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みつばちとじゅえき

April fool なので。
これから書くことがどれだけ本当かは、しりませんよ。


週末は江戸に行ってきた。

楽器も持たず、電車での東行は1,500日ぶりだ。
思えばコロナ禍以降の移動はほぼ車。東京も大阪も京都も名古屋も信州も。
車が大の苦手だった自分がよく運転したものだ。

多い時は月に20回乗った新幹線も、4年経つとすっかり忘れている。
ビールやコーヒーを買うのにどのキヨスクがいいか、
おむすび屋はどうだったか、地下鉄の乗り方はどうだったか、

いや、案外、何も変わっていなかった。

変わったのはこちらで、もうビールも飲まない。
キヨスクではノンアルなど売ってない。

だが。中目黒の信号も、Umineko も、神宮前も、NHK 前も、官邸前も、新宿も水道橋も、あまり変わってなかった気がする。渋谷駅は相変わらず、大事なところが後回しだった。

発見もあった。
全体に海外の人の割合が増えていたが、初めて行った赤羽は、別の意味で異国情緒だったり。
千駄ヶ谷から銀杏並木にかけて、あんなに旅客機が舞うのを、知らなかったし。


雨と突風。富士山を越えた頃、とつぜん青空が広がり、夏が来た。

一時停止を余儀なくされた新幹線と同様、さくらも、ムロに群がる蜜蜂も、時間のネジをほどきはじめる。

人間と昆虫、それぞれのハニーとベネフィット。


今、たびをおえて、ここはまた突風がふいている。
春の嵐。だろうか。ドアの蝶番も破壊され、今夜眠れるかもやや心配だ。

春はおかしい。毎年あまり好きではない。
秋の人だから、この気候がメカニズムに合わないのだ。

だが、好きなふりをしておこう。

エイプリルフール。

バーバラとボコスと僕

愛知 セントレア近くの街 常滑市

常滑やきもの散歩道に

BARBARA COFFEE ROASTER という
とても… 異空間なカフェがあります。

と書きつつ、僕はまだ行ったことないんですけど

ここの本店、KEDI BASKAN そして
かつて存在した名古屋市千種区の BABI CHAN CAFE

といえばご存知でしょうか。

KEDI のマスターとマダムには大橋トリオのツアーバンド時代から
何かとお世話になっており

BABI でやらせてもらった ray live mini @ BABI CHAN CAFE は
知る人ぞ知る伝説の宴でした。

その後コロナを経て、だいぶ間が空くのですが
今回、すてきなお誘いをいただき、僕も混じることになりました。

The BOCOS のことを初めて知ったのは池上本門寺の SLOW LIVE だったか。
LD&K の谷口さんに、ばったり会って、なんと彼が…みたいな。わかる人はわかる話です。

で、その後 赤い靴の浜松公演を手伝った時に、対バンしたのがこのお二人です。
懐かしい…
そのときのお店も、どうやらなくなっちゃってますね。
何かいろいろ変わってるような、たぶん彼らは変わってないような。

羊毛くんは、これも赤い靴の月観ル公演でギターで参加してて、そのとき僕はベースで、
それを大橋トリオどんが観に来てて、それで何を思ったか、いきなり年明けの全国ツアーから僕を抜擢してくれたのですが、

今から思ってもあの流れは不思議でした。たぶん裏で、神谷くんが手を引いていたのでしょう。

さて、そんなこんなで 2024年。

僕の音楽活動もいろいろ変わっているわけです。
やりたいことも、身体に入ったことも、感じ取っていることも。

はっきりいえるのは、このイベントは間違いなく面白くなるだろう、ということです。
どうぞ、お楽しみに。

3と1と1と

昨日は
能登半島地震の義援金
Bandcamp の売り上げとしてお預かりした額と
自分からの分を含め
振込してきました。

改めて、楽曲購入くださった方々、
ありがとうございました。

少なくとも義援金自体の受け入れが終了するまでは
この企画は継続しますので
今後とも、もし楽曲が気に入り、趣旨にご賛同いただける方は
よろしくお願いいたします。


夜は地域の防災訓練。

そもそも災害は「予定」されているものではなく
19時に警報が鳴る、などといった訓練に意味があるのか?
という考え方もできる。

それでも、準備は無意味ではないでしょう。

いざというとき、地域で密接に連絡を取るのがいいのか
そんなことじゃなく、「てんでんこ」で逃げるのが大事か

それも、正解はない話。

役割(システム)を構築する事は、それ自体がある種、快感でもあり
そこで満足してしまう大人、老人、若者、それぞれいると思う。特に男性の場合。

たとえばヨーロッパでの核戦争を描いた漫画「風が吹くとき」
ここでも、男の老人(おじいさん)は、ミサイルが自分たちの街に到達するまでの間
NATO だかの軍事システムがどれだけ組織立っているかを暗唱し、
それで自分と妻(おばあさん)を安心させようとする。
おばあさんはそれを聞き流し、別の心配をしている。

そんなもんじゃない…
どんなもんか、と言われて答えられるものではないけれども。

ともあれ、いざというときに自分が何ができるのか、
それは、わかりません。

でも、できることのキャパは、閉じないでおきたい。


自分がここ数年間、よりアコースティック傾向を強めているのも

物は結局持ち出せない(かもしれない)、電気は使えない(だろう)

ということが大きいです。もちろんアコースティックといえど、大切な楽器をそんなとき、持っていられるかはわかりませんが

でも、身体で音楽を覚えていれば、何もなくても音楽家でいられる。はず。

そうでなきゃいけないな、いつになったらそうなれるんだろう、という思いは、ずっとあります。


3.11 は、多くの人もそうであっただろうことですが、

僕の価値観を根本的に変えました。

被災された方に(遠いところから、わずかなれど)心を寄せると共に

それからの日本がたどってきた路がどうだったのか

がっかりすることも多いのだけど

あきらめず、歩んでいきたい、です。

sea and lake – for NOTO

sea and lake


2024.3.1 release at Bandcamp

ことばにならない曲を
3月のはじまりに

収益は能登半島地震義援金として全額を寄付いたします。

僕個人の音楽など微々たる力ですが
気に入っていただけた方、賛同できる方、よろしくお願いします。

ray: doublebass, gut guitar, glockenspiel

https://stillbeat.bandcamp.com/track/sea-and-lake

* 当初「Bandcamp や金融機関の手数料を除く全額」としておりましたが、これらは既にご購入いただいた分も含め、当方が負担いたします。

螺旋と糊代

ある週末の記録。

この前と同じように、名古屋経由で西に行く。

10月、12月、そして1月。いや、12月はそのまま折り返したのか。

まず三重へ。正月明けからすぐにでも行きたかった nest にようやく辿り着く。

なぜならここは、降りてくる巣なのだ。なにがだ。

とはいえ、なんとかして自宅や湖周でインスピレーションを掬い、織り込んだ作品は
漸く完成した模様で、今回は喫緊の「降りてくれなきゃ」はない。

jazz の燈の下でふみつけるきおく。
実際、頭を空っぽにしたかっただけかもしれない。

雪景色を撮りながら、今じゃすっかり慣れてきた IC からのいく通りかの道を折れ、
名古屋に向かう。

逆やん。

逆やけど。今回はそうせやな、目的を達せられへん。

ライオンシアター、Kitri を観にいく。

入ってみるとなんと! “ライヴハウス” やん。
懐かしさと不思議なアットホームさを感じ、後ろで観る。

キトリを観るのも3年ぶり。社長さんの計らいだが、
俺、こんな歌上手い二人と一緒に、ハーモニーやってたこともあるんだな。

オーチャードホール、記録に残らないあの曲が蘇る。いや、でけへんけど。今は。

バンドネオンより一回りこぶりな、〇〇…なんて楽器だっけ
(コンサーティーナというらしい)

手動エレクトロニカ、連弾になったと思ったらすぐに右側に戻るヒナさん。

フロンティア、というか、パイレーツやなぁ。

女海賊、二人組、みたいな。

京都。学生時代からの友 Uくんに会う。
Stewart Copeland の “Police Diary” をお土産代わりに持っていく。

小綺麗になった学食を訪れ、喫茶店で色々話す。
ポリスとツェッペリンとビバップについて。ドラムについて。

阿闍梨餅をいただく。

音楽サークルもバイト先も東京もアメリカも、
一緒ではないけれども、パラレルに体験してきた友だ。
4年間の空白も、もっと前に戻せる。かけがえがない。

別れを告げ、帰る前に、今日こそ恵文社に行ってみようと思い立つ。なぜだか自分の中で敷居が高かった。

ダメ元で、しばらく消息がつかめない友に打診しつつ、一乗寺へ。
本屋のすばらしさに感動しつつ、なんと連絡が取れている。少し会う約束をする。

光嶋裕介さんの「ここちよさの建築」を買う。

秋の On Reading と逆のパターンで、その後でギャラリーに寄る。
展示がすてきだ。

海辺や夜の…青… がきれいなのだが、それだけではない。

暖色も、きりっとした輪郭も、やわらかさと同居している。
プレパラートから観た景色とでもいうか。

理系と文系のまじった画風というか。ありそうでない。

作者の萩結さん、少し話すと、浜松の方だった。

また好きな作家さんが増えた。

ギャラリーストアで売ってたカメラオブスキュラのミニチュア、欲しいなと思いつつ断念し、
書店を出、Kくんに会う(イニシャルが僕と同じだ)。

彼とも4年強、会えていないのに、ニックドレイクの Pink Moon や
彼とジェームステイラーのストリングスアレンジの「ねじれ」や
ギターが「なりすぎない」こと、ふつーに話せる。何事もなかったかのように。

ひとそれぞれ。このコロナ禍、止まったことも変わったことも、苦労もいろいろ。
それでもふしぎなことに、全然違う螺旋時間をつなぎとめることができる、謎の「のりしろ」があるようだ。

蹴上から京都を出て、いつものように高速に乗り損ね、ぐるぐる回って、夜半に帰着。

いいことがいっぱいあって、けして晴れてない夜空に

冬のダイアモンドが、まじで光ってた。

カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン。

七日

ことばに無力を感じ


といいつつも、それは常にそうでありつつも、
今年はちゃんと形にしていけるよう、やっていきます。

またお知らせできるかな。


演奏について

…思うのは、いろいろな角度で
弾くこと、聴くこと、楽しむこと、努めること、ふざけることを経て
やっと味のある、説得力のあるプレイができるのだ、ということ。

これは若い頃から思っていたことで、できる限り実践したとは思うものの
ここ数年振り返ると、つくづく穴が多い。

もちろん、自分の境遇の大きな変化もあるが、多角度に加えて縮尺の振れ幅に
毎日驚くばかり。逆を返せば常に新鮮。

長く聴いてこなかったタイプの音楽を久しぶりに聴くと、新しい発見がいろいろあったり。
耳は確実に肥えているから。
脳のどこかが勝手に制限をかけてきたつもりでも、実はキャパは増えていたりするのだ。

変わることと、変わらないこと。できることと、てんでダメなこと。極めるべきこと。
難しいからいいこと、簡単だからいいこと。うるっとすること。
今年も追っていこうと思います。


北陸の状況

報道や SNS、知人から伝わり知れる範囲ですが、物資や輸送、天候、余震、地盤、原発、
とても心配です。
被災された方々が日々、辛さをほどけ、少しでも早く。

義援金といってもどこの主催がよいのか、などと悩んでいましたが、何がベストかなど結局わからないわけで、県庁や、使っている金融機関に、微力ながらお送りしました。
いろいろな経路を通して、全国から大きな額が寄付されているようですが、本当に困っている人たちに行き渡ることを切に願います。

twenty-twenty-four

謹賀新年

平和を望みます

いつものように海岸で、年々賑わってきている元旦の太平洋岸で写真を撮りました。

ただし今回は色を想像に寄せました。

イメージに近くなって、公開したいな、と思っていたのですが、
西陽の入る部屋で、初仕事に向かっていると
揺れを感じました。

遠い、がとても大きい。

本州の反対側、日本海、能登が震源。


北陸は、子供の頃は若狭湾に海水浴に行ったし、
雪の加賀温泉は特別な思い出です。

学生時代は、能登から来たMくんに大きく感化されたし
…彼はインドに行ったきりですが

それからだいぶ年を経て、演奏で魚津や氷見に行き、街並みや漁のこと、高岡の工芸、
また南砺や金沢、行けたところも、まだのところも含めて
北陸にはどこか、里帰りのような、ルーツの感覚があります。

なかなか状況も伝わらず、行くこともできず、
あっという間に立ち上がった義援金もどこがどこまで信頼できるのかわからず
(それも言い出せばきりがないのでしょうが)とてももどかしい。

でも被災した方々はそれどころではないでしょう。

少しでも被害が早く、軽くおさまりますように。

ことに輪島や珠洲や穴水、七尾で、平穏な日常は遠いのかもしれませんが、なんとか命を守り、
避難所でも辛い思いなく過ごせますように。

よりによって元旦になんで。
だけど人類が決めた暦も、天体からみればごく僅か。
かないません。僕らは自然のこと、少ししかわかっていない。

それでも、人間ができることはあるはずです。

愚かな間違いを冒さないように。火事場泥棒に走らないように。
自然を畏れ いのちと共に慈しめますように。

現地の方々が身を挺して救助や支援をされている中
すべての文字が無力に思えてならず、更新もできませんでしたが

願いをこめてご挨拶とします。

束の間

ようやく解放されたのも束の間。

だが。

その束の間の週末は滋賀と三重に。夏以来に湖北を訪れ、紅葉をと思ったが
天候が…

陽光の力って偉大ですね。

だがその前、湖南では奇跡のショットが撮れたので
大きく救われることに
…なりそうだ。

三重はいきつけの(近所ではない)店に、また行きそびれてしまい
大急ぎで用を済ますのが精一杯

ゆっくり来たいのだが日が沈むのが早い
フェリーの時間も間に合わなかった。

まぁよい、星空をたっぷり見て
帰ることができた。

それだけでも十分な「束の間」だったよ。

おかんと道の駅の店員さんとおさるさんしか会わなかった究極の秋旅

写真が現れる道具

ありがとう OM-D
オリンパスのカメラ初めて使ったけど
いい道具だなと思いました。
もうブランドがないけど…

いつまで経ってもいいカメラを買う踏ん切りがつかないので
先月からサブスクレンタルをはじめた次第。

これはシリーズ真ん中のグレードの E-M5 Mark III という
4年前の機種。

最初、なんで電源レバーが左? とか
なんでシーンモードでいちいち変なイメージ画像が出るの? とか
タッチパネルなのにボタンやレバーじゃないとアイコンが動かない? とか
動画撮るときなんでハウるの? とか
けっこう疑問符がついたのだけど
それを上回る、フィーリングのよさがあって
手に馴染むし
今までずっと得られなかった「撮ってる」っていう感覚があるし
中にはいい写真もあるし(腕が足りないから、たまにだけど)
すっごい俊敏だし

電源が左なので、否応なしに最初は両手でカメラを包むのだけど
それがなんか、大事なものを扱うぞ、みたいな気にもなるとかどうとか…
そもそも、頻繁に on/off なんかしなくていいのかもしれないし

右上のダイヤルとその配置なんか絶妙だし

なんでオリンパスってファンが多いのか、わかりました。

どうせ買うなら最上位だろう、と
最後の OLYMPUS ロゴ、OM-1 に惹かれています。

だけどその前にこれはお返しして
他のカメラも探ってみます。

それからカメラってセンサーもあるけど、レンズの役割が大きいし
持ち運べなきゃ、自分に合わなきゃ使わないし
やっぱ大事なのって、道具としての心遣い、心意気ですよね。

そういうのは確実に伝わってくるし、使い手に大きな影響を及ぼすなと
実感しています。

道具が身体の延長となれるか、脳や気持ちと交流するか、
そういうところなんでしょう。おそらく。

kamoe october

以前にもまして、人のライヴを観るのが楽しくなってきました。

小さな場所でのライヴは繊細なニュアンスを聴き取れるし、アーティストのお話しのトーンやちょっとした仕草を含めて情報量がすごい。

人間の脳のうち実際に使われているのはごく一部と言われますが、音楽を感じ取るということも、そこで放たれる膨大な情報のごく一部を、なのでしょう。

同じ音楽でも聴く人によって、またはその人の気分や志向・調子・経験によって、大きく響き方が異なる。

中でもその振れ幅が大きいのは、やはりアコースティックな音楽だと思います。
数値やグリッドで縛られない音楽。電気を使わない、あるいは適切に、最小限に使う音楽。
そこには弾き手の心技体やメンバーの化学反応に加え、空間も大きく影響する。

ダイナミクスやトーンに応じて耳を澄ますと、たとえばどうしてここでこんな軽いタッチになるのだろうと、あれっと思うこともある。そこで聴き方を変える。
しばらくすると響きが変わってくる。たとえば暗闇に目が慣れ、視界が変わってくるように。

リズムも然り。
自分の中にあるリズムの引き出しと共に、目前で起きている音楽を味わうのもいいけど、でもそこに自分と少し違ったテンポやリズムやタッチが感じ取れたとき、それは自分を広げ、柔らかくほぐし、新しくしてくれる。

そうして生で体験した音楽は、その夜も、翌日も、何ヶ月あとにだって、響いてよみがえってくるのです。
そうですよね? (誰に聞いてるのだ)


浜松にあるカフェ、鴨江珈琲 にて、ボサノヴァギタリストの 木村純 さんたちを観に。
ここはとんでもなく居心地がよく、珈琲がおいしく(とても重要)、素敵な本がいっぱいある。

純さんを観るのは二度目。三宿のカフェで20年前にライヴを拝見し、そのときいろいろお話しさせてもらった。東京に行ったばかりで、バンドと音楽雑誌の執筆をしながら、演奏の仕事を探し回っていたころだ。

途中の色々をスキップして、音楽に対する感覚だけをつなぎ合わせると、なんと楽しいものだろう。
感謝。

ライヴ写真は撮れておらず、すみません。

これは席の隣にあって、ライヴそのものとは関係がないものの

ゆれるリズム だなぁと。

帰り際、店の佇まいの素敵さをとらえたかったのだが、やはり iPhone X では限界か…

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