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ガラスのジゼル


ベアトリーチェ・アレマーニャさんの描いた「ガラスのジゼル」

5.14に絵本の店キルヤで行ったライヴでは、この絵本を二部で演りました。

今日はこの本について記し…ますが、背景としてもう一つの本に触れねばなりません。

キルヤさんでライヴするにあたって、僕はこのお店の棚の最上段に鎮座しているひとつの絵本がどうにも気になっていました。


「カール・イブー」

存在感ありすぎの帽子と髭。それと対極にあるような「・・」の目。
カナリアイエローってこれなんだぜ、と誇らしげな小鳥。

以前(数年前)、キルヤ店主ののりこさんとの会話

「これって売り物じゃないですよね」
「はい」

小心者の僕はそれ以上なにも聞けなかったのですが、
今回勇気を出して読ませてもらって、おぉ! と心持ちが変わりました。

「すべてが嫌いな男」であるカール・イブー。
これ以上の内容には触れませんが、そうくるか、と。

ライヴをやるかで逡巡していた僕の、肩を押してくれたのがこの作品です。

さて、ではこの作者さん、他にどんな作品をかいているんだろう、と発見したのがこの「ガラスのジゼル」です。
といってももうとっくに廃刊され、日本版の出版社 も15年前に倒産しています。

それでも、何かただならないものを感じ、古本を探し出すが早いか、イベント名を
「ガラスと木箱とことばたち – くうそうの音楽会 -」にしました。
この名前をのりこさんが大変気に入ってくれたことから、ライヴが形になっていくのです。

出版社の名前は「編集工房くう」
絵本のシリーズ名は「くうの絵本箱」

これもひっかかりました。なにしろ
(…それはまたの機会に)

さておき、絵本そのものに戻ります。

この日本語版は2005/1/1に発行されました。読んでみるとすぐ、隙き紙やコラージュを駆使したそのページの美しさに圧倒され、途中の展開にも驚くのですが、最後に「あれ?」ということになります。

こんな終わり方…?

敢えて記しませんが、当時もいろいろな反応があったようです。

で、僕は今回、これは外国語版にあたってみようと、いろいろ調べました。

ライヴでもう一つ取り上げた “Where the Sidewalk Ends” を英語版から訳したように
英語の絵本って、訳するのが楽しいのです。日本語訳をした人がどう捉えたかも、追体験できる。
(フランス語やイタリア語は、翻訳サイトの力を借りないと理解できません)

海外の YouTube には、「絵本の読み聞かせチャンネル」があるんですね。これがとても参考になりました。

すると! なんと英語版 “Child of Glass” やフランス語原版 “Gisèle de Verre”、イタリア語版 “La Bambina di Vetro” では、結末が全然違っていたのです。少なくとも、現在出版されているものでは。

ということは、日本語版では敢えて訳を変えたか、間違えたか、最近の改訂(2019らしい)で内容が変わったか。
こだわりの強い「編集工房くう」さんが間違ったとは考え難いです。

ベアトリーチェさん本人の気が変わったのかな…
ここはまだわかりません。知ってる方、おられたら教えて欲しいです。
というか、ご本人に訊いてみようか、勇気を出して。


さて、そんなわけで今回のライヴで、この本を僕のベース音楽と共に実演しました。

我ながら、面白いものになったと思います。とてもいい反応がもらえました。

「ガラス」を表現する一環として、譜面台をアクリル版で工作し、絵本を置いています。
これをめくりながらできれば、もっとよかったんだけど…

読んだ内容は、声にするときのテンポもあり、途中からところどころ言い回しを変えました。

そして結末については、今出ている英仏伊版を踏襲しました。より「レジリエント」になっています。

それにしても、「ガラスの子は、頭に浮かべたことがすべてガラスの頭部に映し出され、誰からも思いを隠すことができない」というのは、2005年当時よりも今になって、さらにリアルな状況になっていると思います。

誰もがスマホ越しに人の情報を集め、端末のこちらとあちら側にある二つのガラスを通してコミュニケーションする世界。

「安全に、すべてが覗ける」と錯覚している人類。

何も隠せない、あるいはすべてを自発的に宝箱に書き込む人たち。それはすべての人に筒抜けになり、ビッグデータとしてサーバーに吸われ、AIに活用されていく。

誰もがガラスのジゼルなのです。

24/7の監視社会にあって、自分を保つことってむずかしい。
たとえ割れないにしても、一度もヒビの入ったことのない人って、いるのかな?

これから僕たちは、どうやって生きていくでしょう。

ひとりひとりが、システムを作り操っている側が、共に考えていくべきこと。
考えてもわからない、それでも、心にとめておくこと。

ガラスとアクリルとサイドウォーク

5.14 Sunday 母の日

絵本の店キルヤ 14周年企画
ガラスと木箱とことばたち
〜くうそうの音楽会〜
近藤零 ベースひきがたり

お越しくださった皆様、ありがとうございました。
場所そのものが ガラスと木箱とことばたち、のキルヤで
たっぷり演らせてもらいました。

これは準備中
ふたつの木箱と ガラスならぬアクリル譜面台…DIYなり

このあと本番は
ビデオをスタートさせたつもりが写真モードになっており
撮れていませんでした。
いつもこう…まぼろしです

それはさておき

キルヤはとても居心地良く
皆さんを見ているのも楽しく
はじめての17曲(篇)含む2ステージ
合計でいえば27篇
楽しませてもらいました。
Thank you !!

セットリスト

1st
宝石~硝子のない世界~トランスフォーム~ちいさいきこえないおと
Little Italy (Stephen Bishop)
ラピスラズリ3
みつかったぞ
Alba
満たされるつばめになってくれ。
– 換気と小休憩 –
シナモンニッキロール
Where The Sidewalk Ends (Shel Silverstein)
矢印 (onoroff)
つぐみ
あかりをつけたら
~ encore いただいたので
Fish Dancin’ (種ともこ)

2nd
Man in a Shed (Nick Drake)
るびーどろぼう (insp. by Thelonious Monk)
アクリル
Yesterday Morning
ガラスのジゼル (Beatrice Alemagna)
– 換気と小休憩 –
Martha My Dear (Beatles)
No Difference (Shel Silverstein)
Loft & Found
あなたにとどけよう (矢野誠)
Atto In Ma Ni
~ encore いただいたので
でたらめ恐竜シルエット
Quick & Slow

今回は好きなカバー曲も多めに、オリジナル、詩、そしてベアトリーチェ・アレマーニャとシェル・シルヴァスタインと絵本と詩集を、僕のベースと声で表現しました。

シルヴァスタインは「おおきな木」や「ビッグ・オーを探して」の作者としても有名ですよね。
この “Where the Sidewalk Ends” (邦題: 歩道の終るところ)は最近まで知らなかったのですが、日本人にはちょっと刺激が強い? なイラストや展開もありつつ、すごく触発してくれる詩がいっぱいの、絵本〜詩集です。
今回は表題詩ともうひとつを取り上げました。

なんで英語版を買ったかというと、英語教師のお兄さんのお薦めもあったのですが
Sidewalk、という言葉が、いつからかすごく気になっていて

Alan Hampton のアルバムタイトル Moving Sidewalk とか(彼は風貌もどことなく Silverstein 似)、今日カバーした S. Bishop の Little Italy の一節とか、まぁ作品それぞれは1970年代、2010年代、とバラバラですが。
このキルヤも含め、多くの店や会場は、「歩道」に沿ってるわけで。

“side” っていうことはメインは車道なのだけど、それも今後、人類的にずっとそうなのか? とか
昔からかねがね綴ってますが「アスファルトってなんだろう?」 とか。

「子どもたちは知っている、そして矢印をつける」

そう。でも子どもたちだけじゃなくて、大人も子どもも動植物も、想像力の連鎖、ですよね。

アスファルトも走る。人も走る。自然もやみくろも電子も。

ベアトリーチェ「ガラスのジゼル」や、その他の曲についてはまた書きたいと思います。

 

re membrance

矢野誠 ミライノキオク レコ発第一弾
南青山 MANDALA 2023.4.25

いい緊張感と初心と懐かしさ。
矢野さんたち、オーディエンスと感じてステージに立てるのが、何より幸せだ。

音を思うように操れたことも、そうは問屋がおろさなかった瞬間もある。だがそれも含めて、いいライヴだった。

なかなかの大所帯であるし、自分の物理的な状況もあるので、
今後どういう形で、どれだけの頻度でできるかは未知数でもあるが、またぜひご一緒したい。

矢野さんとできることは、まだまだある筈だし、
教えて欲しいこと、体感したいことは、たくさんあるのだから。

photo by 鈴木多加志

東行と音楽の部屋

矢野誠さんのリハーサルで、実に…ぶりに東京都内某所へ。

前回は大橋トリオの Tour 2020 東京公演
すなわち NHK ホール
全国のコロナ陽性者が初めて500人を越えた日だった。

そのまま東京には来れなくなり、我が道という名のクワランティンを続けたわけで

そんな僕に昨年、声をかけてくれた矢野さんとよーこさんには感謝のしようがない

アルバムは(そうは聴こえないと思いますが)僕だけリモート録音なので
実際にバンドで合わせられたのはこれが初めて。しかしそんな感じは全くしなかった。

ピアノを弾く矢野さんの、踊るような姿のおかげだろうか。

矢野さん、曲を合わせた後のコメントが毎回想像のはるかに斜め上で
いちいち、味わい深い。これを瞬時に理解できる人は…あまりいないんじゃない?

でも、何か、すごくわかるんですよね。
たぶんまだ、全然わかりきっていないけど、わかる気がする。
感覚が似ているんでしょうね。

ライブまであと10日。多くの人に観てほしい。聴かせたい。
この音楽を、矢野さんのピアノを、バンドや歌を、自分のプレイを。

一言でいえば、「楽しみだ」ということです。

4.25 ライヴ詳細はこちら


昔からそうなのだけど、僕はちょっと遠出したり
どこか普段と違うことをしていると、そっち方面の人から電話をもらうことが多い。

そういう相手はたいがい、SNS をしない、どっちかというとアナログな人たちなので
なんで僕が「動いている」ことがわかるのか、不思議なのだけど
これはそんなものか、とも思っている。

世の中にテクノロジーじゃ説明できないことっていっぱいあって
それはたぶん、虫の知らせとか集団意識とかシンクロニシティとか、
個にして全、みたいな

大きく俯瞰すれば、個々の人間の意識が誰かに飛んだりするのって不思議でもなんでもなく
むしろ、ネットやビッグデータはそれを真似しようとしてる人間の…AIの、まだまだ浅知恵なんだと思う。

ともあれ、なんとなく会えたらいいな、と思っていた人から
ピンポイントのタイミングで電話をもらい、実際に会えるのは
とても嬉しい。そんなわけで、駐車場に車を置いて髪を切って(ずっとセルフだったのでだいぶ切ってもらった)
リハに向かう合間に10分ほど、お店に寄れた。高円寺。

この界隈も3年以上ぶり。ほんとなら活動拠点にもなる筈だったのだけど。

でも、久々に会えたその人は相変わらずで、店には小さいながらもいい感じの舞台もあって
気さくな場所だった。また来れるだろうか。


リハの後はしばらくドライブして、小林創さんのご自宅に。

ずいぶん久しぶり。相変わらずのご活躍。カムカムエブリバディの劇伴の話から、スタジオ作りから、猫から、いろいろ話してあっという間に夜中。

僕とはだいぶ違うエリアで活動されてるけど、誰が見ても素晴らしいプレーヤー、音楽家。また観に行きたいし、機があればご一緒したい。

翌朝早く、横浜ギグにオルガン積んで向かう小林さんと、ベース3本積んで西へ戻る自分。

以下単文の備忘録。重複御免。


保護猫の偶然
一向に曲がれぬ道路
おどろきの高円寺
それぞれの音楽室

レッキングクルーが
くるーまで
車座するのみ
首都高速

ループジャンクション
超えたらなんてことない
記憶違いの英数文学

立て続けに停まるSAは
すべて同じ導線間取り
これじゃドライバー
永遠にリピーター

素敵なコンサート準備と
私的構想
Pink Moon ノボリオリ
下弦過ぎの帰還

はるのしょか

ちょっとした用で、久しぶりに名古屋に。

矢場町から栄まで少し歩いたのですが、緑、多いですね。
久屋大通公園というのか、その南側というのか。

最近整備されたという方? …じゃないっぽいので、あまり突っ込んだことは言えませんが
あれだけの高さと量の樹木を維持できているというのは、いいなと思いました。

北側がどうなっているのか、また次回歩いてみたい。


合間を縫って、今池へ。

3年半ぶりに寄れたリチル。
時間がゆっくり過ぎる場所に僅か10分ほどの滞在でしたが、とても満足。
空間が最高だし、珈琲もお菓子もさすがです。

前回来たのは、Carlos Aguirre 公演をボトムラインに観に来た2019年。彼の改造フレットレスベースと歌がすばらしくて。

Babi-Chan がこのエリアにないのが残念。いつか常滑行けるかな。


蜻蛉返りで別の用を済ます。難しい。日程がたてられない。

動きそうで動けないのはとてももどかしい。だけど地道に、準備をするのだ。

翠玉の首輪

ここでこれから書くことに説得力を加えるために

たとえいいカメラを手に入れても役には立たない

写したいのは過去に見た、脳裏に鮮やかに映る光景だからだ。

カコカメラ

そんなものはない。少なくともあと十年は実用化されないだろう。

僕には、それを絵にすることもできぬ。

幸いネットには すでに共有されている幾多の写真や映像があるので

そこは追わないことにする。賑やかしぐらいは加えるかもしれないが。


オームステッドの伝記 を読んで、あれこれ考えている。
言葉にするのが難しいのだが、停滞しつづける考えを動かすために一部無理やり言語化する。

ここ数年のウラシマ期間を超え、自分にとって
今住む街からも、まして日本からも、気軽に出ていける時代は終わってしまった。

というか、それまでがラッキーすぎた。

これからも車や、ときに列車を使って、近くて遠い場所や
遠くて近い場所に旅をするかもしれないし
それは傍からは、軽いフットワークに見えることもあるかもしれない。

だがそれでも、今後の数年から数十年において
基本、拙者はローカルなおじさん、そしておじいさんとして過ごしていくだろう。

ワールドツアーをすることも、バレアレス諸島で詩にふけることも、NYC やパリのシーンで活動することも、

神戸や京都やボストンのような好きな都会で、創作しながら暮らすことも、まずないだろう。

つまり、今いる環境を素敵にしていくか、楽しんでいくしかない、ということだ。

田舎街での暮らしはいいものだが、触発してくれるものに限度がある。大いに。

自然は確かにある。足元をコンクリートで固められ、それでも静かに四肢を伸ばす動植物や土や水が。
励まされ、というより励ましたくなりながら、人気のまばらな、濃淡の少ない景色と共に生きている。

これでいいのだろうか。

ならば好きな自然って、たとえば街中の自然って、どういうものだろう。

街路樹も植え込みも、畢竟、街に飼われている装飾のひとつだ。
見ようによってはありがたいが、アリバイ、みたいに思えるときもある…そっちの方が多いな。

あ、いいな、と思う木々って少ない。何か抑えられている。

あ、いいな、と思う街中の自然って、ぽっとある、放置された丘や、竹藪だったりする。
結構本気で、癒される。

電車の窓から見える自然もそうだ。
朝、疲れて移動しているときも、数十秒だけ見える雑木林にエネルギーもらう。こういうのって大事だなぁ、ってずっと思ってる。

ところがそれらは、確実に買い取られ、消されてゆく。

丘ごと削られ、コンクリで固められ、砂利を撒かれ、洗いざらい植物が伐採され、宅地や工場に変わっていく。

日本にいったいどれだけ、そのような個性のかけらもない、退屈で心を押し込めるような街があるだろう。
同じチェーン店、同じ看板。同じ街路放送。

これでいいと、みんな本気で思っているのだろうか…?

工事の説明会とか行っても、噛み合わない。「基準」をクリアしてるか、経済的か(儲かるか)、金銭補償をするか、そんなのばっかし。

誰が掃除をする。散らかる土や木々に責任を持つ。不思議なことに、ある閾値を超えると、自然は「手入れが面倒」なものになるようだ。
部屋が散らかってる方が落ち着くと言ってた人が、片付け始めると気になってしょうがない、みたいなものか…?
判断のピボットが、コロっと変わってしまうんだろうか。

もう少し真面目に書くと、丘は災害時の土砂警戒区域にあたるから、削ることで警戒を解くことができる。云々。いいことのように聞こえる。
んー、なんかおかしくないか?

自然の丘が警戒区域にあたるのではなく、そもそも周りを削り木を切ったからから崩れやすくなって、石垣やコンクリで止めているのでは。
今度はそれを取り繕うように、全体を削る。やがて丘をなくす。樹木を適切に維持する金もないから、無くしてしまえ。
…?

これは一例。おそらく全国的に、ちょっといい片田舎の風景も、数年から数十年のスパンで平坦化され、蝕まれていく。

僕の田舎だった忍者の里でも、子供の頃はカブトムシがいっぱいいた雑木林や、謎めいた山林が、かなり削られている。
たまに通ると寂しい。現地の人々は「開けた、ニンニン」と思っているだろうか。


オームステッドの伝記では「セントラルパーク」にとどまらず、さまざまな事業への関わりとその前後の人間模様、いざこざ、根回し、などなどが描かれている。計画通りに施工されることはあまりなく、承認されても途中で中断したり破棄されたり、権力者が変わったり、追い出されたり、まぁうまくいかない。

あぁ、実際はアメリカもそんなんだったのか、とか、我が強いアメリカ人同士だからよけいにいざこざばっかりだったのだろうな、とか、理想と現実の違いを見せつけられるようだ。

あるいは、うまくいかなくても気を長く持つとか、諦めないとか執着するとか、倍返しとか、汲むべきはいろいろあるのだろう。

この方、ワーカホリックで何度も鬱病になっているし、最期は自らが敷地をデザインした精神病棟に5年も入っている。成し遂げるって簡単にはいかない。外からは大きな実績に見えたこと、傍から見ても捻じ曲げられたことを含めて、本人が抱え込んだ挫折感ってどれほど大きかったのだろう。


僕はかつて、彼の作品のひとつである公園で、なにも知らずに癒されていた。

セントラルパークではなく、ボストンの「エメラルド・ネックレス」公園群のひとつ、「バックベイ・フェンズ」である。

レッドソックスの本拠、フェンウェイパークの近くからボストン美術館に至る一帯。音大時代このあたりにアパートを借りていた。居候したりシェアしたり…転々と。
この先にもフランクリンパーク、ジャマイカプレイン、彼の名を冠したオームステッドパークなどたくさんの公園が連なり、ネックレス状のパークシステムを形成しているのだが、ベースを背負うか転がして歩くぐらいの行動範囲の僕は、南にはなかなか足を向けなかった。
…ジャマイカプレインあたりには、地名に寄せられたか夏の間レゲエシンガーが住んでいて、呼ばれてリハに通ったっけ…余談

いつも歩いていたこの公園は、単体でも広大であり、とにかく美しかった。
わざとらしさがなく、こんな表現はすごく IQ が低そうだが「自然」な「自然」なのだ。同語反復というやつか。

ボストンのバックベイというところは一応都会なのに、そこから一歩先に、こんな「自然」がすっと広がっていることに驚いたし、慣れてからはずっと幸運を感じていた。すてきだった。どれだけインスピレーションをもらったか、わからない。

だがこれは、人工の自然だった。Artificial Nature とでもいうのだろうか。
オームステッドはチャールズリバーを埋め立てた干潟の水捌けの悪さ、汚泥や悪臭などの問題に着目し、配管敷設で対処。さらに塩生湿地生態系をエミュレーションして設計し、ボストン市当局と折衝しながら、長い間をかけて施工させたのだ。

ボストン市はかつて、港湾にうかぶアイランドのようなものだった。埋め立てを繰り返して広がる都市計画の中で見出した、ロングスパンの賢い答え、だったともいえる。

そしてオームステッドは、エメラルドネックレスの外側の街ブルックラインに、緑に覆われた自宅兼事務所「フェアステッド」を構える。ここでシカゴ万博やベルアイル、ビルトモアなど全米の数多くの案件を手がけ、次世代に引き継いだ。


自然と人工物。そこには常に対立がある。

果たして人間に自然を「つくる」ことなどできるのか、そんな権利などあるのか?
というところまで、割とずっと考えている。3.11以降。

津波と原発事故以降、なにをやるにしても、自然に対する畏れを忘れてはいかん、と肝に命じるようになったし、諸行無常、この世は借り物、とも思っている。

だから、モノに対する所有欲がそれ以降かなり少なくなった。
コロナ後は機材もだいぶ断捨離した。シンセベースもサイレントベースも。使わないし。基本生音なので、ペダルなどももう少し手放すことになるだろう。by the way…

でも、ならば「欲しがりません」の人や街がいいのか?

ボストンの成り立ちで見ても、そもそも埋め立てで街を作ることの是非。この時点でかなりの自然破壊が起こっている。
一方、そこからうまくパークシステムと街をつくったことで、長い時の流れに耐える、魅力的な都市環境ができている - 塩水から真水に湿地帯の生態系が変わっていったことまでは読めなかったようだが。
そして、年月を経て懐かしく思う異国人がここにいる。

もう一つ、トリッキーなのは

欲しがらない人は、人のいうことをよく聞く。人に譲歩するから、結局、利を得たい人の餌食になってしまう。
或いは、頑固に踏みとどまったとしても、周囲に理解されず、よくて世代限りで更地にされてしまう。
あるいは、自然そのものに飲み込まれる。そこには人の立場や力の区別はない。

さて、自然と人間って、なんだろう。
僕らは共存するのだろうか。対立あるいは騙し合うのだろうか。

風呂敷広げて畳めなくなったので、続きは次回。

それはそうと、これらのページなかなかよかったです。響きました。

十九世紀 北米への旅

フレデリック・ロー・オームステッドの伝記を読了。

五百頁、二段組はさすがに時間がかかった。

膨大な登場人物を把握するだけでも、
あと二周は必要かもしれない。

都市と田舎と自然をつなぐ空間構築(いわゆるランドスケープデザイン)
そしてその代表として、マンハッタンのセントラルパークが主題。

とはいえ、この人の背景や仕事の変遷もあって、
米国史、奴隷制と南北戦争、労働環境、議会や富豪、パワーゲーム、農林業、出版、教育機関、本人や家族の成長記、さらに肉体と精神面にかかる介護や医療も含む、壮大な記録。

示唆が多すぎるほど。
二十一世紀においても。おそらく多くの人にとっても。

オームステッド セントラルパークをつくった男
Witold Rybczynski 著/平松宏城 訳

山の入り口のクローバー

日曜。昨夜ふと思いついて少し長旅。

コロナで世界が閉じる直前、京都で会ったお二人に、会いにいく。

2020.2.16. 紫明会館で タイナカ彩智さんの live を手伝った日の夜。これ以来、僕は第三の故郷、京都に行けていない。

とはいえその二人は京都人ではない。イスラエル生まれで東京で活動するギタリスト、山口亮志さんと、浜松育ちで京都在住のアーティスト、内田涼子さんだ。

内田さん(うっちー)は、2000年前後からの知り合いで、ライヴやイベント、ジャケットアートワークなどで本当にお世話になった。再生できるかわからないが、このサイトにこっそり残しているこの作品も彼女と僕のコラボである。

いんちきピストル

山口さんと会うのはまだ2度目。とはいえこういうのはタイミング。
はちみつやさんで演奏をしているしベースもあるので、よかったら…との誘いに、ドライブで出掛けていった。


大きな橋を越えると別世界。

天竜二俣というところは初めてだが、不思議な活気のある界隈だ。デジャブ? どこと?

養蜂屋 というお店もとても開放的な空間で、お二人とのコラボによるミードも素敵だった。

向かいにある包商店というジェラート屋さんはなんだか Johnbull みたいな佇まいだ。

きころという、道の駅みたいな場所もある。和むし、訪問者には心強い。

ベースをお借りし、途中から二人でいくつか即興をする。

1月に、ちょうど2年ぶりに人前で演奏(ほぼ「流し」)をやったが、

それとは真逆だ。なんでもあり。間。軋みとひびき、箱と太鼓。

2005年ごろになるか、gt / a.sax / dr / e.bass の4人でフリーばかりをやっていたときがある。

形には残らなかったがバンド名すらあった。gt は京都で、sax は東京で大活躍のはず。dr は永遠の夏休み。

主に The Room 界隈。ピットインや O-East でもやったっけ。

その他にも、そもそも このアルバム も最小限のモチーフ、中身はほぼ即興だった。

「かずみとまや」を手伝ったツアーで、金沢のもっきりやでやった即興も、記憶に残ってる。

即興が記憶に残るべきなのかどうかは、あまりわからない。ともかくここ数年は、コロナ前でもあまりインプロをしなかったし、一連の DIY はソングフォーマットというお題でやっている。何か不思議だ。

扉はどこでも開くんだなぁ、捉え方次第かなと思いつつ、お二人や店長と色々、街の人々と少し話して帰路につく。
もっと話したかったのだけど。皆さんもてなしの達人で、こちらは言葉があまり出てこない。

いろんなことがある。教えてもらった道具や街の人の活動、森の入り口、森の奥にある養蜂場、歌舞伎、演劇、かつてコーヒーケトルを注文した場所(もうその店はなく、別の素敵な店になっている)。

何かできないかな、と思いつつ、筆記体的に遠回りをし、ぐる〜っと水辺を回って、夜の地球へ。

樹木的時間

三月も 半ばを過ぎる

日々 忙しく 充実していないわけではないが

やるべきことの半分も できていない

壁に貼った 自転車に またがる自分の

空想に 託してみたいが


子供の頃 年上の人たちに

長いスパンで物事を考えろ 6年後 12年後 20年後を考えろと言われ

どうしてもそうなれなかったのを ふと思い出す

そんな先のことなどどうしてイメージできる 今以上に重要なことがあるか

など考えていたのだと思う

“Don’t trust over Thirty” や「人間五十年」を 半ばマジに信じていたこともある

その頃のことの良し悪しはともかく 今ようやくにして

図らずも 長いスパンでしか時を捉えられなくなってきたようである

つまり こちらが1ヶ月ぐらいに感じていることが実際は3ヶ月

1年が3年…

まぁ それもまた よしかもしれない


ページの非常に多い本を先日から読んでいる これまでなら放り出したぐらいの文量なのだが

これはと 時間をみつけては読み進む

漸く 残り50頁ほどになった

後半になるにつれて 実際に自分が歩いていた 湿地公園の景色が思い出され

中断しなくてよかったと思っているところである


先ほど書いた「敦盛」は

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

ということで 昔思い込んでいたものとは 意味が違うようだ

さすれば

平敦盛や 織田信長 今川義元の時代の寿命を大きく超えた 現代では

いや この尺を引き延ばす というよりも

じんかん ごじゅうねん をこえれば

かてんに ちかづく のかもしれない

たとえば じゅもくのじかんが すこしは わかるのかも しれないな

るいをよもう 23

ふと、宿場町で入ったカフェで興味深い書籍を見つけ

購入する。

壁際の小さな机を陣取った、とても分厚い、辞書のような本だが
その佇まいが読ませようとしてくる。なぜだろう。
しかも、その一角をよく見ると…

僕は昨年一年、ほとんど本を読まなかった。
ベースにほぼ触らなかった、人にほぼ会わなかった、だけではない。

radio sakamoto のアーカイブを聴きながら「秋には読もう」と嘯いていたのも束の間のこと。気がつけば冬も終わる。

かわりに、いくらか頑張って楽譜を読んだ、が。

そろそろ読み出したくなっている。

まだ読めていなかったタルマーリー渡邉格さん、麻里子さんの二冊目の著書
『菌の声を聴け』
を漸く買うことができた。こちらは昨夜一気読みしてしまった。

格(イタル)さんは文才もあり、何より生き方が型破りなので、すいすい読めてしまう。
(あとから聞くと、だいぶ麻里子さんの推敲も入っているらしい。たしかに女将は人に伝える達人でした)

那岐の古い保育園を改装したすてきなパン屋さん、タルマーリーは
今や地域と自然循環の旗手でもある。もちろん彼らだけがやっているわけではない。
スタッフ、地域の人々、そして全国の人々が、農薬や肥料に頼らない食料の生産と供給のため、尽力している。

時はたち、その保育園で食べることももうできなさそうだが、彼らは彼らの宿場町で、先をいく。

一方で、一回の空中農薬散布や、一瓶のラウンドアップは、どれだけ本来の自然を破壊してしまうだろう。
田舎や地方都市にあっても、この一瞬も山は削られ工場となり、海岸は埋め立てられていく。

個人や零細、中小企業のやっていくことを、行政や大企業は助けることもできるし
一気にぶち壊すこともできてしまう。
太古からずっとそうであったし、今はよりそれをはっきりと感じ取れてしまう。
「どちらもできる」ということが「力」なのだろうか。人は「力」をどうして持ちたがるのだろう。なにが「突破力」だよ。

ともかく、力が好きじゃない僕は、力を持つことも、持つために立ち回ることも苦手だ。

「戦わないための力」というのは、政府の詭弁だけじゃなく、個人にも当てはまるのだろうけど、

どうしていいか、未だにわからない。

だがそれとは別に、力を発揮している個人や面白いことをやる企業には、やはり惹かれるものがあるし、応援したくもなる。それは自分がそうならない = けしてなれない、からでもあるのかな。

ともあれ。

分厚い本、少しずつ読んでいる。あるアメリカ人の生い立ち、地域や人々の歴史的背景、事細かに記されているのでとても時間がかかりそうだが、これはしっかり読破したい。

MBP の電池が切れるので、これまで。

2月が終わる。

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