カテゴリー: muse

moon x moon [singetsu]

2020年 新月と満月に合わせて出した連続シングル moon x moon より
新月サイド12曲のコンピレーション
moon x moon [singetsu] をリリースしました。

昨年

月の満ち欠けに合わせて曲を発表したらおもろないか? これがほんまの「月刊」やろ

と思いついたのが一月の終わり。ゾロ目好きな僕が「わらい x きみ」を 1/11 に出して、
その次に何をいつ出そうか、と考えてたときでした。たまたま 1.11 は満月だった。

まだコロナ禍の前で、何かとライヴやパフォーマンスの予定もしてたし、ツアーサポートも準備中。
2020にふさわしいなにかを、という活動計画の一環でした。

結果的にはそのあとすぐ、ライヴ関係はすべてなくなり、自分のアウトプットはこれしかなくなってしまったわけです。

昔は月刊誌にライターや講座などで参加してたこともあり、締切の緊張感はいつも味わっていて、
まぁライヴショーや収録の緊張感もそうですが、ずっと日程を決めてそれに追われる、というのも
悪くないなと、やってみたのです。しかも、通常の二倍に。

満ち欠けと言っても、三日月や下弦の月では自分も忘れてしまいそうなので、まずは満月と新月にしようと。そしたら2020年、全25回のスケジュールが決まってしまいました。自然現象が相手なので、何があっても動かせない。

やってみると、それはまぁ大変だったわけですが、途中からはそれこそ、コロナとは別の意味で「永遠の二週間」でした。

改めて振り返りつつ、その時はあまりのハイペースに気づかなかったところに手をつけたり、
半分だけを並べてみるとどうだろう、と思ったり。

まずは「新月」側を先にリリースしました。
こちらは「満月」側に比べると、やはりさりげないというか、気楽です。
でも、その分実験的でもあり、今から思うと味わい深かったりもする。

ジャジーなインストゥルメンタルから、変なプログレ、爪切りの実況中継を曲にしたもの、朗読、はじめて弾いたキーボードをフィーチャーしたファンク、など、まったくスタイルは一貫していませんが、どれも紛れもない、僕の音楽です。

秋の夜長に、白昼夢に(新月って、昼間に出るものですよね)、ぜひどうぞ。

れい


bandcamp は、ミュージシャンのオンラインストアです。
音源は 96kHz/24bit 非圧縮から圧縮やストリーミングまでを選べ、ページやアプリから歌詞表示も可。
試聴はフルサイズ無料です。

river silver 2021

re-released on November 5th.

2018年にオンライン配信していた詩集連動ミニアルバム
river silver [side a] / [side b] を、再リリースしました。

オリジナル同様のシンプル&ミニマムな構成ですが、
うち11曲で再録音を行い、いくつかの曲ではアプローチを少し進めています。

リリース前にも書きましたが、特定の年に作ったという感覚はあまりありません。

時のグリッドに沿ったり、枠組みから外れたり。

これまでどの街に住んでも、こんな部屋で暮らしていたな、
そんな詩や音楽です。

もとより DIY の、パーソナルな音楽です。
手を加えても、豪華になるわけではないし、
むしろ、荒削りさがより際立つかもしれない。

それでも、基点のひとつとして空間に刻んでおきたく、
ここに再び、リリースします。

river silver は、直訳してひっくり返せば「銀河」です。
銀河は誰の中にもあるでしょう。

river silver [re]


re-release very soon…

以前リリースした、詩集連動ミニアルバム river silver [side a/b] です。

前回はオンラインのみ1年配信契約で、そのまま一旦終了してしまったのですが、
再録音も多く含めて、もう一度リリースします。

収録詩を書き始めたのはもうずいぶん昔なので
あまり「何年作品」という感覚もなく…

ごくパーソナルな何か、自分の部屋のようなものでしょうか。
思い出したり、気づかなくなったり、
時を重ねていると、こんな詩や音楽ができていました。

まずは 11.5 の夕方から Bandcamp Friday にて販売し、
追ってストリーミングも計画します。
(再リリースのストリーミングは、なにやら複雑なようですけど)

ニューアルバムの前に、ぜひどうぞ。

* 今年に入ってシングルで出していた、[side a] 収録曲については一旦新規販売を停止しています。ご購入済みの方は通常通り再生可能です(不具合あればお知らせください)。


(追記)
アルバムは Bandcamp にて、11.5の19時に公開予定です。

the weekend

10月最初の週末。

Bandcamp Friday にまた参加してみる…というか合わせてリリースする。

米国西海岸時間のイベントなので、日本では16時から土曜日の16時まで。変則的だ。
金曜の16時に設定して出すというのも、いいのか悪いのか。

ともあれ、アクセス、再生、ご購入、ありがとうございました。
多謝。メディアに出ない DIY 音楽家には、ありがたいものです。

次回やるときは、また何か考えておきますね。


土曜、寝る前に最近の録音を整理しようと試みると、あろうことかエラーでファイルがぜんぶふっとんでしまう。
バックアップ取る前だったし一時間経ってもフリーズしてるし、ほぼ見込みはなかったのだけど
サブの Mac にデータを移し、ファイル名変えたりして2時間、奇跡的に復旧できた。

せっかくの週末、こんなとこで奇跡使わんでええねんけどな。


夏からはほぼ日課で、なにかしらのカバーをすることにしていて、
ただギターやベースで、弾き語っている。

昔、京都の学生時代の友達はブルースやってて、アコギと歌だけでどこで弾いてもひたすらかっこよく、
やつらには絶対にかなわないなと、そっちは避けて避けて生きてきたけど

その後、東京で手伝ってたロックバンドの音を聴き返しても、歌とギターの二人、やっぱすごかったんだ(一体どうしているのやら)、みたいに思うことばかり。

震災後に「モノ持ち」の儚さを思い、電気もない状況でやれるとしたら、恐らく生ギターと詩や歌ぐらいしかなく(災害時に巨大なベースを持ち歩ける可能性はまずない)、それが自分の「音楽家」としての指針だ、と思ったわけだ。

いつ、なにを失うか分からないから、早くそうなりたく、だがいざやり始めたら全然できず。
こんなことなら若い頃から、もっとダメ元でやっておけばよかった、と、思うことばかり。

ダンスとか、ね。

「〇〇は子供の頃からやらんとあかんで」というのと「いくつになっても成長できる」というのが
常に矛盾して、どっちを信じていいのかわからず、それだけで撥ねつけたことも多かった。

今になって思えば、それらはどっちも正しいし、どっちも(ある意味)間違っている。

まぁ、アコギではかなわない人いっぱいいるけど、もうあまりそんなの関係ないし、学ぶこともいっぱいある。
そしてギター弾いてると、ベースがまただいぶ、変化してくる。これはこれで、楽しみでもあるのだ。


相変わらず演奏活動をしない中、モチベーションを維持するのは易しくはない。が
ふとしたことから、アイデアも降ってくる。

今日は、例の作りかけの「ラピスラズリ」の「3」を思いつき、詞も曲もほぼ形になった。

「1」に思いの外苦労しているので、こっちが早いだろう、と思っている。イメージ的にも。
「2」はスピンオフ的なものだけど、こうなったら1-3合わせて組曲にするか、
それとも他の曲含めて、アルバムにするかなぁ…

どうでっしゃろ。

そんな、なんでもなかった、週末が終わる。10月はいい月にしなきゃ。

uqia see

10.1 at bandcamp

9月につくっていた3曲のひとつ。

どの季節でもレゲエフォーク。

歌詞ページ

あめっていったいなんだろな、なんて思いもしながら

カラッとした秋と、ザーっとした秋に。

秋分周辺

秋はいい季節だ

…今年はなんか、裏のうらの方が沁みてくるようなあきだ。

何か獲物があるわけではないが、せっせと作品をつくっていこう。


夏は MacBook Pro が常に瀕死の爆音を上げていたので

数小節のフレーズすら録音するのが辛く、マジでたまらなかったのだけど、

秋のおかげかようやく少し静かになってきた。

Core i9 の無駄遣い。

Covid 19 で失った翼。釣り合わない。

まぁもう少し頑張ってもらおう。


虫の声がすばらしくて、な。


満月や秋分のあたりに曲を出したかったのだけど

幸か不幸かいろいろアイデアがあり、4曲同時進行にてまとまらない。

脳内での完成は近いのであるも。

motivation

9月に入ってからざざっと曲のアイデアを溜めて
8つぐらいモチーフができ

その一つが気に入ったので作り進めている。
Just another tribute to Charlie.

ドラムキット叩けず、いまのところブラシのスネアだけ。

タイトルは仮で

いかさま団ラピスラズリ

Bandcamp でそのうち出します。

BC はとても自由で使いやすいのだけど、
マルチ言語で曲名をつけられない。
和名にすると、それが英語圏でも表示されてしまう。逆も然り。

このへんは、多言語で登録できる TuneCore とかの方がよいね。

ともあれ、今年はこれが大事な存在です。

ごうつくばり


ここからさきは なつごし

…ってことで

曲の途中で夏が越せるよう
8.31の最後ギリギリに、この曲を再発しました。

2018年 “flat five tapes” リメイクのひとつです。

しばらく録音もせず、好きな音楽を改めて聴いたりしてたら
チャーリーワッツが亡くなったり、リーペリーが亡くなったり、
デルタ株は…、豪雨は、ハイチは、アフガンは…

正直、世界はおそろしいで。

これからが。あるいは。

でも、なんとなくずっと思ってることがあって、
それは この曲の詞 に込められてもいます。
何が僕らをそうさせてんのかなぁ、
あるいはそこから、どうすれば。

とびかかる、あとづさる。

ジャケットの絵は、泥棒猫
虹色は大イベント
上がラベルみたいになってるのは
ごうつくばりって、こういうやつだよっていう、レッテル貼り
だったりします。

まんいんでんしゃ みたいな おと

と違って、これはスッカスカなので

チャーリーが昨年の Stones ステイホーム企画
“You Can’t Always Get What You Want”* でエアドラムやってたのを
思い出したりしながら、スネアをブラシで叩いて加えました。

それでも、隙間だらけの音楽です。

みなさんが、いい秋を過ごせるように、場所空けてます。


* You Can’t… のスタジオ録音でドラム叩いたは彼じゃなくて、プロデューサーの J.Miller なんですよね。

英国紳士とTシャツ

前回 に続いて、The Guardian の Charlie Watts 追悼記事。今回は、Bruce Springsteen and the E Street Band のドラマー、Max Weinberg からの後半部分です。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts
by Max Weinberg, as told to Ben Beaumont-Thomas

序文にあった ”- and his clothes-folding skills” ってどういうこと? と思ったら、全部あまりにいい話で、一気に読みました。以下、僕の訳です。


僕が子供の頃のニュージャージーでは、仕事を探すミュージシャン向けのチラシがあって、60年代半ばから70年代まではいつもこんな感じだったよ。「求む: Charlie Watts タイプのドラマー。」Charlie はただのドラマーじゃない – 彼はジャンルなんだ。僕が叩くすべてのビートには、どこかに Charlie Watts がいるんだよ。

彼が Rolling Stones でやったことの何が独特だったかといえば、それはロックンロールである一方で、実はブルースだったんだ。
僕は、Stones が長く続いた理由というのは、彼らが本質的にポップバンドでなく、ブルースバンドだったからだと思っている。ブルースは永遠に色あせない。
もちろん、様々な理由で彼らは世界最高峰のバンドだ。しかも彼らは、自ら世界最高のバンドだと言ってる。
だけど、ドラムという観点では、彼は誰とも比べられない唯一無二の存在だった。彼みたいな人はどこにもいなかったよ。彼の模倣者や彼への挑戦者はいる、だけど Charlie Watts はただ一人だし、今後も永遠にそうなんだ。
彼の身体はもうこの世にはないけど、彼はドラミングの魂として永遠に生き続ける。Charlie Watts がいない世界なんて、少なくとも僕の中では、およそ理解できないんだ。

彼はお気に入りのジャズドラマーの影響で彼のスタイルを形作った。たとえば偉大なイギリスのドラマー Phil Seamen、そしてアメリカのドラマー Dave Tough: 見た目まで Charlie に似た、お洒落にうるさく、途方もないグルーヴと音色を持った人だ。
Charlie は – 僕も同じだ – STAX の偉大な Al Jackson の後期のプレイで一般的になった、あのロックドラミングのスタイルの支持者だった。意図的にバックビートをタメて叩くっていうやつだよ。
そのやり方っていうのは – ちょっとテクニカルになるんだが – ビートの2拍と4拍に集中するってことじゃない、1拍と3拍が大事なんだ。
他のいい例は James Brown の音楽だよ。彼の音楽は1拍目に着地することに重きを置いている。それができるようになるには長い時間がかかるんだ。
そういうことができるドラマーは、バスを運転してるようなものだよ。そして最高のドラマーなら、他のミュージシャンに彼らが必要なものをあげられるんだ。
Charlie はそれを、本能的にやっていた。または、偉大なドラマーたちを聴き込んで、その術を習得したんだ。Chick Webb、Kenny Clarke、Kenny Clare、Art Blakey、Max Roach (といったジャズドラマー)をね。

彼にはトレードマークのドラムフィルがあった。Bruce Springsteen のアルバム “Born in the USA” のレコーディング中、僕は “Street Fighting Man” がずっと気になっていた。あのサウンド、強さ、ビートがね。それはどうやらツアー用のドラムセットか、箱みたいなモノを使って*、カセットレコーダーで録音されたっていう噂で、信じがたいほどヤバくてタフな音をしていたんだ。
Charlie は曲中で例のフィルをやったんだ。素早い、8分音符三つの「バッバッバッ」ってやつをね。Bruce が “Born in the USA” のグルーヴを僕らに伝えたとき、僕は “Street Fighting Man” を思い起こしたんだ。それで僕はあの曲で、Charlie Watts をやったってわけだよ。

“Rocks Off” も、また別の Charlie Watts のベストパフォーマンスだね。彼はフレーズの途中であのローリングのフィルをやるんだ。天才だよ、だけど彼はあらかじめフレーズを作ってたわけじゃない。彼はジャズドラマーだからね、瞬時に思いついたことを叩くんだ。彼は多くのインタビューで語ったように、いつも Charlie Parker や Miles Davis が彼の前に立っていることを想像しながら叩いていたんだよ。

僕たちは友情を築き上げた。彼はいつだって、あり得ないほど愛らしく、知的な人だった。初めて彼に会ったのは1979か1980年あたり、Stones が Madison Square Garden で数日間公演してたときだ。Modern Drummer のインタビューがあったので、友達について行ったんだよ。彼は3ピースの Savile Row の背広を着ていて、信じられないほどお洒落で、彼の手荷物を片付けられるように、僕らをホテルの彼の部屋に招いてくれた。彼は2つの美しいレザーのスーツケースをベッドに乗せて、それらを開けたんだ。すべてが完璧に折り畳まれていたよ。きっちりした化粧道具があった。僕がロードで旅するのと正反対だった。彼はスーツケースから服を出して、ベッドに置いて、畳み直し、引き出しに入れた。僕はホテルの部屋の引き出しなんて15年間のロードで一度も使ったことはなかった。僕がそれまで見た一番クールだったことの一つだよ。

そこで僕らはインタビューをし、ルームサービスを頼み、そして彼は (Madison Square) Garden への迎えが来る頃だと気づいて、寝室に入り、スウェットパンツと裂けた T シャツを着て出てきた。彼はそれまで英国の君主のような身なりで、ハンサムで、貴族的で、ごつごつした顔をしてたんだが、それが今は「彼らとプレイする」ために、普段着に着替えてた。「僕のバンドとプレイするんだ、僕らのバンドで」とは言わずに、いつも「彼ら、Stones と」(プレイするんだ)と言ってた。彼にはこういった、面白い距離の保ち方があったんだ。

年月が経ち、1989年のこと。Charlie は僕に電話をくれ、Stones が10月に NYC でプレイすると教えてくれた。彼は、僕が Joe Morello の友人だと言ったことを覚えていたんだ。Joe は Dave Brubeck Quartet のドラマーで、Brubeck のあの “Take Five” や “Blue Rondo ala Turk” の変拍子の肝になった人だよ。そして Mel Lewis、素晴らしいバップ期のドラマーとも(僕が友人であることを)ね。Charlie は彼らの大ファンで、こう言ったんだ。「彼らがどうかはわからないけれど、僕はもし彼らが Shea Stadium に来てくれて挨拶できたら、月にだって昇るよ。彼らがコンサートまで残ってくれるとは思わないけどね。」僕は言った。「Charlie、できる限りやってみる。」
Mel はロックンロールが嫌いだった。彼はロックンロールが、西洋文化の堕落だと思っているジャズマンの一人だったんだ。

だけど僕たちは Shea Stadium に向かうことになり、最高のもてなしをうけた。彼らは僕らをエレベーターに乗せた。Rolling Stones には – Paul McCartnery みたいに – だいたい10段階のゲストレベルがあったんだ。だんだん VIP の度合いが増してくる。僕らは奥のプライベートルームに招かれた。「Charlie、君に Joe と Mel を紹介できて光栄だよ。」僕は言った。
そして Charlie は彼らと握手し、こう言ったんだ。「ジェントルマン、お会いできて光栄です。」 Charlie は数えきれないぐらいの質問を浴びせた。「Wynton Kerry とプレイしたとき、あなたはあのロールをしましたね、あれはどうやったんですか?」「Joe、”Take Five” では実際どうやってプレイしたのか、教えてくれませんか?」とね。彼はクリスマスの(プレゼントにはしゃぐ)子供だったよ。耳にすることすべてに微笑んでた。僕はといえば、こうして彼らを引き合わせることができたのが信じられなかった。

彼らは(挨拶の後の)コンサートを観たがった。Joe は目が見えず、ショーの光景は楽しめなかったけど、僕にこう言ったんだ。「Charlie Watts はすごいドラマーだね、なんて強靭なタイム感なんだ、あのバンドを実にうまくつなぎとめてる。」一方、Mel はといえば – この人は45年間、ロックンロールに文句を言い続けていたのに、すっかり気に入ってた。彼らの音楽性にも、ショーにも、そして何より Charlie のドラミングに強く感銘を受けてたよ。
ドラマーにとって大事なのは何か、それはあんたがやっていることが、その音楽に対して適切なのかどうか? ってことだよ。
それが Mel Lewis が本当に感心してたことだ。「彼はバッチリだね!」帰路のドライブ中、Mel は言ってた。「まだロックンロールは好きじゃないが、あれはすごい経験だった。それに君の友人、なんで彼らが最も偉大なバンドと呼ばれるかわかったよ – もしロックドラムを叩かなきゃならないなら、あれこそがロックドラムのあるべき姿だ。」

最後に僕が Charlie に会ったのは、Newark の Prudential Centre で数年前のことだった。Bruce が彼らと共演して “Tumbling Dice” をやった前日だ。僕は彼に50年ほど前、彼らをこの近くの場所で観たと伝えたよ。1965年の11月7日にね。彼らは Solomon Burke の “Everybody Needs Somebody to Love” でスタートし、半時間ほどプレイした。彼らのオープニングアクトをするためのコンテストがあったんだが、僕のバンドは落ちたんだ。それで二列目で観てて、彼らは当時の大ヒット “Get Off of My Cloud” をプレイしてくれた。それはレコードそのまんまだったよ。

アリーナで、僕らはこの壁を背に立ってて、彼はブルーの Rolling Stones ブランドのウィンドブレーカーを着てた。彼が晩年にいつも着てたやつだよ。僕らは過ぎ去った日々を追憶してた – あり得ないほど丁寧で、素晴らしい人だった。そして彼はステージに出るとき、舌のロゴのジャケットを脱いで、折り畳み、アシスタントに渡し、(ドラムチェアに)座ったんだ。もし僕が、誰か他のドラマーみたいになれるならば、Charlie Watts みたいになりたいよ。


* “Street Fighting Man” の録音では、Charlie はツアーに持ち歩いていた1930年代のトイドラムキット “London Jazz Kit Set” を叩き、Keith は Philips のテレコに録音した、と2003年に答えてます。有名な話なのでしょうけど、僕は知りませんでした。英語 Wiki に載っています。

so loose to get groovy

Charlie Watts の追悼記事はたくさん、そりゃあぎょうさん出ていて
そのごくごく一部しか観られないのだが

これは Guardian の記事。

‘Not just a drummer – a genre’: Stewart Copeland and Max Weinberg on Charlie Watts

Stewart Copeland と Max Weinberg によるコメント。

Stewart と Charlie は僕の中で二大ヒーローで
とはいえ彼らのスタイルやビートは真逆だから
あまりこの二人を同列に好きな輩はいないかもしれないけど

ここが刺さる。by Stewart、以下は僕の訳

Charlie described himself as a jazz drummer, but they all do that – in rock’n’roll, that’s sort of like saying “classically trained”. Rock musicians aspire to have jazz credibility – even Ginger Baker called himself a jazz drummer, for God’s sake. I’d say it was a futile enterprise: a member of the Rolling Stones denying being rock’n’roll is not very convincing! But one thing you can see of the jazz influence on him is that he went for groove, and derived power from relaxation. Most rock drummers are trying to kill something; they’re chopping wood. Jazz drummers instead tend to be very loose to get that jazz feel, and he had that quality. The jazz factor in Charlie wasn’t in the use of the ride cymbal going ting-ting-ti-ting, it was his overall body relaxation. It’s also why he hardly broke a sweat while driving the band to light up a stadium.

チャーリーは自分をジャズドラマーと言っていたけど、それってロックンロールあるあるだよ。
楽器を弾けるっていうときに、「クラシックを習った」といえば箔がつくだろ、ロックミュージシャンにとってはジャズがそうなんだ。ジンジャー・ベイカーだって自分のことをジャズドラマーだと言ってたし。

僕に言わせればそんなの言うだけ無駄だよ。Rolling Stones のメンバーがロックンロールを否定しても、あまり説得力がないだろう!

でも彼を見てわかるジャズの影響のひとつは、彼はグルーヴを追求し、リラックスすることでパワーを得たっていうことだ。
ほとんどのロックドラマーは何かをぶっ殺そうぐらいの勢いでドラムを叩いてる。木を斧で切ってるみたいだ。
ジャズドラマーはそうじゃなくて、すごくルースになることで、ジャズ特有のフィールを出す。彼にはそれがあったんだ。

チャーリーのジャズの要素というのは、ライドシンバルをチンチキチンと叩くことじゃない。身体全体をリラックスさせることだ。だから彼はライトアップされたスタジアムでも汗をかかないんだよ。


The biggest thing I learned from him is volume – he plays very quietly. Very early on, he discovered this wonderful device called the PA system: five billion watts of PA means that the drummer doesn’t have to work all that hard after all. When I was a young drummer, I was out there trying to kill every drum in sight, and it’s through watching Charlie that I realised: you know what? You can actually get a better sound out of your drums, and a better groove, if you relax.

僕が彼から一番学んだのはボリュームだ。彼はとても静かに叩く。早い時期に彼は、PA システムというすばらしいものを発見したんだ。50億「ワッツの」 PA があれば、ドラマーにとって力む必要など何もない。

僕は若い頃、視界に入るドラムを、全部ぶっ殺すつもりで叩いていた。
チャーリーを見て気づいたんだ。何かわかるかい?

リラックスすれば、よりいい音をドラムから引き出せるし、もっといいグルーヴが得られるんだよ。

* 一部穏やかでない表現があるが、「ぶっ壊す」ぐらいがよいのかな。どうなんでしょう、ロックドラマー諸氏。あと知人をフォローしておくと、汗をかかないのは体質もあるでしょうね。

Weinberg の方もじっくり読んでみる。Born in the USA と Street Fighting Man では力の入り方がだいぶ違う気がするけど…

* 8/29 夜追記: Max Weinberg の Charlie Watts 追悼寄稿、多岐に渡る深い話なので、近日中に訳して公開します。「お洒落」に関する話が特におもしろいです。 こちらから

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