見える
そうどれも真実
どれも大切に育んだならば
「ドレの昔話」をようやく買って読んでいる。
「眠り姫」はなんだか「カリオストロの城」みたいな冒険物語でもあるのだな、と思いつつ…
呪いによる死のかわりに、100年眠り続ける娘を、
共に魔法にかけられて眠り、共に100年後に目覚めるという、最高の幸せを選ばず
「起きて見守る」ことにした親の気持ち。
たぶん自分もそうするだろう、と思う。
姫は「つむ」に刺されると宣告される。
王は糸を、布を、つまりすべての繊維の営みを止めて娘を守ろうとする。
それは失敗に終わるわけだが、
やがて城は深い森につむがれ、二つの王国は時と記憶につむがれる。
「いつも糸を紡いでいる」と目の前で紡錘をくるくる回してくれたケイティさん、ふと思い出す。