こおろぎ に ねぎ
何故打楽器には「ぎ」がつく
撥折れたまま 半年前から座する
かえるぎろ に
聞いてみたい わからない
こおろぎ に ねぎ
何故打楽器には「ぎ」がつく
撥折れたまま 半年前から座する
かえるぎろ に
聞いてみたい わからない
詩と音楽
が
ライフワークである。
言葉はうたうように
うたは話すように
それを実践できるようになるのは
いつか。
が、それは誰でもできていることでもある。
楽器でうたう
シンバルでわらう
鍵盤で泣く
ね?
そうとらえると、音楽はとても広く
世間で言われているようなジャンルなど
便宜上でしかなく、いくらでもひろがる。
どこを結びつけても、どこを忘れても、
それは、こたえ。
矢野誠さんと友部正人さんのアルバム。1994年。
のっけから異世界の音と、誰にも似てない声に連れていかれる。
はじめて聴いたのは、鎌倉のさる電気工房の居間だったか。
友部さんとは一度だけ、横浜の三宅伸治さんのライヴでご一緒したことがある。
最後に加わってもらった「はじめぼくはひとりだった」。それまで聴いたこともない声だった。
このレコードを聴いてもそれは変わらず、何度かけても「聴いたことのない声」が再生される。
どういうことなのだろう。
矢野さんとは2000年代初頭に、ふとした縁でお会いした。
六本木のクラブや、木更津の社交場カフェでライヴに参加させてもらい
その後も折にふれ連絡をいただいたり、活動を追ったり。
直接師事したわけではないものの、いつも大きな影響とインスピレーションをくださる。
今回、そんな矢野誠さんのソロアルバムに参加できることになり、録音も佳境の日々。
といってもリモートで、バンドでスタジオ録音された音に、この部屋でベースを加える。
普通と逆というわけです。
矢野さんの音楽はピアノの左手が音を決定づけていて、ベースがどう共存し、絡むかがとても重要。
なおかつ綿密に「編む」方なので、書き譜も多く、隙間も多い。そしてそのラインが。
僕の経験の範囲だが、こんなスタンスで音楽であり続ける人は他にいるのだろうか。
一見不思議な音の並びが、自然に絡んでいることが、何度も繰り返すとわかってくる。
それをプレイで反映できるか。
時間がかかりつつ、やってます。
ポリスの “Message in a Bottle” を
『孤独のメッセージ』
と訳したのはどなただろう。
この邦題は、ギリギリの線かなと思う。
(小生はボンサイ趣味のひとつとして、このようなこと をたまに)
孤独のメッセージ
を英訳して
Message in a Bottle
にできる人がいれば凄いと思う。
これが
Lonely Message
だったらひどすぎるし
Lonesome Message
でもどうかと思う。
– 実際 ‘More loneliness than any man could bear’ と歌ってるわけだが
最近は洋楽の邦題ってどうなんだろうか。
そもそも「洋楽」は死語だろうし
あまりいい曲はマスでは流れてこない。
探ればいっくらでも凄い音楽は出てくるが
英語圏だけではもうとっくに測れなくなっている。
せめて西葡仏伊語は理解したいと思う。
が、あまり時間も残されていない、というのは
日々の課題がこなせてないことから、明らかだ。
おじさんは、たまたま記憶にひっかかった
過去や近現在のものを
ときに考えるのみである。
Carlos Aguirre に
“Náufrago en la orilla” という曲がある。
大好きな曲の一つで、ライヴでも一度インストでカバーした。
この曲も Message in a bottle について歌っていたと思う。
(CD に歌詞カードがあるのだが車に入れたままだ)
それにこのタイトル
「海岸の漂流者」というそのもの、のようだが
確信がない。
というか、現在この曲を含むアルバムは Apple Music で聴けないようで
検索すると代わりに Message in a bottle が出てくるという
不思議。
アギーレさんの最新作 “Va Siendo Tiempo”、
ヘッドフォンをしてるのを忘れるぐらい自然な音。
眠る前にしばし聴く。豊饒すぎて眠れなくなるのが怖い。
朝起きたら Say It Isn’t So が聴きたくなって
ひさびさに聴くと、今日はあのサウンドが薄っぺらくもなく
いい感じで楽しめた。
あのあたりの Hall & Oates はいい曲ばかりで
詞もいろいろな解釈ができて時が経つといい感じで熟成される
のだが 80’s の音って熟成を拒むようなところがあって
良くも悪くもだが
黎明期のデジタルという化学物質が多いので、発酵しにくいのだろうか。
その次に Everything Your Heart Desires という
あまり彼らを聴かなくなってしまった80年代後半の曲が流れて
あ…この音は受け付けない…
ベーシストの Tom T-Bone Walk プロデュースで、彼のスラップベースもフィーチャーされているのだが
当時の他の音と共に、ドンシャリ具合といかにもなプログラミングに
なんともいえない寂しさというか、うそっぽさを感じてしまった。
だがダリルの家でやってるの聴くと、すっごくいいのだ。
もったいないというか、そんなのは聞き手、作り手の勝手な都合だというか。
彼らみたいに、若い頃の面影なくなってきても
声や音はより研ぎ澄まされて
音楽楽しんでる人たちの姿を見ると
とても勇気づけられて
今日はその後、なんとか大変だが楽しく過ごせたつもりだ。
まだ録音がたくさん残っているが
呼んでもらえたことの嬉しさを感じつつ
頭が飽和してきたので
Three Little Birds をピアノで弾き叫びして
音楽に酔っ払って戻ってきた。
最近は体内からアルコールが抜けすぎたか
チーズケーキでも酔うようになってしまったが
こういう感じは悪くない。
5弦ベースたちが久しぶりの出番。
ライヴ要員みたいにずっと使ってきた Lakland 55-94、録音でも割と残っている。映像もか。
先日電池を抜いたままだが、パッシブが、またいい。彼ら Dan Lakin と Hugh McFarland の作った楽器はやっぱり作りがしっかりして、鳴りと安心感が違う。
Dan は2010にメーカーを譲って以降、自分の名で JB や PB を作っているけど、知らないうちにスタッフや工房がまた変わったようだ。
いいデザイナーとクラフトマンがいれば、いい楽器はできますね。
僕はおそらくもうベースを買うことはないけれど、興味ある人、機会あったらチェックしてみてください。
(というか昨年から Dan Lakin Bass は何も更新されていないけど、大丈夫なのか…?)
そんなんで、楽器もそうだが大事なのはプレイの中身。
曲にしっくりくるには、いろいろな要素がある。
掴みたし。とらえたし。
夏ですね
そろそろ今年も「夏の心配」をしだす。
心配事なんていくらでもあるが
さしあたってはこれかな。
〜
また今年も、ノコギリクワガタが郵便受けに飛んできて足をすべらせてひっくり返ってたらどうしよう
〜
こないだ初日の出が出たばかりなのにもうこんな季節。
今月頑張れば、少し何かが見える気がしている。
徐々にベースプレイを再開しつつ、豆鞘のような飛蝗を見つつ、
鋸君を思い出す夜。
リニアビートで眠りに落ちたからには
Paul Simon のリリックで目を覚まそうとする
yMusic とのコラボや Phoebe Snow のコーラス
Roger Hawkins と David Hood のリズムセクションや
David Matthews さんのホーンアレンジに
聴き惚れてたら
My Little Town がじわじわきて
1サビからインタールード
こんな管楽器あったっけ?
カウベルと一緒にリズム刻んでたけど
ふっと消え
洗濯機のアラームだった
食洗機に洗濯機
タイマーに着信
いろんな機械が
たくさん声を出す
彼らも歌いたいってか
Sonic Youth に Washing Machine ってアルバムあったな
昨日窓に張り付いてた
巨大な緑の蛾は
交渉の後どこにいったのだろう
今日は
New Moon on Monday
Duran Duran 1983年のこの曲は
UK pop を聴き出してた当時
とても不思議で魅力的でした。
当時ラジオで流行ってた音楽では
あまりギターが目立たず
この曲でも耳に入るのは
ベースとシンセとドラムとヴォーカルばかり。
「CD 盤」の歌詞ページを見れば
不可思議な歌詞の並ぶこのアルバムでも
一番意味不明だったのがこの曲。
「その画をよく揺すれば トカゲの混合物」
Shake up the picture the lizard mixture
曲全体の意味はずっと考えなかったけど
英語のフォーラムを見ると
混乱した人は世界中にいるようで
政治的だとか性的だとか
いろいろ言われてますね
まぁそりゃそっか。
この曲、ガットギターで弾き語るととても楽しく
ストレス解消にたまにやってます。
Andy Taylor の偉いところは
カバーしてみるとわかったりする…
目覚めの芳しくない日が続く。
肩やら手首やら首やら。起き切らない。
今日みたいに雨模様だとほどほどに起きられる気がする。
ポッドキャストならぬ NPR のネットラジオを聴いて目を覚ます。
こちらは7時、むこうは15時という。シアトルか。
脳の追いつかないハイスピードの英語に、それでも慣れてこうと抵抗を試みる。
ぜんぜん関係ない dagale が脳裏をかすめる。つかまえる。
70年代の西海岸、といっても南の方では、サーフロックが盛り上がっていて、
Stephen Bishop は「タイトルの響きから」曲をつくっていたという。
なんだかとてもわかる。曲からタイトルを作るより、そっちの方がよかったりする
…ときもある。
てなわけで、この日記タイトルでそのうち何か曲ができる
かもしれないし、できないかもしれません。